2010年03月28日

失われたヒッタイト人とカチカチ山の謎

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ヒッタイト帝国滅亡後、ヒッタイト人は東南アナトリアに移動して新ヒッタイトを築き、紀元前800頃まで活動したが、その後、消息を絶っている。
改めて確認しておくが、ヒッタイト人はハッティの文化を受け継いで、アーリア系言語を使っていたらしいことが分かっている。
そして、トルコは黒海に面し、彼らは優れた製鉄技術と騎馬戦法を持つ民族だった。
そこで気になるのが「スキタイ人」である。

スキタイ人は、新ヒッタイトが消えた紀元前8〜3世紀にかけて、世界最古の遊牧騎馬民族国家を築き、西シベリアからカスピ海、黒海地方にまで居住し、黄金製の工芸品を数多く残している。
言語は不明だが、アーリア系言語だと考えられている。
つまり、ヒッタイト人がスキタイ人になり、更にタタールの遊牧騎馬民族になったとしか考えられないのだが……この説を唱える学者がいないのが不思議である。

現在のタタール人は、ロシアのタタールスタン共和国に住むタタール人、黒海の北側に位置するウクライナ領のクリミア自治共和国に住むクリミア・タタール人、中国領に住むタタール人を指すが、タタールの名称は元々、モンゴル高原に住んでいた遊牧民の総称(タタル)だとされており、北アジアから東ヨーロッパにかけての広域で活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系の様々な遊牧民が、タタール人と称されてきた。

恐らく、ヒッタイト帝国滅亡後、ヒッタイト人の一派がスキタイ人となり、東ヨーロッパから北アジアに進出し、先住民と混血を重ねていったのだろう。
更に、タタール人の源泉がヒッタイト人であるならば、日本列島にも渡来した可能性は十分ある。
何故なら、国常立尊がトルコのエルズルムから日本列島に移動したことを、王仁三郎が伝えているからである。

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オックスフォード大学の考古学・セイヌ博士は、「日本人の中に確かにヒッタイト人の血が入っている」と断言している。
また、日本書紀に登場する「天忍穂耳命(アメノオシホミミ)」は、古事記では「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」と表記されているが、「勝勝(カチカチ)」はヒッタイトを意味するという説もある。
更に、秋田県の大湯ストーンサークルで出土した土器が、ヒッタイトで発掘された土器と酷似しており、ヒッタイト人が古代日本に渡来したことを証明していると言っても過言ではない。

出雲安来地方の島根県の製鉄工場では、タタラ製鉄の高い技術を受け継いで特殊な鋼を生産しているが、タタラ製鉄は朝鮮半島を経て伝来したものだと言われており、タタラの語源はタタル(タタール)である可能性が非常に高い。

出雲といえば、スサノオの「ヤマタノオロチ伝説」の地である。
ヒッタイト人は「牡牛族」であり、スサノオは「牛頭天王」と呼ばれている。
しかも、島根はスサノオが行った「根の国」に通じ、更には「生命の樹」の根に当たる「死の樹」に堕ちたルシファーにも符号する。

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さて、カチカチといえば「カチカチ山」を思い出すが、ストーリーをザッと見てみよう。

――お爺さんが悪さをする狸を捕まえて、狸汁を作るようにお婆さんに言い残して出掛け、夕方帰宅して狸汁を食べると、実はお婆さんは狸に殺されていて、お爺さんが食べたのはババア汁だった。
そして、お爺さんの話を聞いた裏山の白兎が、狸の隠れ家の前で鎌で芝刈りをしながら栗を食べ始めると、穴の中から狸が出てきて栗を分けてくれるよう頼み、兎は向こうの山まで芝を背負って行くという交換条件を出した。
兎は狸の後ろで火打ち石を出し、「カチカチ」と火を切り始めると、変に思った狸が「カチカチ鳴るのは何だろう」と質問した。
「この山はカチカチ山だからさ」と答えると狸は納得し、また歩き出した。
やがて、兎の着けた火が狸が背負った芝に移って燃もえ出すと、狸は 「ボウボウいうのは何だろう」と質問した。
「向こうの山はボウボウ山だからさ」と兎が答えると狸は納得したが、既に火は背中に燃え拡がり、狸は燃える芝を振り落として穴の中に逃げ込んだ。
兎はわざと大声で、「火事だ!火事だ!」と言いながら帰っていった。
翌日、兎は味噌の中に唐辛子を擦り込んで膏薬を作り、大火傷をした狸のお見舞いに行って塗って来た。
それから数日後、兎は狸を海に連れ出して、兎は木の舟を造り、狸は泥で舟を造って沖に出て、泥舟は溶けて狸は溺れ死んだ――


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火打ち石で「カチカチ」と火を切るというのは、製鉄を象徴しているのではないだろうか。
「火事」は、音も字義も「鍛冶」に通じる。
更に、木の舟を造って航海技術を持っていた。
カチカチ山の白兎の正体は、古代日本列島に製鉄技術をもたらして山人となった「アマ族」ではないだろうか。
ここで注意すべきは、兎は「製鉄技術を持っていたアマ族」で、陸路ルートで渡来したヒッタイト人(牡牛族)だということである。

また、白兎といえば「稲葉の白兎」の神話もある。
淤岐島の白兎が渡海する為に、ワニを利用して毛皮を剥がされるのだが、白兎が牡牛族だとすると、ワニは舟を示唆し、龍蛇族系のアマ族であることを暗に示している。
また、白兎は大国主命の処方によって怪我を治癒させたことから、大国主命も牡牛族だった可能性がある。

この神話の舞台は鳥取県だが、やがて島根県(出雲地方)に移っていく。
出雲は「製鉄民=牡牛族=鬼」所縁の地だが、彼らは最終的に日本列島の鬼門(東北地方)に追いやられていった。
牡牛族は隠れたことから「隠(鬼)」となったが、大湯ストーンサークルのある秋田県ではナマハゲが有名である。
これはまさしく鬼であり、「生剥げ」の名称は、白兎が毛皮を剥がされて赤くなったことに因んでいるのかも知れない。

秋田県の上の青森県では、古来より大国主信仰が盛んだが、鉄を産出する山に「大国主命」が祀られている。
また、大国主命が信仰していた「磐座信仰」があるが、これは黒い鉄鉱石であることから、「大国主命=大黒天」と同一視されており、そのルーツはヒンドゥー教の破壊神「シヴァ」である。
いずれにしても、スサの王が率いるヒッタイト人が、朝鮮半島から渡来したことは間違いないと思われる。

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ところがアリオンによると、紀元前3〜2世紀に海路ルートで上陸したアマ族が「出雲族」だという。
しかも、その出発地点はパミール高原である。
だとすれば、前述のシュメール系アマ族が「出雲族」ということになるが、出雲族が渡来する以前からアマ族は日本列島に渡来していた。
それに、出雲族は「牡牛族」で、それより遥か以前から渡来していたアマ族は「龍蛇族」だと言える。

以上の仮説を踏まえた上で、もう1度振り出しに戻って、よく考えて頂きたい。
ヒッタイト帝国が、王位を巡る内紛が原因で国家の崩壊を招いたのであれば、勢力の分裂があったはずである。
つまり、東南アナトリアに移動して新ヒッタイトを築いたグループの他に、もう1つのグループがあったと考えるのが自然である。
それが陸路ルートで日本列島に上陸したのだろうか。
大黒天のルーツがシヴァであるなら、インドと無関係ではない。
もしかすると、古代シュメール人が日本列島に入ってきた同じルートで、ヒッタイト人が渡来したのではないだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 04:27| Comment(6) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄河文明と「日本語クレオールタミル語説」の謎

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「日本シュメール起源説」を最初に提唱したのは歴史学者ケンペルで、古代バビロニアの「日像鏡」「月像の首飾り」「剣」が日本の三種の神器に一致し、オリエントに多く見られる菊花紋が皇室の家紋となっていることから、「高天原はバビロニアにあった」と主張した。

だが、バビロニアはシュメール滅亡後に出来た王国なので、真相は恐らく、アッカド、またはアムル人やエラム人、アッシリア人の侵攻を受けたシュメール人の一部がアジア全域に広がり、一部が日本列島まで到達したのだろう。

だが、中国大陸に定住したシュメール人も数多くいたはずだ。
或いは、タガーマハラから出発したセム族は、メソポタミア地方を超えて、東アジアや北アジアに移動したケースも少なくなかったことだろう。
その遺産が世界四大文明の1つ、黄河や長江などの中国文明である。

メソポタミア文明やエジプト文明、インダス文明と同様、黄河文明を築いた連中もカッバーラを継承したフリーメーソンである。
言うなれば、古代チャイニーズ・メーソンである。

中国神話には、アダムとイブに相当する人類の始祖「伏羲(ふっき)」と「女禍(じょか)」が登場するが、メーソン(石工)のシンボルであるコンパスと直角定規を持っている。
下半身が蛇の姿で描かれているその姿は、DNAの二重螺旋構造を意味していると思われるが、蛇と蛇ということから考察して、彼らは「龍蛇族」だったのではないかと思われる。

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龍は神話の中で常に悪者とされてきたが、中国では龍は神獣として尊ばれている。
古代チャイニーズ・メーソンは、シュメールで牡牛族から逃げてきた龍蛇族だったのだろうか。
尚、中国西安郊外にあるピラミッド群は、彼らチャイニーズ・メーソンの作品ではない。
そして彼らは、朝鮮半島(当時は日本列島と陸続き)にも広がっていったことは想像に難しくない。

だが、それだけが日本人のルーツではない。
縄文人のルーツの一部は、アメリカ大陸の原住民「ネイティブ・アメリカン」だという事が判明している。
アメリカのミシガン大学のロリング・ブレイス教授は、アメリカ先住民民の遺骨や現代人の頭部を測定し、アメリカ中西部と北東部の先住民と、古代日本に住んでいた縄文人の関連性を発表した。
また、アラスカとカナダ北西部からメキシコにかけての地域の先住民は、現代の中国人に酷似し、縄文人とは別系統だとしている。

これは遺伝子学的にも証明されつつあるが、マヤ人が日本列島に上陸していたことは、沖縄のオーパーツ「ロゼッタ・ストーン」を見ても明らかである。
ネイティブ・アメリカンの祖とされているホピ族が、イスラエル民族の末裔だという説もあるが、これは学術的に信憑性が低い。

では、ヒッタイト人が日本列島に向かう途中で、ネイティブ・アメリカンになったのだろうか。
否、ヒッタイト人が「牡牛」をトーテムとする民族だったのに対し、ネイティブ・アメリカンは「ククルカン」や「ケツァルコアトル」等の、翼のある「蛇」を信仰していた民族である。
また、ヒッタイトには、ネイティブ・アメリカンが築いたようなジッグラトはなく、ネイティブ・アメリカンには製鉄技術はなかった。

マヤ、アステカ、インカの巨石文明、特に「ジッグラト」と呼ばれる階段ピラミッドは、シュメール文明の遺産そのものである。
そして、ホピ族が使う羽玉や、マヤの遺跡にも、スメラミコトの家紋 「十六弁菊花家紋」が残されている。
ネイティブ・アメリカンは、シュメールから直接やってきたのだろうか。
彼らの高度な巨石文明と天文学的知識は、明らかにシュメール文明そのものだとしか思えない。

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だが、ネイティブ・アメリカンのルーツは、蒙古系モンゴロイドだという説が有力視されている。
当然ながら、蒙古系モンゴロイドはセム族であり、シュメール人の枝分かれだと考えて良い。
シュメール人はアジア全域に広がったが、ウィスコンシン氷河期によって、アジア人(蒙古系モンゴロイド)が新天地を求めて、現在のワシントン州にやってきたと考える学者もいる。
尚、ウィスコンシン氷河期と呼ばれるものは、ノアの大洪水以降に何度か起きたポールシフトで、北方が寒冷地帯になったことだ。

また、古代日本列島には、ネイティブ・アメリカンだけではなく、ポリネシアやミクロネシア等の南方系海洋民族が上陸していたことも分かっている。
日本シュメール起源説を唱える岩田明氏は、『消えたシュメール人の謎』(徳間書店)の中で、「ヤマト」の語源が海の龍「ティアマト」だと主張し、それが「アマト(海人)」となり、南インド、エジプトにまで航海して各地に拠点を築いたシュメール人が、マレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、インドシナ半島などに痕跡を残しながら、日本列島に到着したのではないかと推測している。

確かにシュメール人は、インドやエジプトの神話や文明にも大きな影響を与えており、エジプトには、南方から船で文明を伝えに来た人を描写した絵が残っている。
エジプトにも十六弁菊花家紋が見られるが、これはヒッタイトがエジプトを支配下に治めた証しとして刻まれたものであろう。
また、インダス文明の都市遺跡のモヘンジョダロやハラッパー、カンボジア遺跡、ポンペイ島の巨石建造物、イースター島のモアイ、トンガの階段ピラミッド、パラオの巨石建造物等と、ネイティブ・アメリカンのルーツも同じだと思われる。

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実際に、ポリネシア人のルーツについて、「シュメール起源説」と「ネイティブ・アメリカン起源説」などがある。
前者は、ニュージーランドのマオリ族の言葉で「西」を「ウル」と言い、シュメールの首都ウルと符合する。
後者はモルモン教の主張で、ネイティブ・アメリカンの一部がポリネシアに移住したというもので、「ネイティブ・アメリカン=イスラエル民族」かどうかは別として、ポリネシア人が南米からやってきた可能性は十分考えられるし、逆のパターンも考えられる。

また、ポリネシア人のルーツをエジプトに求める説もある。
イースター島の未解読文字が、エジプトのヒエログリフを彷彿させることや、ポリネシア語で太陽を「ラー」と呼ぶこと、ポリネシアにも死者をミイラにする風習があること等が根拠となっている。
だが、南方から船で来た人を描写した絵がエジプトに残っている以上、エジプトがポリネシアのルーツではない。

現在、考古学・言語学などの研究から有力視されているポリネシア人のルーツは、中国の南東部である。
ポリネシア人の痕跡はインドネシアまでしか辿れず、また、東南アジアとの文化の共通点が多く、約4000年前に中国南東部のモンゴロイドが、インドシナ半島、インドネシア、ニューギニア、メラネシア諸島などを経てトンガに定住し、その後、サモア諸島、更にポリネシア諸島に広がったと考えられている。

そして、そのままアメリカ大陸に突入したのが、ネイティブ・アメリカンだろう。
ロリング・ブレイス教授のいうように、アラスカとカナダ北西部からメキシコにかけての先住民が、現代の中国人に酷似しているのは、恐らく他民族との混血なしで今日まで続いてきたのだろう。
そして、彼らの一部がイヌイットになったのではないだろうか。

縄文人系といわれているネイティブ・アメリカンは、恐らく途中の島々に滞在したアマ族との交流があった為、他民族の血が輸入されたことは想像に難しくない。
要は、メソポタミア地方から中国大陸に来たセム族は、太平洋の島々、そしてアメリカ大陸にまで広がった可能性が高いという事である。

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そのルートだが、まず中国南東部からインドシナ半島、インドネシア、ニューギニア、メラネシア諸島などを経由するとなると、パミール高原を越える必要がある。
パミール高原は中央アジアの真ん中に位置する標高5000mの大高原で、タジキスタン、アフガニスタン、中国に股がり、ヒマラヤ、カラコルム、天山、ヒンズークシの4つの大山脈に股がるシルクロード最大の難所で、世界の屋根と呼ばれている。

このような世界の中心とも言えるパミール高原を目指して、定住した集団もいたとしてもおかしくはない。
恐らく、彼らの一部がヒマラヤの「聖者」と呼ばれる人々ではないかと思われる。
また、チベット南西部のカイラス山周辺で、ピラミッド群や巨大な石像が100以上発見されたが、中でも最大級の階段ピラミッドは、クフ王のピラミッド(146メートル)を超える180メートルの高さだという。

一方、太平洋諸島に進出した人々は、海洋民族故に「海人(アマ)族」と呼ばれるが、元々、シュメール人は航海術にも長けた民族だった。
インドシナ半島や太平洋諸島、アメリカ大陸などに巨石文明を築いた彼らは、各諸島やアメリカ大陸にネットワークを張り、頻繁に仲間と交流していたことは間違いなく、日本列島も例外ではない。

パラオ諸島には巨石テラス状の丘が多数有るが、日本各地の人工ピラミッド山や与那国島の海底遺跡などの石工構造と酷似しており、同系統の民族によって築かれたことが分かるし、また、沖縄人とフィリピン人の遺伝子も極めて近いことが判明している。

パミール高原の南西側は、インダス文明の都市遺跡があるパキスタンだが、アマ族の阿波一族はパキスタンのアワミ一族だと考えられ、また、古代インドやネパール、ペルー(マヤ人の末裔)からも、有明海や伊勢志摩にやって来た可能性があるとされている。

学習院大学の大野晋教授によると、シュメール語を祖語とした南インドやスリランカのタミル人言語(ドラヴィダ語の一部)も日本語に似ていると主張し、モヘンジョダロの文字はタミル語で解読できるという。
タミル人は、人種的にはオーストラロイド、またはヴェダロイドで、世界中に散らばっているが、元はシュメールから南インドに移住したドラヴィダ系の民族である。

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「十種神宝」などの宮中祭祀に関わる伯家神道の伝承によれば、古事記に登場する「土蜘蛛」はインドネシヤ系のアマ族とされている。
尚、パラオ人の祖先が、インドネシアのマレイ族、ニユーギニアのメラネシア人とポリネシア人だったことが判明している。

このように、アマ族の直接的なルーツはパキスタンやインドであり、シュメールから南アジアに南下してインダス文明を築いたシュメール人と、シュメールから東アジアの中国に移動した後にパミールを越えたシュメール人が、インド亜大陸で合流したものと思われる。
また、「日本語オーストロネシア語起源説」というのがあり、日本語がアルタイ語とオーストロネシア(南島)語の混合語だと主張する学者も多いが、タミル人の経緯を見れば、それも正しいと言えるだろう。

五島勉氏が『幻の超古代文明アスカ』の中で、インド人と日本人の類似性を挙げているが、結局はインダス文明を築いたシュメール人がアマ族となって、古代日本列島に上陸していたのだ。
また、インド洋の水深37メートルの海底に、9キロ四方に及ぶ大都市遺跡が発見されているが、これも建造物であることは間違いない。
尚、これはレムリア大陸などではなく、インド亜大陸の大陸棚の一部である。

北方起源説では、ツングース系モンゴロイドが樺太でアイヌと接触し、アイヌ人が北海道や東北地方だけではなく、本州の殆んどに居住していたとされている。
つまり、大陸と陸続きだった日本列島に最初に入ってきたのが毛人で、その後、ツングース系モンゴロイドが日本列島に移住したのがアイヌ人で、インドシナ半島、ポリネシア、ミクロネシア、アメリカ大陸に移住して、南方から日本列島に入ってきたのがアマ族なのだ。

だが、DNAの調査結果でも、縄文人はシベリア北部の先住民に近く、近畿を中心として北海道と沖縄で最も縄文人の血が濃くなる為、アマ族もアイヌと同系統の民族で、アマ族が北海道や東北地方に移動してアイヌと呼ばれるようになったケースも少なくないだろう。
いずれもシュメール出身の民族だが、古代日本列島にはこのように断続的にアマ族が上陸し、先住民と調和しながら石器時代を経て、縄文文化や弥生文化が形成されていったのだろう。

しかし、日本列島に製鉄技術をもたらしたのは彼らではなく、ヒッタイト人である。
ヒッタイト人は帝国滅亡後、どこへ消えたのだろうか。
そして、アマ族との関係は……。
posted by 夢蛇鬼 at 04:06| Comment(0) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヒッタイト帝国とスサの王の謎

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世界の龍蛇退治伝説の中でも、ヒッタイト神話ほど「スサノオの八岐大蛇退治」に酷似した物語はないだろう。
ヒッタイトの首都は「ハットウシャ」である。
これを漢字に当てると「八頭蛇」となるのは偶然ではないはずだ。
極単純に考えると、ヒッタイト帝国(龍文明)を退治して製鉄文明を手に入れたのが、「スサノオ」だと考えられる。
シュメールに隣接するエラムの首都を「スサ」といい、スサの王が「スサノオ」だという説がある。

「スサの王」とはあまりにも現代の日本語過ぎるが、実際にスサノオがエラムのスサと関係がある事は信憑性が高い。
ズバリ言うと、スサノオ(マルドゥク)の受肉が「スサの王」だったと考えて良いだろう。
果たして、エラムのスサの王がヒッタイトに侵攻して、製鉄技術を略奪したのだろうか。
そう考えると自然なストーリーだが、可能性は低い。

シュメール王、またはシュメール王の上に君臨していた預言者が「スメラミコト」だったと考えられるが、ハッキリ言えることは「スサノオ=スメラミコト」という事である。
シュメール王国は、エラム王国の侵攻を受けて滅亡したという説もあるが、シュメール王国とアッカド帝国の地にバビロニア王国が誕生したことを考えると、シュメール人はアッカドに追い出されたと考えるのが自然であろう。

だが、エラム人はエラム語を話す人種不明の民族で、シュメール人ではない。
ところが、エラム(日の昇る地)からシリア(日が沈む地)までが、シュメールの領土だったという説がある。
実際に、ウル第3王朝時代に、エラムはシュメールの支配下にあったという記録がある。
様々なパターンが想定できるが、ウル第3王朝時代、シュメールのスメラミコトが「スサの王」として君臨していた可能性も高い。

「シュメール人はエラムに居住して発展した」という説もあるので、シュメール滅亡後にエラムに移った可能性もある。
シュメール滅亡後、エラムがバビロニアに侵攻した事は間違いないようだが、バビロニア(アッカド)に国を奪われたシュメール人がエラムにいたとすると、その理由も頷ける。

そうでなければ、小国エラムのバビロニア侵攻は現実的ではない。
またその後、エラムはバビロニアの侵攻を受けている。
その時にスメル族(スサの王)がエラムを脱出し、アナトリア高原に移住したとは考えられないだろうか。
そして製鉄技術を世界で初めて生み出していたのは、実は先住民のハッティで、彼らは蛇神を信仰していたと仮定すると、「八岐大蛇伝説」の謎は氷解するのである。

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面白い事に、エラムには数多くのフルリ人が関与していた記録が残されている。
細かな点ではまだ謎は残されているが、シュメールのスメラミコトが「スサの王」になり、ハットウシャに侵攻してハッティを征服しつつも、滅ぼしたのではなく、融合していったと考えるのが自然ではないだろうか。

しかし、嵐神の龍退治の神話はシュメール時代から存在している。
それは何故かと言うと、神話の源泉は神界の出来事であり、それが時を変え、場所を変え、人間界に繰り返し移写されるからである。
その伝説が鉄器と共に日本に伝来し、「八岐大蛇」の神話を生んだ事は間違いないだろう。

何故、日本なのか……。
まず、ヒッタイト帝国は、現在のトルコの辺りに存在した。
そして恐らく、ハッティは蛇神信仰の民族だった。
『日月神示』では、泥海の地球を創り固めたのが龍神の総大将である「国常立尊」だという。

王仁三郎は、次のように述べている。
「地球霊界の主宰の位置についたのが国常であった。
国常立大神は、最初トルコのエルズルム(エルサレム)に神都を定め、天地の律法を制定して地上霊界を統治していた。
ところが地上霊界を我が物にしようとする八岐大蛇・金毛九尾の狐が神人に憑依し、国常立大神の神政を妨害して天地の律法を破壊した」


泥海とは、ノアの大洪水後の地球を指す。
エルズルムは「神都」を意味し、トルコのエルズルムとは「ハットウシャ」を指していると思われる。
つまり、当時の地球は、そこが世界の中心だったという事で、ハッティは必然的に蛇神信仰の民族となり、世界の王の御霊を持つスメラミコトは、必然的に世界の中心であるハットウシャに移り住むことになったのだろう。

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ここで、王仁三郎の話とメソポタミア神話を比較して頂きたい。
地上霊界を統治していた国常立大神は「嵐神マルドゥク」に対応し、八岐大蛇は「龍神ティアマト」に対応する。
だが、国常立尊も「龍神」である。
今まで検証してきた通り、龍にも牛の要素が隠されており、牛にも龍の要素が隠されている。

牛と蛇の合体神が「龍」と考えることも出来るが、要は牛神と龍神は同一神であり、裏と表の神一重だということである。
そして更に裏の裏があり、「善の牛」と「悪の蛇」があり、同様に「善の蛇」と「悪の牛」があるが、それらは同一神であり、牛と蛇のどちらが善か悪かを議論するのはナンセンスである。

だが、それが人間に現れると「龍蛇族」と「牡牛族」に分類されるようになる。
アブラハムは牛族だったと言われている。
また、八岐大蛇を退治した牛頭天王「スサノオ」も牛族に分類できるだろう。
そう、牛の角は丑寅の金神の角であり、「牛=鬼」なのだ。

「牡牛と龍蛇の戦い」と言っても、牛神「スサノオ」と龍神「国常立尊」は同一神であり、共に鬼門に封印された「鬼=龍」であることに注意しなければならない。
では、牡牛と龍蛇を封印したのは何者か。
それこそが、現在のキリスト教で「神」と呼ばれている存在である。

世界神話では、八岐大蛇は退治されたことになっているが、王仁三郎は次のように述べている。
「八岐大蛇・金毛九尾の狐が神人に憑依し、国常立大神の神政を妨害して天地の律法を破壊した」

詳細は順を追って明らかにしていくが、龍を封印したのも「龍」である。
これによってヒッタイト帝国は、王位争奪の内紛で崩壊したのだ。
そして、国常立大神は世界の鬼門である日本列島に追いやられた。
恐らく、ポールシフトで地球の霊的磁場の中心が日本列島に移動したのだろう。
そして、日本列島は徐々に龍体を形成し、世界の雛型となった。

地球の霊的磁場の中心が、アナトリア半島から日本に移動したということは、当然ながら、そこに住んでいた神人たちも無意識に日本列島に導かれることになる。
では、どのようなルートで日本列島に辿り着いたのか。
その前に、もう1つの古代アジア文明を忘れてはならない。
posted by 夢蛇鬼 at 00:05| Comment(2) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

牡牛と龍蛇の戦いの謎

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カナン神話の「バアル」は「主」という意味で、聖書の「ヤハウェ」と同義語である。
そのルーツは「マルドゥク」で、エジプト神話の「オシリス」、ギリシア神話の「ゼウス」、ローマ神話の「ジュピター」等に相当する。
そして、バアルは「牛神」である。
という事は、「神=悪魔」「牡牛=龍蛇」という構造になってしまう。

スサノオは海原を治める勅命を受け、また、八岐大蛇退治によって英雄としても語られる。
「スサ」は「荒む」などのように「荒らぶる」の意で、「嵐の神」や「暴風雨の神」ともされている。
また、王仁三郎によると「贖罪神」でもある。
これは、スサノオに対応するヘラクレスが「贖罪の旅」に出た事にも通じる。
つまり、スサノオは「英雄」であり、「海神・嵐神」であり、「贖罪神」でもあるのだ。

ここまでの話を整理すると、次のような等式で結ばれる。

「マルドゥク=プルリヤシュ=ヘラクレス=主=ミカエル=バアル=スサノオ」
「ティアマト=イルルヤンカシュ=ヒドラ=レビヤタン=ルシファー」


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これは「嵐神vs龍」という構図だが、嵐神は牛であり、「牡牛vs龍蛇」ということになる。
ところが、この最後の部分の「スサノオ」と「ルシファー」も同一神なのだ。
「主」である牛神バアルは、キリスト教では悪魔とされる。
魔界の副大統領的存在のベルゼルブは、蝿の姿をした醜悪な姿で描かれているが、「ベル」はバアルのことで、ルシファーと同一視されている。
つまり、牛神バアルは「龍」でもあるということになる。

その証拠に、カナン人はハム族で、エジプト人と血統的にも文化的にも親類だったが、シッチンによると、カナン人はアジアとアフリカの橋渡し役をしていた為、メソポタミア文明の強い影響を受けたという。
カナン人の直接的な接点は、アモリ人(アッカド語の「アムル」とシュメール語の「マルトゥ」の合成語)で、アモリ人の最高神が嵐の神「アダト」であった。

これはバビロニア神話の嵐の神「マルドゥク」に相当し、カナン神話の「バアル」となった。
アダトのシンボルは稲妻だったが、聖書で稲妻は「龍=堕天使ルシファー」の象徴でもある。

それだけではない。
マルドゥクは牡牛神と考えられているが、マルドゥクと龍はワンセットで描かれている。
マルドゥクが授けられた武器も「嵐」と「雷」である。
嵐は「スサノオ=牛」の象徴だが、雷(稲妻)は「ルシファー=龍」の象徴である。
だが、「スサノオ=堕天使ルシファー」である。

ティアマト(龍)は、七俣の大蛇やサソリ尾の龍などの怪獣を生み出したが、その中に「牛人間」がいる。
やはり、牡牛と龍蛇を分離することができない。
そして、龍蛇は悪者とされているが、どうなのだろうか。

ノアの大洪水以前、ムー帝国では7つ頭の蛇である「絶対神ナラヤナ」が崇拝されていたという。
エジプトのクレオパトラは「ナイルの蛇」という称号を持っていたが、ツタンカーメンの額にも蛇の飾りが付いている。

モーゼは杖をヘビに変えてファラオと戦ったが、これは「蛇と蛇の戦い」ということになる。
モーゼは神の命令で青銅の蛇ネホシタンを作り、蛇はイスラエル民族の信仰対象となった。

「青銅のヘビを造り、旗竿の先に掲げよ。
蛇に噛まれたものがそれを見上げれば、命を得る」

(「民数記」第21章6〜8節)

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これは十字架のイエスの象徴であり、「イエス=蛇=ルシファー」、即ち「ヤハウェ=ルシファー」ということになる。
別の見方をすれば、贖罪神スサノオは「イエス・キリスト」だが、同時に堕天使「ルシファー」でもある。
また、スサノオは牛神「バール」だが、同時に「ルシファー」であり「牡牛=龍蛇」ということになる。

マヤ神話のククルカンは「翼ある蛇」とされ、アステカの神ケツァルコアトルも「翼ある蛇」である。
また、空を飛ぶ蛇神は、エジプトの王家の谷でも発見されている。
その他、世界中で蛇神・龍神信仰は見られる。
尚、エジプト文明のルーツもシュメールにあるが、エジプトでも蛇だけではなく、黄金の子牛アモン(バアル)が信仰されていた。

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イスラエル10支族はこの牛神を信仰し、ヤハウェの怒りを買ったとされている。
これは「ヤハウェ」と「バアル(ルシファー)」の対立を表したものだが、バアルも「主(ヤハウェ)」なのである。
そして、ヤハウェの受肉としてイエスが誕生したが、イエスの象徴が蛇ということは、「ヤハウェ=ルシファー」ということで、更に贖罪神スサノオであるイエスは「牛神バアル」でもあるのだ。

また、ヒンドゥー教の象徴「ナーガ」も、7つの首の蛇である。
そして、ヒンドゥー教の絶対神は、「創造神ヴィシュヌ」「維持神ブラフマー」「破壊神シヴァ」の三位一体で、順にキリスト教の「御父エロヒム」「御子ヤハウェ」「聖霊ルーハ」に対応し、シヴァはルシファーにも相当する。
ところが、シヴァは暴風雨の神で「牛」で象徴され、 バビロニア神話の「マルドゥク」や、カナン神話の「バアル」にも相当し、聖書でいう「ヤハウェ」でもあるのだ。

日本神話で言うと、八岐大蛇を退治した牛頭天王「スサノオ」である。
たが、牛神シヴァの体にも蛇が巻き付いているのである。
従って、シヴァは「ヤハウェ」であり、「ルーハ」でもあり、「ルシファー」としての顔も持っていることになる。
話がくどくなったが、「牡牛=龍蛇」というのが結論である。
では、「牡牛と龍蛇の戦い」とは、一体何を意味するのだろうか……。
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ヒッタイト神話と世界の龍退治伝説

バビロニア神話で「嵐の神マルドゥクが龍神ティアマトを殺した」という話があったが、ヒッタイトにも同様の神話がある。

ストーリーを一言で話すと、次のような内容である。

嵐神「プルリヤシュ」と龍神「イルルヤンカシュ」が戦い、龍神が勝利した。
プルリヤシュは計画を立て、様々な種類の酒を瓶に入れて小屋の陰に隠すと、イルルヤンカシュが酒の匂いに惹かれて寄ってきた。
そして、酒を飲み干して酔い潰れたイルルヤンカシュを、プルリヤシュが斬り殺した……。


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どこかで聞いたことのある話だ。
ギリシア神話でも、英雄「ヘラクレス」が贖罪の旅の途中に、アミモーネの沼に住む9つの首を持つ水蛇「ヒドラ」を退治した。
その他、世界中に同様の龍退治伝説があり、『旧約聖書』の中にも見ることができる。

「その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって、逃げる蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、また海にいる竜を殺される」
(「イザヤ書」第27章1節)

「あなたは御力をもって海を分け、水の上の竜の頭を砕かれた。
あなたはレビアタンの頭を砕き、これを砂漠の民の食糧とされた」

(「詩篇」第74章13〜14節)

旧約聖書を聖典とするユダヤ教では、かつて神に最も近い天使だった「サマエル」が、神に戦いを挑んで地上に落とされて「サタン」になったとされている。

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これと同じ話は「ヨハネの黙示録」でもお馴染みである。

「見よ、火のような赤い大きな竜である。
これには七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた」

(第12章3節)

「さて、天で戦いが起こった。
ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。
竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。
そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれるもの、全人類を惑わす者は投げ落とされた」

(第12章7〜9節)

「私はまた、一人の御使いが、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降ってくるのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、すなわち、かの年を経た蛇を捕らえて千年間つなぎおき、そして底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた」

(第20章13節)

そして、千年期が終わると獄から解放されるが、再び獄に投げ落とされるという。

「すると天から火が降ってきて、彼らを焼き尽くした。
そしてかれらを惑わせた悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた」

(第20章9〜10節)

旧約聖書の「レビアタン退治」の直接的なルーツは、『カナン神話』でバアルが七つの頭をもつ海の怪物レビアタンを退治することにある。
これらの神話から、嵐の神が悪魔である多頭蛇(竜)を倒した、或いは未来に倒すという物語であることが分かるが、ここに大きな問題が孕んでいることにお気付きだろうか……。
posted by 夢蛇鬼 at 04:23| Comment(0) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

シュメール人の行方と世界を制した古代天皇の謎

世界の神話を検証する前に、シュメール人の行方を追ってみよう。
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ノアの大洪水後、アフリカ大陸と陸続きだったインド亜大陸にハム族が存在していたが、その後、大陸移動によって、インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、シュメール人の一派とされるウバイド人がやってきて、インダス文明を築いたと考えられている。

紀元前2004年、シュメール王国(ウル第3王朝)が滅亡し、メソポタミア地方から逃れたシュメール人が大陸を渡って日本に辿り着いたという説がある。
それがまさに「日本シュメール起源説」であり、日本列島の原住民となった彼らによって縄文式土器の文化が開花したと思われる。
だが、「スメラミコト」が渡来したのはこの時期ではない。
何故なら、シュメール人は製鉄技術を持っていなかったからだ。

既に述べた通り、シュメール王国滅亡後、アブラハム・ファミリーに続く、多くの国民がタガーマ州ハランに帰郷し、その後、アブラハム一行がカナンの地に移動した。
そして、アブラハムがスメラミコト(天皇)の系譜だと考えるのが普通だが、アブラハムとは別のグループで、「スメラミコト」を筆頭とするグループがあったはずだと私は考えている。

根拠は「十六弁菊家紋」である。
この皇室の家紋はシュメールをルーツとしているが、古代オリエントの様々な場所で見ることができる。
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古代オリエントで絶大な力を持った集団が、スメラミコトの系譜なのだ。
スメラミコトを筆頭とするこの集団を、仮に「スメラ族」と名付けることにする。
夢蛇鬼説では、このスメラ族こそ「ヒッタイト人」なのだ。

ヒッタイトの言葉は、インド・ヨーロッパ語族に属するアーリア言語で、ヒッタイト人はセム族ではないとされているが、そうとは限らない。
シュメールから来たスメラ族は、トルコのアナトリア地方の先住民「ハッティ」の名前を引き継いだ。
通説では、謎のアーリア民族がハッティを征服してヒッタイト帝国を築いたとされ、勝利者が被征服者側の民族名を名乗るのは珍しいと言われている。

だとすれば、私的には話が繋がった。
聖書の記録によると、ノアの大洪水後、ノア・ファミリーはトルコのアララト山付近(コーカサス地方)に住んでいたが、ハム族が追放されてアフリカ大陸に移住した。
やがて、セム族はアジア全域に広がり、メソポタミア文明を築いたが、ヤフェト族はコーカサス地方に定住していた。
ヤフェトの妻は白人だった為、ヤフェト族(コーサソイド)は白人で、その中で最も勢力を持ったのが「アーリア人」だった。

ヒッタイト帝国の先住民である「ハッティ」は、まさにアーリア人である。
そこへシュメールからスメラ族がやってきて、征服とは言うものの侵攻ではなく、親交して融け込んだのではないだろうか。
ハッティを尊重して移民したスメラ族は「ハッティ=ヒッタイト」を名乗り、多くの民が混血をした事も想像に難しくない。

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ゼカリア・シッチンは『人類を創成した宇宙人』(竹内慧訳)の中で、更に貴重な情報を与えてくれているので、少し長くなるが紹介しよう。
(ニビル星人の話は別として、考古学・言語学者のシッチン説は、現在最も信頼できる情報だと私は思う)

――ヒッタイトの英雄と神々の物語が、シュメールに起源をもつことは、間違いないだろう。
……シュメール語の響きをもつ神々、アヌ、アントゥ、エンリル、ニンリル、エア、イシュクルである。
その他のヒッタイトの神々の名前と同様に、テシュブの名前でさえ、しばしばシュメール文字で書かれた。
また、戦闘の中であげられた場所のいくつかは、古代シュメールの遺跡であった。
ヒッタイト人が、実際はシュメール起源の神々を崇拝し、古い神々の物語の舞台がシュメールであったことが学者たちにわかりはじめた。
ヒッタイト語を判読するうちに、大量のシュメールの象形文字、音節、言葉が使われているのを発見して、学者たちは本当に驚いてしまった!
ヒッタイトが紀元前1600年頃、バビロンに着いたとき、シュメール人は近東の舞台からすでに長い間消えていた。
なのに、彼らの言語、文学と宗教が、別の時代の、そして、アジアの別の部分のもう一つの偉大な王国に影響を与えたのは、どうしてであったか?
シュメールとヒッタイトという二つの文明を繋ぐ橋は、フルリといわれた人々であったことが、最近になってわかった。
旧約聖書の中ではホライト(自由な人々)とされ、彼らはメソポタミアのシュメールとカッカドからアナトリアとヒッタイト王国までの間の広いエリアを支配していた。
エジプトとメソポタミアの国王の文書が、フルリ王国をミタンニと呼んでいる。
ヒッタイト人は、彼らを「フルリ(Hurri)」と呼んだ。
しかし、ある学者は、この言葉が「ハル(Har)」と読めると指摘し、「ハルリ(Harri)」は「アーリ(Ary)」と読め、アーリア人を指すという驚くべき可能性をあげた。
フルリが、アーリア人かインド・ヨーロッパ語族起源であったことは間違いない。
彼らは、ヴェーダと同じ名前によっていくつかの神々を呼んだ。
彼らの王たちはインド・ヨーロッパ語族の名前をもっていた。
そして、彼らの軍隊と騎兵用語は、インド・ヨーロッパ語族から生じた。
フルリ人は、文化的、宗教的にヒッタイト人に影響を与えた。
ヒッタイトの神話が、フルリに由来することもわかった。
そして、有史以前の、半神的な英雄の叙事詩物語も、フルリが起源であった。
ヒッタイト人が彼らの宇宙論と神話と12人の神々をフルリから受け継いだことに、もはや疑いの余地はない。
フルリ人の言語、文化、伝説には、疑いもなく、アッカドの要素があった。
彼らの首都の名前ワシュゲニは、セム語系のレシュエニ(水が始まるところ)の変形であった。
チグリス川は、アランザクといわれたが、これは「純粋な西洋杉の川」というアッカド語から起こっている。
しかし、アッカドの文化と宗教がオリジナルのシュメールの伝説と信仰の発展にすぎないことから、フルリは実際にはシュメールの宗教を吸収して、伝達しただけであることがわかる。
このことは、オリジナルのシュメールの神の名前とあだ名と書体の頻繁な使用からもはっきりしている。
叙事詩物語がシュメールの神話であったことも明らかになった。
古い神々の住居は、シュメールの都市であったし、古い言葉はシュメール語であった。
フルリの芸術も、シュメールの芸術のコピーであった。
いつ、どのようにして、フルリ人は、シュメールの遺伝子によって変化させられたのか?
紀元前の2000年の間にシュメールとアッカドの北の隣人であったフルリが、そのさらに前の1000年間でシュメールと混ざり合ったという証拠が存在する。
フルリが紀元前の3000年間、シュメールに混じって存在し、活動していたことは確かな事実である。
彼らは、シュメールの栄光の時代、ウル第3王朝の頃、大きな勢力を保っていた。
フルリがシュメール(特にウル)で大昔知られていた服飾産業を管理して、人材を供給していたことを示す証拠がある。
ウルの有名な商人は、ほとんどの場合、フルリ人であっただろう。
紀元前1300年、大規模な移住と侵略の圧力の中で(イスラエル人のエジプトからカナンへの脱出を含む)、フルリは自らの王国の北東の部分へ退いた。
バン湖の近くで彼らの新しい首都を創出して、彼らの王国をウルアルトゥ(アララト)と呼んだ。
そこで彼らはテシェバ(テシュブ)によって率いられた英雄を崇拝し、角のある帽子をかぶって雄牛の上に立つ精力旺盛な神として、テシェバを描写している――


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さて、ヒッタイト人は製鉄技術を発明し、騎馬戦に秀れ、古代オリエントで絶大な勢力を誇った。
マルタ島とカッパドキアを繋ぐ、例の地底都市もヒッタイト人の遺産である可能性もある。
『竹内文書』では、日本の古代天皇が世界を統治していたとされているが、これはまさに「古代オリエントを征服したヒッタイト人」を意味しているのではないだろうか。

そして、紀元前1600年頃にバビロンを壊滅させ、紀元前1275年頃にはエジプト19王朝を制服し、時のファラオ・ラムセス2世を降伏させた。
ヒッタイトは古代オリエントの宗教にも大きな影響を与えたが、『旧約聖書』に於いてはイスラエル民族の味方として尊重されている。
アブラハムの息子エサウは、ヒッタイト人ベエリの娘エフディテと、ヘテ人エロンの娘バセテマを妻とし、ダビデはヒッタイト人ウリヤを妻に迎え、息子のソロモンはヒッタイト王の娘をめとった。
だが、ヒッタイト帝国は、紀元前1190年頃に滅んでしまった。

従来の説では、地中海域の「海の民」によって滅ぼされたと考えられていたが、近年の研究では、3代に及ぶ王位争奪の内紛が原因で、国家を維持する力が失われていたことが明らかとなった。
それが、ハッティとスメラ族の分裂かどうかは分からないが、王位争奪戦でヒッタイト帝国が崩壊したことを憶えておいて頂きたい。
その後、ヒッタイト民族はどこへ行ったのだろうか。
彼らの行方を探る前に、シュメール神話を受け継いだ「ヒッタイト神話」を検証してみることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 04:54| Comment(2) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メソポタミア神話(シュメール神話+バビロニア神話)と龍伝説

龍伝説の源泉を辿ると最終的にシュメールに行き着くが、シュメール語で龍を「ウシュムガル(唯一の偉大な)」と呼び、シュメール人は「龍」を尊ぶ民族だった。
そして龍は、知恵を象徴する「蛇」でもあり、エデンの園で蛇がアダムとイブに「知恵の樹の実」を食べさせた事と同様に、大洪水後、シュメール人に知恵を授けて文明を開花させたのも「蛇」だった。
だが、都市ウルは「牛」の意味を持ち、ウル人は「牛族」と呼ばれている。
シュメール王国は、牛族に乗っ取られていたのだろうか。
そうではない。シュメール神話は世界中の神話の源泉だが、ザックリ見ていこう。

アヌンナキ(五十柱の神々)の最高神は、神々の王「アン」である。
次に、アンの長男で、地球の支配神となった「エンリル」がいるが、エンリルは「牡牛神」とされている。
もう1神、アンの息子で「エンキ」がいるが、エンキも地球(海)の支配神となった。
エンリルは後に、神々の怒りを買って黄泉の国に追放されたが、「ルシファー」や「スサノオ」の天界追放神話に似ている。
そして「ルシファー(龍)=スサノオ(牛)」、または「国常立尊(龍)=スサノオ(牛)」で、象徴する色は共に「赤」である。

つまり、「龍=牛」という事になってしまうのだ。
そして、エンリルは地球(海)の支配神だったが、スサノオも地上(海)を治めるように命じられている。

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エンキは「蛇」で象徴されているが、次のようにも語っている。
「宇宙の父である私の父が、宇宙で私を生んだ。
私は牡牛座によって産まれた創造力豊かな子孫である」


エンキは「蛇」であり「牛」でもあるのだ。
もう1神、シュメールの主要な神で「ニンフルサグ」という地母神が蛇女神とされているが、ニンは鳥で、フルサグ(ウルサグ)は「牛頭」を意味する。
シュメールのレリーフには、7つの枝の木を中央とし、右に牡牛神「ハル」、左に蛇神「キ」を刻んだ粘土版が存在する。
シュメール人は「龍神」と「牛神」を信仰する民族だったのだ。

そして、シュメールがアッカドの支配を受けてバビロニア神話「エヌマ・エリシュ」が成立したが、当然それはシュメール神話を受け継いだものである。
バビロニアはメソポタミア南部(南半分のシュメールと北半分のアッカドがあった地域)に位置し、首都バビロンの主神「マルドゥク」を信仰していた王国である。
原存在のアプスー(深淵の淡水)と龍の姿をした女神ティアマト(海の塩水)が混合し、そこから様々な神々が誕生したが、若い神々の騒がしさが原因で、二分して対立する事となった。
旧世代の神「ティアマト」は、七俣の大蛇や毒蛇、サソリ尾の龍などの怪物を作り出し、息子キングーを司令官とした。

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一方、新世代の神々は、エア(シュメール神話のエンキ)の子「マルドゥク」を将とし、マルドゥクは弓矢と三叉戟でティアマトを討ち、その遺体を二分して天地を創造した。
彼はキングーから神権の象徴である「天命のタブレット」を奪い、最高神アヌ(シュメール神話のアン)に献上し、キングーを処刑した。
マルドゥクは「太陽神ウトゥの子牛」の意で、牡牛神と考えられている。
マルドゥクが授けられた武器は嵐と雷で、インドラやポセイドンと同様に、稲妻の象徴である三叉戟を持つ。
この神話は新年祭の王権更新の儀式で詠唱され、神権の交代を表わしている。

つまり、旧勢力である「ティアマト=龍」は、新勢力である「マルドゥク=牡牛」に対立する悪神で、退治されるべきものだとされているのだ。
ティアマトを「シュメール」、マルドゥクを「アッカド」に置き換えると、どうだろうか。
そして、シュメールやバビロニアが栄えたこのメソポタミア地方こそ、「龍と牡牛の戦い」の起源だというのが定説となっている。
メソポタミア神話は、ヒッタイト、インド、エジプト、ギリシアなど、世界の神話に受け継がれる事になるが、そこから先には更なるミステリアスな迷宮が待ち構えているのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 04:24| Comment(1) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ギルガメッシュ伝説の謎

19世紀にアッシリア遺跡から発見された遺物の1つに、紀元前2600年頃に栄えたシュメール王国の都市、ウルクの王「ギルガメシュ」を主人公にした物語の写本があり、『ギルガメシュ叙事詩』と呼ばれている。
これは、アッシリア人が先住民のバビロニア人から継承した神話で、ストーリーは大体次のようなものである。

――英雄ギルガメシュは、気性が激しく暴君だった為、神は粘土から牛の姿をした野人「エンキドゥ」を創って、ギルガメシュの対戦相手にした。
そして、ギルガメシュがエンキドゥに娼婦を送り込むと、エンキドゥは力が弱くなった代わりに思慮を身に付けた。
その後、ギルガメシュとエンキドゥの対決は長時間に及ぶが最後はギルガメシュが勝利し、やがて友情が芽生えて2人の冒険が始まった。
ある時、メソポタミアにない杉を求めて旅に出て、神に背いて杉を守る怪物を殺し、杉をウルクに持ち帰った。
その姿を見た女神がギルガメシュに求婚したが、ギルガメシュがそれを断ると、女神は怒って「天の雄牛」をウルクに送り、牛は大暴れして人々を殺した。
ギルガメシュとエンキドゥが力を合わせて「天の雄牛」を倒すと、神が怒ってエンキドゥを早死にさせた。
ギルガメシュは、エンキドゥの死を悲しむと同時に死の恐怖に怯え、永遠の命を求める旅に出た。
そして様々な冒険の末、大洪水を方舟で生き延びて永遠の命を手に入れた「ウトナピシュティム」に出会う。
ギルガメシュは、ウトナピシュティムから不死の薬草の在処を教わって手に入れたが、蛇に食べられてしまった。
これによって、蛇は脱皮を繰り返すことで永遠の命を手に入れたが、ギルガメシュはガッカリしてウルクに帰った――


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この『ギルガメシュ叙事詩』は、友情や教育によって人間が成長していく様を描いた文学作品と評価されているが、これは単なる文学作品ではなく「神話」である。
『ギルガメシュ叙事詩』は『旧約聖書』にも大きな影響を与えており、「粘土から野人が造られた」というのは、土の塵からアダムが造られたという記述と同じで、神に背いて杉を持ち帰ったことも、アダムが神に背いて「禁断の樹の実」を食べたことに似ている。

また、メソポタミアの遺跡から出土する粘土板には、人間の創造神話が刻まれたものが多く、シッチンの仮説も辻褄合っているように思える。
だが、果たしてそうだろうか。

スウェデンボルグによると、アダム以前のプリアダマイドという野人が、天の教育によって人間の知性を手に入れたという。
また、オコツトによると、新しい時代の人間は、1300年間の原始的な意識状態を経験した後、急激な知性の発達を起こすという。

恐らく、スウェデンボルグのいう「天の教師」とは、何らかの天体が発するエネルギーによる脳の活性化を意味し、異星人などではない。
そして、大洪水の記録があるということは、シュメール文明はノアの大洪水以降の文明であり、アダムの時代ではないという事である。
事実、メソポタミア地方の発掘調査で、煉瓦や土器の破片のある地層の下に、大規模な洪水によって出来た沖積層が発見され、更にその沖積層の下から人工的な遺物が出土している。
つまり、『ギルガメシュ叙事詩』は、大洪水前の時代の神話と繋がっているのだ。

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オコツトによれば、6500年周期で時代の転換が起こり、意識進化した人間は肉体の削除が起きて次元上昇し、進化できなかった意識は再び人間次元で再スタートするという。
という事は、ノアの大洪水が起きたのは約6500年前で、それから1300年間の原始的な意識を経験した後、約5200年前に突如として意識が覚醒し、シュメール文明を築いたということになる。
これは約1万3000年前のアダムの時代にも当てはまる。

私が思うには、『ギルガメシュ叙事詩』の神話は、1万3000年前に始まったアダムの時代と、6500年前に始まった大洪水後の時代の歴史が二重構造になっているようだ。
それは『旧約聖書』も同じで、それ故、聖書からアダムの時代を導き出すと、約6000年前だったという事になるのだ。

また、シッチン説では、地球に大洪水をもたらした「惑星ニビル」のエイリアンが、遺伝子操作で人類を創成したというが、ニビルの接近で地球に大災害が起こるなら、ニビルも無事では済まないはずである。
ノアの大洪水を引き起こしたニビルの正体は、約4500年前に木星から誕生した「惑星(当時は彗星)ヤハウェ」である事を、NASAは突き止めているらしい。
真相は、これが4500年前ではなく、約6500年前だったという事である。

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さて、意識を覚醒させた「天の教師」は宇宙エネルギーだとして、その後、大洪水前に進化したムー人の意識体が人類の教育・指導をしたものと思われる。
『ギルガメシュ叙事詩』に登場する「ウトナピシュティムの洪水」は、言うまでもなく「ノアの大洪水神話」の原型である。
だとすれば、方舟を作って大洪水を生き延びたウトナピシュティムの正体は「ノア」という事になる。

だが、ウトナピシュティムは永遠の命を手に入れた不死体だが、ノアは寿命を持った人間だった。

「ギルガメシュはウトナピシュティムから不死の薬草の在処を教わって手に入れたが、蛇に食べられてしまった」

ここでも神話特有の二重構造になっており、ここでは、大洪水前に進化して永遠の生命を得たムー人が「ウトナピシュティム」で、ギルガメシュが進化できなかった「ノア」に符合する。
それは、この大洪水前の時代の話がノアから伝承されたことを示すと同時に、進化したムー人の意識体が、シュメール人の意識覚醒に関与したことを示唆しているように思える。

前置きが長くなってしまったが、ギルガメシュのライバルとして誕生したエンキドゥが「牛の姿」で表現され、ギルガメシュに怒った女神が 「天の雄牛」を送り込んだことを考えると、どうやら「牛」はギルガメシュに対抗する勢力を象徴しているようだ。
そして、牛が大暴れしてウルクの人々を殺したというのは、アッカド人がシュメール王国を滅ぼしたことだと考えることもできるが、どうだろうか。
それでは、ギルガメッシュ伝説を生んだと考えられる「メソポタミア神話」を見てみることにしよう。
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日ユ同祖論を超える日本人のルーツ

国立総合研究大学院大学のミトコンドリアDNAの研究発表によると、日本人の8割以上は中国人、朝鮮人、アイヌ、琉球人のどれかに近い遺伝子だと言われている。
天皇家のルーツについては「日ユ同祖論」から始まり、「騎馬民族征服王朝説」や「シュメール起源説」等があり、原住民(縄文人)については「南方海洋民族説」や「北方起源説」がある。

前者が日向族(天津神=ユダヤ人)で後者が出雲族(国津神=原住民)だと考えられるが、アリオンによると「日向族と出雲族はパミール高原から出発したアマ族」だという。
アマ族はモンゴル系で、一部はオリエント系だと言われている。
だが、「パミール高原」と「オリエント」と「産鉄民」と「アマ族」をイコールで結び付けるのは難しい。
また、日向族が出雲族を征討して大和朝廷を樹立したようだが、日向族と出雲族は共にパミール高原出身の同じ民族で、イスラエル10支族ではなさそうだ。

王仁三郎によると、「世界人類は富士高天原王朝から広がり、渡来系民族は里帰り民族」だという。
その説に影響を受けてか、「ペトログラフ学」でも同様の仮説を打ち出しているが、シュメールと日本の関係が証明できても、日本からシュメールに移って再び日本に戻ってきたという確たる証拠はない。
王仁三郎説の、富士高天原王朝を築いた古代人も元は渡来系民族(秦氏の祖)であり、その事は「宮下文書」に記されている。

また、イスラエル10支族がスキタイと共に渡来した事はほぼ間違いないが、スキタイはペルシャ人(アーリア系)の可能性が高く、それだけ見ても「日ユ同祖論」という言葉は明らかに不適切である。
要は、古代日本には雑多な民族が渡来しており、一言でルーツを求める事が出来ないハイブリッド民族なのだ。
だが、それで話を終わらせるつもりはない。
矛盾の多い様々な古代史を、私なりに検証して話を組み立ててみた。

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『創世記』によると、ノアの大洪水後、ノアの曾孫トガルマの子孫が住んでいた場所が、西アジアのタガーマ州の古都ハラン(タガーマハラ)だという。
場所は方舟が漂着したアララト山系の麓で、イラク北部からアルメニアの辺りで、ユーフラテス川支流のビンカ河左岸にあったとされている。
その後セム族は、古代バビロニア南部に世界最古の文明であるシュメール文明を築き、メソポタミア北部にはアッカド王国が成立し、メソポタミア地方は、北部のアッカド王国と南部のシュメール王国に分かれた。
(シュメール文明と後のバビロニア文明を併せてメソポタミア文明という)

シュメール王国は青銅器を発明し、ウルク王朝からウル王朝へと続き、紀元前2000年頃、ウルで預言者アブラハムが誕生したが、シュメール王国はアッカド人から度重なる侵攻を受け、アブラハムの父テラは家族を連れて故郷のタガーマハラに帰郷。
そして、アブラハム一家を追って、多くのシュメール人がメソポタミア地方から消え、アッカド人はシュメール文明を吸収し、シュメール人に学んだ楔形文字で粘土板に書き残し、シュメール文明をセム語化して後世に伝えたと考えられている。

アブラハムはタガーマで神の啓示を受け、シュメールの民を引き連れて約束の地カナンへと旅立ち、残ったシュメール人はアジア全域に広がった。
当然、朝鮮半島と陸続きだった日本列島にも入ってきたはずで、これが「日本人シュメール起源説」となっている。
或いは、シュメールの流れを汲むイスラエル民族が古代日本に渡来したことから「日ユ同祖論=日本シュメール起源説」を唱える人もいるが、長い年月の間に民族性は変化する為、この説には納得できない。

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東京皇典講究所や国学院の講師を務めた小谷部全一郎が、著書『日本及日本国民之起源』の中で、「高天原はタガーマのハランである」と発表した。
高天原は一般的に「タカマガハラ」と呼ばれているが、日月神示によると「タカアマハラ」と読むのが正しい。
とすれば、「タガーマハラ」と「タカアマハラ」は、響きが非常に似ている。
『旧約聖書』にはその後、「ヘテ人」なる民族が登場し、アブラハムが平伏している。
イスラエル民族とアラブ民族の太祖であり、セム族の神権を継承するアブラハムが平伏するとは、ヒッタイト人はタダ者ではない。

ノアの3人の息子「セム」「ハム」「ヤフェト」の内、ノアから神権を授かったのは「セム」である。
という事は、 ヘテ人がハム族やヤフェト族だとは考えにくい。
ヘテ人がインド・ヨーロッパ語族のアーリア系という説や、カナンの種族という説もあるが、カナンの地に住んでいた人は全てカナン人と呼ばれる事があるので、「カナン人=ハム族」とは断定できない。

まず考えられる事は、アブラハムがタガーマハラに帰郷した時に出会ったのが「ヘテ人」という事である。
ヘテ人を英語で読んだのが「ヒッタイト人」で、どこからともなく現れてヒッタイト帝国を建国した謎の民族である。
『カッパドキア文書』と呼ばれる粘土版によると、アナトリア高原こそヒッタイト帝国と呼ばれる彼らの国家だったという。
それはシュメールの壊滅と時期を同じくし、突然高度な製鉄技術を生み出し、更にヒッタイト遺跡の「粘土板文書図書館」には、メソポタミアで使われていた全ての言葉が記録されていた。
つまり、ヒッタイト人はシュメール人の流れを汲む民族だったのだ。

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では、シュメールの首長であるアブラハムが、なぜヘテ人(ヒッタイト人)に平伏したのだろうか。
もしかすると、シュメール人を追い出し、シュメール文明を吸収したアッカド人がヒッタイト人なのかも知れない。
が、シュメール王国滅亡後にヒッタイト帝国が誕生し、バビロニアを滅ぼしたことから考えて、やはりシュメール人の一派だった可能性が高い。

戦前、東洋宣教師会ホーリネス教会を指導した中田重治氏も「日ユ同祖論」の提唱者だったが、ヘテ人はシュメール人の一部だったと主張し、シュメール神話と日本神話の関係を追求した石川三四郎氏も『古事記神話の新研究』の中で、直接的な「日本人シュメール起源説」をとらず、メソポタミア文明の媒介者としてヒッタイト民族を置いている。
ヒッタイト人は不思議な力を持ち、イスラエルの地も、アブラハムがヒッタイト人に頭を下げて譲り受けた地である。

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元衆議院議員の黒岩重治氏は『大和民族の発祥』の中で、次のように述べている。
「ユダヤ人の祖先であるヘブライ人は、スメルの奴隷であった。
そして、スメルがヒッタイト族に敗退したとき、スメルの奴隷のヘブライ人は、一部はヒッタイト軍に降伏し、一部はスメルによって解放され、アラビア半島に移ったのである」


天皇を古語で「スメラミコト」と呼ぶが、スメラは「シュメール」の転化だといわれている。
バビロニア語のSUMER(スメル)は「スメ(皇)」「スメラ(天皇)」と同語で、神を意味するラテン語の「SUMMAE(スメ)」とも同系語となり、「ミコト(尊・命)」「ミカド(天皇)」は「ミグト(MIGUT)」の転化で「天降る開拓者」という意味になり、天皇の古語は全てシュメール語で解読できるという。
また、セム(SEMU)をアナグラム(換字変名)で解くと、「S・U・M・E=スメ」になり、スメラやシュメールに通じると主張する説もある。

以上を検証すると、セム族の全神権を継承していたのは「スメラミコト」である。
そして、そのスメラミコトの座はアブラハムではなく、ヒッタイト人に継承されていた可能性がある。
シュメール語で龍を「ウシュムガル」と言うが、ウシュムは「唯一の」、ガルは「偉大な」という意味で権力者を表し、王を意味する「ルガル」のルは「人」、ガルは「偉大な」で、王とは別の「唯一の偉大な龍」がシュメールを統治していたと考えられる。

実際に「製鉄」と「龍」が結び付けられているという事実がある。
だとすれば「ウシュムガル」がスメラミコト(ヒッタイト人)で、「ルガル」がアブラハムだったとは考えられないだろうか。
そして『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する歴代の王は「ルガル」だったと考えられる。
いずれにしても、ヒッタイト人は世界最古の産鉄民であり、石屋(フリーメーソン)の上をいく鉄工、つまり「鍛冶屋」である。

話を整理すると、ノアから全神権を授かったセムの末裔が築いた世界最古の文明「シュメール王国」は、不思議な力を持つヒッタイトの源泉である「龍(ウシュムガル)」が全神権を持ち、ウシュムガルの指令によって「王(ルガル)」 が国を治めていたとものと思われる。
そして「龍」に対抗する「牡牛」が登場し、古代史を更に複雑怪奇にしていくのである。
posted by 夢蛇鬼 at 02:12| Comment(4) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まえがき

まず初めに断っておくと、私は基本的に飛鳥昭雄氏の仮説を支持する者である。
だが、飛鳥説と私の仮説には一致しない点も多く、むしろ根本的に異なるのかも知れない。
「飛鳥氏はこう言っているが…」と、飛鳥説を否定する内容も多々あるが、アンチ飛鳥昭雄という訳ではない。
そうした研究の中、いつしか私は宇宙神霊アーリオーン(以下、アリオン)の情報を基に研究をするようになっていた。

何故、アリオンの話をベースにしたのか……出雲族の封印解除という重大な事柄について書かれいると同時に、私の歴史研究の中で最も信頼が於ける内容だと判断したからである。
だが、アリオンの話を絶対視している訳ではなく、またアリオンの話だけでは分からない事も多い。
そこで、アリオンと同じく、非常に説得力を感じる加治木義博氏の歴史言語学からのアプローチを重ね合わせると、アリオンの話と大筋で一致した。

また、FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルによるリモート・ビーイングの内容を導入した。
これは人間の頭で考えた仮説ではなく、真偽も分からない伝承でもない。
だが、リモート・ビーイングには証拠がないので、それを妄信する事も出来ない。
実際に、アリオンと加治木氏が邪馬台国を「北九州」だとしているのに対し、マクモニーグルは「畿内」説を主張しており、卑弥呼の人物像も異なる話をしている。
しかし、畿内に至るまでのルートは、アリオンや加治木氏の話と奇妙な一致を見せており、解釈次第では貴重な情報と成り得る。

そこで、「アリオン」「加治木義博」「マクモニーグル」を3本柱に、様々な見地から真実の古代日本史を徹底検証する事になった。
この三者の情報には矛盾点も生じるが、それは歴史言語学やリモート・ビーイングの限界を示している。
そこで様々な研究家の仮説を、比較検証しながら構築していったのが「神仙組外典」である。

余談だが、かつて私は様々な神社を巡りながら「真実の歴史を教え給え」と願掛けをしていた。
そして、脳波をシータ波にする事で様々なインスピレーションが湧いていた。
人間は寝ている間に情報整理をしていると言われている。
実際に様々な情報を詰め込み、自らのインスピレーションによる仮説を混じえて寝ると、夢の中で辻褄の合ったストーリーが展開されるのが日課となっていた。
私の記事の大半は、起きた時にそのストーリーを書記したものである。

もし、2つの仮説が一致したとしても、すぐには真実にはならない。
そのような一致点を沢山集めても(作っても)、それはとんだ誤算だった…という事も有り得る。
それは洋服のボタンと同じで、「この穴にボタンがはまった」「この穴にはこのボタンがはまった」……と、符合点を集めても、最終的には1つずつボタンがズレていたというのと同じである。
それは、学問では当たり前にある出来事である。
問題は全体のストーリーの整合性であり、矛盾のない1つのストーリーが浮き彫りになるかどうかである。

あくまでも仮説なので、細部に関しては修正の余地もあるが、大筋に於いては封印された「史実」の解明に成功し、それを発表できたと思っている。
これを読んだ人々の認識によって「アカシック」が修復され、歴史のパラダイムシフトと新世紀創造の起爆剤となる事を心から願ってやまない。
もちろん、釈迦も言ったように、私の言った事であっても鵜呑みにしてはいけない。
ただ、真実を追究するのであれば、先入観や固定概念を外した状態で、「神仙組外典」を検証してみて頂きたい。
それでは、勇気ある者は、魔境「神仙組外典」に足を踏み入れてもらいたい。


By.夢の中で蛇と鬼の啓示を受ける夢蛇鬼
posted by 夢蛇鬼 at 01:12| Comment(0) | プロローグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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