2010年04月05日

イスラエル人「卑弥呼」と白人「イエス・キリスト」の謎

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紀元前8世紀、古代ギリシア文明が急速に開花し、ポリス(都市国家群)が形成されていった。
時期的・地理的に見て、西に移動したヒッタイト人の流入が考えられる。
紀元前800年末頃には、ポリス(ギリシアの都市国家群)は、現在のギリシャ西南部、エーゲ海の諸島、アナトリア半島の西海岸に広がり、人口の増加や交易、貴族同士の対立が要因となって、地中海に植民を進めていったとされている。

アテナイ(アテネの古名)とスパルタを中心とする古代ギリシア連合軍がペルシャ軍を撃退し、アテナイがギリシアの覇権を握った。
尚、アテナイの名はギリシア神話の女神「アテナ」に由来し、加治木説に従えば、卑弥呼はアテナイの部族の末裔だった可能性がある。

紀元前4世紀中頃になると、辺境のギリシア人国家「マケドニア王国」が優勢になり、紀元前338年頃、アテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握った。
紀元前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王は、アケメネス朝ペルシャを征服後、パミール高原以西までを征服し、更にインド・ヨーロッパ・アフリカ・アジアを征服し、ギリシア文化を流入したとされている。

アナトリア半島からイラン高原、パミール高原、ヒンズークシ山脈、カザフスタンのステップ地帯を通って、ヒッタイト人がアジアに広がった可能性を前に述べたが、このアレクサンドロスの東方遠征も同様のルートだったと思われる。
アレクサンドロス(アラクサンドゥス)がヒッタイトの後裔だったことも、既に述べてた通りである。
つまり、ギリシアやマゲドニアにも、ヒッタイト人が浸透していたのだ。

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ギリシアの数学者・哲学者であるピタゴラス(紀元前582年-紀元前496年)は、ゾロアスターの弟子だったと言われているが、それが事実であれば、ギリシアとペルシアには接点があったと考えなければならない。
紀元前518年頃、現在のアフガニスタンの位置にあったメディア王国が、アケメネス朝ペルシアに征服され、ペルシア帝国の一部となった。
が、紀元前328年頃、アレクサンドロスに征服され、アレクサンドロスに従ってやってきたギリシア人が在留した。

紀元前256年頃、ギリシア人「ディオドトス」が反乱を起こし、アフガニスタン北部にギリシア政権「バクトリア王国」を建国。
アフガニスタンは、卑弥呼の母「イザナミ」の出身国だった事を思い出して頂きたい。

『アレクサンドロスの征服と神話 興亡の世界史1(森谷公俊著)』には、次のような新説も発表されている。

「当時のギリシアはポリス同士が互いに争い、それを東方のペルシア王がたくみに操り、統制、支配していたのが実情です。
いわばペルシアの「西の辺境」ともいえる惨めな状態だったギリシアを屈服させ、統一したのがアレクサンドロス大王の母国・マケドニア王国だったのです」


さて、パミール高原のフンザ村に住むフンザ人は、パキスタン全域に浸透しているが、その起源は主にペルシア系で、アレクサンドロスの遠征軍の末裔だとも言われている。
このペルシア帝国を征服したアレクサンドロスの進軍が、ギリシア語で「スキタイ」と呼ばれる騎馬民族である。

スキタイは中国で「塞(サカ)」と呼ばれ、「スキタイ=サカ族」という事になり、その一部がネパールで「シャカ族」となった。
そして、釈迦が誕生する約200年前、ユーラシア大陸を席巻していたスキタイが、イスラエル10支族と合体していた可能性が非常に高い。

イスラエル10支族はアッシリア帝国の捕虜として拉致されたが、アッシリアを敵とするスキタイによって解放された。
既に述べてきた通り、イスラエル民族はヒッタイト人を尊敬し、また混血も少なくなかった。
それ故か、イスラエル民族は騎馬民族としての顔を持っている。
そして私の仮説では、スキタイは、滅亡したヒッタイトの末裔である。
よって、スキタイとイスラエル民族は、親戚のようなものだと言える。

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飛鳥昭雄氏+三神たける氏著『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎(学研)』でも、次のように仮説されている。

「スキタイの発祥は黒海周辺だといわれており、民族的にはアーリア系で、ギリシア系の文化をもっていたことが分かっている。
が、騎馬軍団で遠い国まで遠征すれば、当然ながら多民族との交わりが多くなり、文化や習俗はもちろん、血縁的関係も深くなった。
失われたイスラエル10支族と接触があれば、間違いなく、彼らと合流したはずだ」


同書によると、アフガニスタンのパターン人(パトゥシュン人)、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、ミナシェ族、中国のチャンミン族なども、失われたイスラエル10支族の血を引いていることが明らかになっているという。
また、スキタイ系騎馬民族で、北東アジアを席巻した「夫余族」の始祖の名前を「解夫婁(ヘブル)」といい、ヘブライ人(イスラエル人)だった可能性が大である。

ヒッタイトは牛神バアルを崇拝する「牡牛族」であり、ヒッタイトの流れを汲むスキタイのシャカ族も「牡牛族」である事を前に述べたが、イスラエル10支族もまた、黄金の子牛アモン(バアル)を信仰する「牡牛族」であった。

2支族が編纂した現在の聖書では、アモンは悪魔とされ、10支族は背教者だとされているが、これには私は異論を持っている。
アモンのルーツはエジプトの太陽神アメン(=ラー)であり、多神教の主神となっている神である。
それを継承したモーゼも、牛神アモンを主とする多神教(イスラエル教)だったはずで、モーゼの頭に象徴される角が、その証拠である。

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また、ユダ王国でも、アブラハム、ダビデ、イエスに至る王の1人で、アモンの名が採用されたアモン王(在位前642-640年)が君臨していた。
尚、アモンはヘブライ語で「信頼」の意。
そして、キリスト教で言う「アーメン」は文字通り「アメン(アモン)」の意であり、イエスが牛神アモンの受肉だった事を暗に示している。

つまり、背教者は10支族ではなく、いつからかアモン(バアル)を悪魔として貶め、「ヤハウェ1神教」となった2支族(ユダヤ人)の方だというのが、私の見解である。
太陽神アメン(牛神アモン)は、エジプトではピラミッド(山)の神でもあった。
モーゼがヤハウェ(アモン=バアル)から啓示を受けたのも、シナイ山であった。

加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』には、次のように書かれている。

――「ウマ」とよく似た「Uma(ウマー)」という名をもった女神が、仏教でいう「大自在天=シンドゥ教のシバ大神」の后の筆頭にいる。
……(中略)……
サンスクリット語では「Girisa(ギリーシヤ)」というのは「山の神」のことである。
このウマーも夫のルドラ(シバ神の別名)も山の神で、「ケーテ・ウパニシャツド」の詩中では「雪山(ヒマラヤ)の娘」と呼ばれて、帝釈天インドラや火の神アグニや風の神バーユよりも位の高い、慈悲深い偉い女神とされている。
卑弥呼の語源「ペマカ」と全く同じ性格の女神だ――


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ギリシア系の流れを組む卑弥呼も、山の神(牛神)を信仰していたと言えるだろう。
そして、卑弥呼が信仰していた太陽神の正体が、ヒンドゥー教(シンドゥ教)のシヴァだった事を思い出して頂きたい。
シヴァは鬼神であり、聖書のアモン(バアル)に相当する。

更に、イスラエル10支族の流れも受け継いでいた卑弥呼は、牛神であり山の神でもある「バアル」を信仰していたことになる。
モーゼがシナイ山で出会った神が「バアル」だという推理が正しければ、卑弥呼がモーゼと同じ形態の二重主権制を採用していたことも頷ける。

古代史研究家の水上涼氏は、この政祭形式を執り行った卑弥呼を、イスラエル10支族の「シメオン族」だとしている。
だが単純に、「日向族=シメオン族」だと結論づけるのは早計である。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」、そして祭祀を司る「レビ族」から成るが、「レビ族」と10支族の「シメオン族」は共同で活動する習慣があったようで、「レビ族とシメオン族は兄弟関係」だと表現される事もある。
但し、「レビ族」は祭祀を執り行なう立場上、10支族の北イスラエル王朝にも在住していたとされている。

いずれにせよ、卑弥呼が信仰していた神が、「牛神=鬼」だった事は確かな事実である。
また、ユダ族はヒッタイト人と深い血縁関係で結び付いていたが、ヒッタイト人が白人系だったならば、卑弥呼と同じく「天照大神」の受肉として誕生したイエスも、金髪碧眼の白人だった可能性も否めない……。
事実、ヒッタイト人は、典型的なギリシア風の顔立ちで描写されている。

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飛鳥説でいう「天皇=工人(大工)の白い王」がイエス・キリストを意味するならば、白は何を意味するのか。
飛鳥氏によると、白は光の色を表現しているというが、どうも釈然としない。
「イエス・キリスト=アルビノ」説も盛んに議論されているが、それが事実だとすると「皇」は「アルビノの王」という意味になる。
その可能性も否定はできないが、アルビノ説を持ち出す以前に、歴史的事実に目を向けなければならない。

古代イスラエル人はヒッタイト人に敬服してた。
既に述べてきた通り、夢蛇鬼説ではヒッタイト人は「皇(スメラ)族」だった。
ダビデ王はヒッタイト人の妻を娶り、ソロモンにはヒッタイト人の血が流れていた。
その事から、イエスにもヒッタイト人の血が流れていた事になり、卑弥呼と同じく白人系の特徴をもって生まれてきたと考えるのが自然である。

つまり、皇は「ヒッタイト人の王」を意味するのだ。
それを裏付ける根拠として、「スサノオ」の存在を挙げられる。
スサノオのルーツはヒッタイト神話にあり、十字架で処刑されたイエスも贖罪神「スサノオ」だった。
王仁三郎も「真の救世主はスサノオなり」と喝破した。
結論として、「皇=スサノオ」という等式が成立する。

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ちなみに、イエスは紀元前7〜4世紀に誕生し、紀元30年頃に処刑されたと考えられているが、紀元前4世紀誕生説を採用した場合、33歳くらいで死亡したことになる。
「双角王」の異名を持つアレクサンドロスもまた、33歳で生涯の幕を閉じており、不思議な運命が感じられる。

アレクサンドロスの軍勢に参与したユダヤ人が「秦」の支配者となった事も述べたが、それ故か、中国政府は「秦始皇帝陵」の移籍発掘現場の写真撮影を、断固拒否したというエピソードもある。
分かっている事は、「兵馬俑」と呼ばれる埴輪が発掘された事である。
これは、いわゆる「殉葬」の風習を受け継いだもので、そのルーツは古代シュメールにあり、ウル王朝(牛の意)の「ジュブ・アド女王墓」から、馬や人間の大規模な殉葬遺体群が発掘されている。

卑弥呼が他界した時も、100人を超える殉葬者がいたことが『魏志倭人伝』に記されているが、当時の中国にはそのような風習はなかった。
これは明らかに、「秦始皇帝」や「卑弥呼」が中国系ではなかった証拠だが、インドでは少し前まで、殉死を風習とする地域が存在していたらしい。

アレクサンドロスはペルシアと中国を征服した後、インドに向かったが、マレーシアやインドネシアには現在も、イスカンダル(アレクサンドロスのペルシア語)という名の人々が存在する。
アレクサンドロスは両親の系図に基づき、自分が絶対神ゼウスの子「ヘラクレス」の血統である事を自覚していたが、エジプトの神官による神託で「神の子」と告げられ、自分が「ゼウスの子」である事を確信したと言われている。

イスラム教の聖典「コーラン」でも、アレクサンドロスは「神(アッラー)から絶大な力を与えられて世界を征服した偉大な王」として記されている。

『ゼウス=アッラー=ヤハウェ=天照大神』

天照大神の勅命により、パミール高原を出発した「アマ族(天孫族)」の本隊は、このアレクサンドロス軍の子孫だったのではないだろうか。
アマ族が日本列島に渡来したのが紀元前3〜2世紀で、年代的にも符合する。
そして日向族は、パキスタン、インド、ネパール、ミャンマー、中国の江南地方を通って屋久島、鹿児島に拠点を築き、原住民(倭人=海人族)を併合して強大な国家「邪馬台国」を築いたようである。
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2010年04月04日

ギリシアの女神「卑弥呼」の謎

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日向族の中で、ヨーロッパ系の特徴を備えていたのは卑弥呼だけではない。
現在でも、鹿児島から沖縄地方にかけて、ヨーロピアン風の容貌を持った人たちが数多く存在している。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で次のように述べている。

『私たちは、いま、邪馬臺国が、もと沖縄から出た人たちの政権であったことをはっきり知っている。
とすれば、過去の九州北部説や大和説などが思いもしなかったことが、重要な大問題として浮かび上がってくるのである。
それは沖縄の与那国島と呉とは、海をへだててはいるが、九州本土までの距離より、はるかに近いということである。
そして台湾が古代には「小琉球」と呼ばれて、沖縄の統治下にあったことも事実である。
そこからなら、呉の海岸へ百五、六十キロメートルしかない。
そしてその呉の大帝・孫権の一族は背が高く、色が白く、目と鼻が大きく、ときどき碧眼の子供が生まれた。
青い目をしていたのである。
それを「中国人には、たまにそんな人が生まれる」などといってすましてはいけない。
それには理由があり、歴史という学問ではそれがなによりも大切なのだから……。
私たちは、いつからか分からないが「呉」の字を「ゴ」と発音している。
しかし中国では古来、南北とも「ウ」で、語頭の「g」は私たちの耳には聞こえない。
その中国の北には有名な「万里の長城」があるが、それを中国人に作らせた北の強国の一つに「ウソン(烏孫)」というのがある。
呉王も「呉・孫」は「ウ・ソン」なのだ。
これだけならタダ同じ発音だというだけだが、もっと重大なことがある。
それは烏孫人が、やはり青い目、金髪の混じった地中海人だったことだ。
彼等はギリシア人たちと同じ仲間だったのである。
それはその名をみても分かる。
「ウソン」と呼ばれた元の名は正確には分からないが、それはギリシアの古代の勇士イヤソンなどと同じ語尾をもっている。
これを見ると孫権は元はその烏孫人であって、それを中国風に一字ずつ切って、国名と姓にしたと考えることができる……』


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『また呉は「ウ」だけでなく「ウー」とも発音される。
それは南中国系の「呉さん」は皆そう呼ばれているし、「呉淞」と書いてウースンと読む地名が上海にある。
そして孫権の一族が「ウー」氏で、その一族もまた日本の南島へやってきていたと仮定すると「ウー」は「大」。
その国は「大国」=大島。
奄美大島がそれで、そこの王が「大国主」だということにもなる。
そしてヒミコ「下照姫」はその娘だと「記・紀」に書いてある。
これもまた結論はあとに譲るしかないが、卑弥呼が呉の孫権と同じく烏孫系のギリシア人だった可能性は、更に高くなったわけである』

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この説に、例の『竹内文書』のイザナミの話を重ね合わせると、卑弥呼の母・イザナミは烏孫で、アフガニスタンから来たギリシア系の人だったことになる。
ギリシア系アフガニスタン人とは……。
既にお気付きの方も多いと思うが、その前に少し長くなるが、加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』から、参考になる記事を紹介したい。

――漢訳や沖縄の対岸、呉で始まっていることも軽視できない。
なぜなら過去に日本史学者が「世界・字宙」などと解説して来た「六合」は、その呉の一部が「六合県」として、今もなお古代の史実を伝えているし、「六合=リクアウ=陸奥=リクウ=琉球」という日本語が生み出した地名があることも解析済みである。
また卑弥呼と同時代の呉の皇帝・孫権とその父がウースン系のギリシャ人の子孫であり、呉孫権(ウースンキン)、呉孫竪(ウースンキン)はどちらもウースン公(きん)という名乗りへの九州語読みの当て字であり、大隅も奥州も奥村も宇佐もまた、このウースンへの当て字であることはすでによくご存じで、当時の沖縄と呉との間に、国境や国籍を考えるのは間違っているからでもある。
卑弥呼は呉の文化の系列に属しながら、もう一つの最先進国インドの高度の文化=仏教で教え導くという当時の最高の教養人。
その名の語源はパーリ語の「愛・慈悲者=ペマカ」だが、彼女はそれに漢字を当てる際、さらに熟考したことまでわかる。
それはもう一つの称号、例の「アヴァ ロキ テスヴァラ」の、筆頭の「アヴァ」は「卑」という意味で、卑弥呼の頭文字に一致し、「ロキ テスヴァラ」は「その世人を高め栄えさせる」だから「弥栄えさせる人」という意味の「弥=彌と子=グァ=呼=説教者」を当てて、非凡な思考力を明瞭に見せているからである――


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――アテナは、ギリシア神話に登場する女神。
平和のための戦いの神であると同時に戦略、芸術、建築、陶芸、工芸、知恵、平和、造船や家具の製造と行った工業の分野でも祭祀を受ける神である。
しかし、血気盛んで好戦的な軍神アレスとは趣を異にし、知性を重んじ戦いの主な防衛を目的とした神である。
アテナは知性、技術、戦いを司る処女神でアテネ市の守護神だった。
アテネ市はB.C.E.5世紀の対ペルシャ戦争に大勝利後、デロス同盟を結んでギリシャ最強の大国、政治経済の中心になり、クレイステネスの改革で民主政治を確立した全世界の先進国だったが、ペロポンネソス戦争に敗れて衰退した工業港湾都市国家で、今も製鉄、繊維、化学、食品工業の中心都市である。
この像と観音像の共通性の多さと、卑弥呼らの史実と、「記・紀」の天照大神の記事を考えると、鉄器・繊維・化学の先進文化と民主主義といった先進文明が色濃く見られ、また沖縄本島の「嘉手納」も、韓・漢と同じく語頭のk音がなくなればアテナへの当て字であることも、すでに他のギリシャ神名などと共に検討済みで、卑弥呼らの血統には、このナテネ人の血と知性と技術と思想と信仰が重なりあっていることがわかる。
このアテナの像は異様な冠をかぶっているが、中央は女性の頭部、向かって左は馬、右は羊のように見える。
この発想は十一面観音や馬頭観音に結びつく。
これまではなぜ、仏が頭の上にコブのような小さな頭を乗せているのか?
またなぜ、馬の頭の観音がいるのか?
いろいろな説明を聞いても納得できなかったが、この像を見ればそれはこのアテナ像が発想の源だったとわかる。
それは当然のことで仏像がギリシャの神象をモデルにしてギリシャ人によって作られ始めたことは周知の事実だからだ。
卑弥呼はその金髪の見事さで両親を驚かせ、天照(ゼウス)大神に仕えるピュティア(稗田阿礼)として天に送られた。
そこで彼女は「アマゾン=女性国」の指揮者になったとしたら、知と技と学と戦さの女神・アテナの地位にあり、光華明彩、天孫(アマゾン)族の始祖、天照大女(み)神、機織り、スサノオとの対決の武装、剣、弓、曲玉、八爬(ヤアタ)の鏡が、このアテナ像に全て揃っているのを見る。
右手にしているのが剣、左手に持つのが弓である。
このアテナ像は「金色」に塗られていた。
卑弥呼の金髪がなぜ、両親に愛児を手放させるはどの威力をもっていたか、それはアテネ人の黄金崇拝に根差している。
それはソナカ宣布団にも受け継がれていた。
彼らは東方の金地(スパルナ・ブーミー)国を求めた。
だからこそミャンマー、タイから奈良まで、大仏は皆「金色」なのである――


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卑弥呼にギリシア系の血が流れていた証拠はまだある。
引用ばかりで恐縮だが、『黄金の女王・卑弥呼』には次のように解説されている。

『ではカンジンのギリシャはどうだろう……。
それはいちばん尊敬されていなければならない。
ふつうの地名ではないはずだ。そうなのである。
それはちゃんと日本建国の第一の聖地、あの「天孫降臨」の場所に与えられていたのだ。
キリシマがそれである。なぜか?
語尾の「マ」が国のことであるのはよくご存じである。
「ヤ」もまた「国・地方・土地・世界」を意味する。
ギリシャ、イオニヤ、フェニキヤ、インディヤ、マラヤ、シベリヤ、カノヤ、アサガヤといったふうに使われている。
これは最初、「ギリシャ山」と呼ばれていたものが、後世に当て字をするときには、実力者が、その国称を「マ」という人々に変わっていたため、そして清音人だったために「キリシマ」とい変わった上、当て字も漢字化して「霧島」になった』


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そして、次のように続いている。

『このキリは新羅の古名「鶏林」にも合う。
鶏は福建語で「ケイ」。
これは「キ」と聞こえるし沖縄では「キはチ」になる。
「キリン」は「キリ之国=キリシマ」のことだったのである。
また中国の正史「旧唐書」では倭国と日本国は別で、その日本の条件は鹿児島県に合うが、東と北は大山があって国境になっており、その向こうは「毛人の国」だと書いてある。
その大山はぴったり霧島に一致するが毛は沖縄音「キ」。
中国人のジン=人の発音は「リ」と聞こえる。
「シマ」は「之国」で「キリシマ」。
これでみると「記・紀」に出てくる「毛人」はギリシャ系の人々だったことになる』


この説は私にとって意外だったが、或る不可解な謎と後に辻褄が合うことになる。
何故、彼らが毛人だったのか、細かいことは同書をお読み頂きたいが、加治木氏は次のように結論づけている。

『これを見ると、鬼界ヶ島の「鬼」もこの「キ=毛」と同じものであって、「鬼界」とは「ギリシャ人の世界」をあらわす名だったのである。
それが「魏志倭人伝」の「鬼国」「鬼奴国」と密接な関係があることはいうまでもないし、なによりも私たちが今、検討している「鬼道」が、その人々の「道=宗教であり、政治でもある=法」だったのだということである』


つまり、アイヌ人(蝦夷・毛人)は、ギリシア系の民族だということになる。
彼らは「倭人」である。
倭人は時の中国で「オニ」と発音されていた。

『倭人=オニ=鬼=ギリシア人』

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倭人はインドネシア系の海人族である。
それを、日向族(ギリシア人)が併合したと考えて良いだろう。
一方、同じく「鬼」で象徴される出雲族のスサノオも、ギリシア系の人だったのだろうか。
答えは「YES」である。
但し、イコールで括れるほど、問題は単純ではない。
古代中東には、様々な民族が混合していたからである。
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金髪碧眼の女王・卑弥呼の謎

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今まで検証してきた通り、卑弥呼は倭人(海人族)の系統だが、アリオン説では卑弥呼(アマテラス)は日向族であり、パミール高原からパキスタン、インド、ネパール、中国を経由して、大陸ルートで渡来した部族だとされている。
この矛盾は、どのように解釈すれば良いのだろうか。

パミール高原の西南に位置するアフガニスタンは多民族国家で、北はタジスキタン、西はイラン、南と東にパキスタン、東端に中国が隣接している。
シルクロードは、ユーラシア大陸を東西に結ぶ複数の交通路で、中国、中央アジア、中東、ヨーロッパとの国際交流が行われてきた。

その主なルートとして、次の3つが挙げられる。
(1)中国西域からパミール高原を越え、中央アジア、西アジアを経由する「オアシス路」
(2)ユーラシア大陸北部の草原地帯を通る「ステップ路」
(3)海のシルクロードと呼ばれる「南海路」

その他、チベットやインドを結ぶ南北のルートなどがあり、それらを総称してシルクロードと呼ぶ。
その中で、天山南道の経路に存在する「アフガニスタン」は、アーリア系の「パシュトゥーン族の地」を意味し、その名の通り、アフガニスタンの主要民族である。

パシュトゥーン族は、パミール高原と連なるヒンズークシ山脈の麓や、パキスタンとの国境付近に住み、一部はトルキスタンにも住んでいる。
アーリア人は人種的にコーカソイド(白人種)だが、アーリアン学説では、インド・ヨーロッパ語族に属する民族全般を指し、現在のトルコに位置する古代ヒッタイト帝国の末裔なども含まれる。
また、アーリア人はイランやインドに定住し、先住民との混血によって両者の違いが生まれた。
尚、「イラン=ペルシャ」とは「アーリア人の国」という意味である。

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アフガニスタンで次に多い民族が、イラン系の「タジク族」で、タジキスタンに同族を持っているが、金髪碧眼の人々もいる。
その他、アフガニスタン、及びその周辺には、次のような民族が存在する。

・ファルシーワーン族(「ペルシャ語を話す人」の意)
・モンゴル族
・ブラフイ族(アーリア人が移住してくる以前の先住モンゴロイドとされている)
・ハザラ族(モンゴル系)
・ウズベク族(アフガニスタン北部のトルキスタン地方や、旧ソ連のウズベク共和国に住み、ウラル・アルタイ語族のトルコ語の1つ、ウズベク語を使用)
・トルコマン族(トルキスタンや旧ソ連のトルクメン共和国に住むモンゴル系で、トルコ語の一方言を使用)
・キジルバーシ族(イランのサフャビー朝を建てたトルコマン遊牧民とされる)
・キルギス族(アフガニスタン東北部のパミール高原や、旧ソ連のキルギス共和国に住み、モンゴル系でトルコ語を使用するが、本来は金髪碧眼のヨーロッパ系民族で、遊牧民の突厥(テュルク)に征服されてトルコ化したと考えられている)
・アラブ族(モンゴル系、地中海人種、またはその混血人種がある)
・バルーチ族(イラン東南部やパキスタン西部に定住)
・ヌーリスタン族(19世紀末に強制的にイスラム教に改宗させられる前は、アニミズムと多神教の合体した宗教を信仰していた)
・コーヒスタニー族(インド語派のダルド語を使用)
・グジャル族(ヒンドゥースタン語の一方言を使用)
・ヒンドゥー族(インド系民族でヒンドゥー教を信仰し、多くが商人や金融業者)
・シーク族(ヒンドゥー族と言語や職業は同じ)
・ユダヤ族(商人や金融業者が多く、ユダヤ教を信仰)
・パミール族(パミール地方に住み、パミール諸語を使用)

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パミール高原の一角で、中国に隣接するパキスタン北西部の長寿村フンザにも、金髪碧眼のワーヒー人が住んでいる。
ワーヒー人はフンザ人と区別されているが、いずれも古代のシルクロードを往来した雑多民族の末裔であり、人種的に区別する必要はない。
他の民族も同様で、茶髪や金髪碧眼の人々が存在するという事は、中央アジアにヨーロッパ系の民族が数多く移住していた事を物語っている。

イザナギ・イザナミは、アマテラス(卑弥呼)のことを次のように言っている。
「この子は、光華明彩、六合(国のこと)の内に、照り徹っている。
子供はたくさんいるが、こんな霊異な子は見たことがない」


加治木氏はこの記述から、アマテラス(卑弥呼)は金髪碧眼の白人だったと解釈している。
詳細は『【真説】日本誕生 黄金の女王・卑弥呼』をお読み頂きたいが、これは決して荒唐無稽な話ではない。

インドネシア〜東南アジア系の海人族に生まれた卑弥呼には、白人の血が入っていたのだ。
だが、イザナギ・イザナミが「こんな霊異な子は見たことがない」と言っている以上、海人族が白人種だった訳ではない。
海人族の中に白人系の子が生まれたのである。
但し、イザナギ・イザナミのどちらかが、白人系だったことは間違いない。

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『古事記』によると、イザナミは火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生んで、陰部を火傷して死んでしまった。
イザナギは、死んだイザナミに会いに黄泉の国(死者の国)に赴いたが、醜く変わり果てたイザナミの姿を見て逃げ出した。
逃げ出したイザナギを魔物が追ったが、イザナギは「平坂」という所で魔物を撃退し、命からがら黄泉の国から逃げ帰った。

『竹内文書』には、こう記されている。
「火之尊、母のミド焼かしむ。
母七夜くるしみ、母ミドのただれ治しに、イナダ国バミル高原より、アフスタン国、ヘラサカイトに、天皇に別れて去り行く……」


バミル高原とは、「パミール高原」のことだろう。
そして、「平坂=ヘラサカイト」で、アフスタン国ヘラサカイトは、「アフガニスタンのヘラート」を指している。
何故、イザナミはアフガニスタンまで行ったのか。

『竹内文書』には、イザナミの出自が「伊邪万国黄泉尊娘」と記されており、黄泉を「夜見」に置き換えると、日本が昼の時間帯に夜の国、つまり、西の国(アフガニスタン)出身だったということになる。
(参考:『[超図解]竹内文書U』高坂和導/徳間書店)

アリオンによると、日向族は日本列島の原住民を併合したという。

『東日流外三郡誌』には、日向族について「支那韓土に血族あるも、南蕃の血祖も加はる」と記されている。
つまり、大陸から渡来した日向族が、南方系先住民(琉球民族=倭人)を併合したということである。
そこに、白人の特徴を顕著に持った卑弥呼が誕生し、日向族の女王に選ばれたのではないだろうか。
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鬼道の正体

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加治木説で、卑弥呼をアイヌ語で読むと「ピミク」と発音することは既に紹介したが、アイヌ人は琉球民族とルーツを同じくする倭人である。
当時の中国の卑弥呼の発音「ピェ・ミャル・ゴ」は、沖縄の三母音で「フィミク」と変わり、もし3世紀の琉球民族が「フィ」を「ピ」と発音していたとしたら「ピミク」となり、そのルーツであるインドネシア系のマレー語では、「ペーメール(政府)」「ペーメーロク(保護者)」となり、卑弥呼に相応しい名前になると主張している。

では、卑弥呼の「鬼道」もインドネシアにルーツがあるのだろうか。
中国の道教系にも「鬼道」と呼ばれるものがあるが、これは卑弥呼の「鬼道」とは大きく異なり、完全に否定されている。
インドネシアの宗教はインドから伝播したものである。

古代インドの曼陀羅思想(世界地図)では、世界の中心に「スメラ山」という山が聳え、周囲に東西南北の国があり、その周りを海が囲んでいると考えられていた。
これが仏教でいう「須弥山」で、ヒマラヤがそれだと信じられていた。
的確に言えば、中央アジアの真ん中に位置する世界の屋根「パミール高原」こそ、地上のスメラ山と呼ぶに相応しいであろう。
そのパミール高原、ヒマラヤ山脈の南にあるインドこそ、世界の中心だと信じられており、古代インドの人々は自分たちの国を「ジャムブディパ(幸福な世界の中心地)」と呼んでいた。
実際の発音は「ジャムディ」と聞こえ、日本に来た魏の使いがこれを耳にして、「邪馬臺」という漢字を当てたとも言われる。

「スメラ」とは「天皇」の意だが、「ヤマタイ」の語源と共にパミール高原(高天原)からインド、インドネシアを経て、熊毛郡の伊是名島(伊勢の島)に高天原が移され、そこで卑弥呼は誕生した。
話が横道に逸れたが、卑弥呼の「鬼道」とは一体如何なるものだったのか。

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まず、中国での「神」はシュメールの月神「シン」が音写されたもので、それは古代インドにも伝わって、ヒンドゥー教の「シヴァ」のルーツにもなっていることを以前述べた。
シヴァは破壊神であり、聖書でいうサタン、ルシファーである。
聖書の神(主)は、日本では一般的にエホバと呼ばれているが、原音は「ヤーベ」に近く、近年ではヤハウェと呼ばれることが多い。

加治木説によれば、「シヴァ」の名が変化したのが「ヤーベ」だという。
「破壊神シヴァ=主ヤハウェ」
この説に異論を持つ人は多いと思うが、答えが明らかになる日は近い。

さて、加治木曰く、インドネシアのスマトラの語源も「シヴァ」で、「シがス」に変わって「バがマ」に変わり、同じくインドネシアのスンバ島も「シヴァ」が語源になっているという。
それはマレー語では「ジバ」、ジャバでは「ジャバ」となり、日本では「ヤバ」となって「邪馬台国」の語源になったらしい。
更に、鹿児島語では「バはベ」となり、邪馬台国の「邪馬」は「ヤーベ」の意だとしている。

卑弥呼とモーゼの共通点、そしてフェニキア人がインドネシアからフィリピン、日本列島にも渡来していたことから考えて、卑弥呼の「鬼道」は「ヤーベ道」であり、本質的に古代ユダヤ教と同じ性質を持っていると言える。
モーゼに十戒を授けたヤハウェ(ヤーベ)は、本質的に牛神「バアル」であった可能性が高いことも既に述べた通りで、「バアル=シヴァ」である以上、「ヤハウェ=シヴァ」という等式も成立する。
但し、「ヤハウェ=バアル」は表裏一体を意味する。

そして、死を司る破壊神「シヴァ」=牛神「バアル」は、荒らぶる神・牛頭天皇「スサノオ」でもある。
従って、鬼道の「鬼」は、霊的な意味での「スサノオ」を意味しているのだ。
しかし、元はシュメールの月神だったはずである。
しかも、卑弥呼は太陽神を崇拝する巫女だったはずである。
それはこういう事である。

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『竹内文書』によると、スサノオとツキヨミは同一人物だったという。
そしてヒッタイト帝国では、荒らぶる牛神は、太陽神としての性格も持ち併せていたことが分かっている。
加治木氏によれば、「天照大神」を沖縄語で発音すると「チンヅウ・ウガン」で、本土語にすると「シンドウ・オガミ」となり、漢字を当て嵌めると「神道・拝み」になる事を指摘している。

やはり「鬼道」は、古神道のルーツだったと言えるだろう。
スサノオは根の国(死者の国)に行った神である。
スサノオは封印された「鬼」であり、中国では死者を「鬼」と呼ぶ。
そこまで分かれば、「鬼道=古神道」のルーツを辿るのは難しいことではない。
引き続き、加治木氏の受け売りになるが、鬼道のルーツにスポットを当てることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 20:52| Comment(0) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

封印された鬼の正体はアルザル人だった!?

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ここで少し、話を整理してみよう。
紀元前3〜2世紀、陸路ルートで日向族(アマテラスの系統)が日本列島に渡来し、先住民を併合しながら日向地方で勢力を誇った。
その後、海路ルートで出雲族(スサノオの系統)が渡来し、日向族と協定を結んで日本を統治する予定だった。
しかし、日向族がそれを拒み、出雲族が持つ王位継承の証である十種神宝を要求してきた。
そこで両者に対立構造が生まれ、出雲族は日向族を征討した。

紀元3世紀、卑弥呼の時代、大陸から神武天皇率いる騎馬民族が渡来して邪馬台国を征服し、大和朝廷が樹立した。
これが、現在の天皇家の始まりだと言われている。
これをアリオン説と重ね合わせると、海人族であり、鬼道を行なう卑弥呼が治める邪馬台国(出雲族)を「鬼」として封印したのが、大陸から渡来した日向族だと考えるのが普通だろう。

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アリオンは、日向族が日本列島に先着したと言っているが、渡来系の力を借りて出雲族を封印したと言っている。
つまり、「日向族が騎馬民族の力を借りて邪馬台国(出雲族)を征服した」と、私は今まで考えていた。
だが騎馬民族は、ヤマタノオロチ(卑弥呼政権=日向族)を制圧したスサノオ(出雲族)に相当する。
つまり、「神武天皇=スサノオ」であり、「出雲族=騎馬民族」ということになる。
これには決定的な証拠があり、まず間違いないと考えて良い。

だが、ここでも大きな矛盾が生じる。
アリオン曰く、出雲族は海路ルートで上陸したことになっている。
また、日向族は大陸から渡来したというが、卑弥呼は明らかに海人族(倭人)系である。
これについて1つ言えることは、当時の倭国は日本列島だけではなく、朝鮮半島も含まれていたということである。
従って、今まで検証してきたことが正しければ、スサノオ勢力(出雲族)は中国大陸からパミール高原を経て、海路ルートで朝鮮半島に上陸し、紀元3世紀頃に邪馬台国を征服したということができる。

問題はその後である。
アリオン曰く、スサノオ率いる出雲族は、日向族に不当に貶められ、鬼として封印されたという。
とすると、大陸から渡来した騎馬民族(出雲族)が現在の天皇家ではないことになる。
牛頭天王であるスサノオは「鬼」である。
封印されたのは確かに「出雲族=スサノオの血統」である。

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だが、騎馬民族(出雲族)征服された倭人は日向族である。
当時、倭人は「オニ」と発音されていたらしい。
また、卑弥呼の宗教も「鬼道」である。

整理すると、卑弥呼(日向族)は倭人(海人族)で、征服された鬼と考えるのが自然である。
一方、スサノオ(出雲族)は大陸から渡来した騎馬民族で、卑弥呼の鬼道で統治されていた邪馬台国を征服した民族である。
日本列島の先住民である倭人(海人族)が征服されたという古史古伝の内容は、間違いではない。
では、封印されたのは出雲族ではなく、「日向族」ということになる。

アリオンの言うことが間違っているのか、北川氏の解釈が間違っているのか……。
否、伊勢神宮に祀られている皇祖神・天照大神(女神)の正体が「卑弥呼」だと判明した今、アリオンの伝える内容に誤りはないことが証明できる。
出雲族の強大な武力に恐れをなした日向族が、スサノオにアマテラスを差し出した……と、アリオンは言う。
これによって、日向族と出雲族が和合し、一件落着……と言いたいところだが、アマテラスの義弟が猛反対したという。

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しかし、2人の婚姻は決行され、怒り狂ったアマテラスの義弟たちは、渡来系の力を借り、出雲族の力が発揮できないように日本列島の霊的スポットを次々と封印していった。
日向族も出雲族も渡来人だが、ここでいう渡来系とは恐らく「秦氏」である。
そして、日向族が皇位を争奪し、封印された出雲族に代わって、再び日向族による日本の統治が始まったのではないだろうか。
海路から朝鮮半島に上陸した出雲族には、倭人も合流していたことだろう。

私の考えでは、倭人やヒッタイト人は、イスラエル12支族に浸透していた。
従って、出雲族の本隊は「イスラエル10支族」と呼ぶのが相応しいかも知れない。
一方、日向族の本体は「イスラエル2支族=ユダヤ人」ということになり、秦氏も2支族のユダヤ人故に日向族に力を貸した……と考えると、辻褄が合ってくる。

聖書外典の記録によると、イスラエル10支族は誰にも邪魔されない前人未到の地「アルザル」に移動し、終末に再び戻って来るという。
アリオン曰く、鬼(出雲族)が封印されたというのは一方的な見方で、実は自ら「隠れた」という。
そこは、「隔り世」「黄泉」「シャンバラ」と呼ばれる場所で、終末に再び現れることが預言されている。

「解かれた封印から赤い色を頼りに、隔り世から鬼が来る…」
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大筋に於いて流れとしては、大体このような解釈で間違いないと思われる。
だが、更に大きな落とし穴がある。
現在の皇室が祖神として崇める天照大神は卑弥呼だが、卑弥呼ではない。
ヤマタノオロチ退治の神話から分かる通り、卑弥呼も封印された「鬼」なのだ。
日月神示によると、岩戸から出てきた天照大神は偽物だという。
皇祖神として祀られている天照大神は、この「偽の天照大神」なのだ。

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これはイエスにも言えることである。
イエスはヤハウェの受肉である。
つまり、現在のクリスチャンが信仰している神は「偽のヤハウェ(イエス・キリスト)」なのだ。
既に見てきた通り、卑弥呼は「鬼」であると同時に「龍蛇族」である。
スサノオも「鬼」であると同時に、天界から追放されたルシファー(龍蛇)である。
つまり、「鬼」と同時に、「龍」も封印されていたのだ。

カナン神話では、龍を退治した牛神バアルが「スサノオ」に相当するが、そのバアルは聖書では悪魔とされ、ルシファーと同一視されている。
そして、高天原から追放されたスサノオはルシファーと符合し、「牛=龍」ということになる。
やはり、霊的には「牛神=龍神」で、双方に裏と表がある。

その証拠は……。
「牛神スサノオ」と「龍神クニトコタチ」は同一神であり、東北に封印された祟り神「艮の金神」である。
これは、聖書でいうところの「バアル=ルシファー」である。
現在の聖書が、10支族が失われた後の2支族(ユダヤ人)の視点によって書き換えられていることに注意して頂きたい。
「善悪逆転の原理」を発表する前に、少し話を巻き戻して、引き続き卑弥呼の謎にメスを入れていこう。
posted by 夢蛇鬼 at 20:19| Comment(3) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山田の大蛇族とドラゴンバスター

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龍退治伝説が、古代オリエントにルーツがあったことを述べてきた。
だが、神話(神界の出来事)は時を変え場所を変え、人間界に移写される。
従って、「スサノオのヤマタノオロチ退治」のような出来事は、この日本においても様々なバリエーションで繰り返し起きていることになる。
日本神話では、高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流に降臨した。
すると、老夫婦が泣いていたので訊ねると、毎年オロチがやって来て娘を食べてしまうという。

老夫婦には8人の娘がいたが、今年もオロチがやって来る時期が近づき、最後の末娘であるクシナダヒメ(櫛名田比売・奇稲田姫)が食べられる番だというのだ。
ヤマタノオロチは8つの頭と8本の尾を持ち、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの峰と8つの谷に跨がるほど巨大だった。
スサノオは、クシナダヒメを嫁に貰うことを条件にヤマタノオロチを退治した。
これは、出雲国・島根県と鳥取県境にある船通山系から流れ出る、日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川、及びその支流をヤマタノオロチに喩えて「オロチ河川群」と呼ばれている。

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一説によると、オロチの腹が血で爛れているのは、河川が砂鉄で濁った状態を表しており、製鉄のたたら吹きに必要な木炭を大量に生産する為に、樹木が伐採され尽くした為に起きた洪水を象徴しているともされる。
更に、斐伊川には蛇の鱗を彷彿させる「鱗状砂洲」と呼ばれる砂洲があり、これがヤマタノオロチのイメージを創り上げたという説もある。

そして、オロチが毎年娘を拐うのは河川の氾濫の象徴で、河岸工事(オロチ退治)によって稲田(クシナダヒメ)を守ったことを表現していると考えられている。
実際にこのような出来事があり、これがオリエントの龍退治神話と結び付けられたというのは、非常に納得できる話である。

また、老夫婦に8人の娘がいたが、「八」は出雲族の象徴である。
そして、老夫婦が産鉄地に住んでいたことから、8はハッティ(ヒッタイト)を意味していることは間違いないだろう。
更に、スサノオも「八」で象徴される出雲族の族長であり、ヤマタノオロチも「八」と「産鉄」を象徴している。

これは一体どういう事なのか。
スサノオが十拳剣でオロチの尾を斬ると剣の刃が欠け、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出てきた。
ここから推測すると、十拳剣は青銅製で、天叢雲剣は製鉄文化を象徴していると同時に、ヤマタノオロチが「出雲」を象徴している。
そして、スサノオがこの大刀をアマテラスに献上したところを見ると、出雲族と日向族の融合を考察することができる。
別の解釈では、当時の出雲国は越国(北陸地方)の「越の八口」と交戦状態にあり、これがヤマタノオロチ退治の神話になったのではないかという説もある。

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『竹内文書』によると、富山県の山田川上流の「山田の大蛇賊」を、スサノオが成敗したと伝えている。
「山田の大蛇賊」とは如何にも作ったような名前だが、これを見逃すことは出来ない。
加治木義博氏によれば、鹿児島県の「内山田」の語源が邪馬台国(邪馬臺国)だという。

『これの発音は「ウチヤマダ」だが、これは次のような当て字と同じ地名だ。「宇治山田」。
この「治」は「自治省」や「治世」でお分かりのとおり「チ」という発音もあるからである。
この「ウジヤマダ」に沖縄〜大隅語の特徴である三母音語で当て字にすると次のようになる。
「ウ=大」「ジヤ=邪」「マ=馬」「ダ=臺」。
以前は日本も国名に「大」の字をつけて「大日本帝国」といったし、お隣の韓国も正式名称は「大韓民国」であることはよくご存じのとおりだ。
それを邪馬臺国もやっていたのである』


つまり、ヤマタノオロチは「邪馬台国の大蛇」であり、「山田の大蛇族」というのも決して荒唐無稽な話ではない。
日本の歴史の中で、「卑弥呼」という人物は、どうやら非常に重要な位置付けにあるようである。
では、邪馬台国はどこにあったのか、卑弥呼とは何者だったのか、鬼道とは何なのか。
改めて、別の角度から検証を進めていきたい。
posted by 夢蛇鬼 at 19:25| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤマタノオロチ伝説の伝播ルート

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加治木義博氏は『言語復原史学会・大学院講義録』で、「世界の龍退治神話」について次のように述べている。

――世界には、<スサノオの尊> だけでなく、バビロンの <ギルガメシュ>。
ギリシャの <ペルセウス>。
インドの <クリシュナ>。
インドネシヤの <アジサカ>。
北欧の <シグルト>。
ドイツの <ジークフリート>。
キリスト教諸国の <セント・ジョージ> や <サン・ジョルジュ>
など、たくさんな竜退治伝説がある。
この「日本人のルーツ」でも指摘しておいたが、これらの伝説の主人公の名などが、互いに方言関係のように関連しあっていて、無関係でないことがすぐわかるので、スサノオの尊だけを切り離して考えることはできない。
ドイツの <ジークフリート> などは、むしろ逆に日本から向こうへ伝わった可能性が濃いことは前にもお話ししたが、ここで全体の共通牲につきお話しすることにしよう。
まず <ギルガメシュ> の <ギルガ> は で、 <ジョージ> と同じだとすぐわかる。
もそのままで <ジーグ> だから、ドイツ読みなら <ジークフリート> の前半分だとわかる。
その <ジークフリート> を縮めて北欧語化すると <シグルト> になる。
Georgeを二分して を <グ> 、 を <リ> にして清音化すると <クリ>、これに <ギルガメシュ> の語尾「シュ」を付けると <クリシュ> になる。
<アジサカ> と <スサノオ> だけが合わないが、それには次のような理由があるからである。
<スサノオ> は既に解明済みの通り、今はイラン領になっている <スーサ> の古名「スサ」の王という日本語名であるから、ギルガメシュ伝説が伝わっただけの、架空の人物ではない。
スサ出身の王またはその王統を継いだ王が、日本に来て体験した <神託> とおりの事件を賛嘆して、倒した敵を竜にたとえた比喩でなければ、総ては幼稚な怪物退治のお伽話になってしまう。
それでは無意味だから、実在した「スサの王」の史実の記録として、後世に伝えたのである。
上記で比較した伝説とは根本的に性質の違う現実に起こった史実を、「ギルガメシュの竜退治に、なぞらえた記録だ」と言うのが、最も正しい表現である。
アジサカはインドネシヤ語には類例のない名である。
ところが日本には、そのままの名の人物が 『記・紀』 に登場している。
それは阿遅鋤高日子根で、これが <アレクサンドロス> への当て字であることは、既によく御存知の名乗りである。
この鋤の字は我が国の古音では <サカ> とも読む。
だからインドネシヤのこの伝説は、日本から伝えたものであることは疑いない。
するとこの <スサノオ> は、幾人もいる <スサノオ> のうち、どの <スサノオ> か、その実体が、この名によって明らかになる可能性が見えてくる。
オリエントとの交流は一方通行ではなくて、文化をもった人々の往来が激しかったという証拠にもなる。
もう少し詳しく考察してみよう。
もう一度、簡単に繰り返すと、<ジークフリート> は、邪馬国の <邪>、狗奴国の <狗>、夫余国の <夫余> に人をつけた屋久島から高句麗までの王だった垂仁天皇の名乗りに合う「邪狗夫余人」を、<ジャクフリヒト> と発音したものによく合い、その妻・<クリムヒルト> も高麗国日霎人・<クリマヒルト> と書くと、高句麗の姫または女王という意味になって、その結婚は不思議ではない。
だからこの伝説は日本のものが、ドイツや北欧へ伝えられたもので、その時期はハンガリーやハンブルクが生まれた「フン人=八幡人=ハン」の欧州侵入によって移植された、我が国からモンゴル、そして欧州へと運ばれた伝説であって、オリエントから直接移ったものではない。
それは <ヒトラー> は <日虎>・<ミユラー> は <三浦>・<ザイツ> は <財津> といった複数の元日本姓が、ドイツに現実に存在することもまた、この移転、移住が事実であることを証言している。
遠隔地のドイツにそれが実在する以上、はるかに近いインドネシヤに阿遅鋤高日子根の名があっても少しも奇妙ではない。
そこには今も <アレクサンドロス> を名乗る族長も現存しているのである。
『記・紀』 の阿遅鋤高日子根は天の稚彦(若日子)の死後、登場する。
<稚彦> は卑弥呼の夫・ソナカ王子・仲哀天皇で、卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇である。
彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒した <スサノオ>、その人なのだ――


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世界の「龍退治伝説」の中でも、「ヒッタイト神話」と「八岐大蛇退治」の物語は特に酷似している。
また、その主人公が「スサの王」ということであれば、やはりヒッタイトのスメラ族はエラムに移住していたことになる。
そして、このオリエント神話が日本に直輸入され、それが各国に伝播したと加治木氏は言っているのだ。

そして、<アジサカ> と <スサノオ> だけが合わず、「アジサカはインドネシヤ語には類例のない名」という事は、日本とインドネシアの関係が想像できるだろう。
しかし、この加治木説を注意深く検証すると、インドネシア系海人族の卑弥呼には、日向系、しかも白人系の血が流れていた可能性がある。
それを証明する前に、引き続き「ヤマタノオロチ伝説」を調査してみたい。
posted by 夢蛇鬼 at 02:27| Comment(2) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

伊勢国の女王「卑弥呼=イエス・キリスト」の正体

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『記紀』に卑弥呼の記述がないのは、「卑弥呼」が名前ではないからである。
ヒミコは天照大神を崇める「日見子」「日巫女」、シャーマンとして「火見子」「火巫女」だったとする説がある。
いずれも間違いではないだろうが、歴史言語学者の加治木義博氏によると、「卑弥呼」は当時の中国の発音で「ピェ・ミャル・ゴ」、アイヌ語では「ピ・ミク」と読むという。

ピ=解く。ミク=告げる。

卑弥呼は、神託を説いて民衆に告げる巫女だったということになり、当然それが1人とは限らない。
その中で、『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国の女王・卑弥呼は何者だったのだろうか。
その正体については、実に様々な説があるが、『日本書紀』では神功皇后が「卑弥呼」であることを暗に示している。

だが、神功皇后は5世紀初頭の応神天皇の母であり、年代が異なる為、「卑弥呼=神功皇后」ではないと考えられている。
しかし、神功皇后が「卑弥呼の子孫」である可能性はあり、それが事実であれば、卑弥呼は皇祖的存在ということになる。
詳細は割愛するが、「神功皇后」の正体が「卑弥呼」と娘の「台与」の2人を指していることが、様々な学者から指摘されている。

そして、皇祖神といえば「天照大神」だが、「アマテラス=卑弥呼説」がある。
アマテラスは別名「大日貴」(オオヒルメノムチ)と言い、「ル」は古語で助詞の「ノ」で、「大日の女」ということになり、太陽に仕える巫女(日巫女)と一致する。
また、天文学上の計算で、卑弥呼が没した頃、紀元247年3月24日と紀元248年9月5日に、北九州辺りで皆既日食が起きたことが明らかになっている。

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当時の邪馬台国が琉球地方の海上に位置していたことを考えると、「卑弥呼の死」は「アマテラスの岩戸隠れ」とオーバーラップする。
古代史研究家の安本美典氏は『卑弥呼の謎』(講談社新書)で、天皇の平均在位年から、卑弥呼の時代とアマテラスの時代が重なることを導き出している。
『記紀』によると、アマテラスは岩戸から出てくるが、これは「イエスの復活」のように蘇生したのではなく、娘の「台与」が「2代目・卑弥呼」を継承したことを意味する。

また、『記紀』に登場する「下照姫」が卑弥呼だとする説もあるが、 これも間違いではないだろう。
つまり、「アマテラス=下照姫」なのだが、太陽そのものとしてのアマテラス(天照)を「上照」として、その受肉である人間アマテラスを「下照」と表現されているのだろう。
これは、「絶対神ヤハウェ=御父」と「イエス・キリスト=御子」の関係に相当する。
つまり、紀元前3世紀頃、天孫族をパミール高原から降臨させた天照大神は「上照姫」ということになる。
そして、「ニニギノミコト」と「ニギハヤヒノミコト」が天降ったとされるが、「アマテラス=卑弥呼」同様、この2人もまだ生まれていなかったので、彼らの何代か前の祖先ということになる。

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「下照姫」と異名同神の人物は、「アマテラス」「オオヒルメノムチ」以外に、「ミツハノメ」「アメシルカルミズ姫」「タマヨリビメ」「トビヤ姫」「イチキシマヒメ」「ヤマトトトヒモモソヒメノミコト」などが挙げられている。

中でも、『日本書紀』で「ヤマトトトヒモモソヒメノミコト」の墓として伝えられている箸墓古墳は、邪馬台国の有力候補地の纏向遺跡内にあり、更に『魏志倭人伝』の記述(後円部の直径約160メートル)と一致し、卑弥呼と同一人物だと考えられている。

ここではまず、「卑弥呼=アマテラス=オオヒルメムチ」に絞り、 卑弥呼を「アマテラス」と呼ぶことにする。
アマテラスは「イザナギ」と「イザナミ」の子である。
これは神話であると同時に、人間界での出来事でもある。

加治木義博氏は、『【真説】日本誕生 黄金の女王卑弥呼』(KKロングセラーズ)の中で、鹿児島県の南の海上から沖縄県に至る熊毛地方の島々を検討した結果、沖縄県島尻郡の海域に存在する「伊是名島」という面積15平方キロメートル、人口2000人の島が、かつてイザナギ・イザナミがいた島であることを突き止めた。

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1609年、島津軍に首里城を落とされて実質的に属国となった沖縄は、鹿児島の役人に治められていた。
鹿児島語は「a」を「e」と発音することから、本来の「イザナ島」が「イゼナ島」と発音されるようになったのだという。
更に、濁音のなかった時代には、「イゼナ」は「イセナ」と呼ばれており、「ナ」は古代の「国」を意味する名詞で、「伊是名=伊勢国」という説を提唱している。

つまり、本来の伊勢は「伊是名島」であり、アマテラスこそ「伊勢の大神」だったのだ。
従って、伊勢神宮の内宮に「天照大神」が祭られているのは道理である。
もしかすると、外宮の祭神「豊受大神」は、アマテラスの娘「台代」である可能性もある。

パミール高原から旅立ったイザナギ・イザナミの部族は、インドネシア、ジャワ島(耶婆提国)を経由して、熊毛地方(高天原)にある現在の伊是名島、広く言えば琉球古陸に上陸したことが分かる。
これが事実であれば、イザナギ・イザナミ、そしてアマテラスは「出雲族」だったことになる。
だが、彼らが「日向族」であることは動かし難い歴史的事実で、北川恵子によると陸路を辿って日本列島に上陸したことになっている。

この矛盾については、「卑弥呼」と「イエス」が同一神「天照大神」とされている事と併せて、順を追って解明していくが、少なくともこの時点では、イザナギ・イザナミは「海人族」だったことになり、マクロな視点で見ると、東南アジア諸国も「倭国」に含まれるといえる。
そして、彼らはその後も、インドネシアを含む東南アジア諸国を往来していたはずだ。
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出雲王朝と邪馬台国の謎

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火星の謎については長くなるので別の機会に詳述するとして、話を元に戻そう。
紀元30年頃の日本列島の様子について、引き続き『邪馬台国の謎と逆転日本列島』から引用させて頂く。

――福建省あたりから分離した西日本列島は徐々に東へ移動するとともに、わずかながら反時計回転している。
台湾は南下し、西南諸島は西日本列島の周りにまとわりついている。
そして、西日本列島の南東には、東日本列島が急接近している。
青森県を南にしたまま、ちょうど北西にスライド、並行移動した印象を受ける。
西日本列島の間は、わずか100キロ前後。今にも衝突しそうである。
おそらく、このまま西日本が東へ移動し、同時に東西日本列島は長野県の方を中心にして反時計回転。
これに呼応するように、激突された西日本列島も、九州の方を中心に反時計回転し、現在のような日本列島の姿になっていくと考えられる。
興味深いのは、北海道だ。
東西日本列島と北海道の相対的な位置関係は、ほとんど変わっていない。
おそらく、同じプレートに乗って移動しているためであろう。
この時点で、北海道は新潟沖に位置する。
「出雲風土記」の「国引き神話」で、島根半島は朝鮮の新羅と北陸、そして北門から引っ張ってきた国土によってできたとされた。
北門が、いったいどこを指すのかはよくわかっていないが、ひょっとすると北海道なのではないか……
紀元30年ごろに、北海道がこの位置にあったとすると、島根県までの距離はかなり近い。
北陸と同じくらいである。
北海道とともにあった陸塊が山陰地方に激突した可能性は十分ある。
松本清張の小説「砂の器」で知られるように、かねてから島根県には、東北弁が局所的に話されている。
この事実は、島根半島に衝突した島に、北海道及び東日本列島の島々が住んでいたことを物語っているかも知れない――


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これが事実であれば、兼ねてから述べている通り、北海道と東北地方を中心に、北陸や関東に及ぶ地域に分布していた「出雲族」の一部が、この時期に島根県(出雲地方)に移動した可能性が高い。
更に、『秀真伝』と『日本書紀』の記述をMIXして考えると、海路ルートで青森県から上陸した出雲族は、現在の宮城県で『日高見高天原王朝』を築き、紀元30年頃に新羅に移動して、その後、出雲地方の「須佐の港」に移住した。
「須佐」の語源はエラム(後のペルシア)の首都「スサ」であり、スメラ族が最終的に遷都したのが、出雲地方だったのだろう。

この出雲族の民族構成が、エドム人やフェニキア人を含むアイヌ人、及びヒッタイトのスメラ族とイスラエル10支族の混合民族だと私は考えているが、民俗学的には一括りに「アイヌ人」とされているようである。
そして、「アイヌ人」と九州のアイヌ人「熊襲」が武力抗争を起こしていたことは、多くの学者が唱えている。
これがいわゆる、「出雲族と日向族の対立」なのだろうか。

時は流れ、紀元300年頃の日本列島のデータでは、東西の日本列島はフォッサマグナで激突し、九州を中心に反時計回転をしており、それは『魏志倭人伝』が語る「逆転日本列島」と一致する。
この時代は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代である。
このアメリカの極秘データと『魏志倭人伝』の記述を照合すると、邪馬台国の場所は畿内であり、現在の沖縄の海上に位置していたことになる。
詳細は『邪馬台国の謎と逆転日本列島』(学研)をお読み頂きたいが、私はこの仮説を絶対視している訳ではない。

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さて、卑弥呼とは一体何者だったのだろうか。
これについて、明確な答えを出している人を私は知らない。
『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は鬼道という妖しげな呪術を使い、衆を惑わしていたという。
但し、卑弥呼を見た者は少なく、弟を通じて民衆と話をしていたとされている。
この政祭スタイルはモーゼと同じで、モーゼもヘブライ人(イスラエル民族)とは直接的に話をせず、兄のアロンを介していた。
アロンはイスラエル2支族の「レビ族」で、祭司の祖とされている。

歴史学者の鳥越憲三郎氏は、著書『神々と天皇の間』(朝日新聞社刊)で、古代天皇の政治形態は兄が祭事権を司り、弟が政治権を担当するという二重主権制だったことを述べている。
これはどうも、シュメールの時代からの伝統だと思われる。
卑弥呼の「鬼道」については諸説あるが、「鬼」はモーゼを意味している可能性がある。

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モーゼはシナイ山で「ヤハウェ」の啓示を受けた。
当時のシナイ山は噴火山だったが、「バアルは火山に降臨する神」と言われており、モーゼが出会った神は、「バアル」としてのヤハウェであったと思われる。
「バアル」と「ヤハウェ」という別の人格神が存在するのではなく、1柱の神の裏と表である。
バアルは牛神であり、「角」をもって象徴され、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーゼ像にも角が生えている。

ところが、中世以降のキリスト教会で、角の生えたモーゼの姿が異教的(バール=サタン)とされた為、「光」に変えられた。
現代の聖書では、シナイ山から降りて来た時のモーゼの顔から「光」が出ていたと訳されており、「光」は「ヤハウェ」を象徴する。
それは、モーゼがヤハウェの啓示を受けたことを意味するのだが、本来は「光」ではなく、「角が生えていた」と記述されていたらしい。
いずれにしても、バアルは「ルシファー」と同一神であり、同じく「光」で象徴される。

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ギュスターヴ・ドレの聖画では、モーゼの角は「光の角」として表現されている。
またモーゼは、エジプト脱出の際、バアル神殿に宿営を張ることを「主」に命じられている。
つまり、モーゼは主(バアル)の預言者であり、バアルの受肉(現人神)だったと考えられるのだ。
換言すれば、モーゼも「スサノオ」であった。
つまり、イスラエル民族の宗教である「イスラエル教」は「バアル教」だったのだ。

後に、イスラエル民族は宗教対立によって「2支族」と「10支族」に分裂し、バアル信仰の10支族が消息を経った為、表舞台のイスラエル民族はヤハウェ信仰の2支族の「ユダヤ人」だけとなった。
そしてイスラエル教は、ヤハウェを「主」とする一神教「ユダヤ教」となり、聖書が改竄されたと考えられる。

ユダヤ人は「アロンの子孫」と称しているが、モーゼは葦舟で流された拾われ児だったので、アロンの実弟ではなかったことは明白である。
一方、モーゼは子孫を残さずに昇天(行方不明)したとされているが、日本に渡来していたという説がある。
これは『竹内文書』のことではなく、熊本県の阿蘇山の南にある弊立神宮(日の宮)に伝わる秘宝「五色神面」と呼ばれる5つのお面で、その1つがモーゼの顔を象ったものだという。

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もう1つ、「水の玉」と呼ばれる秘宝があり、ユダヤ人が地中海沿岸で発見したもので、モーゼと共に日本に渡来したユダヤ人たちが弊立神宮に奉納したという。
この奇妙な伝承の真偽は不明だが、ユダヤ人(2支族)がエドム人やフェニキア人と共に、海のシルクロードから日本列島に渡来していたことはほぼ確かな事実で、この2支族のユダヤ人もまた「海人族」であった。
もしかすると、彼らが「熊襲」と呼ばれるようになり、後世に大陸から渡来した2支族のユダヤ人(日向族)と合併し、アイヌ人・エドム人・10支族等で構成される部族と対立していたのかも知れない。
本居宣長や鶴峰戊申は、卑弥呼は熊襲の女酋長だったと考えたが、熊襲の一部が畿内で邪馬台国を開いたというのが真相に近いと思われる。
このような事から、卑弥呼の鬼道はモーゼの「バアル信仰」であったと考えられるのだ。

前述の通り、当時の邪馬台国は沖縄地方の海上に存在した。
即ち、琉球王朝の文化圏であり、邪馬台国の民衆は倭人(海人族)であった。
紀元前から琉球王朝と日向王朝を往来していた日向系の倭人は、琉球古陸の分断と沈没、及び日本列島の位置転換によって、紀元300年頃には沖縄と畿内を中心に定着していたと考えるのは自然な流れである。

アリオンによると、鬼(スサノオ=出雲族)は、日向族によって封印されたという。
定説では、鬼道を使う卑弥呼の邪馬台国は、騎馬民族によって征服されたとされている。
そして、イスラエル10支族が古代オリエントから受け継いだ「バアル信仰」はまさにに、日向族が虐げてきた「鬼」である。

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すると、「卑弥呼」などという侮辱した当て字を使い、「鬼道で衆を惑わす」と書き記した中国人は、日本列島に渡来前の騎馬民族だった可能性がある。
という事は、卑弥呼は「出雲族」だったことになる。
実際に、卑弥呼は「出雲族」の特徴を備え過ぎており、「卑弥呼」という名前も、日向族が編纂した『記紀』から抹消されているのか記録に残されていない。
これは、10支族が信仰していた「バアル」を悪魔にすり替えて聖書を改竄した2支族と、出雲族が信仰する「スサノオ」を悪神として日本史を改竄した日向族とオーバーラップする。

しかし、定説では卑弥呼は「日向族」である。
それは、「邪馬台国=日向説」や「卑弥呼=日向(ヒムカ)」が根拠となっているのだが、果たして真相はどうなのか。
結論から言えば、卑弥呼は「日向族」にカテゴライズされる人物である。
更に、卑弥呼は鬼(牡牛族)であるはずだが、「龍蛇族」に分類される。
そもそも、牛(鬼)であるモーゼも、「青銅の蛇」を掲げている。

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まず、卑弥呼を含む邪馬台国の倭人のルーツが、南方系海人族であることは間違いない。
彼らの中に、マヤ人やインカ人などのネイティブ・アメリカンが混合していたことも、間違いないだろう。
鬼道とは「シャーマニズム」であるとされ、ネイティブ・アメリカンのそれと酷似しており、「言挙げせぬ」卑弥呼はアマ(海人)族の特徴を持っている。
その「鬼道」と呼ばれるシャーマニズムこそ、日本神道が成立する以前の「古神道」であり、ホピ族の「生命の道」との共通点も指摘されている。

『魏志倭人伝』には「倭地温暖、冬夏食生菜」と記されており、邪馬台国は一年を通して温暖な気候で、生菜食をしていたことが分かる。
また、「男子無大小皆黥面文身」とあり、男子は大人も子供も、顔や身体に入れ墨を入れていたという。
これは倭人の特徴で、沖縄や台湾でも最近まで入れ墨の習慣があり、ニューギニアやポリネシア、東南アジアでは現在も入れ墨をする習慣が残っており、メソアメリカにも入れ墨の習慣があった。
これは、海洋民族故に素潜りで漁をする際に、サメやウミヘビを避ける為だと考えられている。
インドネシアのジャワ島やスマトラ島も、『魏志倭人伝』が語る倭国の気候や倭人の風習と全く同じだが、とりわけジャワ島が『邪馬台国』の直接的なルーツになっているようだ。

『邪馬台国』の語源についても様々な説があるが、5世紀、インドへ渡った中国の僧侶・法顕は、『仏国紀』の中で、ジャワ島のことを「耶婆提国」と記している。
これは、サンスクリット語で「大麦の島」を意味する「Yavadvipa」の漢字音訳で、「ヤバダイ・ヤマタイ」と発音される。
東洋史学者・内田吟風氏は、「邪馬台国=耶婆提国(ジャワ説)」を提唱したが、『魏志倭人伝』が語る邪馬台国がジャワ島だとするのは早計である。
ジャワ島は、あくまでも邪馬台国のルーツと考えるべきであろう。
では、卑弥呼の「鬼道」もジャワ島に由来するのだろうか。
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2010年04月01日

ゴーグル型土偶とD&Mピラピッドの謎

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「イスラエル民族」と「ヒッタイト民族」は相対民族で、前者が男性原理、後者が女性原理で陰陽を構成しているという説があるが、「イスラエル民族」と相対的な民族を挙げるなら「エドム人」が相応しい。
ヤコブ(イスラエル)とエドムは双子だったので、それを同一と見なすなら、イスラエル民族に相対するのは「イシュマエル民族=アラブ人」である。
だが、「イスラエル民族」と一括りにする以前に、「10支族」と「2支族」を相対民族と捉えるべきであろう。
また、「ヒッタイト民族」も王位継承の内紛で分裂したことから、「スメラ族」と「反スメラ派(原住民ハッティ?)」が相対民族だと捉えることができる。
そして、ダビデの時代から「ヒッタイト民族」と「イスラエル民族」は深く結び付いており、彼らを別個に考える必要もない。

夢蛇鬼説では、「スメラ族」と「アブラハム族」はシュメールからの枝分かれである。
百歩譲って、「アブラハム族」の中に「エドム人」「イスラエル民族」「イシュマエル民族」を含んで、「アブラハム族」と「ヒッタイト民族」が相対的だったとしても、それ以外にもシュメールから中国大陸やインド亜大陸に移動した部族もいた。

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相対民族を挙げるのであれば、単純に「東洋人」と「西洋人」とするべきである。
または、世界の雛型である日本国を協力して建国する予定だった「出雲族」と「日向族」が、相対的民族の基幹だと言える。
その実体を検証したところ、主体となる構成部族は次のようなものだったという結論が出た。

「ヒッタイトのスメル族+10支族=出雲族」
「反スメル派のヒッタイト+2支族=日向族」


そして、先述の浜本説が「出雲族は世界の王の魂」と主張しているように、『「スメラの魂」は地球生命系の霊的進化の援助のために、地球の創生にも携わった恒星系レベルの普遍意識から直接、もしくは幾つかの恒星系や太陽系内の惑星を経て地球の肉体に化身し、古代のシュメール人の指導にも関わっていた魂のグループである』という説もある。
そこで、シュメール人の指導に関わっていたという「スメラの魂」の正体に迫ってみたい。

まず、「先住出雲族」と「天孫出雲族」が合併した地が青森県でだった可能性がある。
彼らは共に製鉄民であり、スメラ系の部族であった。
そして、青森県津軽平野の亀ヶ丘は、大量の「遮光器土偶」が発掘されたことで有名である。
遮光器土偶は、その形から見て宇宙人だという説があるが、実際はどうなのか。

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土偶の独特な模様は縄文式土器の特徴だが、海人族だった倭人は、恐らく土偶の模様のような刺青をしていたのだろう。
そして、土偶は女性の特徴が強調され、何故か故意に破壊されており、完全体で出土したケースは殆んどないが、まさか身障者の女性を象った人形という訳ではあるまい。

『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』によると、古代の東北地方に「アラハバキ族」という部族がいて、最後まで大和朝に抵抗したことが記されている。
実は、このアラハバキ族なる部族が信仰していた「荒吐神・荒覇吐神(アラハバキノカミ)」こそ、遮光器土偶のモデルなのだ。
遮光器土偶が破壊を目的に造られた理由は、豊穣の儀式の為だったと考えられている。

それは『古事記』に登場する女神「大ゲツヒメ」、『日本書紀』でいう「保食(ウケモチ)の神」が、体中からご馳走を出している所を客神に見られて殺されてしまうが、死後、その体から五穀や桑蚕牛馬を生み出し、人間に与えるというストーリーである。
つまり、「荒吐神」の偶像である「遮光器土偶」は、豊穣の女神「大地母神」の象徴なのだ。
大地の神、即ち地球神は、『日月神示』でいうところの「国常立尊」である。
そして「保食の神」の名は「豊受大神」だが、これは「国常立尊」と同一神だとされている。
「国常立尊」と「豊受大神」については『秀真伝』にも登場するが、この部分に関しては改めて詳述したい。

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「荒吐神」は「豊穣の神」であると同時に、農耕に必要な「金属神」だとされている。
興味深いことに、アラビア語の定冠詞「アル」とヒッタイト語の鉄「パパルキ」を合成したのが「アラハバキ」だという説がある。
また、国常立尊は「龍神」として象徴されるが、荒吐神も「蛇神」とされ、共に神社神道から封殺された神である。

民俗学者の吉野裕子氏によれば、アラハバキは「アラ(顕れる)・ハバ(蛇)・キ(樹)」で、ハバキを抜き取って「アラガミ=荒神(コウジン)」と呼ばれるようになったという。
字義を解釈すると、「生命の樹」に巻き付いた「蛇」が「顕れる」と読める。
これは「荒らぶる神」=「現生る神」である「スサノオ」を彷彿させる。
だが、蛇神ということであれば、「牛族」である「ヒッタイト」や「スサノオ」と敵対関係にあるはずだが、先住出雲族(南方海人族)は「龍蛇族」である。

そのルーツは、インダス文明を築いたシュメール系の「ドラヴィダ人」や、黄河文明を築いたシュメール系中国先住民で、彼らは「龍蛇族」だったとされている。
また後に、フェニキア人が日本に上陸して合流したが、蝦夷がエビス(=エブス人)だとしたら、アラハバキには古代エジプトの「コブラ信仰」の影響も受けていることになる。
つまり、遮光器土偶の蛇のような目は、文字通り「蛇の目」を表現していると言えるだろう。
また、コブラの頭部には一つ目があるが、「一つ目の神」を金属神・鍛冶神とする神話は世界中に見られ、産鉄神である「一本タタラ」も一つ目である。

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メーソンがシンボルにする「ピラミッド・アイ」のルーツ、「ホルスの目」もこれを起源としており、「蛇神信仰」と「太陽信仰」の関連性も窺える。
事実、太陽神である「天照大神=イエス・キリスト」は、伊勢神宮において「蛇神」として祀られている。
また、翼を持つ蛇神「ククルカン」や「ケツァルコアトル」を崇拝するマヤ・アステカ人も、太陽を信仰する「龍蛇族」であった。

シュメールの蛇神信仰は、中国・インド・エジプトに伝播し、それがインドネシアから東南アジア・中南米・日本列島に伝来したのである。
この蛇神信仰と共に「ハイヌヴェレ型神話」が伝承され、東南アジアからアメリカ大陸にまで伝播し、前述の通り「日本神話」にも取り込まれている。
動物や人身の生贄を神に捧げることで豊穣を祈願する儀式は、フェニキアやメソアメリカでも行われていたが、日本に於いては土偶が生贄の代用とされ、それを破壊して栽培地に埋めることを、五穀豊穣の儀式とするようになった。

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面白いことに、マヤのピラミッド内で、ゴーグルを填めた王のミイラが発見されている。
まさか、これが「遮光器土偶」のモデルなのだろうか。
否、ゴーグルをはめた王は、「トラロック」の受肉であることを表現していたに違いない。
トラロックとは、「ケツァルコアトル」や「ククルカン」と共に、メソアメリカで信仰されていた「雨の神」である。
日光と雨の恵みによって植物が育まれることから、トラロックはアラハバキと同じ「豊穣の神」と考えて良いだろう。

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それは単なる雨の神ではなく、同時に「稲妻の神」であるとされる。
つまり、暴風雨の神「スサノオ」であり、カナン神話の「バアル」に相当する。
しかし、その目は「蛇の目」を象徴しているのだ。
話が脱線するので、「龍蛇」と「牡牛」の関係についてはここでは触れない。

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トラロックの直接的なルーツは、インダス文明にあると思われる。
そしてインダス文明の都市であるモヘンジョ・ダロやハラッパ等の古代遺跡からも、大地母神の土偶が数多く出土している。
当然、そのルーツはシュメールにあり、シュメールでも遮光器土偶のプロトタイプ(原型)的な人形が発掘されている。

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それだけではない。
火星でも「ゴーグル型土偶」が撮影されているのだ。
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火星に人面岩「メサイア」とピラミッド群が存在することは有名だが、飛鳥昭雄氏曰く、これはノアの大洪水前の時代、アセンションした預言者エノクによって建設されたという。
だとすれば、火星のゴーグル型土偶は「ムー文明」と無関係ではない。
別の言い方をすれば、遮光器土偶はシュメール文明を更に遡り、ムー文明を継承していることになる。

ムー人は、火星人をモデルに「ゴーグル型土偶」を造ったのだろうか。
或いは、ムー人自体が遮光器土偶のような容姿をしていたのだろうか。
だが、火星で発見された人間の頭蓋骨や、メサイア(人面岩)の存在からしてそれは考えにくい。
もしかすると、エノクをアセンションさせた「天使」の姿だったのかも知れない。
だとすれば、やはり「荒吐神」は、太古の昔から地球生命系の霊的進化を援助してきた生命体(スメラの魂)である可能性がある。

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面白い事に、不思議研究所の森田健氏は体外離脱時に、フォーカス35(5次元)で遮光器土偶に似た存在達を見たという。
また、中国の超能力者・孫儲琳のマスター(指導霊)の中に、目が上下の真ん中で閉じて姿形も遮光器土偶とソックリな異星人(霊的生命体)がいるそうだ。

火星のシドニア地区には、四角錐ピラミッドをはじめ、円錐ピラミッドや五角錐の「D&Mピラミッド」など、底辺の異なる多種多様な超巨大ピラミッドが数多く発見されている。
2007年9月号のムー別冊マンガ付録『中国奥地に眠るペンタゴンピラミッド』(あすかあきお著)によると、D&Mピラミッドと同じ五角錐のペンタゴンピラミッド、通称「ホワイト・ピラミッド」が、中国のチベット自治区と北で隣接する新彊ウイグル自治区で、その存在が確認されているという。

その高さは900メートル、基底の一辺が1350メートルあるとされ、古代エジプト文明や古代中国文明の様式とも異なる。
地元の僧侶によると、それは太古の叡智が秘蔵された建造物で、シャンバラと繋がりがあるらしい。
シャンバラとは地球内天体「アルザル」の事だが、ホワイト・ピラミッドが建造されたのは恐らく「ノアの大洪水」以前のエノクの時代である。
だとしたら、イスラエル10支族とは関係はなく、ムー文明の遺産である可能性もある。

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だが、ムー文明の遺産であるエジプトの3大ピラミッドとは様式が異なる。
エノクを昇天させた天使の正体が「荒吐神」だったと仮定して、荒吐神の正体について5つの可能性を挙げておく。

@火星文明を築いたのは火星人で、それが「荒吐神」だった可能性がある。
A荒吐神が「蛇神」とされる通り、蛇を象徴する「金星」の生命体である可能性もある。
B荒吐神が太陽信仰と結び付いていることから、「太陽」の生命体である可能性もある。
C荒吐神が「ホワイト・ピラミッド」及び「シャンバラ」と関係があるとしたら、アダムの時代以前(約1万3000年前)の次元転換の際に、アセンションしてアルザル(及び宇宙)に移動した元地球人。
D「荒吐神=スメラの魂」と仮定し、且つ「恒星系レベルの普遍意識から直接、もしくは幾つかの恒星系や太陽系内の惑星を経て地球の肉体に化身した」という説が事実だった場合、シリウスから太陽に移住したプラズマ生命体が、地上のスメラ族に受肉した。

或いはもっと遡り、アダムから始まるスメラ族の血統(旧約聖書の歴代の預言者)の指導霊となり、ムー文明を与えた可能性がある。
そして、大洪水後にはシュメール文明を与え、農耕を指導し、その荒吐神の姿を霊視した シュメール人が「大地母神」とした。
尚、火星のボスポロス平原のクレーター内にある人工的な地形と、1936年に撮影されたイランの古代遺跡が酷似していることも指摘されている。

それ以上の事は皆様の想像にお任せする。
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