2010年04月17日

屋久島の大王「スサノオ=ツキヨミ」と高句麗の女王「卑弥呼」の謎

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アマテラス(卑弥呼)の弟のスサノオは「アジシキタカヒコネ=卑弥弓呼=稚武彦=垂仁天皇」だという事が分かったが、彼は本当に「天稚彦=仲哀天皇」と別人なのか。
くどいようだが、共に「アレクサンドロス=スサノオ」を名乗っていた為に紛らわしかったのだと、加治木氏は主張しているものの、同一視している箇所もある。

『日本書紀』では、「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は瓜2つだが別人で、「天稚彦」は「下照姫」を妻にして王になったとしている。
そして、「アジシキタカヒコネ」は卑弥呼の弟の「稚武彦=垂仁天皇」だが、『古事記』では「アジシキタカヒコネ」は「高比売=下照姫=卑弥呼」の兄となっている。

更に、卑弥呼(下照姫=アマテラス)は日向族のイザナギ・イザナミの娘だが、『古事記』では「高比売=下照姫」は出雲族の大国主(オオクニヌシ)と多紀理毘売命(タギリヒメ)の娘だとされている。
これは明らかに『古事記』の誤りだと思うのだが、どうだろう。
細かい点を無視して良心的に解釈すると、「アジシキタカヒコネ=垂仁天皇」の姉か妹の「卑弥呼」が、「天稚彦=仲哀天皇」と結婚したと考えるのが自然である。

だが、加治木氏は、何人もいるスサノオの中で、竜を退治したスサノオ「ジークフリート」の語源が「邪狗夫余人(ジャクフリヒト)」で、屋久島から高句麗までの王だった「垂仁天皇」だとしているが、高句麗の姫(又は女王)との結婚は不思議ではないとしている。
そして加治木氏は「黄金の女王・卑弥呼」の中で、「間違いなく卑弥呼は高句麗の女王だった」と断定している。

それは、兄妹(又は姉弟)の婚姻という事になる。
それが事実であれば、卑弥呼は夫「仲哀天皇」の死後、弟「垂仁天皇」と再婚したことになるが、状況的にそれは考えにくい。

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ここで気分転換に、加治木氏の著書『日本国誕生の秘密はすべて「おとぎ話」にあった』(徳間書店)の中から、少し面白い話をご紹介したい。

――彼は八俣大蛇=天照大神=卑弥呼を倒した。
政権の王なのですから「スサノオノミコト」に当たります。
『古事記』にはそのスサノオは、天照大神が父から天の仕事をあてがわれたのに、彼は「海原を治めろ」といわれて、気にいらないで命令に従わずに泣きわめき、「僕は[根の国]に行きたい」とすねたので、父は怒って追放してしまったと書いてあります。
これを位宮の史実と比較してみると、海原は海の中の国、すなわち沖縄で、位宮の名乗り「琉球王」に一致し、「根の国」は地下の「暗い国」すなわち「クライ=高麗、黒の国=北の高句麗」に一致します。
スサノオはまた別の部分で「韓=カラ=インド語で黒」へ行って戻ってきた神だとも書いてありますが、これも位宮にぴったり一致します。
ではなぜ「月」なのでしよう……?
『古事記』ではスサノオが海原を治めろと命令されたとき、もう一人「月読尊」という兄神がいて、彼は「夜食国」を治めよと命令されて月の王になったと書いてあります。
この不思議な名の国はどこにあるのでしょう?
これは当て字ですから別に夜食専門の深夜営業店なんかではありません。
万葉ガナと同じことで、「夜=ヤ・食=クウ」と読みさえすれば
「屋ヤ・久ク・王ウ」だとすぐわかります。
彼は屋久島の王になったのです。
『備後国風土記』の「疫隅国社」の話が元になって、彼は別名「疫の神」と呼ばれていますが、これはいいかえれば「疫病神」のことです。
「疫」と「屋久」で、これは「屋久の王」がもとになってできた悪名だとすぐわかります。
さらにこの屋久は古くは「邪久」と書かれています。
7世紀の唐代より前には「邪」は「ジャ・ジォ」と発音しましたから、「天の邪鬼」の「ジャク」もこの名から出ていますし、3世紀当時の「邪久」は「ジキュウ」への当て字で、今の鹿児島語でも「琉球」のことを「ジキュ」と発音します。
おわかりのように「月読尊」とスサノオは同一人で、「琉球王」位宮の説話が分裂して二人の神に見えたものだったのです。
「月の満ち欠けを読む」のは海の大潮・小潮を予知することで、それは「海原の神」の仕事です。
山幸彦はその力を得て海幸彦を倒しました。
その月読みの神の宮殿が「月の宮居」と呼ばれるのは少しも不自然ではありません。――


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「ツキヨミ」と「スサノオ」が同一人物だったというのは『竹内文書』の記述と同じである。
だが、「スサノオ」は2人いた。
問題は、「疫病神」として封印された鬼としての「スサノオ」が2人存在したかどうかである。

アリオンのいう「スサノオ」は明らかに「天稚彦=仲哀天皇」を指しており、鬼として封印されたとしている。
だが、加治木説では、「疫病神」「天の邪鬼」は屋久の王「アジシキタカヒコネ=垂仁天皇」の悪名だと指摘している。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は同じ血族ではないが、似たような運命を辿ったのだろうか。
「スサノオ」の人物像について結論を出す前に、神次元での「スサノオ」を見てみよう。
posted by 夢蛇鬼 at 13:36| Comment(6) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

2人の現人神「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の謎

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狗奴国王「卑弥弓呼=スサノオ」は、卑弥呼政権を倒して王となった。
だが、卑弥呼の死後、邪馬台国は男王による支配が始まり、すぐに治安が乱れてしまったと伝えられている。
この男王が狗奴国王「卑弥弓呼」である事はほぼ間違いないが、それが本当に「仲哀天皇」かと言えば疑問である。
「天稚彦=仲哀天皇」は、「下照姫=神功皇后」より早く崩御しているからである。
もし、「卑弥弓呼」と「仲哀天皇」が別人だとすれば、やはり「スサノオ」は2人いたことになる。
それは、「天稚彦」の物語の続きにヒントがある。

天稚彦のお通夜に、葦原中国から天稚彦の友人の「アジシキタカヒコネの神」が弔いにやってきた。
彼は天稚彦と瓜二つだった為、人々は天稚彦が生きていたのだと思い込み、喜んで騒いだ。
すると「アジシキタカヒコネ」は、「穢れた死人と一緒にするな!」と激怒した。
双子ではない限り、姿形が瓜二つなどという事は考えにくい。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は、あくまでも友人だという。

では、2人の共通点は何だったのか。
ここでも、言語学者の加治木氏の出番となる。
天稚彦は「ツヌガアラシト=ツルカルナイン」で、それはアレクサンドロスの仇名である。
そして、 「アジシキタカヒコネ」という名は「アレクサンドロス」の変化なのだ。

「アジシキ・高日子・根=アレキ・サン・ドロス」

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アジシキタカヒコネには、「阿遅高日子根」や「阿治志貴高日子根」など様々な当て字があるが、加治木氏の解説によれば、 「爾」は漢音で「ジ・ニ」と発音し、中国では「ラ行」にも使い、阿爾は「アジ」「アレ」と読める。
「シ」は助詞の「之」で省略。
「高」はアラビア語で「サン」と呼び、「日」と「子」も英語で「サン」で、「高日子」が1つの「サン」という発音を表している。
何故、「サン」が三重になっているのかというと、古代日本ではインド〜アーリア語の複数の言語を持つ人々が共存していた為、「枕ことば」の手法のように、複数の言葉を重ねて使用されていたことが理由らしい。

「根」はペルシア語で「ダル」といい、百人一首式の古代日本語の清音では「タル」と読み、漢字では「足」と書く。
『古事記』には「帯」を「多羅斯(タラシ・タラス)」と書かれているが、『日本書紀』では「足」の字が使われており、「帯」はマレー語で「タリ」という。
「ダル(根=ペルシア語)」「タル(足=日本語)」「タリ(帯=マレー語)」は発音が似ているだけでなく、 「根」は植物の「足」で、 「根」も「帯」も下に垂れるもので意味が共通する。

7世紀の中国の正史『隋書』の「倭国伝」に、「倭王、姓は阿毎(アメ)、字(あざな)は多利思比孤(タリシヒコ)」と記録されており、「帯・足(タリ)」が『古事記』の「多羅斯(タラシ・タラス)」と合わないのは、『古事記』の方が訛っていると指摘。
そして、足と根が同音であれば、天皇名に付いている「根子」は「ネコ」ではなく、「タリシ・タラシ」と読まなければならない。

また、沖縄では「ネ」は「ニ」、「シ」は「チ」と発音する為、「根子」の漢音は「ニチ」で、『魏志倭人伝』の伊都国の最高官「爾支(ニチ)」とも一致。
そこで、「高日子根」の根を「タリ」「タル」「タラシ」と読むと……
「アレキ・サン・タリ」「アレキ・サン・タラシ」となり、アラビア語の「ダル」で読むと「アレキサンダル」となる。

見事としか言い様がない。

『天稚彦=ツヌガアラシト=ツルカルナイン=アレクサンドロス=アジシキタカヒコネ』

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だが、全てイコールで括るのは正しくない。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は別人であり、共に「アレクサンドロス」本人ではなく、その名を語る人物だったと考えられる。
やはり「スサノオ」は2人存在したことになる。
だが、「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」、この2人は本当に別人なのだろうか。
そもそもアカデミズムでは、「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の実在性に懐疑的である。
見方によっては、同一人物として実在していた可能性も否定できない。
前に紹介した加治木説の、ドイツの竜退治神話の英雄「ジークフリート」の話を思い出して頂きたい。

「<ジークフリート>は、邪馬国の <邪>、狗奴国の <狗>、夫余国の <夫余> に人をつけた屋久島から高句麗までの王だった垂仁天皇の名乗りに合う「邪狗夫余人」を、<ジャクフリヒト> と発音したものによく合い、その妻・<クリムヒルト>も高麗国日霎人・<クリマヒルト> と書くと、高句麗の姫または女王という意味になって、その結婚は不思議ではない」

高麗国日霎人が「卑弥呼」だとすると、その夫・邪狗夫余人は「垂仁天皇=仲哀天皇」と考える事が出来る。
だが、加治木氏の結論は次の通りである。

「『記紀』の阿遅高日子根は天の稚彦(若日子)の死後、登場する。
<稚彦> は卑弥呼の夫・ソナカ王子・仲哀天皇で、卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇である。
彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒した <スサノオ>、その人なのだ」


だとすると、『天稚彦=ソナカ=仲哀天皇』『阿遅高日子根=卑弥弓呼=垂仁天皇』という事になり、2人の「スサノオ」は別人だった事になる。

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加治木氏の「言語復原史学会・大学院講義録」から、まとめを紹介したい。
――『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に、都怒我阿羅斯等<ツヌガアラシト>=角がある人=<ツルカルニン>。
蘇那曷叱智<ソナカシチ>=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇。
天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=天の稚彦が、海外からやってきたという話が編集されている。
在来はこれらは別人扱いされてきたが、すべて同一人の名乗りであることは、すでにこの講座でよく御存知である。
この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。
<姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、<彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。
天の稚彦がこれらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。
このうちの<ツルカルニン>は間違いなく<アレクサンドロス大王>の称号の一つとして、世界に知られた名乗りである。
都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。
だとすると稚彦の死後、弔問に現われた阿遅高日子根=阿爾高日子根(アレクサンドロス)の事件は、この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、史実としての真相だとわかる。
『記・紀』には欠けているが、その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、それがスサという地名から、「荒(すさ)む」という日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。
これらの名乗りが全て仲哀天皇のものだと判ると、卑弥呼の夫として、非常に貴重な発見になる。
その系譜や事跡が合うか?
相互関係を確かめてみなければならない。
簡単に要点を挙げて比較してみよう。

仲哀天皇 天日槍 卑弥呼 神宮皇后

1.日本武尊の第2子 新羅王子
2.妻 気長足姫
但馬太耳の娘・麻多烏(マタオ) 孝霊・太瓊天皇の娘 息長宿祢の娘
3.若狭の角鹿に行事
播磨・淡路・若狭に行く
巴利国が女王国首都
三韓へも行く
4.若狭から九州に移る
若狭から但馬に移る(播磨は後世の巴利国人の移動先)
(若は稚(チ)ヌ国=沖縄、狭(タンネ)・但馬(種子国(タジマ))・太瓊(タニ)は、みな種子島)

ここで一番重要なのは、但馬太耳の娘・麻多烏である。
卑弥呼は天照大神として宇治山田に祭られ、その遺跡は内山田の地名を残している。
だから<麻多>は<アサダ>ではなく<ヤ>が欠けているのだから、<ヤ>麻多=山田。八麻多=八俣。
残る<烏>=<オ>は、<オロチ>=大蛇の<オ>だったのである。
八俣大蛇とは、単なる比喩ではなく、この名から生まれた合理的な名詞だったことがこれでわかり、それを討った<スサノオ>が邪馬壹国天皇・垂仁だったことも動かなくなる――


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「仲哀天皇=スサノオ」は卑弥呼の夫だが、では「垂仁天皇=スサノオ」は一体何者なのだろうか。
少し長くなるが、続きを読んで頂きたい。

――その父・但馬太耳(タジ)と、孝霊天皇の「太瓊(タニ)」が同じものであることも「二・児」の発音に<ジ>とがあることを知っていれば簡単に理解できる。
それは<種子島>を<タジガシマ>と読む人と、沖縄発音で「タニガジマ」と呼んだ人の差である。
天皇の名乗りの最後は都の地名であることは倭の五王の名乗りで、讃は讃岐、珍は<チヌ>=淡路島の津名、興は河内、武は高市と揃っていて明らかだから、これで孝霊天皇は種子島に都していたのだと、確認できたのである。
後に天武天皇が種子島人を特別待遇し、世人も「橘(種子国人)は、己が枝々実(な)れれども、(自分の利益を追及して、どんなにひどく闘争していても、最後には結局)一つ緒に貫く。
(種子島人だけで固める)」
という戯れ歌(批判歌謡=河内音頭のような、当時の流行歌)が流行ったと『日本書紀』が書くほどに、大和政権の中枢は種子島出身者が独占していた。
それはこの孝霊天皇→卑弥呼以後も、垂仁天皇=卑弥呼の弟・稚武彦、壹與(赫夜姫・神功皇后2)、応神天皇→仁徳(讃)系天皇たち、継体天皇(応神天皇5世孫)から斉明天皇までの倭国天皇が、紆余曲折はあるが、<種子島系の豊玉姫の子孫>であることは、世人が明瞭に認めていた事実だとわかる。
そして天智天皇も天武天皇もまた、その資格には欠けていなかったことが確認できる。
天皇家が種子島出身であることは動かない事実なのである。
太耳・太瓊が同じ地名で、種子島。
播磨は卑弥呼以後に生まれた国だから巴利国のことだと決まると、若狭も福井県ではありえない。
神功皇后2=壹與が戦った相手、卑弥呼政権の籠坂王は鹿児島=薩摩王で、忍熊王は大之隈(オシクマ)王=大隅王だったのだから、若は稚(わか)で稚(チ)ヌ国=天国=ウチナ=沖縄、<狭>は<タンネ>で種子島、この間の領地を意味する。
但馬も後世に種子島人が移住したあと生まれた地名だから、日槍が行った但馬は種子島(タジマ)以外ではありえない。
天の<日槍>の<ヒホコ>は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火で、<彦>・<火子>は日向(ヒコ)、出見(イヅミ)は出水、または<ヒ>は<日向>、<ホ>は百済(ホセイ)の首=<ホ>で、豊玉(ホツマ)の豊。
大分が豊の国になる前だから、いずれにしても南九州以外ではありえない。
だから仲哀天皇・天の日槍・天の稚彦・都怒我阿羅斯等・蘇那易叱智の行動範囲は、沖縄から九州までに厳しく限定されている。
これらを本州の地名だと錯覚した解説は、全て役には立たない。
すると角鹿(チヌカ)も大隅発音、福井県の敦賀(つるが)ではなくなる。
若狭や敦賀は近畿に倭国が進出した後、新たに生まれた地名であって、とても卑弥呼以前には存在しえない地名だからである。
石器や土器の製作年代が考古学説の生命を左右するのと同じで、史学も地名や国名の年代が重大な意味をもっている。
在来のような粗雑な考えでは、正確な史実は絶対に掴めない。
では角鹿はどこが正しいのであろう?。
<角>・<ツノ>は沖縄発音<チヌ>。
若が稚(チ)で稚(チ)ヌ=天(チヌ)=ウチナ=沖縄の古名だったのと同じこと。
鹿(カ)は鹿屋(かのや)が鹿国(カのヤ)である。
「沖縄に属していた鹿国」という意味とみると、都怒我阿羅斯等は沖縄・鹿屋の現人神=天皇という意味になるから、この<ツルカールニン>を「ツヌカ、アルヒト」と読んだ読み損ないが、「<アルヒト>とは現人(アラヒト)のことで<現人神>のこと、これは<アラヒトガミ>と読むのが正しい」という解釈者がいて、「ー(ア)ルニン」が「アラヒト→阿羅斯等」という表記まで変化してしまったことも判る。
その犯人は、<ヒト>を<シト>と発音しているから、大隅人だったことも動かない。
これで仲哀天皇は本州へ行っていないことが明確になったが、その名乗りには問題がある。
『古事記』は帯中日子天皇と書くが、これは神功皇后の息長帯姫の「帯」が、当時の<韓国>を指す「帯方」だからである。
これは『日本書紀』が足仲彦天皇と書き、『日本書紀』が皇后を気長足姫と書く「足」を同じ発音の「帯」に変えただけに見えるが、天皇のほうの<足仲>は明らかに<ソナカ>への当て字で、<タラシ>と読むものではない。
皇后の<息長>も明瞭に<ソナカ>への当て字で帯姫の帯は余分なのである。
すると蘇那曷叱智は任那、都怒我阿羅斯等は意富加羅(おほから)、天日槍は新羅と、皆、朝鮮半島出身になっていることを、無視するわけにはいかない。
それは不思議でも何でもない。
朝鮮半島は、故に宝貝貨幣を供給した時代から、沖縄から九州を経て高句麗まで、1国と言っていい状態にあった。
最小限に限定しても高句麗は間違いなく<コウリー>(宝貝)の国で、漕ぐ人(コグリョ)の国。
シュメールから釆たカリエン=カルデアンの国で、<スメラギ>を首長と仰ぐ人たちの国の1部だったのである。
その高句麗が前漢の侵略を受けて漢の4郡にされ、漢が衰えた後漢末に<公孫康>が今の黄海道と京畿道とを帯方郡にして<京城>(ソウル)に役所を置いて支配した。
しかしそれ以外の各道は依然として倭国政権の支配下にあったことは変わらない。
それを倭人たちは全て<帯方>と呼んでいたから、神功皇后も「帯」を加えて息長帯姫と名乗ったのである。
ところが夫の仲哀天皇の足仲彦(ソナカ)は<ソナカ>皇子ということで、帯中日子は書紀の当て字を<足>から<帯>に変えただけのもの、ソナカ皇子と読むことさえ知らない。
書紀を真似たくないと、ただ闇雲に文字を変えただけだし、その変え方も、足仲彦を<タラシナカツヒコ>と読んで、正しい名すら知らなかったことを暴露している。
我が国の古代史上、最も重要な人物の天照大神で卑弥呼で神功皇后だった女性の夫の名さえ知らない、そんな『古事記』を、「絶対だ。本当の正史だ。神典だ」と主張した連中の、無知さ加減がよく判ると思う――


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「垂仁天皇」は卑弥呼の弟「稚武彦」である事が分かり、やはり「アマテラス」の弟も「スサノオ」だったのだ。
だが、次の説明は腑に落ちない。

「天の日槍は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火」

天の日槍(天日矛=天稚彦)は「仲哀天皇」だが、ここでは「垂仁天皇」と同一視されているのだ。
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2010年04月15日

卑弥呼(ヤマタノオロチ)を倒した狗奴国男王「卑弥弓呼」の正体

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スサノオは朝鮮系で、大陸から渡来した人物というのが定説となっている。
もっとに言えば、モンゴル系騎馬民族である。
前にも述べたが、私の仮説では、モンゴル平原を席巻していたヒッタイト系ユダヤ人のスキタイが、パミール高原を越えてインド亜大陸に移動した部族である。
長らくアリオン説を検証してきた通り、出雲族はパミール高原からインドを経由し、海路を辿って古代日本列島に上陸した部族だった。

加治木氏も「黄金の女王・卑弥呼」の中で、次のように述べている。

――こうして古代日本、ことに鹿児島へ、インドからきた人たちがあったことが確実になってくると、それはいつごろで、誰がやってきたのか、知りたくなる。
それを知る、なにか役立つ証拠か記録があるだろうか?
ある!やってきたのは、最初に見ていただいた「ソナカ」という名をもった人物である。
彼はヒメゴソの夫だった。
多くの別名をもっていたが、それは神功皇后夫妻と同じ名乗りが、言語の違いや当て字の変化で生まれたもので、すなわち、『記・紀』に仲哀天皇として記録されているその人こそ、そのインドからきた可能性のいちばん高い人物だったのである。
しかし彼がインドからきたということを知るためには、まず卑弥呼の「鬼道」をもっと考えてみなければならない――


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卑弥呼の「鬼道」が、シンドゥ教(ヒンドゥー教)の破壊神「シヴァ信仰」だったことを思い出して頂きたい。
だが、シンドゥ教の最高神は創造神「ビシュヌ」である。
そして、『古事記』の冒頭に登場する原初の神が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」である。
加治木氏の言語解釈によれば、「御中主=ミチュウヌシ」で、沖縄語では「ミはビ」に変わり、「ミチュウヌシ」が「ビチュヌシ」と発音されるという。

最後の「シ」は助詞の「……の」で、「之」と当て字すると「シ」という漢字音になり、沖縄では「チ」と発音して「津」と書き、それを古事記の速記者が「シ」と翻訳し、本体の名前と混合して「主」という漢字を当てたという。

「天御中主神=ビシュヌ之神」

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ビシュヌは、「アナンタ」という「七マタの大蛇」を連れている。
7つの頭を持つ大蛇(竜)といえば、『ヨハネの黙示録』に登場するサタン「ルシファー」の姿である。
そして、アナンタ(ルシファー)の頭にビシュヌ自身の頭の加えると「八つ頭」となる。
そう、「ヤマタノオロチ」である。

スサノオは姉のアマテラスと戦い、アマテラスは岩戸に隠れた(古墳に葬られた)。
それとは別に、加治木氏によると、「八俣大蛇」は「八俣=ヤマタ=八幡(ヤバタ)=邪馬臺」「大=ウ」「蛇=チ」=「内・宇治」で、 「卑弥呼」のことだと断言している。
ヤマタノオロチを退治したのも「スサノオ」である。
では、スサノオが卑弥呼を退治したのだろうか。

『魏志倭人伝』には、卑弥呼は、狗奴国(クナコク)の男王「卑弥弓呼(ヒミココ)」と戦争して死去したと記されている。
だとすれば、卑弥弓呼が「スサノオ」という事になる。
狗奴国の位置にも諸説あるが、肥後国菊池郡・球磨郡と考える論者も多い。
加治木もまた、熊本県球磨郡と鹿児島県境にある九七峠(クナトウゲ)を「狗奴国」だとしている。
つまり、加治木説では、「鹿児島=邪馬台国」「熊本=狗奴国」という事になる。

では、本当に狗奴国王の卑弥弓呼は、卑弥呼を殺したのだろうか。
『日本書紀』では、卑弥弓呼に当たる「天稚彦」は下照姫(卑弥呼)を娶って国を治めている。
この大きな食い違いをどう解釈すれば良いのか……。

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アリオンの預言者・北川氏の話を思い出してもらいたい。

「出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避をはかり、二部族間の同盟を申し出た」

加治木氏は次のように述べている。

「スサノオが退治したのは天照大神であったのだから『神』本人である。
とすれば、ビシュヌウ+アナンタでないと、いけないはずである。
即ち、スサノオ=狗奴国男王は、卑弥呼の宗教(祭政一致だから政府まで)を滅ぼしたということなのである」


つまり、スサノオは日向族の邪馬台国を壊滅させ、族長の娘の卑弥呼(神功皇后)を后として、「仲哀天皇」になったのだ。

『ソナカ=天日矛=天稚彦=卑弥弓呼=仲哀天皇=スサノオ』

だが、ここで新たなミステリーが浮上する事になる。
posted by 夢蛇鬼 at 15:46| Comment(0) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

角が有る人「卑弥呼」と「天稚彦」の関係

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「ツヌガアラシト」はソナカ(仲哀天皇)の別名だったが、実はそれだけではない。
まず、韓国の大統領の姓などでは、「ラ行」が「ナ行」の発音になる。
そして「シト」は「ヒト」であり、「人」を「ニン」と読む。
加治木氏によれば、「ツヌガアラシト」はペルシア語の「ツルカールニン」(Zulkarnein)だという。
しかも、ツルカールニンの意味も「角が有る人」で、それはアラビア語の「ドゥル・カルナイン」であり、「二本角が有る人」という意味らしい。

しかし、そのアラビア語も、本当は他の言葉に対する当て字だった……それは、

――あの釈迦を出した集団「ギリシア人にスキュタイと呼ばれた人々のグループ」のコトバだったのである。
それは前にもご説明したフィン・ウゴル語だ。
そのコトバでは「tulk=通訳」「kalu=物ごと・要件」「nain=女性」である。
「ツルカルナイン」とは「重要なことを通訳する女性」 、簡単にいえば「女通訳」であるが、少し違う点はふつうの通訳は「ナンでもカでも」通訳するのが仕事だから、ただ「tulk」だけで充分なのである。
それなのになぜ、こんなにゴテゴテとコトバを並べたのだろう?
それは、当時のその地域の王たちが残した粘土板の文書を見れば分かる。
そんな「名乗り」は王や貴族たちが好んでつけた「称号」なのだ。
だからその「物ごと・要件」といったコトバは、人間が話すコトバではない。
それは「神のコトバ」なのである。
それを人間に分かるように、「通訳」する「女性」。
それが「ツルカルナイン」の本当の意味だったのだ――


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「ツルカルナイン」がスキタイの言葉だったという事は、やはり騎馬民族はインド経由で日本に渡来した可能性が強い。
また、「アレクサンドロスはスキタイの王だった」という仮説を発表したが、アレクサンドロスも「双角王」の異名を持っている。
話が変わるが、ソナカには「天日矛」という別名がある事を前項で紹介したが、『日本書紀』に「天日矛」と人物像が重なる人物が登場する。

その名は「天稚彦(アメノワカヒコ)」。
両者の名を比較すると、まず「天」は同じで、「矛」は「ヒコ」と読むことが出来るので「彦」と同じ。
そして、「稚=チ」は沖縄から本土に変わると「シ」と発音し、鹿児島では「日=シ」である為、 「天稚彦」は沖縄語での当て字で、「天日矛」は鹿児島語での当て字だと、加治木氏は説明している。

『ツヌガアラシト=仲哀天皇=ソナカ=天日矛=天稚彦』

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では、『日本書紀』の記述を簡潔に見てみよう。

――天照大神の孫のニニギを、葦原の中国の王にしたいと思った母方の祖父タカミムスビが、そこに将軍を次々と派遣するが、誰一人として帰ってこない。
そこで「天稚彦」が派遣されたが、「下照姫」の婿になって帰って来ない。
タカミムスビは偵察にキジを送り込み、キジが木の上から様子を見ているところをアメノサグメが発見し、「天稚彦」に知らせた。
「天稚彦」はキジの胸を矢で射抜き、その矢はタカミムスビの所まで飛んで行った。
その矢は、タカミムスビが「天稚彦」に与えたものだった為、「天稚彦は戦っている」と思い、投げ返してやった。
すると、その矢が「天稚彦」の胸に命中して死んでしまった。
妻の「下照姫」は、天にも届くほどの大声で泣き叫んだ――


ここで登場する「天照大神」はニニギの祖母であり、卑弥呼のことではない。
前にも述べたが、「下照姫」が卑弥呼である。
その証拠は、全国の主要な神社の神名が記された『延喜式』の中にある。

「下照比売(シモテルヒメ)は比売許曽(ヒメゴソ)の神」

「ヒメゴソ」が卑弥呼と同一人物であることは既に述べたので、ここでは繰り返さない。
この物語で確認できたことは、「下照姫(卑弥呼)の夫が天稚彦」で「天稚彦は天日矛(仲哀天皇)」だったという事である。
そしてこの話は、邪馬台国を滅ぼした「狗奴国王」の話と酷似しているが、果たして……。
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2010年04月12日

2人の「スサノオ」の謎

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『記紀』によれば、イザナギとイザナミの間に生まれたのが「アマテラス」「ツキヨミ」「スサノオ」で、弟のスサノオの乱暴が原因で、姉のアマテラスが岩戸に隠れてしまい、下界に追放されたスサノオがヤマタノオロチを退治した。
勿論、このストーリーの原型は神界での出来事(神話)だが、それが人間界に投影されて同様の出来事が起こり、古代日本の史実が重ね合わされている。

これを史実として検証する時、日向族のイザナギとイザナミの子「アマテラス」の弟に「スサノオ」という人物が存在したことになる。
ところが現実は、スサノオは出雲族であり、アマテラスの夫であった。
この根本的な相違はどうしたものか……。

アマテラス(卑弥呼)は、弟のスサノオと婚姻したのだろうか。
古事記の記録によれば、天皇家の婚姻45件中の22件が三親等以内の近親結婚で、その内11件は兄妹・姉弟の結婚だという……。

『日月神示』には次のように記されている。

「天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地の天照大神様、
天照皇大神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、
素戔嗚の大神様も篤く祀りて呉れよ」

「天にも天照皇大神様、天照大神様あるように、
地にも、天照皇大神様、天照大神様あるのざぞ。
地にも月読の大神様隠れて御座るのぞ」

「地にも天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ」


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どうやら「天照大神」と「天照皇大神」は別物で、更にそれぞれが天と地(陰と陽)に2柱あり、スサノオにも「須佐鳴」と「素戔嗚」の2柱存在しているようだ。
既に述べてきた通り「アマテラス」や「スサノオ」が個人名ではなく肩書きだとすると、これらの神名は代々継承されてきた可能性が高い。
だとすれば、「スサノオ」と呼ばれる人物が無数に存在しても不思議ではない。

更に、血統関係なく、「スサノオ」の分霊を受肉した現人神や、「スサノオ」を守護神に持つ人も「スサノオ」と呼べるだろう。
近代に於いては「出口王仁三郎」がそうであるし、現代でも「スサノオ」と呼ぶべき人物が多数存在するかも知れない。

また、陰陽2種類存在すれば、同じ時代に同じ神名を名乗る人物が複数出現してもおかしくはない。
つまり、アマテラスの弟も夫も「スサノオ」と呼ばれる人物だった可能性が高い。
少なくとも、アマテラス(卑弥呼)の弟が夫になった訳ではないようだ。

アリオンによると、アマテラス(卑弥呼)には義弟がいたことになっているが、それが「アマテラスの弟のスサノオ」だとすると、話が複雑極まりない。

だが、アマテラスは「卑弥呼」だけではない。
二代目・卑弥呼である「壹与」も「アマテラス」であり、ニニギに天孫降臨を命じたニニギの祖母も「アマテラス」である。
彼女らの弟に「スサノオ」と呼ばれる人物が存在した可能性も否めない。

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鹿児島神宮の古文書『正八幡の縁起』を思い出してほしい。
陳大王の姫のオオヒルメ(大比留女)が7歳で処女懐妊し、八幡王子を出産した。
王たちはこの幼い母子を船に乗せ、祈りながら海に送り出し、鹿児島の大隅に漂着した。
このオオヒルメが「卑弥呼」である事は間違いないが、処女懐妊はともかく、子の名が「八幡」というのは神功皇后と一致している。

また「八幡」が、海に流された「ヒルコ」の物語と一致し、事実、鹿児島神宮の主祭神は「ヒルコノミコト」となっている。
既に見てきた通り、陳大王の「陳(チン)」は沖縄語の「天(チン)」であり、 「チン大王=チンカ=仲哀天皇=スサノオ」である可能性は極めて高い。

また、八幡の「八」は「出雲族」及び「スサノオ」を象徴する数字で、スサノオ(仲哀天皇)とアマテラス(卑弥呼)の間に生まれた八幡も「スサノオ」と呼ばれた可能性もある。
海に流されたヒルコ(八幡)は、高天原から追放された「スサノオ」と似ている。

また、アマテラスとツキヨミが天上に送られたのに対して、スサノオは「大海原」を統治するよう命じられ、どことなく「八幡」と共通する。
『記紀』 では、イザナギの子のオオヒルメ(アマテラス)が弟のスサノオと一緒に流され、その後、弟のスサノオと戦って、天の岩戸に隠れている。

この話を重ね合わせると、「陳大王=イザナギ」「八幡=スサノオ」という事になる。
そして、「八=ハチ=ハティ=ヒッタイト」「幡=ハタ=ハティ=ヒッタイト」で、「八幡=鍛冶の祖・ヒッタイト=鍛冶神スサノオ」という解釈も出来るのだが……。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で、次のように述べている。

――あらゆる角度から「八幡」の語源を検討して、一致点のないものを消去していくと、あとに残るのはインド・サンスクリット語の「ヤヴァーナ」だけになる。
これは「ギリシャ人」という意味である。
しかしまだこれでも、三世紀の日本にギリシャ人がいたとは信じられない人のために、『魏志東夷伝』に記録されている、高句麗よりさらに東北にあって大海(日本海)に面した国「悒婁=ユーロー」をご紹介しよう。
そこは今のロシア沿海州なので「劇寒」なのに、夏は裸、冬はイノシンの脂を体に塗って、毛皮を着る、と書いてある。
この国名でわかるとおり彼らは「ユーロピアン」であり、裸が日常だったのは、土器に描かれた風俗で証明されるギリシャ人独特のスタイルなのである。
そして当時「ユーローパ」と呼ばれた地域は、地中海東岸にあったフェニキアから見て西の海の彼方の国のことだったのである――


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超能力者・発明家として有名だった、故・政木和三工学博士は著書『驚異の超科学が実証された』(廣済堂)の中で、八幡大菩薩から受けた啓示を公表しているので紹介したい。

――「われは、八幡大菩薩である。
汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、
汝の寿命を延ばし、汝に大いなる力を授く。
汝の守護神となる。
汝につくまでは、神功皇后の子供の守護神であった」
その最初の10分間はインドの言語でしたが、
そのあとは日本語に変わっていきました。
そのときは陰徳の意味がわかりませんでしたが、
かずかずの発明をしておきながら、自分には一円の収入もなく、
多くの人々に喜びを与えたことを示すものであったことを、
のちに知らされたのです――


神功皇后の子供(八幡)の守護神の名が「八幡大菩薩」だったという。
その啓示の最初の10分間はインドの言語だったという事だが、加治木氏が「八幡」の語源がサンスクリット語の「ヤヴァーナ」だとしている点は興味深い。
「八幡」の守護神だった「八幡大菩薩」は、「八幡」の祖霊のインド人だったと考えて良いだろう。
一般的に「われ、○○の神なり」と主張する霊は低級霊だと言われているが、この場合はそうではないと思われる。

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『日月神示』には次のように示されている。

「高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、
インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、
たとえ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう」

「われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、
大言壮語する人民はマユツバもの」

「霊覚者や行者には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、
一般の人民はそれにだまさかされることがよくあるぞ、
何れも、下級霊のしわざであるぞ、正神に奇跡はない、
奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは滅びる。
高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか」


サニワ(審神者)とは、神霊の次元や性質を審査する人の事だが、政木氏はフーチパターンという、磁石の振り子で人間性(人間に付着している生命体)を測定する器具を発明している。

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また、政木氏が起こした数々の超常現象に対して、政木氏は次のような啓示を受けている。

――真珠が出ようと、仏像が出ようと、
一般の人々には、何の幸せも与えない。
汝があまりにも、人間性が低いが故に、
神仏の世界のたわごとを汝に示しただけである。
無から有、同じである、汝は発明によって
多くの人々に幸福を与えることになる――


次のようなエピソードも紹介されている。

――私の初孫は、私が七一歳のときにできました。遅い孫です。
その孫がようやくしゃべりだしたときの言葉は、なんと
「私はスサノオノ、ミコトである」でした。
それから数日後に、出雲大社から電話をいただきました。
「奥の扉を開いて久しぶりに大国主様の像を拝みました。
政木先生のお顔そっくりです。
大国主様のお父様は、スサノオノ、ミコトです」と。
孫のいった言葉と思い合わせて、びっくりしました。
昭和六二年(一九八七年)二月に空中から発生した大黒像の顔が、
私の顔とよく似ていたのですが、その大黒様が、
出雲大社にある大国主命の像と同じだということなのです。
私の孫は、前世では私の父であるのです。
三歳の頃から、空を指差して「UFOがいる」とよくいっていました。
また「何々の神が来た」ともいっておりました――


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但し、政木氏が実際に「大国主命」の生まれ変わりで、政木氏の孫が「スサノオ」の生まれ変わりかと言えばそうではなく、転生という現象は一般通念とは大きく異なる。
転生の謎については別の機会に発表する予定だが、 「スサノオ」と呼ばれる魂の分霊が政木氏の孫に神憑ったのだとしたら、政木氏の孫も「スサノオ」と呼ぶべき人物であることになる。

さて、重要なことは、アリオンのいう「スサノオ」の正体を解き明かす事である。
では、再び古代にタイムスリップしよう。
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2010年04月10日

卑弥呼の夫「スサノオ」の謎

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卑弥呼は生涯独身だったとされている。
だが、皇后が天皇の妻である以上、神功皇后(卑弥呼)にも夫である「仲哀天皇」がいた。
では、「仲哀天皇」とは何者なのだろうか。
仲哀天皇は第14代天皇で、ヤマトタケルの実子だとされているが、アカデミズムではその実在性が疑われている。
だが、「第14代」及び「ヤマトタケルの実子」かどうかはともかく、「仲哀天皇」の存在は否定できない。

まず、卑弥呼の別称の一つに「ヒメゴゾ」という名前があることは既に述べたが、『日本書紀』の「垂仁天皇紀」によれば、崇神天皇の時代、意富加羅(オホカラ)国の王子がヒメゴゾを追って、舟で海を渡って出雲を経由して日本にやってきた。
王子の名は「ツヌガアラシト」といい、額に角を持つ牛飼いだったという。

『古事記』の「応神天皇記」にも同様の物語があり、「天日矛(アメノヒホコ)」という人物がツヌガアラシトに当たる。
「ツヌ」は沖縄語の「角」 、「アラシト」は「有る人」の訛りであり、ツヌガアラシトは「角が有る人」という意味である。
ツヌガアラシトは「都怒我阿羅斯等」と当て字されているが、沖縄語では「ツ」を「チ」と発音することが多く、古語では「我」は清音で「カ」と発音されていた。

加治木氏によれば、「都怒我」は沖縄語で「チヌカ」であり、耳で聞くと「チンカ」と聞こえ、沖縄の人に「チンカ」を漢字で書いてもらうと「天下」になるという。
また、「日」は「カ」の発音も持っており、「都怒我」「天日」ともに「チヌカ」と読める。
「矛(ホコ)」は、加治木によると「シト(ヒト)」の変化だという。

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仲哀天皇の名は、『日本書紀』では「足仲彦天皇」と書き、「タラシ・ナカツ・ヒコ」と読むように教えられている。
一方、『古事記』で神功皇后の名は「息長帯比売命」で、「オキナガ・タラシ・ヒメ」と読まれている。
しかし、「足仲」を「ソクナカ」と読めば、「息長」もまた「ソクナカ」と読める。
また、「足」「息」は「ソ」に対する当て字である可能性もあり、沖縄語の場合は「ス」に対する当て字となる。
だとすれば、「足仲」「息長」は「ソナカ」又は「スナカ」という事になるが、ツヌガアラシトの別名が「蘇那曷叱智(ソナカシチ)」なのだ。

また、仲哀天皇は『古事記』では「帯中日子天皇」と記され、神功皇后は『日本書紀』では「気長足姫尊」と記されている。
「帯中」を「タイナカ」と読めば、鹿児島語で「ティナカ」と発音し、沖縄語では「チンカ」と発音する。
また、沖縄では「気」を「チ」と発音し、 「気長」は「チナカ」となり、「チヌカ=都怒我」「チンカ=天日」の当て字だったことが分かる。

つまり、「帯中日子」は「チンカヒコ」で、ヒコを「日木」と書けば沖縄語で「シチ」とも読める。
ソナカシチの「シチ」である。
また、ヒコを「火木」や「火子」と書けば「ホコ」と読める。
これで、「ツヌガアラシト」と「天日矛」が同一人物であることが立証され、それは「仲哀天皇」のことだったのだ。

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では、本当の読み方は……

――都怒我阿羅し等という文字は、「完全な沖縄語の名であるスナカシチ蘇那か叱智」という名をスをツとなまって、沖縄語と鹿児島語の発音を「ゴチャまぜ」にして写したものである。
この逆のことは起こらないから、これでスナカシチのほうが先だったことがはっきり分かる。
本名は「蘇那か叱智」だったのである――

(黄金の女王・卑弥呼)

出雲経由で渡来した角が有る人は、牛頭天皇「スサノオ」を指していることも間違いない。

「仲哀天皇=スナカシチ=スサノオ」
「神功皇后=卑弥呼=アマテラス」


アリオンの預言者・北川氏は、次のように述べている。
「出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避をはかり、二部族間の同盟を申し出た」
(アーリオーン・メッセージ)

つまり、 「スサノオ」はアマテラス(卑弥呼)の夫だったのである。
だが、『記紀』では、「スサノオ」は「アマテラス」の弟という設定になっている。
これは一体どうい事なのか……。
posted by 夢蛇鬼 at 02:37| Comment(3) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

『記紀』の矛盾と『古史古伝』の謎

続いて、日本神話の矛盾について理解しておく必要がある。
『古事記』と『日本書紀』はどちらも同じ日本神話でありながら、神名が違ったり、兄弟の関係が逆転したり、時には兄弟が親子関係になったり、ストーリーそのものが異なっていたりして、残念ながら『記紀』に史実を求めることは出来ない。

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その理由や原因について諸説あるが、加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で、最もストレートな答えを出している。

――卑弥呼が実在したのは三世紀。
『日本書紀』と『古事記』が編集されたのは八世紀。
五世紀もたっているから、そのあいだに、次第に今の日本語に近くなっていったことを考えなければならない。
古代の記録は、紙でなく木や竹を削った「木簡竹簡」に書かれていた。
それでも五百年ものあいだには虫やカビに痛められて、書き換えたり、書き写したりして保存されたのである。
だから年月がたつにつれて、なんと読むのか、なんと発音するのか、何のことか、まるで分からないものが次第に増えていった。
『日本書紀』の中の「欽明天皇紀」には「古代の記録には、読めない文字がたくさんあって、兄弟の順番さえ、どれが正しいか分からない。
この『日本書紀』には、とりあえずいい加減に書いておくから、後世の人はよく研究して訂正してほしい」という「割り注=但書・マニュアル」がわざわざ書き加えてあるほどなのだ――


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また、『古事記』についても、加治木氏はこう指摘する。

――……それは彼にも本当のことが分からなかったからである。
その筆者は『古事記』の序文を書いた「太安萬呂」だとされているが、その序文にはこう書いてある。
「稗田阿礼が暗唱する古いお話を細かく拾い集めて編集しましたが、昔の言葉は素朴で、それを文章にするのに苦労しました。
そのまま書いても何のことか分からないでしょうし、そうかといって詳しく説明していては、長ったらしくて読みづらいでしょう。
だから便宜上、重箱読みも使うし、「音」だけを万葉ガナで書くこともしたのです」
今、私たちが疑問に思ったことを全部説明している。
彼はヒエダのアレが暗記していた話を、同時通訳して、それを元に『古事記』を編集しただけだったのだ。
だから「アレ」の言葉がなにを意味するか、分からないまま「音」に当て字したものも多かったのである――


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『記紀』は、時の権力者(征服者)によって史実を改竄された書物だと主張する学者が多いが、全くデタラメな作り話という訳ではない。
間違っている部分や、意図的に真実が隠されている部分があったにしても、一応は正史だと言えるだろう。
また、『記紀』が編纂される以前の時代、日本の原住民(被征服者)によって書き残されたと考えられる『古史古伝』は、『記紀』と著しく内容が異なる為、偽書として黙殺されているが、この『古史古伝』にこそ真実の日本史が伝えられているとも言われている。

しかし、これにも多くの矛盾があり、『記紀』同様、絶対視する訳にはいかない。
そこで注目されているのが「神社伝承学」である。
これは全国の神社の由来を調べ、それを基に古代史を復元させると、『記紀』とは必ずしも一致しないストーリーが出来上がるというものである。
これは大いに参考にする価値はあるが、現在発表されている「神社伝承学」による古代史が、絶対的に正しい記録とは断言できない。
神仙組では、『日月神示』や「アリオン」が伝える古代史をベースに、『記紀』『古史古伝』、そして「神社伝承学」などを比較しながら検証し、封殺されてきた史実の解明に挑戦していきたい。
posted by 夢蛇鬼 at 00:23| Comment(2) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

「多次元同時存在の法則」と「一神則多神則汎神の原理」

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2人のスサノオについて推理する前に、「多次元同時存在の法則」について述べておかなければならない。
一説によると、「天照大神」の正式名は「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」という男神で、以下のの4つに分割できる。
「天照国照彦(アマテルクニテルヒコ)」
「天火明(アメノホアカリ)」
「櫛甕玉(クシミカタマ)」
「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」

これらの神名は日本神話に登場し、神社でも祀られているが、「多次元同時存在の法則」では、それらは同一神「天照大神」だという。

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「多次元同時存在の法則」は、次のように定義されている。
@神に適用されるものであり、原則として実在の人間には適用できない
A神の世界は時間と空間を超越する
B神は分身を創ることがある
C神の分身は別名で表現される
D同じ名前の神は同一神である

「櫛甕玉」は「大物主櫛甕玉命」であり、「大物主命(オオモノヌシノミコト)」には「大国主命(オオクニヌシノミコト)」という別名があり、更に「大国主命」の別名の1つに「八千矛神(ヤチホコノカミ)」がある。
神社伝承学では「大物主命」と「大国主命」は別の神だが、「多次元同時存在の法則」を適応すると同一神となる。
そして「八千矛神」の「八」は、「八岐大蛇」「八雲神社」「八坂神社」「八重垣神社」というように、「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を意味する暗号である。

『饒速日命=櫛甕玉=大物主命=大国主命=八千矛神=素戔嗚尊』

神話では「饒速日命」は「素戔嗚尊」の父だが、この法則下では「饒速日命=素戔嗚尊」となり、更に「饒速日命」は「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」の一部であり、男神「天照大神」となる。
ということは、「天照大神=饒速日命=素戔嗚尊」となり、神話では姉弟の「天照大神」と「素戔嗚尊」が同一神となる。
しかし、これも1つの通過点に過ぎず、八百万の神々は全て「天照大神」の分身となる。

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「これが実情なのだ。われわれは神話と史実を完全に分けて考えなければならない。
神話でどうなっていようとも、関係ない。
史実を見極めるためには、そこまで徹底して考える必要がある」

(「失われたイスラエル10支族・神武天皇の謎」飛鳥昭雄・三神たける/学研)

「祭神の御霊を次々と分裂させていくやり方を『御霊分け』という。
同じ祭神を無数に増やすことのできる御霊分けは、どこの神社でも同じ御霊が存在するという仕組みであり、化身と併用することで、日本は『八百万の神々』を次々と産み出していったのである……
この法則を一気に進めれば八百万の神々はすべて名を変えた天照大神の分身……
日本という国は、表の顔が多神教、裏の顔が一神教という形で陰陽を成し、裏は神として表されている」

(「竹内文書と月の先住宇宙人」飛鳥昭雄/徳間書店)

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この「多次元同時存在」は「一神則多神則汎神」ともいう。
つまり、神は1つだが、1つの神が無数の分身を作り、無数の分身から更に無数の分身を生んで、万物にその御魂が宿るという概念である。
それは究極的に、「一神教=多神教=汎神論(アニミズム)」ということになる。

神名とは、地球創世の神々の働き(各種の宇宙エネルギー)に付けられた名称だが、日本神話の厄介な部分は、それがいつしか人類史に繋がり、実在した人物に「天照大神」や「素戔嗚尊」などの神名が付けられ、更に同名の人物が複数存在することである。

忘れてはならないのは、「多次元同時存在の法則は人間には適応できない」という定義である。
飛鳥氏が言う通り、「神話と史実を完全に分けて考えなければならない」のだが、飛鳥氏は、「現人神は『神』として、多次元同時存在の法則が適応できる」としている。

だが、現人神はあくまでも「人間」であって、神霊ではない。
従って、現人神を「多次元同時存在の法則」で「=」とするのは、根本的な間違いである。
飛鳥説では、「スサノオ=ニギハヤヒ」で親子も同一人物となり、「スサノオ=アマテラス」のように夫婦も同一人物になってしまう。
例えば、スサノオが複数の別名を持つように、異名同人というケースはあっても、複数の別人が同一人物ということは人間界では有り得ない。

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例えば、定義BDを人間(現人神)に適応させると……
「人間は分身(子供)を創ることがある」
「同じ名前の人間は同一人物である」となるが、親子は同一人物ではない。
また、山田姓の家系は全員同一人物ではないし、太郎という名前の人物が全国に何人いても別人である。

「神功皇后」にしても、「卑弥呼」と「壱与」という2人の人物である事も見てきた通りだ。
「天照大神」に至っては、「卑弥呼」と「壱与」、そして天孫降臨を命じた「天照大神」の、3人の「天照大神」が存在する。
また、「イエス」も天照大神とされる人物なので、少なくとも4人の「天照大神」が存在することになる。
また、天孫降臨を命じられた「ニギハヤヒ」の子孫の「スサノオ」から、再び「ニギハヤヒ」と呼ばれる人物が誕生しているが、当然ながら同一人物ではない。
また、神霊界に於ける神と言えども、日月神示には「同じ名の神二つある」と記されている。

神の名を持つ古代人は、その名の神の受肉(現人神)である事を意味する。
神の受肉(現人神)という観点から見ると、例えばイエスが「ヤハウェ」を名乗ったように、「アマテラス」や「スサノオ」という人物がいてもおかしくはなく、それが何人も存在したという事なのだ。
或いは、肩書きを個人名だと誤解されてきた例も少なくないことを、加治木氏は指摘している。

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『イザナキ・イザナミの二人は名前の最後のキとミが違っていた。
イザナというのは伊是名と書く島の名だった。
だからこの場合は二人の人間と「島」が同じ名をもっている。
この「キとミ」は何だったのか、思い出してみてほしい。
それは「王様と皇后」のことだった。
だとすれば、この島の「王様と皇后」は、次の代になっても、その次の代になっても、いつもくりかえし「イザナキ・イザナミ」と呼ばれるのである。
それはなんのことはない。
いまなら「アメリカ大統領」などという「肩書き」と同じものだったのである。
これは「個人の名前ではない」のである。
だから、次々に代々「同じ肩書き」で呼ばれた。
それを「個人名」だと錯覚して、ひとまとめにしたら、次々にあとを継いだ大勢の王様さちの出来事が全部、一人の王様のときに起こった事件にみえることになる』

(黄金の女王・卑弥呼)

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話を戻すが、まず人間次元に於いて、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命=天照大神」とするのは的確ではない。
一説では、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」は「饒速日命(ニギハヤヒ)」の正式名だと言われているが、これは4つの神名の合体名であり、少なくともアリオン説では、「アマテラス(卑弥呼)」と「ニギハヤヒ(スサノオの第五子)」は別人である。
当然、天孫降臨を命じた「アマテラス」と、命じられた「ニギハヤヒ」も別人である。

要は、「多次元同時存在の法則」で古代史の全貌は解明できないという事である。
但し、人間界に於ける「多次元同時存在の法則」を全否定している訳ではなく、異名同人で「=」として用いることが出来るケースがある事を踏まえた上で、封印された古代史の謎解きに挑戦したいと思う。
では次に、『記紀』の矛盾について見てみることにしよう。
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2010年04月07日

邪馬台国と倭国連邦の謎

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卑弥呼が金髪で碧眼だった可能性があるという説を紹介したが、『学研ムー(2008年3月号)』 に、FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルによる「卑弥呼」の透視結果が載っていたので紹介しよう。
それによると、卑弥呼は南方系の特徴をもった顔立ちだが、皮膚の色はアイボリーで、目の色はスティールグレーだったという。
そして、ストレートの黒髪は腰まであったが、頭の上に高く巻き上げて黄金の「かんざし」で止められていた。
つまり、黒髪ではあったが、色白で、日本人には見られない瞳の色をしていた事は確かなようだ。

さて、「邪馬台国の女王」という卑弥呼の肩書きについて、加治木氏は 『黄金の女王・卑弥呼』 の中で、次のように指摘している。

――『魏志倭人伝』には、「その国はもと男王が治めていたが、それが七〜八十年間続いたあと、国が乱れて戦いが何年も続いたので、一人の女子を共立して王にした。
それに名付けて卑弥呼という」と書いてある。
これで先ず確認しておく必要があるのは「卑弥呼」という名詞である。
それは彼女自身の名だったのだろうか?
彼女の名が最初から卑弥呼だったのなら、「一女子を」と書かずに「卑弥呼を」と書くのが漢文の文法である。
だからこの名は共立されてから「名付けられた」、とはっきりことわっているのである。
それは個人名ではなく、職業上の呼び名だったのだ。
この部分の記事で、次に分かることは彼女が「共立された」ということである。
これは何をいっているのか。
彼女がもと男の王様が治めていた「一つの国」の王に選ばれたのなら、「共立」などと書かれない。
「代わって」一女子が次の王になった、という書き方をする。
「代がかわった」と表現するのだ。
そうでなくて「共立」とわざわざ書いてあるのは、彼女は「倭国連邦全体の女王」として、「それらの国々の王たちによって、共立された」ということなのである。
だから彼女は、そのときはじめて女王になった。
自分の国ではそれ以前から皇后の地位にいたかどうか不明だ――


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――『日本書紀』の神功皇后の話を読むと、このへんの事情がよく分かる。
皇后の夫・仲哀天皇は、クマソ(熊襲)と戦争して死ぬ。
そこで皇后が永く政務をとる。
これを『魏志倭人伝』の卑弥呼の記事と比べてみよう。
「其の国、本または男子を以て王となし」。
これは仲哀天皇でも同じことだ。男王の国だったのである。
ところが次の「住、七八十年」。
これを誤解すると、彼女の前の王が一人で七〜八十年も国を治めていたと思い込んでしまう。
この「其の国」は「倭国であって、邪馬臺国ではない」ということがこれまで、いい加減にされてきた。
そしてボンヤリしてか、うっかりしてだが、「平気で」『邪馬台国の女王・卑弥呼』などといってきたのである。
だが、ここが非常に重大な注意点なのである。
この部分の文章は「倭国連邦」の事件を書いたものであって、邪馬臺国や邪馬壱国のことを書いたものではない。
「倭国乱れ…一女子を共立」したとはっきり書いてあるのである。
また「七八十年…」というのも「その連邦全体の皇帝または大統領は代々、七〜八十年間は男ばかりだったが…」という意味なのだから、そう正解に訳す必要がある。
それでこそはじめて「一人の女性を、各共和国の大統領たちが連邦の女王として選出し、その『新しい称号として卑弥呼という名を』決定した」ということだと理解できるのである。
だから「卑弥呼」というのは「アメリカ合衆国・大統領」と全く同じ「連邦代表」を意味する『肩書き』である――


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――卑弥呼が君臨していたのが邪馬臺(ダイ)国一ヵ国だけなら、邪馬臺国と女王国は等しいが、伊都国の説明のところに「女王に属す」と書いてある。
これは「別の国だが女王国の仲間だ」か、「女王国に従っている」という意味である。
これと、二十一ヵ国の国々の名を挙げた後に「此女王境界所尽(ここが女王国の境界だ)」とあるのをみると、明らかに邪馬臺国以外の国が女王の支配下にあり、邪馬臺国は一ヵ国だが、女王国は複数の国を総称した「連邦」を呼ぶ代名詞であることが分かる――


その事について、マクモニーグルは次のように透視している。

――あるとき、北方の部族の代表である10の部族の使いが、卑弥呼のもとを訪れた。
彼女はその部族の代表たちに、「もし、北方における最有力の3部族が、意見の相違を平和に解決できなければ、地上には暗闇が覆い被さり、多くの者が死ぬ」と予言した。
「魏志倭人伝」に出てくる、倭国大乱の時代である。
この予言を聞いた北方の10部族は、卑弥呼を連れ帰り、彼らのリーダーとして部族連合を統治させることにしたのだ――


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マクモニーグルによれば、卑弥呼の出身部族は九州と本州南部、そして朝鮮半島南部まで領有する海の民で、朝鮮半島から進んだ稲作技術をもたらしたらしい。
そして、卑弥呼の先祖を8〜9世代遡ると沖縄で、更に遡ると、南中国か東南アジア辺りに行き着くという。

具体的には、次のように示されている。
・日本の長門=西暦125年
・日本の福岡=西暦65年
・日本の沖縄=紀元前65年
・台湾の台北=紀元前205年
・中国のマカオ=紀元前265年
・ベトナムのハイフォン=紀元前325年
・ベトナムのハノイ=紀元前385年
・中国の昆明=紀元前475年
・中国での部族成立=紀元前805年

卑弥呼の部族は、確かに沖縄を出身地としているようだ。
だが、マクモニーグルの透視が事実であれば、アリオンのいう「紀元前3〜2世紀にパミール高原から出発した日向族」とは異なることになる。
まず、「稲作」について、加治木氏は『日本人のルーツ』の中で、次のように述べている。

――水稲稲作がやってきたコースは、弥生人の正体が自然に教えてくれることになった。
これまでの水稲渡来コースは、中国江南から朝鮮南部そして北九州というのが、ほぼ一致した有力な説であった。
中間に朝鮮がはさまるのは、中国と陸続きであり、日本より中国に近いためで、水稲は次第に分布を広げてきて日本に至ったという先入観に支配された考え方である。
そしてその手がかりとして、江南人の血液型が日本人に近いこと、江南の米や文化が日本のものに近いことなどが挙げられてきた。
だがカレン人の歴史を見ると、逆に朝鮮から江南に行って、さらにビルマヘ入っている。
これは実は中国の正史にもちゃんと記録されている有名な史実なのである。
前漢を乗っ盗って「新」という国を立てた王莽(おうもう)は、高句麗を討ってその農民を江南へ強制移住させている。
農民は当然種子も技術ももっていく。
いま江南に朝鮮、日本と同じ米があり、同じ血液型があるのは当たり前である。
いまあるから動かぬ証拠だというのは、余りにも無思慮であると思う。
それよりも宝貝漁師たちは自給自足が必要だった事実の方が重要である。
彼らは米をもって来て、行く先々に植えたのである――


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また、台湾・沖縄を中心に栄えていたのは「カリエン人」だったが、加治木氏はこう述べている。

――「貝人」は、今の宝貝のインドや英語の名である「カウリー」「コウリー」と同じ系統の発音で、「カウリー・高離人・カリエン・カレン・高麗」などと呼ばれてきた。
韓国・北朝をコーリアという語源である。
……ビルマのカレン人がこの一族であり、その語り部がタイ国に現存していると教えられ、それと会うために政治家の江田五月氏や毎日、朝日両新聞の特派記者らとタイの奥地まで調査にいった。
……その結果分かったことは、このカリエン人たちは、前期バビロンの崩壊とともに四方へ散った国民のうち、東へ逃げた難民集団の子孫で、南インド経由で沖縄から日本列島と朝鮮半島へ広がったということである。
……彼らが縄文時代から日本列島にいた人々で、その後に入ってきた倭人とは区別する必要がある。
しかしそれを前期倭人とみるならば、その勢力範囲は、日本から江南、そしてミャンマーまでの、広大な地域にまたがることになる――


恐らく、マクモニーグルは、カリエン人が卑弥呼の出身部族だと勘違いしたのだろう。
沖縄の女性が髪を巻いてカンザシで止めるのは、カリエン人の風習でもある。

更に、加治木氏は次のように説明してくれている。
「『魏志倭人伝』にある「入れ墨」風俗はカリエン人のものである。
それは私がタイ国その他、至るところで見てきたその人たちの特徴だから、間違いなくヒミコは彼らの女王だ」


しかし加治木氏は、「卑弥呼はカリエン人と共存共栄を図っていたものの、卑弥呼自身はカリエン人ではない」と結論付けている。

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次に、マクモニーグルは、卑弥呼の部族が沖縄から福岡に上陸したと透視しており、「邪馬台国=北九州説」や「アリオンの北川説」と一致するが、加治木氏の「鹿児島県隼人町説」と異なる。
だが、これは単純に地理的な問題で、朝鮮半島から上陸した人々は福岡に上陸し、沖縄から上陸した人々が鹿児島に上陸したと考えられ、卑弥呼はその後者だった可能性が高い。
また、鹿児島神宮に伝わる『正八幡の縁起』では、鹿児島に流れ着いたオオヒルメ(卑弥呼)は、筑前(福岡県)の若椙山に移って、「香椎聖母大明神」と崇められたとされている。
やはり、オオヒルメの処女懐妊伝説は、「聖母マリア」がモデルになっているようだ。
尚、卑弥呼の部族が熊襲を併合したというよりは、カエリン人を併合して「熊襲」と呼ばれる部族になった、と考えるのが適切かも知れない。

さて、ここで大きな問題が控えている。
『魏志倭人伝』では卑弥呼は独身だったとされ、マクモニーグルの透視でも卑弥呼は独身だという。
しかし、アリオンによれば、日向族のアマテラス(卑弥呼)は出雲族のスサノオと婚姻したとされている。
事実、神功皇后(卑弥呼)には仲哀天皇という夫が存在した。
「仲哀天皇=スサノオ」なのだろうか。
しかし、天照大神には「スサノオ」という名の弟がいた。
その謎解きは、非常に重要なことのように思えて仕方がない。
posted by 夢蛇鬼 at 02:28| Comment(2) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

「日向国=邪馬台国」建国の謎

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アリオンによると、大陸から渡来した日向族は、日本列島の原住民を併合し、九州に強大な国家を建設した。
これについて多くの人は、「日向族=騎馬民族」「原住民国家=邪馬台国」と認識するだろうが、これは見当違いのようだ。
真相は、日向族が日本の原住民を併合して、南九州(鹿児島県)に建設した国家が「邪馬台国」だったのだ。
つまり、邪馬台国は原住民が建国した国家ではなく、日向族によって建国された国だったのである。

日本列島の原住民については今まで述べてきた通り、超古代から陸・海の両ルートで実に様々な民族が上陸してきているが、琉球王朝を築いた主な民族について、加治木氏はこのように述べている。

「3000年前に台湾・沖縄を中心に宝貝貨幣を世界に供給して栄えた琉球。
その中核だったのが、<バビロン>から来たカリエン=和人=高麗人でした。
彼等は<エラム>出身者は永良部島といったふうに、故郷の名を新居住地に残しています」


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そこに紀元前3〜2世紀、日向族が渡来。

――それに続いてやってきたのがギリシャ人たちで、彼等はインド系の住民から「ヨーナ」と呼ばれて与那国島の名を残し、<アテナ>出身者は嘉手納(かてな)、<チラナ>出身者は知覧の名を残すというふうに、「地名文化財」を南九州から南西諸島の至るところに残しました。
その中でも最大のものが台湾で、「タイワン」というその名もギリシャ人が「タイナロン」として記録しているものの遺物だったのです。
「台湾に現存するギリシャ系倭人(アミ族)」
後からきた侵入者に追われて山地に住んでいる人々の中にはギリシャ系倭人たちがいる。
その容貌、服装、家屋、言語、土器など実に多くのものが、その古いルーツがインド経由の地中海人だったことを示している。
「臺」はウティナで沖縄のこと。
「湾」はワニで「倭人」の唐代以後の読み方。
ここはその頃[小琉球]と呼ばれていた。
だから、[台湾]とは[琉球人の国」という意味なのだ。
沖縄には今もアイヌ系の人たちと体格、顔かたちが非常によく似た人が多い。
また昔、沖縄が流求と書かれていたころ、沖縄は「大リュウキュウ」と呼ばれ、その支配下にあって「小リュウキュウ」と呼ばれていた大きな島がある。
台湾である。
そこには昔のアイヌ系の婦人が、自分たち一族の誇るべき習慣として、口の回りに入れていた大きな「入れ墨」と完全に同じ入れ墨をしている<アミ>と呼ばれる人々が今もいる。
アイヌ系の人たちとアミ系の人たちは、そのほかにも口でくわえて演奏する口琴(ムックリ)など多くの同じ文化をもっていることが分かった――

(「日本人のルーツ」保育社)

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――忘れてならないのは「三母音」というのは、マレー語の特徴だということである。
沖縄民謡がインドネシアのメロディに非常によく似ていることは、昔からよく知られているが、曲だけでなく歌詞の発音もまたよく似ている。
古代にマレー語を話す人たちが沖縄に住んでいて、その言葉が今まで残っていることは、どこからみても間違いない。
またカリエンの人たちの都は今も花蓮(カリエン)港と呼ばれ、「鬼道」の子孫も現存している。
……ギリシヤ系インド人の子孫であるアミ族の人々やその系列に入る部族の人々が今も住んでいる。
台湾は『後漢書』や『太平御覧』が注記に引いている3世紀の呉人・沈瑩(チンエイ)の『臨海水土誌』が書かれた当時から17世紀の明未まで「流求=琉球」と呼ばれていた。
しかし後半は「小流求」になり、沖縄が同時に「大流求」と呼ばれたから、沖縄の支配下にあったことがわかる。
「男女とも髪を丁髷(ちょんまげ)に結い男は裸体で戦闘を好み、勝者も死者も共に讃える……」などと古代ギリシャ人+日本人に似た風俗を伝えている――

(「日本国誕生の秘密」徳間書店)

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つまり、台湾は本来、日本列島の一部だったと考えて良いだろう。
これは、日本列島を龍体に見立てた場合も、台湾は龍の尾端となる。
そして、邪馬台国の所在地が鹿児島だった事は間違いない。
熊毛郡をはじめ、「熊本県」「球磨(クマ)川」など、「クマ」は南九州に集中する地名で、そこを支配する豪族が「熊襲」だった。
本居宜長が唱えた「卑弥呼=熊襲の女酋長説」も、間違いではなかったと言えるだろう。

伊是名島に拠点を構えていた日向族の族長「イザナギ・イザナミ」は、娘のアマテラスに「天上の事」をさせるべく天に送った。
沖縄で「天上」は「チンヅウ」、本土語では「シンドウ」となり、「神道」と当て字することが出来る。

鹿児島県隼人町の鹿児島神宮に伝わる古文書『正八幡の縁起』によれば、
「オオヒルメが七歳の時、貴人と寝た夢を見て身ごもって王子を産んだ。
そして、王たちは幼い母子を舟に乗せ、『流れ着いた地を領地にしなさい』と祈りながら、海に送り出した。
その辿り着いた地が鹿児島県の大隅で、王子の名が八幡(ハチマン)だった為に、その地を八幡崎と名付けられた」


オオヒルメ(卑弥呼)が処女懐妊したという話は「聖母マリア」と一致し、八幡が舟で流されたのは「モーゼ」と同じである。
熊本県の弊立神社には、モーゼが渡来したという伝説があるが、これが事実ではないにしろ、イスラエル民族が日本列島に渡来し、聖書の伝説を重ね合わせたものだろう。
鹿児島神宮の近くに「姫木山」という丘があるが、木は「コ」とも読み、「ヒメコ(ヒミコ)山」と読める。
その一帯には、「姫城」という地名が広がっており、加治木氏によると古代沖縄語で「フィミ・グスッ」だという。

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『肥前国風土記』に「姫社(ヒメコソ)郷」という名が登場するが、これは 『日本書紀』 では「比売語曽(ヒメゴソ)の社」として登場し、その社の祭神「ヒメゴソ」は「阿加流比売(アカルヒメ)」とも呼ばれている。
この「ヒメコソ」の人物像は「神功皇后」と一致し、更に「比売語曽」を古代沖縄語で「フィミ・グス」と発音するという。

また、オオヒルメの処女懐妊は「ヒメコソ」とも共通し、子の名前が「八幡」というのは「神功皇后」と同じである。
「八幡」は『古事紀』 に登場する「イザナギ・イザナミ」の最初の子「水蛭子(ヒルコ)」と共通し、不具の為に葦の舟で流されてしまう。
蛭子は「エビス」とも読み、水蛭子は「恵比寿・戎」と同一視されることもある。
また、古代日本に舟で渡来した「エブス人」との関連性も窺える。
そして、この鹿児島神宮の主祭神が「蛭子命(ヒルコノミコト)」で、副祭神が「神功皇后」となっており、皇后にまつわる「潮の干満を操る玉」も現存しているが、これは「モーゼの紅海割れの奇跡」を彷彿させる。

姫木山の南には霧島山があり、霧島の語源は「ギリシア」だが、加治木氏はこれを、古代インド人が「スメラ山」に見立てたものだとしている。
そして、姫木山のある隼人町は「姶良(アイラ)郡」だが、古代インドで「アイラ」は「神聖」を意味する言葉であった。
尚、霧島山は鹿児島と宮崎の県境に位置する連峰で、その中の「高千穂峰」が「天孫降臨の地」とされている場所でもあるが、霧島連峰は「スメラ山」であるだけではなく、「シナイ山」にも見立てられていた事だろう。

また、加治木氏によると、「八幡」は「ギリシア人」を意味するサンスクリット語の「ヤヴァーナ」だという。
これは単純に「ギリシア人」というよりも、「八=ハッティ」を表し、更に「八幡」を「ヤハタ」と読んだ時に「幡=ハッティ」とも読める。
また、「ハタ」を「秦」と当て字すると、「秦始皇帝」とも関連する。
秦始皇帝の正体が、アレクサンドロス軍の「ディオドトス」だったことは以前述べたが、彼はアフガニスタン北部でバクトリアを建国した人物で、ギリシア人ともユダヤ人とも言われている。
つまり、ヒッタイト民族とイスラエル民族が融合した「スキタイ」だったのだ。

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『竹内文書』で見た通り、アマテラスの母イザナミの出自は、アフガニスタン西北部のヘラート(ヘラサカイト)で、「サカ」は「スキタイ」である。
ちなみに、加治木説によれば、沖縄の「波照間島」は、沖縄語や鹿児島語で「ハティマ」と発音し、語尾のマは国を意味するので「ハティ国」となる。
ハティとは、「ハッティ=ヒッタイト」であり、九州北部の「日田(ヒタ)」も「日田人」と書けば「ヒッタイト」の当て字となる。
更に、鹿児島には「馬渡(マワタリ)」という姓があるが、紀元前14世紀のヒッタイト王の名前が「ムーワタリ」だったという。

邪馬台国は、原住民「熊襲」を併合した日向族の女王・卑弥呼が治める国だったのだ。
そして、鹿児島には「ヒメコさあ(様)」という、観音信仰の民間宗教が残っている。

『観音=卑弥呼=オオヒルメ=神功皇后=天照大神=ヒメコソ=アカルヒメ』

但し、「天照大神」も「神功皇后」も「オオヒルメ」も、1人の人物を指した言葉ではなく、「ヒミコという言葉も人名ではない」と加治木は指摘している。
posted by 夢蛇鬼 at 05:18| Comment(3) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする