2010年05月14日

邪馬台国を征服したアレクサンドロス=出雲の大王「神武天皇」の謎

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「初代・神武天皇と第10代・崇神天皇は同一人物だった。
よって、その間の第2代〜第9代の天皇は、やはり存在せず、みな神武天皇の投影にすぎない」という飛鳥説を否定する材料はない。
更に、多くの研究家の意見では、第11代「垂仁天皇」 、第12代「景行天皇」 、第13代「成務天皇」 、第14代「仲哀天皇」も架空だという。
飛鳥説では、この4人も「神武天皇=崇神天皇」の投影だという。
架空であろうと投影であろうと、初代〜第14代までの14人の天皇は、全て同一人物だった可能性が高いということである。
もしそうだとすると、やはり「仲哀天皇」と「垂仁天皇」は同一人物の「スサノオ」だったことになる。

ここで再度、 「世界の龍退治神話」の主役、インドネシアの「アジサカ」とドイツの「ジークフリート」を思い出して頂きたい。
阿遅鋤高日子根(アジスキタカヒコネ)の「鋤」は、古代は「サカ」とも発音されていた。
故に、アジサカは「アジサカ・タカヒコネ」である。
また、サカはスキタイであり、鋤を「スキ」と読んでも、スキタイの「スキ」である。
しかも、阿遅鋤高日子根は「アレクサンドロス」の当て字だった。
アレクサンドロスは「スサの王」を名乗り、阿遅鋤高日子根は「スサノオ」であった。
つまり、阿遅鋤高日子根は、アレクサンドロスの継承者である「スサノオ」だったのだ。

一方、ドイツの「ジークフリート」は、邪馬国の「邪」、狗奴国の「狗」、夫余国の「夫余」に人を付けた「邪狗夫余人(ジャクフリト)」で、その正体は高句麗の王「垂仁天皇」だった。
ジークフリートの妻「クリムヒルト」も高麗国日霎人(クリマヒルト)と書くと、高句麗の姫という意味になり、「日霎」は天照大神の別称「大日霎貴」と重なる。

「卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇で、彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒したスサノオなのだ」

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加治木氏は次のようにも述べている。

『天日槍の「ヒホコ」は「火火子」と書け、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の「火火」で、「彦」「火子」は日向(ヒコ)、出見(イヅミ)は出水、または「ヒ」は「日向」、「ホ」は百済(ホセイ)の首=「ホ」で、豊玉(ホツマ)の豊』

そして、「仲哀天皇」「天日槍」「天稚彦」「都怒我阿羅斯等」「蘇那易叱智」が、同一人物である事が証明された事から、「仲哀天皇=神武天皇=崇神天皇=垂仁天皇」が同一人物の「スサノオ」だった事が分かる。
問題は、神武天皇が「日向族」とされている事である。
アリオンの預言者の北川氏も、神武天皇が日向系という説を採用している。
その実、神武天皇は日向政権を征討した「出雲族のスサノオ」だったのだ。
神武天皇の祖先の「天照大神」が卑弥呼ではない事は、説明するまでもない。

何故、神武天皇が「日向族」とされたのか。
神武天皇の祖先が「天照大神」だからだが、その天照大神は「出雲族」でも「日向族」でもない。
その天照大神は「天孫降臨」を命じた人物なので、その正体はアショカ王かも知れない。
そして、神武天皇が「日向族」とされたのは、謎の渡来人「秦氏」が関係しているようである。
神武天皇は、日向政権の邪馬台国を征服した。
騎馬民族王朝説の江上氏は、崇神天皇が北九州に侵攻した辰王で、伽那との連合国家を樹立した大王だと考えた。

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これらは、アリオンが説く古代史と一致する。

「出雲族の族長であったフツは、息子のスサノオとその第5子のトシ(後のニギハヤヒ)らを伴って、日向族の制覇に乗り出した。
出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避を図り、二部族間の同盟を申し出た」


これが『記紀』に記される「スサノオとアマテラスの誓約」である。
ただ、この親子関係を見ると、フツが「崇神天皇」、スサノオが「垂仁天皇」だと言えるだろう。
或いは、スサノオを「神武天皇」とすると、フツが「ウガヤフキアエズ」ということが出来る。
また、スサノオを「仲哀天皇」に見立てると、フツが「ヤマトタケル」という事になる。
そして「神武天皇=スサノオ」は、狗奴国の男王「卑弥弓呼」でもあったのだ。

では次に、辰王の謎に迫ってみたい。
posted by 夢蛇鬼 at 02:55| Comment(4) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

2人の初代天皇とウガヤフキアエズ命の謎

初代天皇「神武天皇」の後に、第2代「綏靖天皇」、第3代「安寧天皇」、第4代「懿徳天皇」、第5代「孝昭天皇」、第6代「孝安天皇」、第7代「孝霊天皇」、第8代「孝元天皇」、第9代「開化天皇」、第10代「崇神天皇」と続くが、崇神天皇の又の名を、「御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)天皇」という。
また、『古事記』では「所知初国之御真木(ハツクニシラスノミマキ)天皇」、『日本書紀』では「御肇国(ハツクニシラス)天皇」と記している。
ハツクニシラスは簡単に言えば、最初に国を開いた「初代天皇」という意味である。

初代天皇といえば「神武天皇」だが、『日本書紀』では神武天皇の事も「始馭天下(ハツクニシラス)天皇」と記されている。
漢字は当て字に過ぎず、初代「神武天皇」と第10代「崇神天皇」は、共に「ハツクニシラス天皇」なのだ。
第2代〜第9代までの天皇に関する記述は極端に少なく、「欠史8代」と呼ばれている。
古代史の定説では、初代〜第9代までの天皇はみな、架空だとされている程だ。

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飛鳥昭雄・三神たける両氏の共著『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』には、このように書かれている。

「歴史的な業績のほとんど記されていない第2代〜第9代の天皇は別にして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の記述がなされた。
そのため、神武天皇は天皇に即位するまで、一方、崇神天皇は天皇に即位してからの業績が詳細に記されている。
両者を合わせれば、ちょうどひとりの天皇の一生として、きれいにできあがるというわけである。
『神武天皇=ハツクニシラススメラミコト=崇神天皇』
「神武天皇と崇神天皇は同一人物だったのである。
さらに、第2代〜第3代は、神武天皇=崇神天皇の業績の投影。
いってみれば、みな神武天皇=崇神天皇の分身だったのである」


つまり、初代「神武天皇」から第10代「崇神天皇」までの10人は同一人物だった可能性がある。
では、ハツクニシラスノミマキの「ミマキ」とは、何を意味するのだろうか。

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飛鳥氏の同著には次のように解説されている。

――「ミマキ」の「キ」は、『日本書紀』にあるように「城」という意味。
いってみれば、拠点という意味である。問題は「ミマ」である。
江上氏は、これは「任那」の「ミマ」であると考えた。
任那の「那」は、安那や伽那の「那」。国という意味である。
事実上、国の名である「ミマ」を諡号に頂く天皇こそ、任那の大王だったというのだ――


神武天皇の父親の名は「ウガヤフキアエズ命」である。
この「ウガヤ」について、飛鳥氏はこう説明する。

――韓国の学者は、これを「上伽那(ウガヤ)」と解釈する。
上伽那とは、伽那諸国のひとつで、「大伽那」とも称し、もっとも大きな力を誇った国である。
その国の名を冠するウガヤフキアエズ命は、いってみれば上伽那の大王だったことを物語る。
つまり、神武天皇が上伽那にいた、もしくは、その一族の血を引くものであることを示唆しているのである。
とくに、この上伽那こそ、任那であるという説もある。
任那の大王こそ、ミマキイリヒコイニエ、すなわち崇神天皇である。
もし、それが正しければ、まさしくウガヤフキアエズ命=神武天皇=崇神天皇という等式がきれいに適用できる――


但し、ウガヤフキアエズが「上伽那の大王」という肩書きである以上、神武天皇=崇神天皇の父親も、かつては「ウガヤフキアエズ」だった事は間違いない。
事実、『上記』『九鬼文書』『竹内文書』では、ウガヤ朝は七十三代続き、七十三代目が神武天皇だったとしている。
尚、崇神天皇の皇后は「御間城姫(ミマキヒメ)」という名前だが、やはり「任城の姫」という肩書きだと分かる。
posted by 夢蛇鬼 at 05:27| Comment(6) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相

神武天皇は初代天皇とされる人物だが、その実在性については学界では否定されている。
神武天皇について、私は独自の仮説を持っているが、機を改めて紹介したいと思っている。
ここでは、神武天皇が架空の天皇だったことを前提に、モデルとなった人物にスポットを当ててみたい。
神武天皇は天照大神の子孫だとされているが、その即位は紀元前660年。
天照大神(卑弥呼)の時代よりも遥か昔に遡る。
また、神武天皇に関する記録は「東征」に関する記述が大部分を占めている。
そして神武東征の神話が、アロクサンドロス東征の伝説に酷似している事が、以前から様々な研究家に指摘されている。

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飛鳥昭雄・三神たける両氏の著書『失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎』に、うまく要約されているので引用させて頂きたい。

――最初にこれを指摘したのは、古代史研究家の岡本健一氏である。
彼は、両伝説を比較して、いくつもの共通点を指摘している。
まず、構図である。神武天皇とアレクサンダー大王は、ともに民族の王。
東の方向へ遠征を行った。
途中、両者ともに、進路を南に変えて、そこで遭難しそうになる。
絶対絶命のピンチに陥ったとき、天から一羽の烏がやってきて、一行を目的地へと導く。
無事たどりついた王は、神殿において聖別され、正式に即位する。
神武天皇は天照大神の子孫、アレクサンダー大王はアモンの子ファラオで、ともに太陽神の子供として君臨する。
このほかにも、各地に残るアレクサンダー大王の物語は、神武天皇の伝説と酷似する点が少なくない。
神武天皇が大和の宇陀にやってきたとき、敵地の土で御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見た。
これにしたがい、配下に変装させ、敵地から土を持ってこさせ、御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒すことができた。
アルメニアの伝説では、ペルシャとの戦いの前日、アレクサンダー大王が同様の夢を見る。
お告げ通り、大王は変装して、敵地に潜入。こっそり酒杯を盗んでくる。
これによって、アレクサンダー大王はペルシア軍を撃破することに成功する。
また、神武天皇は熊野で尻尾の生えた人間に遭遇するが、アレクサンダー伝説にも尻尾の生えた人間が登場。
ときに、アレクサンダーはガラスで作った潜水艦で海中の世界に赴くが、これは山幸彦がなくした釣り針を求めて海神の国へ行く話と似ている。
しかも、山幸彦の別名はホホデミ命で、これは神武天皇と同じ名前。
すなわち「多次元同時存在の法則」によって、同一神(人)と見なすことができる。
どうしてここまで両伝説は似ているのか。
これに関して、岡本氏は、神武天皇の東征のモデルがアレクサンダー大王伝説にあると主張する。
伝説がペルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に伝播したのだという――


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アレクサンドロスはインドから引き返して、紀元前323年にバビロンで死亡している。
そうすると、アレクサンドロスの別称「ツルカルナイン」を受け継いだ人物に、アレクサンドロス伝説を重ね合わせて誕生したのが、「神武天皇」という事になる。

更に、飛鳥氏は次のように述べている。

――アレクサンダー大王のことは『旧約聖書』の「ダニエル書」に預言され、『旧約聖書・外典』の「マカバイ書U」にも出ている。
イエスの時代、『聖書』といえば『旧約聖書』を意味したように、ユダヤ人原始キリスト教徒がアレクサンダー大王を知らないはずはない。
また『新約聖書』がコイネー・ギリシア語で記されているように、ギリシアの大王アレクサンダーの物語は、ある意味、常識だったはずである。
そう考えれば、ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏がアレクサンダー大王伝説を日本に持ち込み、神武天皇の東征伝説をアレンジした可能性が高い――


だが、岡本氏が「ペルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に伝播した」と結論づけている通り、最初にアレクサンドロス伝説を日本に持ち込んだのは、ユダヤ人原始キリスト教徒「秦氏」ではなく、「天孫(アマ)族」だったことは間違いない。
後に「秦氏」が渡来し、東征伝説をアレンジした可能性が大きい。
また、くれぐれも述べておくが、アレクサンドロス率いるギリシア&マケドニア遠征軍は、ペルシア軍やスキタイ族を滅ぼしたのではなく、征服して統合した事に注意して頂きたい。

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神武天皇に限らず、日本神話は、他の多くの神話との関連性が指摘されている。
アポロンの烏と八咫烏・中国の金烏は、いずれも太陽神の御使いである。
イザナギとイザナミは夫婦だが「妹イザナミ」とする記述があり、南アジアからポリネシアにかけての神話でも、人類の始祖である男女が兄妹だったとされている。
これは既に紹介した通り、ヤコブ(イスラエル)族ではなく、ヘブライ族であるアブラハムとイサクが持っていた風習である。

また、イザナギの黄泉の国行きは、ギリシャ神話の「オルフェウスの黄泉の国行き」と符合する。
イザナミは最初の死者となり、黄泉の国を支配する神となったが、古代エジプトの「オシリス」やインドの「ヤマ」も、最初の死者となって死の国の支配神となった。
黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊の時に、左目を洗うとアマテラス(太陽)が、右目を洗うとツキヨミ(月)が誕生したが、中国神話では、創造神「盤古」の死体の左目が太陽に、右目が月に化生したとされている。
天照大神が岩戸に隠れて草花が枯れるのは、ギリシア神話の「デメテル」に共通する。
そして、天照大神の子孫が初代天皇「神武天皇」とされている。

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神武天皇にまつわる記録を、世界の歴史に求めた木村鷹太郎氏のユニークな仮説を、ダイジェストで少し紹介したい。

・出雲はエドムで、死海とアカバ湾の間に位置した古代王国である。
・ソロモンは大国主命の子の「建御名方命」で、シバ女王は「狭穂姫」である。
その活動範囲はエドム、中央アジア、チベット、インド等に及んでいる。
・その子の「鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)」は、ギリシア語で「天地支持者」を意味する「Ur-gaia-phorkys(ウ・ガヤ・フォーキス)」で、ギリシア神話の「アトラス」である。
・トルコ系のオスマン帝国(1299-1922)の王が万世一系を名乗ったのは、崇神天皇の皇子「豊城命」の子孫だからである。
・豊城命(トヨキノミコト)の「トヨキ」は、ギリシア語で「剣(つるぎ)」を意味するTEUCIA(トウキ)であり、ツルキ(トルコ)人の領土がツルキスタン(トルキスタン)となった。
・トルキスタンはスキティア(スキタイ)と呼ばれ、その意味は「鍬の国」で、妹の豊鍬入姫命の名に由来する。
・ニニギとコノハナの子「彦火々出見尊」はカルタゴで生まれた。
・神武天皇は北ギリシアの西方アカル・ナニヤ(難波)に着いた。
・神武天皇の宮「橿原宮」はテッサリアのクランノンである。
・ドーリス国「剱奉献国」で高倉下(タカクラチ)の剣を天皇に奉献する者がいたが、高倉下はヘラクレス族の別名である。
・神武天皇の東征は「ヘラクレス神族の帰国」、又は「ドーリス民族の帰国」で、紀元前12〜11世紀に、ヘラクレスの子孫と称する北方のドーリス人が、ギリシアに侵入してミケーネ文明を滅亡させた事件である。
・神武天皇はアフリカを出発して地中海を航海し、マルタ島に到着して案内人の珍彦(ウズヒコ)と出会った。
ギリシア神話では、マルタ海の周辺を「カリプラ」(シチリア島のメッシナ海峡に住む渦の魔物)と呼び、 『古事記』ではそれを甲斐弁羅(カイベラ)神という。
・イナヒは新羅(シラギ)の先祖だが、新羅はイタリア南部の地名シラキ(Scyllaci)である。
・神武天皇の3人の兄のうち、五瀬命(イツセ)は東征中に戦死したが、稲氷命(イナヒ)は海原(イタリア)の王となり、三毛入野命(ミケイリノ)は常世国(エジプト)の王となった。
エジプト王「メンカウラー」のギリシア読みが「ミケイリノス」。
・古代ローマの詩人ウェルギリウスの『イナヒ伝』に登場するイナヒ王の子「イウレ(Iule-us)」は、神武天皇の別名(磐余彦=イワレヒコ)のことである。
また、パリヌラなる人物も登場するが、これは兄の「イツセ」のことである。
イツセはギリシャ語で「直」の意の「Ithyse」で、パリヌラは「棹」の意の「Phallinauarcha」の短縮形であり、同じ意味である。


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単なる偶然や語呂合わせもあると思うが、非常に興味深い仮説である。
歴史そのものを同一と見なすのではなく、民族や言語のルーツ、伝説の伝播ルートを探るする上で参考になるのではないだろうか。
問題は、果たして神武天皇が、アレクサンドロス伝説が日本神話に組み込まれただけの架空人物か否かである。
私には、アレクサンドロス伝説から「神武天皇」という架空の人物が生まれたとは思えない。
初代天皇が架空の人物とは考えられないのである。
やはり、ツルカルナインの名称を受け継ぐ者に、アレクサンドロス伝説が重ね合わせられたのだろう。
「神武天皇」の正体を暴くのは容易ではない。
何故なら、秦氏(ヤタガラス)が絡んでいるからである。
posted by 夢蛇鬼 at 00:36| Comment(11) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

アレクサンドロス大王の神格化と天皇礼拝の謎

世界の神話が「シュメール神話」を起源とする共通した神話であるなら、世界の宗教の神仏は同一神という事になる。

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『アレクサンドロスの遠征と神話 興亡の世界史』(講談社)の著者・森谷公俊氏は、次のように述べている。

「アレクサンドロス大王の神格化はヘレニズム諸国で制度化され、カエサル、アウグストゥスを経てローマ皇帝礼拝へと発展、皇帝を頂点とした帝国全体を統合するための巨大装置となった」

では、アレクサンドロスの神格化は、東洋ではどのように発展したのだろうか。
加治木氏は『日本人のルーツ』の中で、このように述べている。

【歴山大王(あれくさんどろす)は日本に来たか】

――「都怒我阿羅斯等」は『日本書紀』に、たしかに日本へやって来たと書いてある。
しかし、ツルカルナインという仇名をもったアレクサンドロス大王は、インドから引き返して紀元前323年に死んでいる。
インド以東に来なかったことは確実である。
とすれば日本へ来たのは同じ仇名をもった別人だったことになる。
このことはアレクサンドロス大王のもう一つの別名「イスカンダル」が疑問を解いてくれる。
イス、イサ、イサナといった名は、シバ神の別名なのである。
となるとシバ神もまた二本の角をもった神であることが浮かんでくる。
いうまでもなく、大王のこの二つの別名はシバ大神の化身とでもいった意味の、敬称に当たるものだったのだ。
ここまで来ると「都怒我阿羅斯等」は、アレクサンドロスではなかったが、シバの化身といった名をもった、インド宗教にかかわりのある人物であった可能性は充分にある。
またイサナという名に視点を移せば、天照大神とスサノオノミコトの両親は、伊弉諾、伊弉冉の二神であって、イサナ王とイサナ女(め)と読める名である。
ここにもまたシバの大神と同名の神々が実在するのである。
毎日新聞学芸部長の岡本健一氏は、アレクサンドロスと『記・紀』の伝承とを照らし合わせて、大量の関連があることを立証した論文を、雑誌『歴史と旅』(昭和52年5〜6月号)に「アレクサンダー伝説と古代日本」という表題で連載、実に大きな関連性があることを考証している――


そして、 『旧約聖書』の絶対神「ヤーヴェ(ヤハウェ)」は、「シヴァ(シバ)」の名が変化したものだという。
この辺りの事は、別の機会に詳述する。

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日本のアレクサンドロス伝説の真相について、引き続き、加治木氏の解説を見てみよう。

【牛頭天王とスサノオノミコト】

――牛頭をもった神が、ヒンドゥのシバ大神であることは、世界の学者が認めている。
その神像はすでに6000年前のインダス文明期に、印章に彫られてモヘンジョダロから出土している。
このことから、私たちが考えるスサノオノミコトと牛頭天王が同一人物でないことは、はっきりしたと思う。
スサノオノミコトは今すこし後世の人物をモデルにしたところがある。
八俣大蛇退治がギルガメシユ神話をうけついでいることはすでにみた。
しかしギルガメシユが二本の角をもっていたという話はこれまで見つかっていない。
ところが、はっきりした実在者で、二本角のある人という仇名をもった有名人がいる。
それはアレクサンドロス大王である。
彼はツルカルナイン(二角人)という愛称で呼ばれ、実際に角の生えた肖像を銀貨などに残している。
彼が紀元前327年にインドに遠征して、ナンダ王朝を滅ぼしたのは周知のことで、その5年後にマカダ王国がインドに誕生した。
マケドニア出身のアレクサンドロスとマカダの名は無関係ではあり得ない。
『日本書紀』は崇神天皇の時、ツヌカアラシトという王子がやって来たと書いている。
これは「角がある人」と読め、<カ>と<ア>をくっつけて読むと「角カルニン」とも読める。
朝鮮の人は<ラ行>を<ナ行>で発音するから、<ツヌ>は<ツル>だったとすると「ツルカルナイン」とほとんど同名である――


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「ツルカルナイン」というアレクサンドロスの愛称は、日向族の「卑弥呼=アマテラス」と出雲族の「スサノオ」に受け継がれた。
彼らは天皇家の祖であり、日本神話で「神」として扱われている。
アレクサンドロスの神格化は「ローマ皇帝礼拝」、「イエス・キリストの神格化」に発展した。
一方、日本では「天皇礼拝」となっていたのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 10:12| Comment(6) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

シュメール以前からの王権のシンボルと獅子座の謎

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インドの国章はライオンだが、これはアショカ王の紋章がライオンだったからに他ならない。
そして「アショカ仏教宣布団=天孫族=スキタイ」によって、アショカ仏教と共にライオン像が、朝鮮半島を経由して古代日本に持ち込まれた。
それが神社の狛犬である。

本来、角の有る方を「狛犬」、角の無い方を「獅子」と言い、1対で「獅子狛犬」と呼ぶ。
昭和以降に作られた狛犬には角が生えていない事が多いが、たて髪があることから、そのモデルがライオンである事は間違いない。
アショカ仏教は鬼道となり、後の神道に繋がっていく。
神社に狛犬が存在するのは、アショカ王のシンボルが「ライオン」だったことを物語っているのだ。

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飛鳥昭雄氏は「大ピラミッドの謎とスフィンクス」の中で、次のように述べている。

――狛犬は渡来文化である。狛犬のコマとは、高麗(こま)のこと。
すなわち、狛犬とは「高麗犬」という意味だ。
高麗人参と同じく、朝鮮半島を経由して日本に伝来した。
ただし、高麗犬といっても中世の高麗のことではない。
古代朝鮮の「高句麗」を意味する。
古代においては、高麗とは高句麗の略称を意味した……
高句麗は百斉と同様、騎馬民族「夫余族」が建国した国家である。
夫余族の一部は、朝鮮半島を南下し、秦韓(辰韓)と弁韓を建国した。
紀元4世紀、さらに王族は海を渡って日本列島へ侵入。
先住民を征服して、大和朝廷を樹立した。
すなわち、古代天皇は夫余族の末裔である。
騎馬民族が日本にやってきたとき、狛犬の文化が持ち込まれたと推測される。
もちろん、それだけではない。
騎馬民族の後、日本に渡来してきた秦氏一族もまた、狛犬を携えてきたに違いない。
秦氏の故国は新羅と伽耶である。
両国は、それぞれ秦韓と弁韓がもとになっている。
秦氏は夫余族といっしょに住んでいた。
彼らが狛犬を知らなかったはずはない。
神社に狛犬が存在するのは、その証拠である――


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流れとしてはこんな感じたが、部分的に訂正しておきたい。
飛鳥氏は、「夫余族が高句麗を建国した」としているが、加治木が証明した通り、高麗はカリエン人(バビロニア人の末裔)である。
そこに日向族と出雲族、即ち「天孫族」が合流したのである。
尚、騎馬民族「夫余族」とは、私の見解では「出雲族」のことである。
そして、「夫余族の一部が秦韓(辰韓)と弁韓を建国した」としているが、これは夫余族ではなく「秦氏」である。
飛鳥氏自身が、「秦氏は夫余族といっしょに住んでいた」と言っている以上、秦氏は夫余族の一部ではなく、別物である。

だが、秦氏は「日向族」でもない。
また、「夫余族が先住民を征服して大和朝廷を樹立した」としているが、残念ながらこれも間違い。
改めて述べるが、大和朝廷を樹立したのは「秦氏」であろう。

飛鳥氏の話は次のように続いている。

――日本の狛犬の直接的なルーツは古代朝鮮にあるが、獅子の様式は中国が起源である。
神道の行事である獅子舞は、中国の獅子舞がルーツ。
神社に狛犬が鎮座するように、中国の道教寺院には2匹一対の獅子が鎮座する……
興味深いことに、中国のお隣、インドにも守護獅子がいる。
インドのヒンドゥー教の寺院に、狛犬らしき一対の獅子像が置かれている。
仏教がインドから中国へ伝来したように、狛犬=獅子像文化も、インドからやってきた可能性は高い――


やはり、狛犬のルーツはアショカ王のシンボルだったのだ。
という事は、そのルーツがペルシアにある事になる。

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再び、飛鳥氏の説明を借りたい。

「そのインドの獅子像もまた、はるか西からやってきたらしく、ペルシアにも獅子像が数多く存在する。
というのも、インド人とペルシア人(イラン人)は、ともにアーリア系の民族で、そのルーツはコーカサス地方にある。
現在、トルコ領となっているが、コーカサス地方と隣接した小アジアには、かつて製鉄技術で世界を圧倒したヒッタイトの遺跡がある。
ボアズキョイと呼ばれる宮殿遺跡の門には、やはり一対の獅子像が刻まれている。
そもそもメソポタミア地方全域に魔除けの獅子像は広く分布する。
先述した古代イスラエル王国や新バビロニア王国、アッシリア帝国の遺跡にも、必ずといっていいほど獅子が登場する。
獅子は百獣の王であり、王権のシンボルとされたのだ。
つまり、西アジアから日本まで、シルクロード全域には守護神としての獅子像文化はシルクロードを通り、ついには神道文化として日本に伝来したのである――


夢蛇鬼説では、ペルシア人はヒッタイト人の末裔だが、飛鳥氏もここで同様の事を述べている。
また、スキタイ族は主にペルシア人(ギリシア・マケドニア含む)とイスラエル民族で構成されている事を述べてきたが、飛鳥氏の説明通り、古代イスラエル王国にも獅子像が存在した。
そして、インド人はペルシア人と同じアーリア民族で、ペルシアからインドに移住した人々と共に、神話や文化が伝わった。
つまり、アショカ王のシンボルである「ライオン」のルーツは、ペルシア系(スキタイ)、即ち「ヒッタイト」と「イスラエル」にあったのだ。
新バビロニア王国やアッシリア帝国にも獅子像が存在したのは、イスラエル民族が連れ去られた地だからであろう。

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古代イスラエル王国の獅子像について、引き続き飛鳥氏の説明を紹介しよう。

――神社の狛犬に相当するものが、ソロモン神殿にもあった。
『旧約聖書』には、こうある。
「また、獅子と牛の下には唐草文様が掘り込まれていた」(「列王記・上」第7章29節)
つまり、神社の狛犬のルーツは、ソロモン神殿に配置された獅子像にあったことがわかる。
カッバーラにおいて、獅子は野獣の王の象徴である。
メルカバーの4位階においては、人間に次ぐ動物として表現される。
それゆえ、古代イスラエルでは、獅子を王の象徴と見なした。
とくにダビデやソロモンを輩出したユダ族は、自らのシンボルを獅子としている。
それは、ユダ族からイスラエル12支族を束ねる王が出るという預言を示しているのである――


もう1つ面白い話がある。

――神社の社殿には大きなしめ縄が張られ、そこからジグザグの紙垂が下げられている。
また、鈴のついた綱があり、参拝者はこれを鳴らして祈願する。
ソロモン神殿に神が臨在すると、上空に厚い雲が現れ、ゴロゴロと雷鳴を轟かせ、時折、稲妻が光ったという。
神社のしめ縄や鈴はこうした雷雲を表現している――


「雲が現れる=出雲」で、雷神スサノオは出雲の神である。
そして、「雷音」と書けばライオンと読めてしまうのも、不思議な偶然だ。
イスラエル民族は、ヒッタイト人からライオン像の影響を受けた可能性が高い。
イスラエル民族が契約した雷神「ヤハウェ」は、ヒッタイトの神だからである。
但し、神は表裏一体、『日月神示』にも「同じ名の神二つある」と示されている。
この事は徐々に明らかにしていくが、出雲の雷神「ヤハウェ=スサノオ」の正体は、牡牛神「バアル」なのだ。
また、イスラエル民族は、エジプトでも獅子像の影響を大きく受けたに違いない。

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飛鳥氏は次のように述べている。

――しかし、これで終わりではない。考えても見てほしい。
中国やインド、メソポタミア地方といえど、そこに獅子はいない。
ライオンがいるのは、アフリカである。
つまり、アフリカこそ、獅子文化の発祥の地なのだ。
アフリカにおける最古の文明とは、いうまでもない。
エジプトである。エジプトには無数の獅子の壁画が存在する。
しかも、2匹一対の獅子の壁画も少なくない。
まぎれもなく、それは守護神としての獅子であり、狛犬である。
そして、古代エジプトにおける獅子文化を象徴するのが、スフィンクスである。
王権のシンボルを具現化するように、ファラオの体を獅子として表現した。
いわゆるアンドロスフィンクスが、それだ。
なかでも、最大のアンドロスフィンクスがギザの大地に立つ「大スフィンクス像」である。
大スフィンクスは最古にして最大。
いってみれば、古代エジプト文明の獅子像のルーツは大スフィンクスにあるといっても過言ではない。
つまり、日本の狛犬のルーツは、ずばり大スフィンクスなのだ――


尚、ノアの大洪水以前は、大スフィンクスは2体存在したことが明らかにされている。
では何故、スフィンクスが王権のシンボルとなったのか……。

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『神々の指紋』で有名なグラハム・ハンコックと、『オリオン・ミステリー』の著者ロバート・ボーヴァルが、1万2500年前の夜空をコンピューターで再現したところ、興味深い事実が判明し、それについて飛鳥氏は次のようにまとめている。

――……1万2500年前の春分の日、大スフィンクスの視線の向こう、真東の地平線から「獅子座」が上昇することを突き止めた。
よく知られる獅子座は古代シュメールが起源で、古代エジプトにその概念はなかったというのが常識だ。
だが、ハンコックらは、古代エジプト文明に先行した超古代文明には、獅子座という概念が存在した。
もっといえば、そこからシュメールやギリシアの獅子座が生まれたと説く。
つまり、大スフィンクスのペアの相手は、地上ではなく天空にあった。
そう、獅子座と大スフィンクスは2匹一対になっている。
言い換えれば、獅子座こそ、大スフィンクスの相棒だったと言うのだ。
これは極めて興味深い仮説である。古代エジプト人は天空を意識してきた。
天上は神々の世界であり、死後の世界である。
早稲田大学の吉村作治教授はギザの大ピラミッド複合体を死後の世界の再現であると主張する。
だとすれば、大ピラミッド複合体が星座を意識してきた建造された可能性は否定できない――


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北周一郎氏は、「旧約聖書の預言者は古代エジプトのファラオだった」と主張しているが、これは真相から外れている。
まず、ノア以降の預言者の中で、モーゼ以外はエジプトとは無関係で、歴代のファラオはハムメーソンの預言者である事は間違いないだろう。
また、大スフィンクスと3大ピラミッドは、ノアの大洪水以前の産物である。
即ち、シュメール文明以前の「パンゲア文明」の遺産であり、その建設者は預言者「エノク」。
その意味では、旧約聖書の預言者「エノク」は大ピラミッドの王だったと言える。

そして、エノクの別名は「トート」だが、ヘレニズム時代にギリシャ神話のヘルメス同一視され、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるようになった。
それは、獅子の頭をした姿で描かれている。
だが、飽くまでもファラオは、ノアの大洪水後の古代エジプトの王を指し、決してエノクはファラオではない。
しかし、ライオンを王権の象徴とするのが、ノアの大洪水以前の「エノク」にまで遡ることが分かった。

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さて、ギリシア神話のルーツが「カナン神話」や「旧約聖書」などの中近東にあったことを述べたが、後にエジプトから直接影響を受けたこともまた、事実である。
エジプトは地中海を挟んでギリシアとも交易していたからだ。
そして、ギリシア神話の「オイディプス神話」にも、スフィンクスが登場する。
ギリシア神話の獅子座の物語では、ヘラクレスが人喰いライオンを退治し、その皮を剥いで生涯身に着けていた。
アレクサンドロスは、牡牛神にして最高神であるゼウスの子「ヘラクレス」と自分を重ね合わせていた。

実際にヘラクレスの武勇伝を、自らの行動指針にしていた事が窺える。
アレクサンドロスは「マゲドニアの若き獅子」と呼ばれ、石棺にはライオンの兜を被った姿が彫刻されている。
つまり、アレクサンドロスのシンボルは「ライオン」だったのだ。
と、同時に「牡牛」をトーテムとしていた。
また、ヘラクレスは9の首を持つ大蛇ヒドラを退治した。
ヘラクレスはギリシア神話の中の「スサノオ」なのだ。
「ヘラクレス=スサノオ=アレクサンドロス」で、ペルシアを征服後に「スサの王」を名乗っている。

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また、アレクサンドロスは、このように語っている。
「一頭の羊に率いられたライオンの群れは怖くない。
私が恐れるのは一頭のライオンに率いられた羊の群れだ」

これは、文字通りに解釈して良い。
だが、ライオンを「ユダ族の王」、羊を「イスラエル民族」の象徴と見ることも出来る。
そして、アショカ王のシンボルの「ライオン」が、アレクサンドロスに由来する事は想像に難しくない。

話をまとめると、神社の狛犬のルーツの源泉は、パンゲア文明の遺産である大スフィンクスだったという事である。
そして、神社の裏には山がある事が多いが、要は山が神体の山岳信仰であり、そのルーツの源泉は、やはりパンゲア文明の遺産である3大ピラミッドだったのである。
posted by 夢蛇鬼 at 00:10| Comment(8) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

世界神話を集約したペルシアと天孫族の謎

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詳述するとキリがないので、要所のみを確認していきたい。
ヒッタイト人は、シュメール起源の12神を崇拝していた。
このシュメールとヒッタイトを繋いだ「フルリ人」が、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人で、シュメールのウル第3王朝で大きな勢力を誇っていた事が確認されている。
また、インド・ヨーロッパ言語で書かれたインドの「ヴェーダ聖典」と、ギリシア神話の類似性が指摘されている。
これは、ギリシア神話がインドに伝わったものだと考えられているが、そうではない。

シュメールのアーリア人一派がアナトリアに移動し、原住民ハッティ(ヒッタイト)と融合したが、もう一派、もしくは後のヒッタイト人が、紀元前2000年頃に北イランに移動し、更にインドに南下してヴェーダをもたらし、バラモン教を生み出したようだ。
だがそれは、単なるシュメール神話やヒッタイト神話ではなく、ゾロアスター教だった。
後に、スキタイ族から誕生したバラモン教徒の釈迦が、形骸化したバラモン教を否定して仏教を説いたが、この話は後に回そう。

エジプトもシュメールの神話と文明を継承したことが、ゼカリア・シッチンによって証明されている。
そして紀元前1285年頃、ラムセス2世の時代、ヒッタイト人がエジプトに侵攻。
古代エジプトの太陽神アメン(アモン)は、元々は豊饒神だったが太陽神ラーと一体化し、「アメン・ラー」としてエジプトの主神とされていた。
そして、アレクサンドロスはエジプト遠征の際、「アモンの息子」と称した。

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エジプトの太陽神は3柱存在し、朝日は「ケプリ」、中天は「ラー」、夕日は「アンク」と呼ばれ、それぞれ異なる姿で描かれている。
アンクは「アテン」の新王国時代の呼び名、つまり「アンク=アテン」で、アメンヘテプ4世は、「アメン」に対抗する神「アテン」を立て、アクエンアテンと改名した。
そうすると不可解な事がある。
ツタンカーメンは「トゥト・アンク・アメン」だが、「アテン」と「アメン」を名前に採り入れている事になる。

アメンは「隠されたもの」を意味し、本当の名と姿は明らかにされず、冥界の奥深くに眠っているとされる。
本当の名前が明らかにされていないというのは、『旧約聖書』の主神ヤハウェと符合する。
そして、太陽神であるのに隠されて見えないとは、「天照大神の岩戸隠れ」に符合する。
もう1つの太陽神であるアンクは「再生復活」を意味し、それは岩戸から出てきた天照大神と一致する。
この神話は、後の「イエス・キリスト」や「卑弥呼」が体現している。

このアテン(アンク)信仰が一神教(ユダヤ教)の始まりだと考えられており、アモン (アメン)は後に悪魔とされるようになった。
忘れてはならないのが、イスラエル民族を生んだアブラハムも、シュメールのウル出身という事である。
シュメール神話はアブラハム族にも継承されていたはずで、アブラハムから生まれたイスラエル民族は、元々は牡牛をトーテムとする多神教だったが、エジプトで「アテン信仰」の影響を大きく受けたようだ。
エジプトには「ピラミッド」という人工山の神殿があり、太陽信仰が盛んだった。
太陽には黄金が豊富に存在することから、「太陽=黄金」であり、エジプト文明は黄金を神聖視したことで知られている。

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イスラエル民族の出エジプトを率いたモーゼは、シナイ山で絶対神ヤハウェから十戒を授かった。
この「ヤハウェ」なる神は「アテン」だと考えられている。
その後、ソロモン王は、エジプトのファラオとヒッタイト王の娘を妻として迎えた。
イスラエル10支族は「黄金の子牛」を崇拝したが、これはシュメール及びヒッタイトの「牡牛信仰」を守り、エジプトの黄金文明の影響を受けたものだろう。
イスラエル「12支族」も、ヒッタイトの「12神」に因んでいるのかも知れない。

また、エジプトを脱出してカナンの地に辿り着いたイスラエル民族は、エジプト人の親戚であるカナン人と密接な関係を築いた。
カナン神話の最高神「エル」は、聖書の「ミカエル」「ガブリエル」などの天使名に採用されているが、エルのアダ名が牡牛を意味する「トル」であった。
そして、エルの主要な息子が「主」を意味する「バアル」で、嵐の神・雷と稲妻の雷であり、ザフォン山に住んでいたとされている。
ちなみに、ユダヤ教は一神教で、キリスト教が三位一体教である事は周知の事実だが、天使や悪魔の数は無数に存在する。
聖書は「神」と「天使」を区別しているが、それは実際には多神教と同じ事である。

さて、カナン人は、エジプト人と同じ神々を共有したように、イスラエル民族も同じ神々を共有していた。
そして、カナン神話とギリシア神話の類似性についても、よく指摘されている。
当然ながら、ギリシア神話はエジプト神話にも類似しており、アテンとアテナも同一神である可能性も否めない。
それ故に、ギリシア神話のルーツはエジプト神話にあるという説もあるが、真相は……。
加治木氏は、卑弥呼の鬼道に、ギリシアの宗教の要素が色濃く反映している事を指摘しているが、そのルーツが「カナン神話」や「旧約聖書」にある可能性が出てきた。

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シッチンは次のように述べている。

「ギリシャの学者たちは、確かにエジプトを訪れたことを記述している。
しかし、彼らが言う古代の知識の源は、もっとほかの所にあったのだ。
エーゲ海の前ギリシャ文明(クレタ島のミノア文明とギリシャ本土のミケーネ文明)は、エジプトではなく、近東の文化を受け継いだ証拠を残している。
古代の文明は、エジプトではなく、シリアとアナトリアというメインストリートを通って、ギリシャへ渡ったのである」

(人類を創成した宇宙人)

ちなみに、ギリシア神話の最高神ゼウスが「バアル」という事になり、ギリシアでも「オリンパス山」と「12神」と「黄金」が崇拝されていた。
世界の神話はシュメールを起源として、相互に関連していたように、ヘレニズムとヘブライズムは元々密接に影響を与えていたことが分かる。
そして時を経て、アレクサンドロスの東征によって、ギリシア神話が中近東に逆輸入されることになる。
オリエント諸国の歴史に通じ、漢文を駆使した、始皇帝の宮廷にいた特殊技能者「儒」の正体は、鹿島説によれば、ペルシアに仕えたバビロンの虜囚の子孫か、アレクサンドロスの軍に加わったユダヤ人だとしているが、彼らから「儒教」が生まれたようだ。

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紀元前213年、始皇帝(ディオドトス)による焚書坑儒事件が起こされた時、対象にされた儒学者はイスラエル10支族の「ガド族」で、2支族の「シメオン族」だったディオドトスと敵対したとも言われる。
いずれにしても、ギリシア神話のルーツがカナン神話にあり、それがヘレニズム化され、アレクサンドロスによって中近東に逆輸入されたというのが真相に近いと思われる。

当時、ポリス同士が争っていたギリシアを支配していたのがペルシア王だったという説があるが、そのギリシアとペルシアをアレクサンドロスが統一したのである。
それは、ギリシア・マゲドニア・ペルシアルシア、そしてイスラエル民族などの融合を意味する。
そして、アレクサンドロスの軍は、中国とインド西部までを支配した。
そこから生まれた「アショカ仏教」は、もはや単なるギリシア系と呼べない。

鬼道の山岳信仰のルーツは、アショカ仏教の「スメラ山信仰」にあった。
そして、スメラの語源が「シュメール」で、山を神体とする信仰から生まれたジッグラト(Ziggurat)が建設されていた。
また、北イスラエル王朝の首都サマリアも「スメラ」が語源だと言われている。
そして、ギリシア的要素を多分に持っていたスキタイ族も、黄金の工芸品・装飾品を多く残したことで知られているが、インドから東南アジア、日本に至る仏教の仏像が金色なのは、ズバリ、天孫族がスキタイ族だった証ではないだろうか。

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それは、ギリシア系ともイスラエル系とも呼べるが、ヴェーダを原典とするヒンドゥー教や仏教を含めて、広義の意味での「ペルシア文化」と呼んでも良いかも知れない。
ペルシアの宗教はゾロアスター教であり、ヒンドゥー教の根幹もゾロアスター教にある。
また、仏教のベースもゾロアスターという事になる。
そこに、ヒッタイト神話やギリシア神話、カナン神話、エジプト神話、旧約聖書などのオリエント神話、及びヘブライズムが混合している事は疑念の余地がない。
それを編纂したのが「アショカ王」である。

京都の祇園祭は、旧約聖書と関連する祭りだが、インドから東南アジアの仏教圏でも共通して行われている事を紹介したが、それだけではない。
同じく京都で有名な「大文字焼き」は、盂欄盆会(うらぼんえ)の終わりに行われるが、盂欄盆の原語はペルシア語で、古代ペルシアの祭りを起源としているそうだ。
これも「山岳信仰」とゾロアスター教の「拝火」に繋がる。
ここでは割愛するが、日本には多くのペルシア文化が見られるらしい。
それは、 「天孫族=騎馬系弥生人=スキタイ・イスラエス系アショカ仏教徒」によって、もたらされたものであろう。
posted by 夢蛇鬼 at 06:25| Comment(2) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

世界最大のミステリー「遊牧騎馬民族イスラエル10支族とユダヤ人」の謎

【紀元前722年】北イスラエル王朝がアッシリアに滅ぼされ、イスラエル10支族はバクトリア(メディア)方面に移された。
その後、 「イスラエル10支族」は歴史の表舞台から姿を消してしまった。
彼らはバクトリア地方に留まり、アッシリア人などの他民族と同化して、民族性を失ってしまったのだろうか。
紀元1世紀のユダヤ人歴史家フラビウス・ヨセフスは、著書『古代ユダヤ誌』の中で、次のように記している。
「10支族は今でもユーフラテス河の彼方におり、膨大な民衆となっている」

「膨大な民衆」といえば中国だが、中国に限ったことではなく、地名が特定されていないので、ユーラシア大陸一帯を指していると考えて良いだろう。
だが、それなら10支族は「失われた民族」とは言えない。

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飛鳥昭雄氏は、著書『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』で、次のように推理している。
「少なくとも紀元1世紀までは、失われたイスラエル10支族の別動隊は存在した。
ユーフラテス河の北方、東方に、膨大な数となって存在した。
しかし、不思議なことに、当時の歴史をいくら調べてみても、自分たちがイスラエル10支族の末裔であると名乗っている者がいないのである。
ひとつの民族として、イスラエルと名乗っている連中は存在しないのである。
なぜか。思うに、彼らは、すでに自分たちがイスラエル10支族の末裔であることをとうに忘れていたのではないか。
とうの昔に、自分たちのルーツを忘れてしまっていたのではないだろうか。
だとすれば、いくら探しても、自称していない以上、イスラエルの名をみつけることはできない。
つまり、失われたイスラエル10支族の別動隊は、すでに別の民族名を名乗っていたのである。
では、いったい、彼らの新しい民族名はなんだろうか……」


アマテラスの母イザナミの出身地と考えられているアフガニスタン、そして中国、インドなどでも「イスラエル10支族」の末裔が発見されている。

飛鳥氏の仮説は次のように続く。
「地図を広げて、よく見てほしい。
メソポタミアの北方には、広大なユーラシア大陸の大平原が広がっている。
そこに住む人々は、みな遊牧民である。
イスラエル10支族とまったく同じ遊牧民である。
彼らは、こうした北アジアの大地を彷徨する遊牧民となっていたのではないだろうか。
それも馬で駆けめぐる遊牧騎馬民族になっていたのではないだろうか!!」


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そもそもイスラエル民族は、羊や山羊、牛馬を飼い、馬に乗って戦争する騎馬民族だった。
これはヒッタイトの影響があったのだろう。
そして、ヒッタイトの末裔としか思えない「スキタイ族」について、飛鳥氏はこのように書いている。

「失われたイスラエル10支族の別動隊の行方を知る上で、忘れてはならない民族がいる。
紀元前7〜3世紀の北アジアを駆けめぐった騎馬民族スキタイである。
スキタイ族は世界最古ともいわれるアーリア系騎馬民族で、本拠地は黒海北岸。
ギリシアやペルシア文化に非常に近いものをもっていた……
幾度となく繰り返されたスキタイ族の侵入に、アッシリア帝国も徐々に国力を落としていく。
とくに、アッシリア帝国の末期には、かなりの頻度でスキタイ族はやってきたらしいことがわかっている。
当然ながら、イスラエル10支族も、スキタイ族のことは知っていた。
十分すぎるほどに承知していたに違いない。
ここで、ひとつイスラエル10支族の立場になって考えてほしい。
彼らにとって、スキタイ族は敵には違いない。
だが、アッシリア帝国については、利害は一致していた。
戦略的に見て、両者が同盟的な関係を結んだとは考えられないだろうか。
騎馬民族というのは、一般的に民族の違いに固執しない。
騎馬民族同士の同盟や連合は日常茶飯事である。
しかも、自分たちの政策を受け入れるなら、どんな民族でも吸収してしまう。
懐が深いといえばいいのだろうか。
農耕民族との違いは、ここである。
騎馬民族は、まさにコスモポリタンなのだ。
一般的にスキタイ族はアーリア系であるといわれているが、実際は非常に多くの民族からなっていた。
チンギス・ハーンのモンゴル帝国内では、モンゴル族以外にアーリア系白人をはじめ、中国の漢民族、そしてセム系のユダヤ人まで存在した。
よく騎馬民族をチュルク系、モンゴル系、スキタイ系などと区分するが、実際は、その境界は非常に曖昧である。
使っている言語も、ほとんど同じ。
混血により、人類学的に明確な区別がない。
その意味で、スキタイ族と失われたイスラエル10支族の同盟、もしくは合流があったことは十分考えられる。
しかも、興味深いことに、異民族支配下のイスラエル人は、必ずといっていいほど、国家中の重要なポストに就く。
エジプトの宰相になったヨセフ、同じくエジプトの貴族だったモーセ、アケメネス朝ペルシアの宰相だったモルデカイ、新バビロニア王国でネブカドネザル大王の側近だったダニエルなど、その数は非常に多い。
いや、必ずといっていいほど、支配者の近くには、イスラエル人が存在する。
騎馬民族の場合、有能な人物は積極的に登用する。
血縁関係というよりも、能力主義である。
スキタイ族のなかにも、重要なポストについたイスラエル10支族が存在したのではないだろうか。
そして、やがて、ヒエラルキーを登り詰めたイスラエル10支族は、自分たちの騎馬民族を組織するまでになったのではないか」


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「イスラエル10支族」は、ギリシアやペルシアの文化を持つ「スキタイ族」と同化したことは間違いないだろう。
モンゴル族の前身とされる「匈奴」もスキタイ族の一派だと考えられているが、飛鳥氏は次のように述べている。
「紀元前3世紀ごろ北アジアに生まれた匈奴は、まさにユーラシア大陸を縦横無尽に駆けめぐる。

西は朝鮮半島、中国の中原にまで侵入し、東はヨーロッパ全土を駆け抜け、ゲルマン人の大移動を誘発、西ローマ帝国を滅亡に追いやったかと思うと、さらに、スカンジナビア半島にまで至る。
西洋では匈奴を『フン族』と呼ぶ。
北欧のフィンランドとは、何を隠そう『フン・ランド』であり、東欧のハンガリーは『フン・ガリア』なのだ!!
そのため、騎馬民族の侵入のあったハンガリーの『ハンガリー語』、そしてフィンランドの『フィンランド語』も騎馬民族の言語と同じ語順である。」

では次に、一方のユダヤ人の歴史を見てみよう。

【紀元前586年】南ユダ王国がバビロニアに滅ぼされ、バビロンの捕虜となった。
【紀元前538年】アケメネス朝ペルシアがバビロニアを滅ぼしてユダヤ人を解放し、多くのユダヤ人がペルシアに仕えた。
【紀元前334年】マゲドニアのアレクサンドロスがペルシアを征服し、 「ペルシアの王位継承者=スサの王」を名乗った。
両者共にギリシア系でヒッタイト系騎馬民族の末裔だが、この時に「アレクサンドロス軍」と「スキタイ族」が合体したと考えて良いだろう。
忘れてはならないのが、その中に「ユダヤ人」が含まれている事である。

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そして、秦始皇帝の正体がギリシア人「ディオドトス」だったという説を紹介したが、水上涼氏は「日本人とユダヤ人の秘密」で、次のような説を紹介している。

「始皇帝の宮廷にいた、漢文を駆使することができ、オリエント諸国の歴史にも通じていた特殊技能者は[儒]と呼ばれていたが、それはジュウを意味すると鹿島氏はいう。
彼らこそ東洋における史書偽造のプロであった。
彼らの身元は、ペルシアに解放されたが、そのままペルシアに仕えたバビロンの虜囚の子孫か、またはアレクサンドロスの軍に加わったユダヤ人のどちらかである……
鹿島氏は、始皇帝の正体はグレコ・バクトリアの知事だったディオドトスだというのだが、のちに日本に来た子孫たちから判断するとユダヤ人だったらしい。
始皇帝がしきりに山へ行って犠牲を捧げるところは、ユダ族よりイッサカル族を連想させるのだが、彼については奇妙な伝承が伝わっている……」


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ユダ族かイッサカル族かは別として、ディオドトスがユダヤ人だった可能性と、山岳信仰を示している。
ペルシアを征服したアレクサンドロス軍は、バクトリアからシルクロードを経て長安に至り、洛陽を建設した後、紀元前328年、更にインド西部までをも征服した。
アレクサンドロスの死後、オリエント一帯の広大な大帝国は、アケドニア、エジプト、ペルシアに分裂し、セレウコスがペルシアを引き継いだのだが、水上涼氏は次のように述べている。

「セレウコス朝ペルシアの領土は、ティグリス河、黒海、インドに接し、東方はバクトリアまでの領土と従来は考えられていたが、いまでは、アレクサンドロスの遺産として、中国という大きな植民地を継承していたとみなさなければならない。
おそらくその中国、いやシナイとのかかわりを合わせてシナと呼ぼう――は、ベトナムやマレー半島まで含まれていたのであろう。
今日でもマレーシアやインドネシアにはイスカンダル(アレクサンドロス)という名前の人はいるのだ」

(日本人とユダヤ人の秘密)

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また、鹿島説では、以下のようになっている。

【BC246年】ディオドトスがペルシア軍団を率いて中国制覇に乗り出す。
【BC239年】大夫余にいたウガヤ42代「解慕漱(ヘモス)」が満州へ逃れ、北扶余王朝を建国。
【BC230年】ギリシア人の将軍エウチデムスがクーデターを起こし、ディオドトス2世を追放してバクトリア王となり、ヒンドゥークシュ山脈一帯を支配。
【BC221年】ディオドトスが中国を統一して秦帝国を建て、始皇帝となる。

話を要約するのは難しいが、民族合流の流れから「天孫族=アマ族」が形成されたことが分かる。
アマ族がモンゴロイド系とオリエント系から成るのは、その為である。
大雑把に言えば、彼らはギリシア系とイスラエル系のハイブリッド民族で、その他、エドム人、フェニキア人、カナン人、ペルシア人、エジプト人、インド人……等が含まれている事は、間違いないと思われる。
それは、いわば「ヘレニズム」と「ヘブライズム」の融合とも言えるだろう。
posted by 夢蛇鬼 at 01:00| Comment(3) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

ユダヤ人の二重構造と「日本アシュケナジーユダヤ同祖論」の真相

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前にも軽く触れたが、「ユダヤ人」について改めて述べておきたい。
現在のイスラエル共和国の国民は基本的に「ユダヤ人」だが、「イスラエル人=ユダヤ人」ではない。
「ユダヤ人」の定義は、血統関係なく、ユダヤ教で結ばれた民族であり、もしあなたがユダヤ教徒になれば、あなたは即「ユダヤ人」という事になる。
また、母親がユダヤ教徒であれば、本人はユダヤ教徒ではなくても「ユダヤ人」とされる。

「日ユ同祖論」でいうユダヤ人は、通常「失われたイスラエル10支族」を指すが、これは間違っている。
古代イスラエル王国で10支族と2支族が分裂し、両者をイスラエル民族というが、「ユダヤ人」とは後者の2支族のみを指す。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」から成るが、狭義の意味ではユダ族を「ユダヤ人」と呼ぶ。
尚、「ユダヤ教」とは、南ユダ王国の2支族が成立した一神教であり、北イスラエル王朝の10支族の信仰とは異なる。

一般的に「ユダヤ人」というと白人のユダヤ教徒、いわゆる「アシュケナジー・ユダヤ人」と呼ばれている。
少し詳しく説明すると、現在のユダヤ人は大別して、スペイン系の「スファラディー・ユダヤ人」と、東欧やドイツに現れた「アシュケナジー・ユダヤ人」が存在する。
現在のイスラエルには、スファラディーとアシュケナジーが共存しているが、少数のアシュケナジーに支配される形でスファラディーが存在している。

問題は、ユダヤ人陰謀説などで、スファラディーは血統的ユダヤ人で、アシュケナジーは偽ユダヤ人だとされている点である。
何故なら、イスラエルが位置する中東は、セム族で占められるアジアであり、白人のアシュケナジーはユダヤ教に改宗しただけのユダヤ教徒に過ぎない、という理由からである。
同様に、アシュケナジー・ユダヤ人は、古代イスラエル民族の血統ではないと考えられている。

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もっとも、それにはそれなりの根拠と理由がある。
アシュケナジー・ユダヤ人のルーツは、ロシアのコーカサス地方からカスピ海にかけて繁栄したハザール汗国にあり、8世紀頃に国教がユダヤ教となった。
ユダヤ教に改宗したハザール人は、聖書を熱心に研究し、世界初のヘブライ語の辞書を編纂したりしたが、自分たちのルーツがイスラエル民族ではないとの自覚から、ノアの子孫の「アシュケナジー」を民族名としたのである。

だが、そうとは言い切れない。
確かに、ハザール人はトルコ系の白人だったと言われており、「アシュケナジー」は白人の祖となったノアの息子ヤフェトの孫である。
トルコ人は元来、モンゴロイドだとされているが、話はここからである。

ヤフェトの子、つまりアシュケナジーの父親の名をゴメルというが、紀元前6世紀頃、スキタイ族が中央アジアから黒海の北部に進出し、キンメル人(ゴメルの子孫)を追い出したという。
夢蛇説では、スキタイはヒッタイト→ギリシア系騎馬民族である。
彼らはモンゴル高原からコーカサス地方、黒海、カスピ海、そして中央アジアからインド亜大陸まで、ユーラシア大陸全域を凌駕していた。
サカ族やフン族もスキタイ族の末裔だが、スキタイ族は各部族ごとに各地に分散し、現地に浸透していったと考えられ、大別して「モンゴル系」と「トルコ系」に分かれたと言われている。

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トルコ人の出自が中央アジアにあり、また「日本トルコ同祖論」の観点からみると、トルコ人もスキタイ系なのかも知れない。
現在のトルコ周辺は、かつてヒッタイト帝国が栄えた地であり、また、紀元前からペルシア系民族が住み、アレクサンドロスの遠征以降はギリシア系の支配が続いた白人系の国々である。

ただ、一言付加しておくと、各民族の人種については諸説あるが、例えば「スキタイ」はアーリア人種だと言っても、様々な人種で構成されていたようで、また、古今東西、混血が重ねられてきた以上、肌の色を含めて明確に人種を区別することは出来ない。
それでも敢えて推測すれば、イスラエル民族の中でもユダ族は特にヒッタイト人と同化しており、コーカソイドの特徴を多分に持っていた可能性がある。
その「スキタイ」が、ヒッタイト人の末裔であることを否定する材料はない。

コーカサスからカスピ海にかけて繁栄したハザール汗国は、かつてスキタイ族が闊歩していた地域である。
トルコ系民族のハザール人は「勇猛果敢な戦士」だったとされているが、その正体はスキタイ族の末裔なのではないだろうか。
それが事実であれば、アシュケナジーの子孫であるキンメル人を追い出したスキタイ族の末裔が、後世にハザール汗国を建国した可能性が高い。
とすれば、ハザール人はアシュケナジーの子孫ではなく、スキタイ族の末裔ということになる。
勿論、スキタイ族の中にはアシュケナジーの子孫も含まれていた可能性もあるが、スキタイ族とイスラエル人との民族融合があった事を忘れてはならない。

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「失われた10支族」がスキタイ族と合流して日本に渡来した、という説も私は確信しているが、2支族の「ユダヤ人」もヒッタイト人と混血していたし、南ユダ王国滅亡後に一部のユダヤ人はペルシア人に同化した。
両者がどのような関係にあったかは想像の域を出ないが、「スキタイ系イスラエル10支族」と「スキタイ系ユダヤ人」が存在した可能性を主張したい。
スキタイ族は「モンゴル系」と「トルコ系」に分かれ、モンゴル帝国にはモンゴル族以外に、アーリア系の白人やセム系のユダヤ人も存在したと言われている。
主に北東アジアに「スキタイ系イスラエル10支族」が定住したと仮定し、「スキタイ系ユダヤ人」がハザール汗国を建国したと私は考えている。

ハザール人はトルコ系言語を話し、突厥文字を使用し、アルタイ系騎馬民族の特徴を色濃く持っている。
そして、ハザール王国建設の中核となったのは、万里の長城の内外で中国との死闘の末に敗れ去り、新天地を求めて西に向かった突厥の王家「阿史那(あしな)」の一派だったと言われている。
但し、日本にも2支族のユダヤ人は入ってきているし、逆にハザール汗国にも10支族の一部が住んでいた可能性もなくはない。
しかし、2支族と10支族の間に、血統的な大差は有り得ない。

それが事実だとすれば、大変なことになる。
「日本人」と「アシュケナジー・ユダヤ人」が、同じ祖先を持っている事になるからだ。
それは、「日本トルコ同祖論」と通じるものがある。
では何故、肌の色、人種が異なるのか。
それは、日本列島とコーカサス地方の原住民の人種が異なっていたからに他ならない。
勿論、仮説に過ぎないが、原住民との混血によって人種に差が生まれたのである。

尚、トルコの国旗が三日月と星である事にも注意して頂きたい。
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問題は、ハザール汗国は元々、無宗教国家だったとされている事である。
それは、ハザール人がハイブリッド民族だった為に国教が定まっていなかっただけで、個人的な信仰がなかったとは考え難い。
また、中国やインドに散らばったイスラエル民族が仏教に改宗したのを見ると、民族や宗教に拘りを持たず、環境に順応する一面を持った民族にも思える。
同様に、ハザール汗国のユダヤ人は、何らかの理由によって宗教を持たなかったか、或いは、血統的ユダヤ人でありユダヤ教徒である事を隠していた可能性もある。
逆に、今の日本人と同じく、自分たちのルーツを知らなかったのかも知れない。

いずれにしても、彼らは何の因果か、ユダヤ教徒になる道を選択した。
尚、アシュケナジー系とスファラディー系が、血統的に同じユダヤ人である事が遺伝子レベルで証明され、権威ある科学雑誌「ネイチャー」で既に発表されているそうである。
ユダヤ教のラビ(教師)で有名なマーヴィン・トケイヤーの説によると、ハザール人はハザール汗国滅亡と共に絶滅し、ハザール人とアシュケナジー・ユダヤ人は無関係だと主張している。

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ここで言うアシュケナジー系は「白人系」という意味合いだが、飛鳥昭雄氏や宇野正美氏は、アシュケナジー系の中にハザール人がいる事を強調している。
事実、ハザール帝国消滅後、東欧のユダヤ人口が爆発的に増えたのは、ハザール人の民族移動が考えられる。
また、ハザール人は、リトアニアの傭兵になったり、ポーランドやロシアに向かったという説も見逃せない。

ロシア連邦を構成するダゲスタン共和国には、多くのユダヤ人が住んでいるが、彼らはコーカサス山脈に住むユダヤ人や、黒海から来たカライ派ユダヤ人の子孫で、ハザール人の末裔だと言われている。
イスラエル共和国の多くのユダヤ人は、ポーランドやロシアから来たユダヤ人たちだと言われている。
そして、「ダゲスタン」の語源は、トルコ語の「山」にペルシャ語の地名の接尾辞を付けたものらしい。
ここに「トルコ」「ペルシア」「ハザール」「ユダヤ」のキーワードが並ぶことを特筆しておきたい。
いずれにせよ、ユダヤ人は世界中に離散して各民族に融け込み、白人や黒人になったケースは少なくない。

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イスラエル共和国が再建されて世界中のユダヤ人が集まってきたが、ユダヤ人のルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)の中でこう述べている。

「イスラエルにいたとき、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作しているのを見た。
どこから見てもインド人で、インドの言葉、インドの服装、インドの文化を持っていた。
しかし彼らがユダヤ教徒だと聞いたとき、私のユダヤ民族の概念は吹っ飛んでしまった。
同じように黒人がいた。アルジェリア人がいた。イエメン人がいた。
フランス人がいた。ポーランド人がいた。イギリス人がいた。
まだ会ってはいないが中国人もいるそうである。
どの人々も、人種や民族というより、単なる宗教的同一性としか言いようのない存在だった。 
私の母はスラブの顔をしている。父はポーランドの顔としかいいようがない。私もそうなのだ」


彼らは単なるユダヤ教徒故に「ユダヤ人」なのではない。
1500年の歴史を持つインド原住のユダヤ人を「ベネ・イスラエル」といい、「イスラエルの子」を意味する。
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要は、「アシュケナジー・ユダヤ人=ハザール人」と定義するなら、白人系ユダヤ人の全てがハザールのアシュケナジー系とは限らず、また、アシュケナジー系が「スキタイ+ユダヤ2支族」をルーツとし、我々日本人と同祖なのではないかという事である。
少なくとも、今日、世界の支配者として君臨する白人系のユダヤ財閥は、もともと黒人系のカナン人で、イスラエル民族との混血の末、ヨーロッパに移住して白人になった可能性が高い。
いずれにしても、我々日本人と白人系ユダヤ人は、同じ祖先を持っている可能性が高いのである。

勿論、全ての日本人にイスラエル民族の血が流れているとは限らないし、全ての白人系ユダヤ人が血統的ユダヤ人とは限らない。
また、ユダヤ人陰謀説に登場するユダヤ財閥には、創始者も含めてクリスチャンが多い事に注意するべきであろう。
ユダヤ教徒でもない人物に、「ユダヤ人」や「偽ユダヤ人」のレッテルを貼る陰謀論者の思考回路こそ、危険な思想だと私は言いたい。
posted by 夢蛇鬼 at 00:26| Comment(9) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

「イスラエル民族」の二重構造と「ヘブライ人」の正体

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世界各地に「失われたイスラエル10支族」の血を引く民族が発見されているという事だが、なぜ日本人の血液に対してはそのように発表されないのか。
また、誰がどのようにして、失われた古代民族の血液の特徴を知り得たのか。
もっとも、「血を引く」というのは特徴や風習などの一表現で、血液検査によるものではない可能性はあるが……。

しかし、イスラエル10支族の末裔とされるアルザル人の染色体「YAP(−)因子」が、東アジアでは日本人にしか見られないというのは非常に考え辛い。
これは徳島大医学部教授らの研究チームの発表で、不規則な分布をしていることは明らかとなっているが、普通に考えて、イスラエル10支族の血を引く人々は、韓国・朝鮮・モンゴル・中国・台湾等にも、無数に存在するはずである。
また、YAP(−)因子が、「失われた10支族」の遺伝子の特徴だと断定できる根拠は何だろうか。

実は、イスラエルの「アミシャーブ」という特殊機関の調査により、イラン・インド・アフガニスタン・中国・ミャンマー・南アフリカなど、世界中でイスラエル10支族の末裔が見つかり、その証拠が発見されているという。
彼らの遺伝子から、イスラエル10支族の特徴を掴んだのだろうか。
しかし、冷静に考えれば、共に「ヤコブ」を祖とする同民族「イスラエル12支族」に、血液やDNAに大きな違いがあるはずがない。
また、イスラエル民族は多民族との混血が少なくなく、それによるDNAの変化はあったにしても、「2支族」と「10支族」に二分化されるようなDNAパターンの変化は考えられない。

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『ユダヤ人と日本人の秘密』の中で、水上涼氏は「日ユ同祖論」について、このように指摘している。

「日ユ同祖論の不合理なところは、読者も最初からご存知のはずだ。
無人島であった日本列島にユダヤ人が流れ着いて、子孫を増やして日本人となったなどと信じる者は一人もいない。
アイヌ、ツングース、モンゴリアン、そしてポリネシアンで構成された祖先の中に、わずかなユダヤ人が混ざったようなことがあったとしても、なぜ日ユ同祖論を唱えなければならないのか?
しかし、その論が古くから執拗に繰り返されてきたのは、天皇家はユダヤ系という信念のようなものがあったからだ」

「日ユ同祖論の根底には、ハルマゲドン・コンプレックスとでもいうべきものが横たわっていることを忘れてはならない。
明治以来の日本の日ユ同祖論者たちが狂気に陥ってしまったのは、キリスト教に接触したからでもあった」

「それは、はじめから深い狂気にとりつかれていたのだ。
歴史学上の問題からまったく逸脱して、日本人とユダヤ人はどちらが正統かという主導権争いめいた論議になったり、日本人とユダヤ人とは、世界を救う大使命を担っているのだという誇大妄想狂的な心情になったりする。
それは、日ユ同祖論者たちが歴史学者ではなく、いわば牧師だったからだ。
小谷部全一郎、酒井勝軍、川守田英二氏らは、みなアメリカに留学してキリスト教の牧師になることを志した人たちであった」


水上氏は次のようにも述べている。

「日ユ同祖論を考える上で念頭に置かなければならないことがある。
それは、中東からユダヤ人だけが抜け出して日本にやって来たというわけではない、ということだ。
古代文明はシュメールで始まり、エジプトやインドに影響を与え、ここから東への貿易は盛んに行われていた。
したがって、その他の重要な民族も日本に来たわけであり、それらから日本民族が起こったと論じる者もいる」

「エルサレムの先住民族で、富を誇っていたエブス人は、関西地方でエベス様を信仰し、えびす市をたてたりしている人たちの祖先である。
イスラエル十二部族はヤコブから分かれたのだが、そのヤコブの双子の兄弟とされたエドムは、日本では出雲神族となっている。
そこで私はエジプトからカナンにかけて、イスラエル民族活躍の舞台として聖書に描かれた地『バイブル・ランド』全体に日本人の一源流を求めた。
事実、ここにいた民族の多数が、やはり日本に来ていたのであった。
したがって日本は第二のバイブル・ランドであり、我々は選民思想臭のつきまとうイスラエル十二部族の裔というよりも、バイブル・ランドの民といったほうがよりふさわしい」


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神官だった三島敦雄氏は「天孫人種シュメール人説」を主張し、社会主義者だった石川三四郎氏は「日本人ヒッタイト起源説」を提唱し、徳政金吾氏は「日本人エジプト起源説」、酒井勝軍氏は逆に「エジプト・ピラミッド日本人建造説」を唱え、木村鷹太郎氏は「日ギ同祖論」で、中央アジアの民族が地中海やインドへ移動し、後に日本人とギリシア人に分かれたと仮説をした。
いずれにしても、多民族が古代日本列島に渡来した訳だが、彼らはそれ以前から混血を繰り返してきた事は間違いない。

『創世記』には「エサウ(エドム)は四十歳のとき、ヘテ人(ヒッタイト人)とベエリの娘ユデテとヘテ人とエロンの娘バスマテとを妻に娶った」とあり、ヒッタイトとエドム(出雲)の親密性が窺える。
それは「出雲族」の「製鉄」と結び付く。
ヒッタイトは同時に、エドムの兄弟「ヤコブ」から誕生したユダ族とも混血している。
また、ユダ族のソロモン王はエドム人と同盟を結んでいた。
その為か、 「ソロモンの言葉」と出雲族の「スサノオの歌」が一致している。

これは木村鷹太郎氏の発見で、前にも紹介したが、ソロモンは次のように言った。

「主は日を天に置かれた。
しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。
わたしはあなたのために高き家、とこしえのみすまいを建てた」


スサノオも出雲で宮殿を建てた時、雲が湧き起こっている。

「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

木村氏によると、「八雲=ヤコブ」「出雲=エドム」らしい。

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水上氏は次のように述べている。

「イスラエルの他の部族から仲間外れにされたユダ族は、異色の存在であり、他の部族がシュメール的、アジア的、エジプト的要素をもっていたのに比べ、コーカサス的要素を多く持っていたのかも知れない。
そもそもユダヤ人というのは、民族学上のではなく宗教上の概念なのではないのか?
そしてユダ族はヒッタイト系だという、我々の祖先がした分類は間違いではない。
あれほど周囲の民族に罵声を投げつけていたユダヤ人も、自分たちが混血民族であることは認めないわけにはいかなかったのだ」


ユダ族のエゼキエルも次のように言っている。

「主なる神はエルサレムにこう言われる。
あなたの起こり、あなたの生まれはカナン人の地である。
あなたの父はアモリ人、あなたの母はヘテ人である」


また、イスラエル民族の中には、ヤコブがエジプト人に生ませた子の子孫たちも混ざっている。
『旧約聖書』の「エステル記」では、古代ペルシアのスサが舞台となっている。
イスラエル民族は時を経て、ヒッタイト系の末裔と思われる「ギリシア」「マゲドニア」「ペルシア」等の、古代オリエントで活躍した騎馬系アーリア民族や、北東アジアのセム系モンゴロイド等と融合していった。

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さて、ここから本題だが、先に「イスラエル12支族に血液やDNAの違いがあるはずがない」と述べたが、水上氏は「イスラエル民族の二重構造」を指摘している。

――あなたは「イスラエル人とヘブライ人は別人種」と聞かされて何と思われることだろうか。
今日、この二つは同意のものとされている。
ではなぜ、旧約聖書では別のものとして扱われているのだろうか?
またなぜ、区別できるユダヤ人はいないのだろうか?
旧約聖書によると、イスラエル民族の始祖先はアブラハムなのだが、その子イサク、孫のヤコブと続き、ヤコブの十二人の子供たちがイスラエル十二部族の祖先となった、という構成になっている。
ところが、なぜそういう構成になったかを疑問に思うユダヤ人はいない。
それは、あとに述べるが、アブラハムとイサクとに共通するある伝説の意味を理解できないことからきている。
アブラハムは、今から四千五百年前ごろの人とされ、もっと時代を遡るかもしれないとユダヤ人は豪語するのだが、ローマ人によってエルサレムが滅ぼされてから、ヨーロッパに現れるまでのユダヤ民族史は空白であり、記録もなければ、伝承もない――


ヨーロッパのユダヤ人については後回しにして、続きを読んで頂きたい。

――アブラハム、その子イサクにまつわる共通の伝承で、聖書学習が理解できないでいるものは次の挿話である。
彼がゲラルに留まっていたとき、アブラハムは妻サラのことを「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。
ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた。
「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」
このようにアブラハムは、妻を妹だと言ったために、ひどいトラブルに巻き込まれたのだが、神によって無事に救われたのだった――


アブラハムは100歳の時にイサクをもうけたが、イサクについても同様のエピソードが「創世記」に記されており、水上氏は次のように推論している。

「この不可解な挿話の繰り返しについては、アブラハムとイサクがもっていた風習とみなすべきであろう。
その風変わりな風習は、我々の祖先もまた持っていた。
我々の祖先もまた自分たちの妻を吾妹と呼んでいたのである」


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そして、次のように結論付けている。

――「出エジプト記」によると、神はモーゼに
「あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主」
と、ていねいに名乗っているのは、アブラハム、イサク、ヤコブはそれぞれ別の部族の伝説的族長だからであろう。
さらに「出エジプト記」33章には次のように書かれている。
さて、主はモーゼに言われた。
「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい」
このように話がくどくなるのは、もともとアブラハム、イサク、ヤコブは別々の部族の伝説的族長で、子孫も別々だからである。
シュメールの年代記記述法にあったが、横に併存しているいくつかの王朝を縦の系譜につなげて国内の統一をはかるという方法が、聖書でもとられていたのだ。
もっともその三つの民族が同時にカナンに入ったとは考えられないので、到着順が縦の系譜になっているのかも知れない。
このようにイスラエル民族は、妻を妹と呼ぶ風習のあるアブラハム、イサク族と別のヤコブ族との二重構造になっていた。
おそらく前の二部族が失われた部族につながるもので、ヘブライ人であり、ヤコブ族がイスラエル人と考えてみたい。
「創世記」ではただ一回の例外を除き、ユダヤ人すべてがヘブライ人と呼ばれており、イスラエル人という呼び名が現れるのはエジプト脱出以後のことである。
どうやら、ここからさまざまな二重構造が生み出されてきているようだ。
ここからわかることはヘブライ人の重み、いわば大物さで、我々にとっても関心を呼ぶところだ。
というのも、ヘブライ人の語源はイブリーなのだが、神代文字(漢字渡来以前にあったとされる文字。
各種古史古伝は神代文字で記述されたとする)の一つアビル文字は、失われた部族であるイブリーの文字だったのではないか、と私は考えている――


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この水上説を一笑することは出来ない。
遊牧民だったアブラム(アブラハム)の一族は、「移動する人々」の意で「ハビル人」と呼ばれていた。
シュメール王国の首都ウルから出発したアブラム族は、パレスチナ地方、そしてエジプトへと移動し、ユーフラテス河の対岸から来た人の意で「アビル人」と呼ばれ、それを語源として「ヘブル人」と呼ばれるようになった。
これが俗に言う「ヘブライ人」という民族の真相である。
勿論、ヘブライ人はイスラエル民族の一部であり、多民族との混血も重ねられてきたに違いない。
彼らが日本に渡来した経緯は順を追って検証していくが、次は「ユダヤ人」に焦点を絞ってみたい。
posted by 夢蛇鬼 at 00:30| Comment(2) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

アルザルに移動した古代ギリシア人と古代文明「アスカ」の謎

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五島勉氏は「幻の超古代帝国アスカ」の中で、インドに「ASKA(アスカ)」という地名を発見し、1万年前はそこが文明の中心地で、文明滅亡後に生き残った人々が日本の「飛鳥」に流れたという仮説を発表している。
年代や文明滅亡については確たる根拠はないが、日本人はインドのASKA人の子孫だというのだ。

ロシアのウラジオストク大学の歴史学者オキノフ博士は、日本人の起源は北極海に面したシベリアの「チクシ」だとしている。
「チクシ」の東に「ヤナ川」があり、九州の「筑紫」及び筑紫地方の「柳川」と一致する。
「天孫(アマ)族」がインドから日本に移住してきたギリシア人である事から見て、五島氏の推理はあながち的外れではないと言えるだろう。

では、オキノフ博士の仮説はどうか。
高句麗より更に東北のロシア沿海州「悒婁=ユーロー」にギリシア人がいたという『魏志倭人伝』の話を思い出して頂きたい。
そこは「粛真(チュクチ)氏」の国と呼ばれ、九州の「筑紫・菊地」を支配していた人たちで、彼らが北へ移動し、それを追ってギリシア人も北へ移動したと加治木氏は述べている。
つまり、シベリアの「チクシ」の語源は、九州の「筑紫」だったことになる。
そうすると、彼らの一部が地球内部世界「アルザル」に入った可能性も考えられる。

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「山」の話の続きと「アスカ」の語源について、加治木氏は次のように述べている。

――アスカの語源がアショカ王の名から来ていることは、飛鳥寺がアショカ王寺を意味していることですぐわかる。
ではなぜ「アショカ」が「アスカ」になっているのであろうか?
お釈迦様の発音は、標準語だと「おシャカさま」だが、天智天皇の出身地・鹿児島県では、「シャ・シュ・ショ」という発音は、今は学校で教わるから別だが、本来の言葉にはなかった。
だから純粋な鹿児島語では「おサカさあ」と発音する。
アショカ王の場合も「ショ」という発音はないから「ソ」になる。
醤油は「ソユ」、焼酎は「ソツ」、アショカは「アソカ」になる。
鹿児島県には非常に古い家系として知られる姓が今も残っているが、その一つに「阿蘇谷」がある「アソガヤ」と読む。
これは一見、阿蘇山の谷を意味しているように見えるが、その山名のほうが後世のものなのである。
だから語尾の「谷」は「ヤ」という国を意味する代名詞で、「アソカ国」に対する当て字なのだ。
これと同じものにはアショカ王の国・マガダ国への当て字「曲田」姓がある。
この地域には他にも同じような超古代からの姓や地名が大量にあるので、その発生年代を緻密に分析してみると、古代鹿児島がアショカ仏教国だったことと、その史実が立体的に立証されるのである……
だからこの阿蘇谷は、その時代には「アソカ国」と呼ばれていた国が実在したことを記録しているのである。
当時、ヒミコは南九州から朝鮮半島までを支配した五彩圏連邦の女王だった。
その首都圏であった九州の中心にそびえる山が、仏教徒国民のシンボルとして、「アソカザン」と呼ばれたのは当然のことである。
これには今も使われている「阿蘇火山」という当て字の発音は、一字一音の誤差もなく、完全にぴったりしている……
アソカの名はその後間違いなく奈良に入った……
ただしそのアソカは、さらに天武天皇の革命でもう一度発音が変わった。
天武天皇は沖縄語人だったから、母音のオをもつ「ソ」の発音がないので、それは「ス」になる。
こうしてアソカは「アスカ」を生みだした。
これがアスカという発音の歴史なのである。
「阿蘇=アショカ山」
『日本書紀』では単に「火のつく山」としか書かない。
真実はヒミコ以来の信仰・仏教のシンボルだった。
山の名が示すものは、後のアスカに至る倭人の根強い仏教信仰なのである――


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「アショカ」という言葉が鹿児島で「アソカ」となり、それが天武天皇によって「アスカ」となった……
という事は、インドの「ASKA(アスカ)」の発音は、日本からの逆輸入なのだろうか。
ただ、スペルに関しては「ASIKA」と書く場合もあるようで、その語源は「ASOKA(アショカ)」なのか、それとも似ているだけなのかは不明だが、関連性は否定できない。
何故なら、ASIKAの場所は東インドのオリッサ州の山中だからである。
彼らの宗教が山岳信仰だった事は分かったが、天孫族は何故、活火山の多い九州を拠点にしたのか……

アリオンの預言者・北川氏はこう述べている。
「活火山の多い日本列島こそ、人類の進化と活性化に適した特殊な磁場を持つ地域であるという観測が、当時のアマ族によってなされていたらしい」

また、五島勉氏は、スペインのASCO(アスコ)、イギリスのストーンヘンジの近くのASCOT(アスコット)、地上絵で有名なペルーのNASKA(ナスカ)、洞窟が出有名なフランスのRASCO(ラスコー)、北米のALASKA(アラスカ)、シリアの首都・DAMASKAS(ダマスカス)などが、全世界に広がる「アスカ文明」の名残りだとしている。
それらは、ASOKA(アショカ)王の仏教宣布団の派遣先だったのかも知れない。
posted by 夢蛇鬼 at 00:00| Comment(4) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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