2010年05月24日

古史古伝が明かす伝説の世界天皇「A大王」の後継者の正体

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王仁三郎の人種論によれば、セム族を「イスラエル人種」と称し、日本人、ユダヤ人、満州人、蒙古人、コーカサス人などを含んでいる。
泉田瑞顕氏は『出口王仁三郎の大警告』の中で、次のように述べている。

「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」


だが、これは明らかに間違っている。
「セム族」はノアの息子セムの子孫を指し、「イスラエル人」はヤコブの子孫を指し、イスラエル人は「セム族」ではあっても、「セム族=イスラエル人」ではない。
そして、日本人、ユダヤ人、満州人、蒙古人が「セム族」ではあっても、「イスラエル人」と同一視するのは適切ではない。
また、コーカサス人は「ヤフェト族」に分類するべきであろう。
富士高天原から各地に降臨した天孫民族が「セム族」というのも、明らかにおかしい。
セム族の出自が富士高天原とするなら、「ノアの方舟」は富士山に漂着したことになり、ヤフェト族(白人の祖)やハム族(黒人の祖)も富士高天原から降臨したことになり、聖書の記述と全く異なっている。

「創世記」によると、方舟は3階建てで、長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キュビットで、アララット山に漂着したことになっている。
1キュビットは約44.5cmなので、方舟の長さは133.5メートルという事になるが、アララット山系で「ノアの方舟」と思われる方舟地形が発見され、全長は約135メートル、人工衛星からスキャンした写真によると、内部構造も聖書の記述通り3階建てで細かく部屋が仕切られており、トルコ政府の調査でも「ノアの方舟」であると発表された。

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王仁三郎の「富士高天原王朝説」は、『宮下文書』の影響を受けたものだと思われるが、『宮下文書』では、最初の神人「天之峰火雄神」はペルシアの北方に起源を持ち、約6400年前に「高皇産霊神」の7人の皇子が各地に離散し、その内の「国常立尊」と「国狭槌尊」が「高皇産霊神」と共に富士山に渡来したという。
つまり、富士高天原王朝の神人のルーツは、ペルシアの北方、即ち、トルコとイランの国境にあるアララット山方面であり、「天之峰火雄神=ノア」だと言えるだろう。
そして、約6400年前というのも、オコツトが教える新時代の幕開けの時期ともほぼ一致する。

前置きが長くなってしまったが、バイブル・ランド(聖書の舞台の地)で絶大な権力を持っていたヒッタイト人とエブス人は、牡牛神「バアル」信仰の多神教を守り通した10支族に肩入れしたと考えて良いだろう。
その後、北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされて連れ去られたが、後にアッシリア帝国はスキタイ族に滅ぼされ、イスラエル10支族を統合した。
ペルシア系といわれるスキタイ族は、西は北欧、東は沿海州沿岸に至るまで、ユーラシア大陸全土を席巻した。
アレクサンドロスは、ギリシアを統一してペルシアを征服。
ペルシアの衣装を身につけて「スサの王」を名乗り、各地にギリシャ人都市を建設し、ペルシャの儀式を採用した。

また、ペルシア兵を登用し、ペルシャ人との合同結婚を行ない、紀元前324年には、自らもダレイオス3世の娘スタティラと結婚した。
この時、ペルシアにいたユダヤ人やスキタイ族も併合したと考えて間違いないだろう。
人種を融合し、世界帝国の建設を夢見たアレクサンドロスは、ペルシャを併合した後、エジプトで「ファラオ」となり、更に「アジアの王」となるべく中央アジアのバクトリア、ソグディアナ(現トルクメニスタン)、中国、インドへ侵攻し、エジプトからインダス河領域までの広大な地域を征服した。
そして、33歳の若さで大帝国を築き、華やかに散っていったアレクサンドロスの短い生涯の偉業は、ギリシアやローマの歴史家たちに脚色され、伝説的な英雄の物語として後世に伝えられた。

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アレクサンドロスの伝説は、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、インド、東南アジア各地で、「アレクサンドロス・ロマンス」として流布し、世界の歴史書、教訓書、宗教書、神話、叙事詩では、アレクサンドロスは単なる歴史上の英雄ではなく、神の子や預言者として描かれている。
『竹内文書』に登場する、万国を巡幸したという伝説の「世界天皇」の正体は、アレクサンドロスだったのではないだろうか。
『竹内文書』では、「不合(フキアエズ)朝」の世界天皇は73代続いたが、最後の神武天皇が「神倭期」の初代天皇となったので、フキアエズ朝は実質72代という事になる。
同様に、古史古伝の『上記』でも、ウガヤ朝は72代続いた事になっている。
『宮下文書』では、ウガヤ朝は51代までとなっているが、王妃による摂政を含めると75代となる。
「ウガヤ朝」と「フキアエズ朝」は同一王朝で、神武天皇の父「ウガヤフキアエズ」を指している。

つまり、夫余族系の「上伽耶=任那」のことで、73代も続いたというのは明らかに創作である。
フキアエズ朝の初代「武鵜草葺不合身光天津日嗣(タケウガヤフキアエズミヒカリアマツヒツギ)天皇」は、『記紀』の「ウガヤフキアエズ」に対応し、初代と73代目が親子関係となる。
ここで「多次元同時存在の法則」を使うと、初代〜72代目までの天皇が同一人物でまとまる。

飛鳥昭雄氏は、こう述べている。
「多次元同時存在の法則の下では、時間や人数の概念は一切通用しない。
何億年もの寿命や数百世代の隔たりがあっても、たったひとりの人間や神に集約されてしまうからだ」

(『竹内文書』と月の先住宇宙人)

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結論として、フキアエズ朝は一代の天皇であった。
その天皇の名は文字通り、神武天皇の父「ウガヤフキアエズ」で、本名は「フツ」だったに違いない。
だが、上伽耶王が各国を巡幸したという記録は皆無である。
彼らは「アレクサンドロス大王」の名と伝説を継承する一族である。
大王は「強者が我が帝国を支配せよ」と遺言し、後継者を決めなかった。
その後、後継者争いが起こり、分割された各帝国に「アレクサンドロスの後継者」を名乗る王たちが現れた。

だが我々は、アレクサンドロス軍がインドで仏教に傾倒した事を知っている。
大王によって、マカダ国王に任命されたチャンドラグプタは、名君となって国を繁栄させ、ペルシャ皇帝セレウコスの王女を妻に迎えた。
その孫が、インド亜大陸をほぼ統一した暴君「アショカ王」だった。
そして、アショカ王の後継者として、「ソナカ家」が選ばれたのではないだろうか。

今まで検証してきた通り、ソナカ一族が「出雲族」である事はまず間違いない。
それは日向族同様、スキタイ族である。
その民族構成は、ギリシア・マゲドニアの子孫もいたが、釈迦(サカ)族の子孫も間違いなく存在したはずだ。
その中に、「イスラエル10支族」の末裔がいたことは想像に難しくない。
しかも、家紋の類似性から判断して、釈迦は「ガド族」の末裔だった可能性が高く、釈迦族も「牡牛」をトーテムとしていた。
それ故、出雲族の「ガド族」に、スサノオの神権が与えられたのではないだろうか。

また、スサノオが「出雲族」というのは便宜上の表現ではなく、『日月神示』でも「スサノオは出雲の神」だと示されている。

「出雲とはこの地のことぞ。スサナルの神はこの世の大神様ぞ」

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これはマクロな表現で、地球全土が出雲、スサナル(スサノオ)は地球意識という事である。
従って、その現人神のスサノオも「出雲族」でなければならない。
「出雲」の根源的な語源を考察すると、やはり「エドム」であろう。
聖書では、イスラエル民族がバイブル・ランドの主役として描かれているが、イスラエル(ヤコブ)の双子の兄である「エドム」の子孫は、日の目を見ない存在としての扱いである。
日向が「ひなた」であるのに対して、出雲は「日陰」だとも解釈できる。

イスラエルは「神と戦う(神武)」という意味で、エドム人こそが本当の大神権を持っていた可能性も否定できない。
前述の通り、北イスラエル王国が独立後、エドム人やヒッタイト人は、イスラエル10支族と合併したのではないだろうか。
そして、エドム人やヒッタイト人と混血したガド族の末裔から、釈迦やスサノオ(神武天皇)が誕生した……とは考えられないだろうか。

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通説では、失われた10支族が中央アジアを経て、シルクロードを通って朝鮮半島を経由し、日本で天皇家となったと言われている。
一方、加治木氏は、インドから渡来したギリシア系仏教集団が天皇家になったと主張。
前者が「日向族」で、後者が「出雲族」と考え勝ちだが、事実はそうではない。
ギリシア人やペルシア人(ユダヤ人含む)、スキタイ族(イスラエル10支族含む)等を併合したマケドニアのアレクサンドロス軍が、インドで仏教に改宗したのが「アショカ仏教宣布団=天孫(アマ)族」だったと、私は考えている。

つまり、出雲族と日向族、即ち「アマ族」は、イスラエル民族を主体とするバイブル・ランドの民をはじめ、ギリシア人、マケドニア人、ペルシア人、スキタイ族の融合民族だったのだ。
木村鷹太郎氏は、ギリシア神話と日本神話の類似性から「日ギ同祖論」を提唱した。
それは、太古に中央アジアから、日本人とギリシア人の祖型となる民族が降りてきて、地中海、そしてインドに移動し、後に日本人とギリシア人に分かれたというもので、ヘブル人もその民族の枝分かれだという。
この「日ギ同祖論」にも異論はあるが、ギリシア人やベブル人がインド経由で日本に渡来した事と比較して、非常に興味深い仮説ではある。

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では、木村氏による「日本神話」「ギリシア神話」「聖書」の中の類似語や共通点を、ダイジェストで紹介しよう。

・スサノオの長髪=サムソンの長髪
・大国主の天の詔琴=ダビテの琴
・スサノオの生太刀と生弓矢=ヤコブの大刀と弓
(これを受けたのが大国主とヨセフで物語が一致)
・ヨセフはギリシア語で「吉兆・幸福」を意味するヨセモス→ヨセフス
・「大物主」は、無双唯一の大人物を意味する「オーモノス」
・大国主を救った「ネズミ」とダビテを救った「ヨナザン」の話が類似
(ヨナザン(Jonathan)は「潜伏」のギリシア語「ヨネゼン」で、ヨは「善」という意味の接頭語。
ナザン=ネゼンが「ネヅミ」に転訛し、繋げて「善き鼠」命拾いした潜伏場所)
・スサノオが大国主を黄泉比良坂まで追う=ヨセフの父ヤコブの将に死せんとする時
・宇都志国玉(ウツシクニタマ)=ウスス・コグニタム(Usus Cognitam)→正理よりするに非ず、実際上の事情よりして統治の意
(スサノオが大国主に「宇都志国玉の神となれ」と言ったのは、「葦原中国の仮の支配者になれ」という意味)
・大国主・大物主=ギリシア語の「オイコノモシ」(家宰・経済家の意)
・ヨセフスの「ヨウ」は「善良・豊富・人事・幸福」の意で、「善う・吉し」に通じ、「吉野」はギリシア名称のヨイノスに相当
・聖書でヨセフを「夢見る者」としているが、「夢」はギリシア語のヨメネース・ユメニア(恩恵・寛大・幸福・吉兆)が語源で、「ヨセフ=ユメニア」


「夢なる日本語がユダヤ綴音、ギリシャ綴音の中間に架橋して、その意味を通ぜるものにして、日本語の世界的言語研究の価値は、かくの如き点にも表はるるなり」
posted by 夢蛇鬼 at 13:50| Comment(17) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

スサノオの神権を継承したバイブル・ランドの覇者「ガド族」の謎

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泉田瑞顕氏は、『出口王仁三郎の大警告』の中で次のように述べている。

「二千七百年前、中東パレスチナの地から姿を消したイスラエル十支族は、海陸両面から東に向かい、縄文晩期の頃から波状的に日本列島各地へ渡来し、当時の列島原住民と同和混血したとみるべきであろう。
東洋史に現れてくる扶余族の主流はおそらく、陸路を東進したイスラエル人であり、倭人というのは、海路を東に向かったイスラエル人であろう。
彼らは日本列島各地の海岸平野地帯に定着し、先住民と同化しつつ、いわゆる弥生経済革命の原動力となった」


氏の主張を要約すると、陸路を東進したイスラエル人が「扶余族」 、海路を東に向かったイスラエル人が「倭人」で、共にイスラエル10支族ということになる。
つまり、「扶余族=日向族」「倭人=出雲族」で、「日向族+出雲族=イスラエル10支族」だというのだ。
だが、倭人はカリエン人(バビロニア人の末裔)で、夫余系国家「高句麗」の原住民もカリエン人である事は、既に解明済み。
そして、加治木説を軸にアリオン説を検証してきた通り、「夫余族=ソナカ家」は海路ルートで渡海した出雲族であった。

また、泉田氏は、イスラエル10支族が陸海各ルートで日本に渡来して共同社会を築いた後、騎馬民族の神武一族が来襲したと結論づけているが、夫余族こそが「騎馬民族」なのであった。
それは、「出雲族」としての神武天皇である。
記紀で、神武天皇が「日向族」だとされているのは何故か……別の機会に改めて詳述する。

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アマ族の中のイスラエル民族を分類すると、夢蛇鬼説ではおおよそこのようになる。

「出雲族=イスラエル10支族」「日向族=イスラエル2支族=ユダヤ人」

「出雲族と日向族」の対立は、「10支族と2支族」の対立だったという見方が出来る。
但し、厳密に言えば、その構成は最初から変則的であった。
ヤコブ(イスラエル)は12人の息子を設けた。
即ち、「ルベン」「シメオン」「レビ」「ユダ」「ダン」「ナフタリ」「ガド」「アシェル」「イッサカル」「ゼブルン」「ヨセフ」「ベニヤミン」である。
この12人の息子から「イスラエル12支族」が誕生したが、レビ族は祭祀職として聖別され、12支族から除外視。
代わって、ヨセフの息子「マナセ」と「エフライム」が独立した支族を形成し、「イスラエル12支族」は次の構成となっている。

「ルベン族」「シメオン族」「ユダ族」「ダン族」「ナフタリ族」「ガド族」「アシェル族」「イッサカル族」「ゼブルン族」「マナセ族」「エフライム族」「ベニヤミン族」

また、イスラエル(ヤコブ)には、「エドム」という兄弟がいた。
もっと言えば、イスラエルはアブラハムの子孫ではなかった可能性が高い。
更に『大本神諭』では、「イスラエルの十二の支流の源を明らかにする」と示されているが、今のところ、イスラエル12支族の源はイスラエル(ヤコブ)であるとしか言いようがない。
従って、それらを総称して「ヘブライ人=イスラエル民族」としよう。
彼らはエジプトに移住し、膨大な数に膨れ上がった。

水上涼氏は、「イスラエル民族の中にはエジプト人と呼んだ方が良い部族もいる」と指摘しているが、エジプト人も加わったと見て良いだろう。
また、エルサレムには「エブス人」という先住民がいたが、水上氏によると、ソロモンに事業の経営を指導したのはエルサレムのエブス人で、エルサレムを陣取ったダビデが、実はエブス人と同盟していたという。

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水上氏は著書『ユダヤ人と日本人の秘密』で、こう述べている。

――聖書によれば、エルサレムはたしかダビデがエブス人から奪い取ったことになっていたはずだが、そこには謎めいた王がいたことになる。
しかもその王は驚嘆すべき富を持っていたのは疑う余地がないが、もう一つの力である軍事力を持っていたことも推定できる。
その王とソロモンの間に軍事上の完全な信頼関係があったことを物語る。
これはエルサレムのエブス人であろう。
彼はダビデを後援してとらせた王位を、ソロモンによって再び確保したのであった。
それでは、彼はなぜソロモンを選び出したのか?
ソロモンがどういう集団に属していたかについて、私にある一つの考えは、ヒッタイトの存在である。
そのかかわりは、ソロモンの母親がヒッタイト人だったからかも知れない――


また、次のように述べている。

――「日ユ同祖論」とはいっても、イスラエル民族の周辺にいた民族、ヘテ・エブス・エドムもまた我々の祖先である。
「列王記上」には、「ソロモン王はエドムの地、紅海の岸のエラテに近いエジオン・ゲベルで数隻の船をつくった」とあるので、たしかにエドム人たちが、あるいはエドム人による造船会社がタルシン船を製造したものらしい。
またマレー半島での、ソロモンの名が出てくる鹿とワニの民話の日本版は「出雲風土記」に載っている。
エドム人は船をつくっただけでなく、その船に乗って日本にも来たのである。
彼らが出雲族なのだ。
「創世記」によれば「エサウは四十歳のとき、ヘテ人とベエリの娘ユデデとヘテ人とエロンの娘バスマテとを妻にめとった」とある。
エサウはエドムの本名であり、ヘテは世界最古の製鉄民族のヒッタイト人なのだが、エドム人とヒッタイト人は親密な関係にあったことを意味している――


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出雲族はエドム人なのだ。
しかし、ここでいう「出雲族」は、年代的に見て、アリオンの預言者・北川氏が便宜上名付けた「出雲族」とは異なる。
縄文時代に日本列島に渡来した「先住出雲族」である。
ここで注目すべきは、「エドム人とヒッタイト人が親密な関係にあった」ということ、「ダビデがエブス人と同盟していた」ということである。
エドム人(出雲族)とヒッタイト人は切っても切れない関係のようだ。
古代イスラエル王国の初代大王は、ベニヤミン族のサウルだった。

そして、サウル亡き後、ユダ族のダビデが大王に選ばれた。
ここで確認できる事は、「ユダ族」のみがイスラエル民族の絶対的王権を持っている訳ではないということ。
また、当時、ユダ族が肩入れされていた理由は、ヒッタイト人との関係であった。
ソロモンの時代、ユダヤ教はまだ成立していなかった。
初代大王のサウルは、息子に「エシュバール」と名付け、バアル信仰を明らかにした。
2代目のダビデは、偶像を寝床に入れて逃走した。
3代目のソロモンは神殿を建て、12頭の牛の像を3頭ずつ東西南北に向けて設置していた。
シュメール〜ヒッタイトの流れを汲むイスラエル民族が、牡牛を中心とする多神教だったことは、当然といえば当然のことだった。

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そして、ソロモンが神殿に「契約の箱」を収めると、雲が神殿に満ち、ソロモンはこう言った。

主は日を天に置かれた。
しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。
わたしはあなたのために高き家、
とこしえのみすまいを建てた。


同様に、スサノオが出雲で宮殿を建てた時にも雲が現れ、スサノオは日本で最初の和歌を詠んだ。

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を

木村鷹太郎氏は、「八雲=ヤコブ」「出雲=エドム」であるとし、水上氏は「スサノオはヒッタイト〜ユダ族を貫く神」だと主張した。
ところが、イスラエル王国の南北が分裂し、ユダヤ教の成立に伴って、ユダ族の信仰は一神教に変貌していった。
「一神教」については、別の機会に詳述したい。
一方、エフライム族の「ヤラベアム」が10支族の王として、北イスラエル王国を建国。
後に、10支族が「出雲族」となり、2支族が「日向族」となったとするならば、出雲族と日向族を統合する大王(天皇)になる為には、古代イスラエル王国を治めた「ユダ族」を超える王権を備えている必要がある。
イスラエル民族の中で、特に目立った存在ではなかった「ガド族」が、皇位継承の証を保持して日本に渡来した経緯は、どのようなものだったのだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 11:47| Comment(4) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

夫余系騎馬民族とヘブライ人「スサノオ」の部族と天皇家の秘密

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「辰」の意味が「ふるう」であるなら、辰王こそが「初代フル=沸流」だった可能性を指摘したが、真相は更に奥深い。
辰王の故郷である高句麗の初代の王「朱蒙」は、スキタイ族の一派である夫余族(扶余族)の出身である。
その夫余族の始祖の名前を「解夫婁」といい、古代朝鮮語で「ヘブル」と読む。
日本では「ヘブライ」と言うが、これは中国の漢字で「希伯来」と表記したものが、日本語に翻訳された時に「ヘブライ」と誤訳された名残らしい。
しかも、イスラエル人には「フル」という名前は普通に存在するらしく、『旧約聖書』でもユダ族の「フル」という人物が、アロンと共にモーゼに仕えている。

「解夫婁――ヘブル」「布流――沸流――フル」

夫余系騎馬民族は、ヘブル人だった可能性が高いのだ。
シュメールのウル(牛の意)から出発したアブラハム族(ヘブル人)は、「牡牛族」と呼べる民族である。
そして、アブラハムの子孫を「ヘブル人」というが、アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)は、王朝系譜が繋がらない別々の部族で、ヘブル人とイスラエル人は異なる民族だという水上説を紹介した。
では、夫余族はヘブル人であって、イスラエル民族ではなかったのだろうか。

ヘブル人はイスラエル民族と共にいた。
また、イスラエル民族の兄弟であるエドム人も、イスラエル民族と共に生活していた。
ヘブル人やエドム人は、イスラエル人に溶け込んでいた可能性は十分考えられる。
「出エジプト記」に於いては、イスラエル民族を指して「ヘブル人」と呼んでいる。
ヘブル人とは、アブラハムの子孫の総称だと言っても良いのではないだろうか。

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ヘブルは「移動する民」の意で、要は遊牧民である。
木村鷹太郎氏は、「ダビデ」の語音は「旅人→ダビト」だとしている。
という事で、ここでは「ヘブル人=イスラエル人」と仮定して、話を進めていきたい。
ユダ族のダビデは、イスラエル民族の王である。
ダビデ王・ソロモン王を産み出した「ユダ族」は、イスラエル12支族の王家であった。

『旧約聖書』は、ユダ族とヒッタイト人との深い繋がりを強調している。
ヒッタイト人は、世界最古の製鉄民族にして騎馬民族。
アリオンは、スサノオを生んだ出雲族は、鉄鉱民にして、王位継承の証を保持していたと伝えている。
日本の天皇は「万世一系」だと言われているが、聖書で神は「ソロモンの家系を永遠に保つ」と約束している。
ちなみに、紀元前5世紀〜紀元10世紀にかけて、現在のエチオピア辺りの地域で繁栄したアクスム王国の王は、「王の王」と呼ばれ、ソロモン王とシバ女王の後継を名乗っていた。

ユダヤ人を含むイスラエル民族が、世界各地に離散している以上、可能性は無きにしも非ずだが、話を戻そう。
つまり、 「夫余族=出雲族」は、ユダ族だった可能性がある。
勿論、ユダ族に限定する必要はなく、ユダ族とベニヤミン族で構成される「イスラエル2支族」のユダヤ人だと言えるだろう。
ユダヤ人は、龍をサタンと見なしていた。
八岐大蛇を退治したスサノオは、正に「ユダヤ人=イスラエル2支族」の王の後裔だったのではないだろうか。
だが、出雲族である辰王の「辰」には「龍」の意味がある。
また、高天原から追放されたスサノオは、堕天使ルシファー(龍)でもある。

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大本から分かれて「皇道赤心会」を結成した泉田瑞顕氏は、著書「出口王仁三郎の大警告」の中で、次のように述べている。

「昔の中国北東地域に存在したと言われる扶余族が、勢力を拡大して高句麗を建国し、その一派が朝鮮半島を南下して百済を建国した。
その後さらに南進して狗邪韓国(加羅国)をつくり、その部族集団が天孫族と称して日本へ侵入して来た」


泉田説によれば、扶余族こそ「失われたイスラエル10支族」だという。
飛鳥昭雄氏など、多くの学者が「余夫系騎馬民族=イスラエル10支族」だと主張している。
古代イスラエル王国は南北に分裂し、10支族の北イスラエル王朝は「サマリア」を首都とした。
そして、黄金の子牛像を崇拝した「イスラエル10支族」から、牛頭天王「スサノオ」が生まれたとは考えられないか。
では、出雲族がイスラエル10支族だと仮定して、スサノオは何族だったのだろうか。

通説では、ガド族が「帝=天皇」になったと言われている。
尊称の御を付けて「御ガド」、又はヘブル語で「出身」を意味するミを付けて「ミ・ガド」になったのだという。
本来、ミカドはミガドと呼ばれ、現在でも、宮中への参内を「ミガドマイリ」、正月の朝賀を「ミガドオガミ」という。
また、ガド族の紋章と天皇家の「五七の桐紋」が似ている事も指摘されている。
古来、天皇は「スメラミコト」と呼ばれていた。
スメラミコトはヘブル語の「サマリアの王」だという説もある。
また、「スメラ」は古代バビロニア語の「シュメール(SUMER)」と同じ発音で、「ミコト」は「天降る者」の古代バビロニア語「ミグト(MIGUT)」が変化したものだとも考えられている。
確かに、ヘブル人はシュメールから天降った(出発した)民族である。

また、ミコトは本来、「ミガド」と呼ばれていたという説がある。
そうすると、スメラミコトは「スメラミガド」となり、「シュメール出身のガド族」という意味にもとれる。
何故、古代バビロニア語なのか。
朱蒙が建国したとされる高句麗の原住民「倭人=カリエン人」が、古代バビロニア人の末裔だからに他ならない。

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『旧約聖書』では、ヤコブ(イスラエル)が12人の息子を集め、各支族の未来を予言しているが、「ガド族」についてはこのように述べている。

「ガドには侵略者が迫る。しかし彼はかえって敵のかかとに迫るであろう」
(「創世記」第49章)

また、モーゼは次のように予言している。

「ガドを大きくする者は、ほむべきかな。
ガドは獅子のように伏し、腕や頭の頂きをかき裂くであろう。
彼は初穂の地を自分のために選んだ。
そこには将軍の分も取り置かれていた。
彼は民のかしらたちと共にきて、イスラエルと共に主の正義と審判とを行なった」


この予言は、出雲族の日向国侵攻に通じるものがある。
アリオンによると、先に日本列島に到着し、既に強大な国を建設しつつあった日向族は、出雲族との協力を拒み、出雲族が保持する皇位継承の証「十種神宝」の引き渡しを要求してきた。
そこで、出雲族の族長であったフツは、息子スサノオ、スサノオの第5子であるトシ(後のニギハヤヒ)らを伴って、九州に住む日向族の制覇に乗り出した。

これは、高天原に攻め入った「スサノオ」であり、邪馬台国を侵攻した狗那国王「卑弥弓呼」や、日向政権を倒した「崇神天皇」とも符合する。
ただ、この時の出雲族の族長がフツとなっているので、ここでは「卑弥弓呼=崇神天皇=フツ」という事になるが、スサノオとアマテラスの誓約がストーリーの核心部なので、出雲族の主役は「スサノオ」と見るべきだろう。

『卑弥弓呼=崇神天皇=スサノオ』

また、皇室の「三種の神器」のルーツがインドである話をしたが、元はやはり「ユダヤの三種の神器」だと思われる。
ユダヤの三種の神器は、2支族のユダ族の王に継承されるもので、また、日向族の象徴は「三」である。
出雲族が保持していた「十種神宝」は、2支族とは無縁のもので、10支族を象徴して「十種神宝」となっていたのかも知れない。
そして、ガド族の祖「ガド」の息子に「ツェフォン」がいるが、日ユ同祖論者の小谷部全一郎氏によると、ツェフォンはヘブル語の発音では「ニッポン」に近いという。

ここで1つの仮説が成立する。

「出雲族=イスラエル10支族」
「日向族=イスラエル2支族=ユダヤ人」
「ガド族の王=初代天皇=神武天皇=スサノオ」
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2010年05月21日

アレキサンダーと牛頭天王のルーツと雷神スサノオの本名

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前にも紹介したが、奈良県天理市布留(フル)町の布留山の北西麓に鎮座する石上神宮に、その秘密が隠されている。
石上神宮は「布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)」を主祭神とし、その他の配祭神の中で重要な2神が「布留御魂大神(フルノミタマノオオカミ)」と「布都斯魂大神(フツシミタマノオオカミ)」である。
社伝によると、神武東征において建御雷神(タケミカヅチ)が神武天皇に与えた剣と、その霊威を「布都御魂大神」と称える。
神武天皇を「スサノオ」とすると、建御雷神は「スサノオの父」と考える事が出来る。

『古事紀』では、スサノオを「建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)」と表記するが、両者が頭に「建」を冠することから、同族であることは間違いないだろう。
『日本書紀』では、タケミカヅチと共に経津主神(フツヌシノカミ)が降臨したが、『先代旧事本紀』では、経津主神の御魂の剣が「布都御魂」であるとしている。
『古事記』でも、タケミカヅチの別名を「建布都神(タケフツノカミ)」「豊布都神(トヨフツノカミ)」として、タケミカヅチとフツヌシを同一神として扱っている。
やはり、石上神宮の主祭神「布都御魂大神」の正体は、スサノオの父「フツ」なのだ。

『タケミカヅチ=タケフツノカミ=フツヌシノカミ=フツ=スサノオの父』

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「布留御魂大神」は、ニギハヤヒが持っていた十種神宝と、その起死回生の霊力を神格化したものである。
という事は、「布留=フル」という名称は、ニギハヤヒが先祖の「沸流」から継承したものだと分かる。
アリオンによれば、スサノオの第5子であるニギハヤヒの本名は「トシ」である。
これは、記紀でスサノオの子として登場する「大歳神」又は「大年神」と一致する。

『布留御魂大神=フル=ニギハヤヒ=大歳神(大年神)=トシ=スサノオの第5子』

そして、スサノオが八岐大蛇を退治した十握剣の霊威を「布都斯魂大神」として祀られている。
つまり、「布都斯魂大神=スサノオ」で、スサノオの名前は「フツシ」だったのだ。
加治木氏の研究により、スサノオは「ソナカ王家」だった事が判明した。
そうすると、朱蒙や辰王や上伽那王も、必然的に「ソナカ王家」という事になる。

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加治木氏は著書『日本国誕生の秘密はすべて「おとぎ話」にあった』(徳間書店)の中で、次のように説明している。

――ソナカは任那(ミマナ)・意富加羅(オオカラ)・新羅(シラギ)の王子と『日本書紀』の[崇神・垂仁両紀]に書かれていますが、それらは四〜五世紀にできた国々で卑弥呼当時にはありませんでした。
彼は一体どこからきたのでしょう?
ミャンマーから東南アジアにかけて、非常に大きな仕事をなしとげ、彼の名とぴったり同じ名をもったソナカ王子という人がいました。
このお話はあのアレクサンドロス大王のインド東征にまでさかのぼります。
アレクサンドロス大王がインド西北部を占領して戦勝祝賀式を挙げたときマカダ国王に任命されたチャンドラグプタは、たいへんな名君になり国を繁栄させて、アレクサンドロスの死後、
ペルシャ皇帝になったセレウコスの王女を妻に迎えました。
その孫が有名なアショカ王なのです。
王は戦争に明け暮れたあと悟りを開いて、世界平和を願って仏教を全世界に広めようと思いたち、四方に大掛かりな「宣布団」を派遣しました。
西はギリシャ、エジプトまで行きましたし、北はヒマラヤを越えてタクラマカン砂漠周辺のカロライナ=楼蘭などまで、東はミャンマー、タイ、ベトナムから台湾までを仏教の国々に変えて行きました。
出発は紀元前244年でしたから、卑弥呼の時代に到るまでにその王位は次々に子孫に受け継がれ変わりましたが、その姓はずっと「ソナカ」で変わりなく、少女卑弥呼を追って日本列島へやってきたソナカは、その王家の王子だったのです。
その名はいろいろに当て字されて幾人もの天皇の名前になっています。
「崇神天皇」は、御真木入彦という名乗りですが、「御」は沖縄語では「ウ」、「真=シン」で「ウシン」ですが、これは南九州語では「牛の」です。
それに「木」がついて「ウシキ」です。
牛は朝鮮語で「ソ」、「の木(コ)」は沖縄語で「ナカ」になります。
「アリシチ」も「入彦=イリヒコ」と合います。
沖縄語では<ア>が<イ>になります。
<ヒ>と<シ>が入れ替わるのも鹿児島や関東語のくせです。
また沖縄では<キ>を<チ>と発音しますから「木」と書いてあると「チ」と発音しますし、鹿児島では木は「コ」と発音します。
だから<アリシチ>と<イリヒコ>は同じなのです。
仲衷天皇の名乗りはもっとよくわかります。
「足仲彦」です。
この天皇の妻が有名な神功皇后ですが、その名乗りは「息長帯姫」です。
この二つをよく観察しますと、<足>と<息>はどちらも「ソク」、<仲>と<長>は「ナカとナガ」で、平安時代の清音なら同じ「ナカ」です。
これを別々の名と見るより、夫妻は同じ姓だったと見るのが良識というものでしょう――


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という事は、フツの子のスサノオの本名は、「ソナカ・フツシ」だったかも知れない。
「フツ――スサノオ(フツシ)――トシ(ニギハヤヒ・フル)」は、アリオンが示すスサノオの親子3代である。
実際に、石上神宮では、この3神をスサノオの親子3代であるとしている。
飛鳥氏は「多次元同時存在の法則」を用いて、この3神を「同一神」と見なしているが、これは間違いだった事になる。
本来の「スサノオ」の意味は、「スサの王」の継承者という肩書きであり、アレクサンドロスをはじめ、アショカ王や朱蒙、フル、フツ、ニギハヤヒも「スサノオ」だと言えるが、決して同一人物ではない。

事実、朝鮮半島から渡来した「スサノオ」は、アリオンのいう「スサノオ」の先祖であった。
島根県出雲市には「須佐」という地名がある。
ペルシアのスサの王の継承者はインドの「アショカ王」であり、アショカ仏教の「ソナカ王家」が朝鮮半島から出雲に上陸して、「須佐の王」と名乗ったのだろう。

平安時代以前、「神宮」と名の付く神社は「伊勢神宮」と「石上神宮」だけだっただけに、如何に重要な神社であるかが考察できる。
石上神宮には「スサノオ」、伊勢神宮には「アマテラス」という皇祖夫婦神が祀られていたのである。
また、伊勢神宮の古名「磯宮」と「イソノカミ」との関連性も指摘されている。
そして、イソ・イセ・イシの語源は、イスカンダル(アレクサンドロス)にあり、究極的にはシュメールの「五十柱の神」とも無関係とは思えない。

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話を少し戻すが、建御雷神の「ミカヅチ」は、文字通り雷の意で、タケミカヅチの降臨は「落雷=ルシファーの天界追放=スサノオの高天原追放」に通じる。
今まで見てきた通り、世界神話に登場する牡牛神は「雷神」であった。
また、「ニギハヤヒ=大年神」の「年」は稲の豊穣を意味し、穀物神とされている。
前にも述べたが、ここでも「雷と稲」の関係が表されている。
ニギハヤヒ自身にも「賀茂別雷命」という別名があり、雷神でもあるのだ。
ちなみに、アレクサンドロスは英語名で「アレキサンダー」と発音するが、「エレキサンダー」と発音すると「電雷」となるのは、日本語の面白い偶然である。

京都の祗園にある八坂神社の主祭神である「スサノオ」のルーツは、高天原を追放されたスサノオが降臨した新羅の「ソシモリ=牛頭山」で、それは古代朝鮮語で「牛頭」を意味し、韓国のソウルもそれを語源としている。
シュメール語で「牛頭」は「ウル・サグ」で、武人の意味も重複しているらしい。
朝鮮半島に於ける牛頭天王の直接的なルーツは仏教教典に登場する祗園精舎の守護神だが、更にそのルーツが、アレクサンドロスにある事は確かである。

『スサの王=牛頭天王=スサノオ』

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そして、上伽那王(ウガヤフキアエズ)の語源が、ギリシア語の「天地支持者」を意味する「ウ・ガヤ・フォーキス」だという鹿島説。
やはり、ペルシャからパミール高原、インド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に伝播した伝説である事は間違いないだろう。
その「牡牛神」のルーツは、ギリシア神話の最高神「ゼウス」、更にはカナン・フェニキア神話の「エル」「バアル」、バビロニア神話の「マルドゥク」、そしてシュメール神話にまで遡る。
アレクサンドロスは双角王と呼ばれ、ヴァイキングは2本角の戦闘帽、戦国時代の兜も三日月型の2本角で、「牛頭と戦」は切っても切れない関係にある。

龍は蛇と牛の合成神ゆえに2本角があり、バビロニア神話のイシュタルをルーツとするエルの妻神「アシュタルト」は、牡牛の角を持つ女神で、蛇の姿で表現される事もある。
龍神のルーツもシュメールに行き着くが、蛇は「水神」で、牛は「火神」に結び付き、両者のフュージョンによって「火水=神」となる。
『漢書』によると、辰王の「辰」には、「ふるう」という意味があるが、これが「フル」の語源である可能性もある。
後に、想像上の動物である「龍」が当て嵌められたらしいが、牛頭天王であるスサノオは、同時にルシファー(龍)でもある。

同様に、八岐大蛇で喩えられる卑弥呼は、アレクサンドロス(ツルカルナイン)の名を継承する鬼姫であった。
既に発表した通り、牡牛神にも龍蛇の要素があり、龍蛇神にも牡牛の要素がある。
が、出雲族が「牡牛」で日向族が「龍蛇」をトーテムとしていたとすると、両者の統合によって「火水」の力が発揮されると言えよう。
この事は特に重要である。
さて、「辰」が「秦」を語源とすると同時に、「フル」の語源となっている可能性があるが、更にその起源があるとすれば、それは……。
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2010年05月18日

高句麗建国神話と「アレクサンドロス=山幸彦」の正体

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通説では、古代日本に渡来した騎馬民族は、スキタイ族と合流したイスラエル10支族だったと考えられている。
真相は少しずつ明らかになっていくはずだが、まず、スサノオが朝鮮から追放されたというのは、史実としてどういう意味なのか……。
ここに興味深い話がある。

アレクサンドロスが潜水艦で海中の世界に赴く話と、山幸彦が失くした釣り針を求めて海神の国へ行く話が似ており、更に、山幸彦の別名が神武天皇と同じ「ホホデミ命」である事から、「山幸彦=神武天皇」であることは既に紹介した。
これと同じ構図の逸話が、古代朝鮮の『三国史記』にある。
要約すると、高句麗の始祖「朱蒙」には、長男の「沸流(フル)」と次男の「温祚(オンソ)」の2人の息子がいた。
兄の沸流は海側に国を建てたが、繁栄しないことを恥じて自ら命を絶ったという。
弟の温祚は山側に国を創って繁栄し、それが百済となった。
これは、記紀神話に於ける「海幸彦」と「山幸彦」に対応し、その関係は「沸流=海幸彦」「温祚=山幸彦」となる。

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だが、飛鳥氏は『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』の中で、兄弟の逆転を指摘している。

――騎馬民族説の江上氏も、ここに注目。
「沸流・温祚物語」は「海幸彦・山幸彦物語」の神話的なルーツではないかと指摘している。
確かに、騎馬民族の夫余族が朝鮮半島から日本列島にやってきたとき、この「沸流・温祚物語」を持ち込み、それが南方系の神話の影響を受け、最終的に「海幸彦・山幸彦物語」」となったと考えれば、非常に納得がいく。
しかし、このふたつの物語は、単純に似ている以上に、重要な問題をはらんでいる。
というのは、海に行った人物が、ふたつの物語のなかで逆転しているのである――


何故なら、「海幸彦・山幸彦物語」で海に行ったのは、山幸彦だからである。
つまり、「沸流=山幸彦」なのだ。

『アレクサンドロス=神武天皇=山幸彦=ホホデミ=沸流=スサノオ』

もっとも、アレクサンドロスの名を継承した人物の伝説なので、人物として等式で結ぶのであれば、次のようになる。

『神武天皇=山幸彦=ホホデミ命=沸流=スサノオ』

尚、神武東征神話の原型がアレクサンドロスの東征にあった事を述べたが、歴史学者の三品彰英氏は「高句麗の建国神話」との類似性も指摘している。
だが、「沸流=スサノオ」だとすると、スサノオは朝鮮で死んでいた事になる。

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それについて飛鳥氏は、次のように解説している。

――もし沸流が死んではいなかったとすれば、話は別だ。
密かに生き延びて、日本列島に渡ってきたと、十分考えられる。
いや、実は騎馬民族の習慣から考えると、その可能性が高い。
というのは、騎馬民族の相続は、みな「末子相続」を基本とする。
末子に相続させれば、一代の統治期間が長くなるというメリットがあるからだ……
ひるがえって、沸流と温祚について考えてみよう。
彼らは、夫余系騎馬民族国家「高句麗」の始祖「高朱蒙」の息子である。
王家の人間であるといえる。
だが、そのまま高句麗を継承していないところを見ると、彼らの下には、もうひとり弟がいた可能性がある。
ふたりは高句麗を継承せず、自らの国を作る必要に迫り、朝鮮半島を南下してきたのではないか。
もちろん、これは基本的に神話であって、モデルとなった人間が過去にいたと解釈するのが適当かも知れない――


そう考えると、確かに沸流は死んでいなかった可能性が高い。
勿論、「海幸彦・山幸彦物語」でも、山幸彦は死んではいない。

飛鳥氏の解説は更に核心に迫る。

――歴史的な文献からわかることは、東北アジアから朝鮮半島に入ってきた流浪の民、秦人は、西側の土地を継承。
「辰韓(秦韓)」と「弁韓」を建国した。
が、のちに、もともと朝鮮半島を支配していた西側の「馬韓」をも支配下におき、その中心地「月支国」に王家の都を置いた。
この月支国が辰王の宗家の拠点であった。
沸流・温祚は馬韓を完全に征服し、「百済」を建国した。
一方の兄・沸流は、新天地を求めて月支国から移動。
伝説では仁川あたりとなっているが、ここはまだ月支国の範囲内だ。
よって、彼は、さらに南下。
ついには、朝鮮半島の南端にまで達したのではないだろうか――


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これは『日本書紀』に於ける「スサノオの追放」に符合し、月支国が「高天原」に比定できる。
そして、高天原を追放されたスサノオは新羅の曽尸茂梨に降臨したが、「この地吾欲さず」と言って、土船を造って出雲国に渡った。
出雲国は島根県であり、「根の国」という訳だ。

それが、次の飛鳥氏の話の続きと符合する。

――ここには同じく秦人の国である弁韓がある。
沸流は、これを支配下におき、伽耶を建国した。
これが日本の記紀でいう「任那」である。
辰王「沸流」は、任那に城を構えた。
すなわち、「任那の王」ゆえ、のちに彼は「ミマキイリヒコイニエ」、すなわち「崇神天皇」と呼ばれることになる。
しかし、時代は戦乱の世。
中国大陸はもとより、朝鮮半島情勢も不穏な雲行きになっていた。
そこで、辰王はさらに兵を南に向ける。
海の向こう、日本列島へと辰王は軍団を進める……――


但し、辰韓が「新羅」となり、弁韓が「伽耶」となったので、「新羅」と「伽耶」という違いがある。

これについて、飛鳥氏はこう説明している。

――ここに新羅とあるが、時代的にいって、これは新羅の前身である「辰韓」のことをいとているのだろう。
スサノオ命は、もともと辰韓にいたのである。
そこから移動して、この日本にやってきたのだ。
ここに神武天皇=スサノオ命の朝鮮半島における記憶を見ることができる。
少なくとも、辰韓に神武天皇もしくは、その一族がいたことは間違いない。
新羅=辰韓に神武天皇、もしくはその一族がいたことはわかった。
だが、ずっと辰韓にいたわけではない。
スサノオ命は、その後、出雲へと渡った。
『日本書紀』では、土で作った船で一気に渡来したように記しているが、実際は、そうではないだろう……――


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という事で、月支国を追放されたスサノオは辰韓(新羅)に降臨したが、その地を不服に思い、弁韓に移って伽耶を建国。
しかし、社会情勢の都合で日本列島に渡海したという事らしい。
何故、スサノオが新羅を嫌がったのかは、別の機会に発表したいと思う。
念の為に述べておくが、アリオンのいう「スサノオ」は、朝鮮生まれではなく、後の日本で産声を上げた。
従って、朝鮮から渡来した「スサノオ」の正体は、スサノオの父「フツ」だったことになる。

しかし、『日本書紀』では、スサノオは息子の五十猛尊(イタケル)を連れて出雲に上陸したことになっている。
という事は、朝鮮から来たスサノオは、スサノオの祖父だったのだろうか。
だが、アリオン・メッセージでは、日本に渡来したスサノオ一家の中に、スサノオの祖父が入っていない。
アリオンの話が事実であれば、この『日本書紀』の朝鮮から来た「スサノオ」と「イタケル」は、前者がスサノオの曾祖父、後者がスサノオの父という事になる。

では、沸流(フル)とは一体何者なのか……。
通説では、スサノオの子「ニギハヤヒ」の名前が「フル」だったとされているが、これはニギハヤヒが生まれる以前の朝鮮半島にいた人物である。
また、アリオンによると、ニギハヤヒの名前は「トシ」だという。
仮に、トシの別名が「フル」だったとしても、それは明らかに祖先の名前を受け継いだものである。
そう考えると、アリオンはスサノオの曾祖父の名前までは明かしていないので、スサノオの曾祖父が「フル」だった可能性がある。

或いは、スサノオの祖父が「フル」だった可能性も高い。
日本に渡来したスサノオ一家の中に、スサノオの祖父が入っていないからである。
だとすると、「沸流・温祚物語」の沸流は本当に自殺していた可能性があり、それがスサノオの祖父だったという事も有り得る。
であれば、スサノオの曾祖父が高句麗の始祖「朱蒙」だった事になるが、確証は得られない。
では、スサノオの名前は何だったのだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 12:29| Comment(2) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

伝説の「ドラゴンキング=辰王」の正体

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紀元前1世紀前後、古代朝鮮の「馬韓」に、異邦人の民族移動があった。
『三国志』の「魏志韓伝」には、次のように記録されている。
「秦の役から逃れて、秦人が朝鮮半島に亡命してきた。
彼らは馬韓の人間とは異なる言語・風習を持っており、馬韓の人々は秦人を忌み嫌って、西方の土地を分け与えた」


秦人とは「秦帝国=グレコ・バクトリア」にいた人々で、ギリシア系及びイスラエル系民族である。
そして、「秦の役」とは、万里の長城の建設を指していると考えられている。
飛鳥昭雄氏は、 『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』で、次のように説明している。

――本来、秦人とは非漢民族のこと。
万里の長城よりも外側に住む流浪の民族を指す。
具体的にいえば、東北アジアからモンゴル、シベリア、そして西域の人々のことを指して、秦人と呼んでいるのである。
しかも、流浪というからには、彼らは定住型の農耕民ではない。
遊牧民である。当然ながら、そこには騎馬民族が含まれる。
ここで重要なのは、秦人とは非漢民族の遊牧民で、しかも多くの民族からなっていたという点である。
ゆえに、朝鮮半島に侵入してから秦人たちは「辰韓(秦韓)」と「弁韓」に大きくふたつの国家を樹立した。
だが、その内実は、それぞれ12の国から成り、合計24の国々からなっていた――


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こうして、紀元1世紀頃の朝鮮半島に、「馬韓」「辰韓(秦韓)」「弁韓」の三韓が誕生した。
飛鳥説によれば、この秦人の中に、謎の渡来人「秦氏=原始キリスト教徒」が含まれていたという。
「辰韓(秦韓)」と「弁韓」の中の各12国は、「イスラエル12支族」或いは「イエスの12使徒」を彷彿させる。
そして、飛鳥氏の話は次のように続く。

――秦人の侵入によって樹立した国家、辰韓と弁韓は、両国を合わせて「弁辰」と称し、ひとりの大王を頂いた。
これが幻の大王「辰王」だ。彼は騎馬民族出身の大王である。
辰王は辰韓と弁韓の両方を支配。
事実上、朝鮮半島の3分の2を自らの領土とした。
もともと多くの民族を束ねてきた辰王である。その器量は並ではない。
最初は馬韓の支配下にあった辰王だったが、徐々にその勢力を拡大。
もともとあった馬韓にまで影響を与えるに至る。
そして、ついに馬韓領内の「月支国」を自らの支配下に置き、そこに弁辰の都を置くことになる――


騎馬民族説の江上氏は、この辰王こそが、邪馬台国を侵攻した「崇神天皇」だと主張する。

『辰王=崇神天皇=スサノオ』

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そして、辰王は「ウガヤフキアエズ命」という事になる。
検証してみよう……と言っても飛鳥説だが、要約すると次のような内容である。
紀元3世紀後半になると、馬韓は「百済」、辰韓は「新羅」、弁韓は「伽耶」へと変貌する。
馬韓の辰王は百斉の王家となり、馬韓は騎馬民族国家となった。
しかし、辰王といっても1人ではなく、辰王の宗家は弁辰の地に移動した。
そこは当時、伽耶の領地となっていて、記紀ではこの地を「任那」と呼ぶ。
江上波夫氏によれば、任那は古代朝鮮語で「王の国」という意味らしい。

4世紀に入ると、騎馬民族が中国大陸に侵攻し、これに刺激を受けた北方の騎馬民族「高句麗」が朝鮮半島に侵攻し、更に北方にいた夫余族も動いた。
夫余族は、かつて高句麗と同族の騎馬民族であり、かの辰王の出身部族でもある。
この意味で、高句麗や百斉、新羅、伽耶の王家は、みな夫余族の末裔だといえる。
こうした騎馬民族が動くに及び、ついに辰王の王家も動き、彼らは朝鮮半島の南端から対馬、そして壱岐へと進み、ついに九州に上陸。
倭国を瞬く間に征服し、伽耶と倭国の連合国家を形成した……

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北川氏の検証によれば、出雲族は東南アジアの島々を経て朝鮮に渡り、壱岐島から出雲に上陸した。

『日本書紀』に於いては、高天原を追放されたスサノオは、新羅の曽尸茂梨(ソシモリ)に降臨し、その後、出雲にやってきた。
果たして、出雲族は九州に上陸したのか、出雲(島根県)に上陸したのか……。

或る実験によると、朝鮮半島南部から漂流した場合、対馬海流に流されて、島根半島の河下湾に漂着する可能性が高いという。
その近くには、フツの子「スサノオ」が生まれたと言われている宇美神社があり、朝鮮系の遺跡や伝承、そして「たたら製鉄遺跡」が残されている。
という事は、出雲族は九州ではなく出雲地方に上陸し、その後、アリオンのいう「スサノオ」が誕生した事になる。
アリオンも、出雲族の族長はスサノオの曾祖父、および父フツだったと伝えている。
『記紀』が伝える、日本に上陸した「スサノオ」の正体は、スサノオの曾祖父及びスサノオの父「フツ」のことだったのだ。

これまでの話をまとめると、このようになる。
「ソナカ家=上伽耶王家=任那王家=辰王家=スサノオ(スサの王)一族=出雲族」

彼らは「アレクサンドロス」の継承者を名乗るスキタイ系騎馬民族であり、アショカ仏教宣布団のソナカ一族のSP部隊だったのだ。
彼らこそ、アリオンの預言者・北川氏のいう「出雲族」である。
だが問題は、出雲族の日本列島渡来と、江上説の騎馬民族が日本列島に渡来した時期には、かなりの年月の差があるという事だけは頭に入れておかなければならない。
posted by 夢蛇鬼 at 18:18| Comment(7) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

邪馬台国を征服したアレクサンドロス=出雲の大王「神武天皇」の謎

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「初代・神武天皇と第10代・崇神天皇は同一人物だった。
よって、その間の第2代〜第9代の天皇は、やはり存在せず、みな神武天皇の投影にすぎない」という飛鳥説を否定する材料はない。
更に、多くの研究家の意見では、第11代「垂仁天皇」 、第12代「景行天皇」 、第13代「成務天皇」 、第14代「仲哀天皇」も架空だという。
飛鳥説では、この4人も「神武天皇=崇神天皇」の投影だという。
架空であろうと投影であろうと、初代〜第14代までの14人の天皇は、全て同一人物だった可能性が高いということである。
もしそうだとすると、やはり「仲哀天皇」と「垂仁天皇」は同一人物の「スサノオ」だったことになる。

ここで再度、 「世界の龍退治神話」の主役、インドネシアの「アジサカ」とドイツの「ジークフリート」を思い出して頂きたい。
阿遅鋤高日子根(アジスキタカヒコネ)の「鋤」は、古代は「サカ」とも発音されていた。
故に、アジサカは「アジサカ・タカヒコネ」である。
また、サカはスキタイであり、鋤を「スキ」と読んでも、スキタイの「スキ」である。
しかも、阿遅鋤高日子根は「アレクサンドロス」の当て字だった。
アレクサンドロスは「スサの王」を名乗り、阿遅鋤高日子根は「スサノオ」であった。
つまり、阿遅鋤高日子根は、アレクサンドロスの継承者である「スサノオ」だったのだ。

一方、ドイツの「ジークフリート」は、邪馬国の「邪」、狗奴国の「狗」、夫余国の「夫余」に人を付けた「邪狗夫余人(ジャクフリト)」で、その正体は高句麗の王「垂仁天皇」だった。
ジークフリートの妻「クリムヒルト」も高麗国日霎人(クリマヒルト)と書くと、高句麗の姫という意味になり、「日霎」は天照大神の別称「大日霎貴」と重なる。

「卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇で、彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒したスサノオなのだ」

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加治木氏は次のようにも述べている。

『天日槍の「ヒホコ」は「火火子」と書け、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の「火火」で、「彦」「火子」は日向(ヒコ)、出見(イヅミ)は出水、または「ヒ」は「日向」、「ホ」は百済(ホセイ)の首=「ホ」で、豊玉(ホツマ)の豊』

そして、「仲哀天皇」「天日槍」「天稚彦」「都怒我阿羅斯等」「蘇那易叱智」が、同一人物である事が証明された事から、「仲哀天皇=神武天皇=崇神天皇=垂仁天皇」が同一人物の「スサノオ」だった事が分かる。
問題は、神武天皇が「日向族」とされている事である。
アリオンの預言者の北川氏も、神武天皇が日向系という説を採用している。
その実、神武天皇は日向政権を征討した「出雲族のスサノオ」だったのだ。
神武天皇の祖先の「天照大神」が卑弥呼ではない事は、説明するまでもない。

何故、神武天皇が「日向族」とされたのか。
神武天皇の祖先が「天照大神」だからだが、その天照大神は「出雲族」でも「日向族」でもない。
その天照大神は「天孫降臨」を命じた人物なので、その正体はアショカ王かも知れない。
そして、神武天皇が「日向族」とされたのは、謎の渡来人「秦氏」が関係しているようである。
神武天皇は、日向政権の邪馬台国を征服した。
騎馬民族王朝説の江上氏は、崇神天皇が北九州に侵攻した辰王で、伽那との連合国家を樹立した大王だと考えた。

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これらは、アリオンが説く古代史と一致する。

「出雲族の族長であったフツは、息子のスサノオとその第5子のトシ(後のニギハヤヒ)らを伴って、日向族の制覇に乗り出した。
出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避を図り、二部族間の同盟を申し出た」


これが『記紀』に記される「スサノオとアマテラスの誓約」である。
ただ、この親子関係を見ると、フツが「崇神天皇」、スサノオが「垂仁天皇」だと言えるだろう。
或いは、スサノオを「神武天皇」とすると、フツが「ウガヤフキアエズ」ということが出来る。
また、スサノオを「仲哀天皇」に見立てると、フツが「ヤマトタケル」という事になる。
そして「神武天皇=スサノオ」は、狗奴国の男王「卑弥弓呼」でもあったのだ。

では次に、辰王の謎に迫ってみたい。
posted by 夢蛇鬼 at 02:55| Comment(4) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

2人の初代天皇とウガヤフキアエズ命の謎

初代天皇「神武天皇」の後に、第2代「綏靖天皇」、第3代「安寧天皇」、第4代「懿徳天皇」、第5代「孝昭天皇」、第6代「孝安天皇」、第7代「孝霊天皇」、第8代「孝元天皇」、第9代「開化天皇」、第10代「崇神天皇」と続くが、崇神天皇の又の名を、「御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)天皇」という。
また、『古事記』では「所知初国之御真木(ハツクニシラスノミマキ)天皇」、『日本書紀』では「御肇国(ハツクニシラス)天皇」と記している。
ハツクニシラスは簡単に言えば、最初に国を開いた「初代天皇」という意味である。

初代天皇といえば「神武天皇」だが、『日本書紀』では神武天皇の事も「始馭天下(ハツクニシラス)天皇」と記されている。
漢字は当て字に過ぎず、初代「神武天皇」と第10代「崇神天皇」は、共に「ハツクニシラス天皇」なのだ。
第2代〜第9代までの天皇に関する記述は極端に少なく、「欠史8代」と呼ばれている。
古代史の定説では、初代〜第9代までの天皇はみな、架空だとされている程だ。

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飛鳥昭雄・三神たける両氏の共著『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』には、このように書かれている。

「歴史的な業績のほとんど記されていない第2代〜第9代の天皇は別にして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の記述がなされた。
そのため、神武天皇は天皇に即位するまで、一方、崇神天皇は天皇に即位してからの業績が詳細に記されている。
両者を合わせれば、ちょうどひとりの天皇の一生として、きれいにできあがるというわけである。
『神武天皇=ハツクニシラススメラミコト=崇神天皇』
「神武天皇と崇神天皇は同一人物だったのである。
さらに、第2代〜第3代は、神武天皇=崇神天皇の業績の投影。
いってみれば、みな神武天皇=崇神天皇の分身だったのである」


つまり、初代「神武天皇」から第10代「崇神天皇」までの10人は同一人物だった可能性がある。
では、ハツクニシラスノミマキの「ミマキ」とは、何を意味するのだろうか。

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飛鳥氏の同著には次のように解説されている。

――「ミマキ」の「キ」は、『日本書紀』にあるように「城」という意味。
いってみれば、拠点という意味である。問題は「ミマ」である。
江上氏は、これは「任那」の「ミマ」であると考えた。
任那の「那」は、安那や伽那の「那」。国という意味である。
事実上、国の名である「ミマ」を諡号に頂く天皇こそ、任那の大王だったというのだ――


神武天皇の父親の名は「ウガヤフキアエズ命」である。
この「ウガヤ」について、飛鳥氏はこう説明する。

――韓国の学者は、これを「上伽那(ウガヤ)」と解釈する。
上伽那とは、伽那諸国のひとつで、「大伽那」とも称し、もっとも大きな力を誇った国である。
その国の名を冠するウガヤフキアエズ命は、いってみれば上伽那の大王だったことを物語る。
つまり、神武天皇が上伽那にいた、もしくは、その一族の血を引くものであることを示唆しているのである。
とくに、この上伽那こそ、任那であるという説もある。
任那の大王こそ、ミマキイリヒコイニエ、すなわち崇神天皇である。
もし、それが正しければ、まさしくウガヤフキアエズ命=神武天皇=崇神天皇という等式がきれいに適用できる――


但し、ウガヤフキアエズが「上伽那の大王」という肩書きである以上、神武天皇=崇神天皇の父親も、かつては「ウガヤフキアエズ」だった事は間違いない。
事実、『上記』『九鬼文書』『竹内文書』では、ウガヤ朝は七十三代続き、七十三代目が神武天皇だったとしている。
尚、崇神天皇の皇后は「御間城姫(ミマキヒメ)」という名前だが、やはり「任城の姫」という肩書きだと分かる。
posted by 夢蛇鬼 at 05:27| Comment(6) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相

神武天皇は初代天皇とされる人物だが、その実在性については学界では否定されている。
神武天皇について、私は独自の仮説を持っているが、機を改めて紹介したいと思っている。
ここでは、神武天皇が架空の天皇だったことを前提に、モデルとなった人物にスポットを当ててみたい。
神武天皇は天照大神の子孫だとされているが、その即位は紀元前660年。
天照大神(卑弥呼)の時代よりも遥か昔に遡る。
また、神武天皇に関する記録は「東征」に関する記述が大部分を占めている。
そして神武東征の神話が、アロクサンドロス東征の伝説に酷似している事が、以前から様々な研究家に指摘されている。

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飛鳥昭雄・三神たける両氏の著書『失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎』に、うまく要約されているので引用させて頂きたい。

――最初にこれを指摘したのは、古代史研究家の岡本健一氏である。
彼は、両伝説を比較して、いくつもの共通点を指摘している。
まず、構図である。神武天皇とアレクサンダー大王は、ともに民族の王。
東の方向へ遠征を行った。
途中、両者ともに、進路を南に変えて、そこで遭難しそうになる。
絶対絶命のピンチに陥ったとき、天から一羽の烏がやってきて、一行を目的地へと導く。
無事たどりついた王は、神殿において聖別され、正式に即位する。
神武天皇は天照大神の子孫、アレクサンダー大王はアモンの子ファラオで、ともに太陽神の子供として君臨する。
このほかにも、各地に残るアレクサンダー大王の物語は、神武天皇の伝説と酷似する点が少なくない。
神武天皇が大和の宇陀にやってきたとき、敵地の土で御神酒を入れる瓶を作って神々を祀れば、敵が降伏するという夢を見た。
これにしたがい、配下に変装させ、敵地から土を持ってこさせ、御神酒の瓶を作ったところ、見事、敵を倒すことができた。
アルメニアの伝説では、ペルシャとの戦いの前日、アレクサンダー大王が同様の夢を見る。
お告げ通り、大王は変装して、敵地に潜入。こっそり酒杯を盗んでくる。
これによって、アレクサンダー大王はペルシア軍を撃破することに成功する。
また、神武天皇は熊野で尻尾の生えた人間に遭遇するが、アレクサンダー伝説にも尻尾の生えた人間が登場。
ときに、アレクサンダーはガラスで作った潜水艦で海中の世界に赴くが、これは山幸彦がなくした釣り針を求めて海神の国へ行く話と似ている。
しかも、山幸彦の別名はホホデミ命で、これは神武天皇と同じ名前。
すなわち「多次元同時存在の法則」によって、同一神(人)と見なすことができる。
どうしてここまで両伝説は似ているのか。
これに関して、岡本氏は、神武天皇の東征のモデルがアレクサンダー大王伝説にあると主張する。
伝説がペルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に伝播したのだという――


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アレクサンドロスはインドから引き返して、紀元前323年にバビロンで死亡している。
そうすると、アレクサンドロスの別称「ツルカルナイン」を受け継いだ人物に、アレクサンドロス伝説を重ね合わせて誕生したのが、「神武天皇」という事になる。

更に、飛鳥氏は次のように述べている。

――アレクサンダー大王のことは『旧約聖書』の「ダニエル書」に預言され、『旧約聖書・外典』の「マカバイ書U」にも出ている。
イエスの時代、『聖書』といえば『旧約聖書』を意味したように、ユダヤ人原始キリスト教徒がアレクサンダー大王を知らないはずはない。
また『新約聖書』がコイネー・ギリシア語で記されているように、ギリシアの大王アレクサンダーの物語は、ある意味、常識だったはずである。
そう考えれば、ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏がアレクサンダー大王伝説を日本に持ち込み、神武天皇の東征伝説をアレンジした可能性が高い――


だが、岡本氏が「ペルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に伝播した」と結論づけている通り、最初にアレクサンドロス伝説を日本に持ち込んだのは、ユダヤ人原始キリスト教徒「秦氏」ではなく、「天孫(アマ)族」だったことは間違いない。
後に「秦氏」が渡来し、東征伝説をアレンジした可能性が大きい。
また、くれぐれも述べておくが、アレクサンドロス率いるギリシア&マケドニア遠征軍は、ペルシア軍やスキタイ族を滅ぼしたのではなく、征服して統合した事に注意して頂きたい。

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神武天皇に限らず、日本神話は、他の多くの神話との関連性が指摘されている。
アポロンの烏と八咫烏・中国の金烏は、いずれも太陽神の御使いである。
イザナギとイザナミは夫婦だが「妹イザナミ」とする記述があり、南アジアからポリネシアにかけての神話でも、人類の始祖である男女が兄妹だったとされている。
これは既に紹介した通り、ヤコブ(イスラエル)族ではなく、ヘブライ族であるアブラハムとイサクが持っていた風習である。

また、イザナギの黄泉の国行きは、ギリシャ神話の「オルフェウスの黄泉の国行き」と符合する。
イザナミは最初の死者となり、黄泉の国を支配する神となったが、古代エジプトの「オシリス」やインドの「ヤマ」も、最初の死者となって死の国の支配神となった。
黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊の時に、左目を洗うとアマテラス(太陽)が、右目を洗うとツキヨミ(月)が誕生したが、中国神話では、創造神「盤古」の死体の左目が太陽に、右目が月に化生したとされている。
天照大神が岩戸に隠れて草花が枯れるのは、ギリシア神話の「デメテル」に共通する。
そして、天照大神の子孫が初代天皇「神武天皇」とされている。

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神武天皇にまつわる記録を、世界の歴史に求めた木村鷹太郎氏のユニークな仮説を、ダイジェストで少し紹介したい。

・出雲はエドムで、死海とアカバ湾の間に位置した古代王国である。
・ソロモンは大国主命の子の「建御名方命」で、シバ女王は「狭穂姫」である。
その活動範囲はエドム、中央アジア、チベット、インド等に及んでいる。
・その子の「鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)」は、ギリシア語で「天地支持者」を意味する「Ur-gaia-phorkys(ウ・ガヤ・フォーキス)」で、ギリシア神話の「アトラス」である。
・トルコ系のオスマン帝国(1299-1922)の王が万世一系を名乗ったのは、崇神天皇の皇子「豊城命」の子孫だからである。
・豊城命(トヨキノミコト)の「トヨキ」は、ギリシア語で「剣(つるぎ)」を意味するTEUCIA(トウキ)であり、ツルキ(トルコ)人の領土がツルキスタン(トルキスタン)となった。
・トルキスタンはスキティア(スキタイ)と呼ばれ、その意味は「鍬の国」で、妹の豊鍬入姫命の名に由来する。
・ニニギとコノハナの子「彦火々出見尊」はカルタゴで生まれた。
・神武天皇は北ギリシアの西方アカル・ナニヤ(難波)に着いた。
・神武天皇の宮「橿原宮」はテッサリアのクランノンである。
・ドーリス国「剱奉献国」で高倉下(タカクラチ)の剣を天皇に奉献する者がいたが、高倉下はヘラクレス族の別名である。
・神武天皇の東征は「ヘラクレス神族の帰国」、又は「ドーリス民族の帰国」で、紀元前12〜11世紀に、ヘラクレスの子孫と称する北方のドーリス人が、ギリシアに侵入してミケーネ文明を滅亡させた事件である。
・神武天皇はアフリカを出発して地中海を航海し、マルタ島に到着して案内人の珍彦(ウズヒコ)と出会った。
ギリシア神話では、マルタ海の周辺を「カリプラ」(シチリア島のメッシナ海峡に住む渦の魔物)と呼び、 『古事記』ではそれを甲斐弁羅(カイベラ)神という。
・イナヒは新羅(シラギ)の先祖だが、新羅はイタリア南部の地名シラキ(Scyllaci)である。
・神武天皇の3人の兄のうち、五瀬命(イツセ)は東征中に戦死したが、稲氷命(イナヒ)は海原(イタリア)の王となり、三毛入野命(ミケイリノ)は常世国(エジプト)の王となった。
エジプト王「メンカウラー」のギリシア読みが「ミケイリノス」。
・古代ローマの詩人ウェルギリウスの『イナヒ伝』に登場するイナヒ王の子「イウレ(Iule-us)」は、神武天皇の別名(磐余彦=イワレヒコ)のことである。
また、パリヌラなる人物も登場するが、これは兄の「イツセ」のことである。
イツセはギリシャ語で「直」の意の「Ithyse」で、パリヌラは「棹」の意の「Phallinauarcha」の短縮形であり、同じ意味である。


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単なる偶然や語呂合わせもあると思うが、非常に興味深い仮説である。
歴史そのものを同一と見なすのではなく、民族や言語のルーツ、伝説の伝播ルートを探るする上で参考になるのではないだろうか。
問題は、果たして神武天皇が、アレクサンドロス伝説が日本神話に組み込まれただけの架空人物か否かである。
私には、アレクサンドロス伝説から「神武天皇」という架空の人物が生まれたとは思えない。
初代天皇が架空の人物とは考えられないのである。
やはり、ツルカルナインの名称を受け継ぐ者に、アレクサンドロス伝説が重ね合わせられたのだろう。
「神武天皇」の正体を暴くのは容易ではない。
何故なら、秦氏(ヤタガラス)が絡んでいるからである。
posted by 夢蛇鬼 at 00:36| Comment(11) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

アレクサンドロス大王の神格化と天皇礼拝の謎

世界の神話が「シュメール神話」を起源とする共通した神話であるなら、世界の宗教の神仏は同一神という事になる。

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『アレクサンドロスの遠征と神話 興亡の世界史』(講談社)の著者・森谷公俊氏は、次のように述べている。

「アレクサンドロス大王の神格化はヘレニズム諸国で制度化され、カエサル、アウグストゥスを経てローマ皇帝礼拝へと発展、皇帝を頂点とした帝国全体を統合するための巨大装置となった」

では、アレクサンドロスの神格化は、東洋ではどのように発展したのだろうか。
加治木氏は『日本人のルーツ』の中で、このように述べている。

【歴山大王(あれくさんどろす)は日本に来たか】

――「都怒我阿羅斯等」は『日本書紀』に、たしかに日本へやって来たと書いてある。
しかし、ツルカルナインという仇名をもったアレクサンドロス大王は、インドから引き返して紀元前323年に死んでいる。
インド以東に来なかったことは確実である。
とすれば日本へ来たのは同じ仇名をもった別人だったことになる。
このことはアレクサンドロス大王のもう一つの別名「イスカンダル」が疑問を解いてくれる。
イス、イサ、イサナといった名は、シバ神の別名なのである。
となるとシバ神もまた二本の角をもった神であることが浮かんでくる。
いうまでもなく、大王のこの二つの別名はシバ大神の化身とでもいった意味の、敬称に当たるものだったのだ。
ここまで来ると「都怒我阿羅斯等」は、アレクサンドロスではなかったが、シバの化身といった名をもった、インド宗教にかかわりのある人物であった可能性は充分にある。
またイサナという名に視点を移せば、天照大神とスサノオノミコトの両親は、伊弉諾、伊弉冉の二神であって、イサナ王とイサナ女(め)と読める名である。
ここにもまたシバの大神と同名の神々が実在するのである。
毎日新聞学芸部長の岡本健一氏は、アレクサンドロスと『記・紀』の伝承とを照らし合わせて、大量の関連があることを立証した論文を、雑誌『歴史と旅』(昭和52年5〜6月号)に「アレクサンダー伝説と古代日本」という表題で連載、実に大きな関連性があることを考証している――


そして、 『旧約聖書』の絶対神「ヤーヴェ(ヤハウェ)」は、「シヴァ(シバ)」の名が変化したものだという。
この辺りの事は、別の機会に詳述する。

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日本のアレクサンドロス伝説の真相について、引き続き、加治木氏の解説を見てみよう。

【牛頭天王とスサノオノミコト】

――牛頭をもった神が、ヒンドゥのシバ大神であることは、世界の学者が認めている。
その神像はすでに6000年前のインダス文明期に、印章に彫られてモヘンジョダロから出土している。
このことから、私たちが考えるスサノオノミコトと牛頭天王が同一人物でないことは、はっきりしたと思う。
スサノオノミコトは今すこし後世の人物をモデルにしたところがある。
八俣大蛇退治がギルガメシユ神話をうけついでいることはすでにみた。
しかしギルガメシユが二本の角をもっていたという話はこれまで見つかっていない。
ところが、はっきりした実在者で、二本角のある人という仇名をもった有名人がいる。
それはアレクサンドロス大王である。
彼はツルカルナイン(二角人)という愛称で呼ばれ、実際に角の生えた肖像を銀貨などに残している。
彼が紀元前327年にインドに遠征して、ナンダ王朝を滅ぼしたのは周知のことで、その5年後にマカダ王国がインドに誕生した。
マケドニア出身のアレクサンドロスとマカダの名は無関係ではあり得ない。
『日本書紀』は崇神天皇の時、ツヌカアラシトという王子がやって来たと書いている。
これは「角がある人」と読め、<カ>と<ア>をくっつけて読むと「角カルニン」とも読める。
朝鮮の人は<ラ行>を<ナ行>で発音するから、<ツヌ>は<ツル>だったとすると「ツルカルナイン」とほとんど同名である――


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「ツルカルナイン」というアレクサンドロスの愛称は、日向族の「卑弥呼=アマテラス」と出雲族の「スサノオ」に受け継がれた。
彼らは天皇家の祖であり、日本神話で「神」として扱われている。
アレクサンドロスの神格化は「ローマ皇帝礼拝」、「イエス・キリストの神格化」に発展した。
一方、日本では「天皇礼拝」となっていたのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 10:12| Comment(6) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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