2010年04月22日

世にも奇妙な「スサノオ」の物語と「龍牛合体神」の謎

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スサノオは「ツヌガアラシト=角が有る人」で、所謂「牡牛族」であった。
そして、「竜蛇族(ヤマタノオロチ)」である卑弥呼政権を征討した。
ところが、卑弥呼も「ツヌガアラシト=角が有る人」で、スサノオは高天原から追放されたルシファー(7つ頭の竜)でもある。

「牛(鬼)=スサノオ」と「龍=スサノオ」
「牛(鬼)卑弥呼」と「龍=卑弥呼」


つまり、スサノオが退治したヤマタノオロチは、スサノオ自身でもあったことになる。
逆に、「鬼」である卑弥呼が、自分自身である「龍」を退治したと言うことも出来るのだ。
「牡牛族」と「龍蛇族」のミステリーである。
「牡牛族」と「龍蛇族」の戦いは、現在も続いていると言われている。
「牛」をトーテムとする部族や、「竜蛇」をトーテムとする部族は、シュメールの時代から存在した。

だが、既に述べてきた通り、「牡牛」にも「龍蛇」の要素があり、 「龍蛇」にも「牡牛」の要素があり、また、「牡牛」と「龍蛇」をトーテムとする部族も少なくない。
また、「龍蛇族」同士の対立や「牡牛族」同士の対立、或いは、「龍蛇族」に吸収された「牡牛族」や、「牡牛族」に吸収された「龍蛇族」もいた。

また、出雲族の中にも「蛇」をトーテムとした部族と、「牛」をトーテムとした部族があり、日向族の中にも「蛇」をトーテムとした部族と、「牛」をトーテムとした部族がある。
例えば、出雲神族を自称する富氏の伝承では、出雲族は「龍蛇族」で、スサノオは出雲族ではなく、出雲地方の砂鉄を奪う為に朝鮮から渡来した「牡牛族」だという。

だが、「クシナダヒメ」が龍蛇族の姫であるなら、彼女と結婚した「スサノオ」は、出雲を守護したという事になる。
確かに、牛頭天皇であるスサノオは「牡牛族」だが、スサノオは出雲族の族長である。
そして、出雲族は海路ルートで渡来した海人族だが、元来、海人族は蛇神信仰である。
それ以外にも様々な矛盾と複雑性があり、真実を知ることは不可能である。
そこで私はアリオン説を柱とし、アリオン説を解明していく事にチャレンジしたい。
とりあえずここでは、「牡牛(鬼)」と「龍蛇」は本質的に同じものであると解釈せざるを得ない。

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王仁三郎の『伊都能売神諭』では、次のように示されている。

「大国常立之尊の元の誠の姿は、頭に八本角の生えた鬼神の姿で……」

龍神である国常立尊は「鬼」の姿だという。
しかも、8本の角は「龍(ヤマタノオロチ)」を象徴している。
つまり、国常立尊は、『スサノオ(牡牛=鬼)』と『ヤマタノオロチ(龍)』の合体神なのである。
それは、「艮の金神」を見れば分かる通りだ。
艮の金神である「国常立尊」は、まさに「鬼」の姿で描かれているではないか。

「スサノオのヤマタノオロチ退治」を聖書に求めると、「ミカエルのルシファー退治」と符合する。
だが、地上に落とされた「スサノオ」は、聖書でいう「ルシファー」でもある。
スサノオを追放したのはアマテラスだが、倭人・アマテラスの岩戸隠れは、スサノオが隠れて「鬼」となったことに符合する。
更に、アリオンによると、「ミカエルはルシファーと共に戦う天使」だという。
換言すれば、「牛神」は「龍神」と共に戦う天使という事である。

出雲神話に投影されている「牛」と「蛇」の起源は、シュメール神話の牡牛神「ハル」と女蛇神「キ」であり、エジプトに伝わって「ホル」と「ハト・ホル」となった。
中国では「伏羲」と「女」として描かれているが、面白いことに、 「ホル」と「ハト・ホル」は夫婦だが、「伏羲」と「女」は異母兄妹とされている点である。
日本神話では「スサノオ」と「アマテラス」、又は「スサノオ」と「クシナダヒメ」となり、彼らが「牛」と「蛇」のトーテムを持つ夫婦であり、異母姉弟だった可能性を指摘した。

また、「スサノオ」と「アマテラス」を「アジシキタカヒコネ」と「シタテルヒメ」に置き換える事も出来るが、彼らは兄妹の関係だった。
「伏羲」と「女」の下半身は共に「蛇」だが、シュメール神話の「ハル」と「キ」に起源を求めれば、「牛」と「蛇」の合体神が信仰されていたことを示している。

一説によると、「牛=3」「蛇=4」で、その合体は創世神話の原点である「七枝樹(生命の樹)」を意味するとも言われている。
今のところ、「牡牛」と「龍蛇」のトーテムは、その部族が信じていた象徴に過ぎない……と仮定し、これを真相究明のキーワードから外さなければ、永遠に迷宮の出口は見付からない。

アリオンも、「牡牛族と龍蛇族の対立」という表現はしていない。
但し、「牡牛」と「龍蛇」のトーテムを全く無視するのではなく、参考にしながら話を進めていきたい。

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さて、岐阜県美濃市にある大矢田神社の祭神は「スサノオ命」「天若日子命」「阿遲志貴高日子根命」の3神で、やはり同一神とはされていないが、その関係は不明。
それどころか、「スサノオ命」自体が独立した1柱の神となっている。
では、究極的にこの3柱の神は、人間界に於いては同一人物と見なす事も不可能ではない。

逆に、霊的には1神だが、3人の「スサノオ」が存在したと考える事も出来てしまう。
もし、大矢田神社の祭神が3人の「スサノオ」だとすれば、それは一体何者なのか。
それは文字通り、「スサノオ命」「天若日子命」「阿遲志貴高日子根命」なのだが、何故、1神だけが「スサノオ命」とストレートに表記されているのか。

「天若日子命」と「阿遲志貴高日子根命」はスサノオではないのだろうか。
否、今まで検証してきた通り、両者とも「スサノオ」である事は疑いの余地がない。
では、その正体は……。

「出雲族の族長であったフツは、息子スサノオとスサノオの第5子であるトシ(後のニギハヤヒ)らを伴って、九州に陣取る日向族に戦いを挑むことにした」
(アーリオン・メッセージ)

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「トシ」の正体は恐らく、スサノオとオオイチヒメの間に出来た「大年神」で、「宇迦之御魂(ウカノミタマ)」の兄弟である。
「スサノオ」は文字通り「スサノオ」だが、父「フツ」も「スサノオ」であり、子「トシ」も「スサノオ」だと言える。
勿論、同一人物ではない。
親子三代、いわば「スサノオ家系」である。
アリオンは、このフツの子に対して「スサノオ」と呼んでいる。
大矢田神社の祭神は、この親子三代の「スサノオ」なのかも知れない。

彼らは出雲族であり、「牡牛族」である。
スサノオが斬り殺した「オオゲツヒメ」は、穀物神として信仰されている。
穀物神といえば「稲荷神」だが、全国の稲荷神社の総本宮・京都の伏見稲荷には「宇迦之御魂」が祀られている。
前述の通り、「宇迦之御魂」は「スサノオ」と「オオイチヒメ」の子だが、「トヨウケビメ」「ウケモチ」「オオゲツヒメ」等の穀物神の総称だとされている。

まず、「オオイチヒメ」とは一体何者なのか。
スサノオがアマテラスと政略結婚させられる以前に、スサノオの第5子「トシ」は存在した。
だとすれば、3次元的には「オオイチヒメ=アマテラス(卑弥呼)」ではない。
北川説では、「トシ」は「スサノオ」と「クシナダヒメ」の間の子とされている。
人間界に於いて、「卑弥呼」と「クシナダヒメ」は別人だったと解釈するしかない。

私が気になるのは、「オオイチヒメ」の「イチ」である。
2代目・卑弥呼(アマテラス)である「壹輿(イチヨ)・イヨ・トヨ」と無関係ではないような気がしてならない。
勿論、年代的には、当時はまだ「壹輿」は誕生していないはず。
「オオイチ」という事は、「壹輿」の母を意味しているのではないだろうか。
であれば、「トシ」「宇迦之御魂」「壹輿」は兄弟という事になるが、この事については順を追って検証していきたい。

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さて、稲荷神「宇迦之御魂」とされる「トヨウケビメ」「ウケモチ」「オオゲツヒメ」等の内、「ウケモチ」と「オオゲツヒメ」は同一神である。
そして、穀物神という観点から、「トヨウケビメ」も同一神と考えて良いが、「トヨ」を「台与」と書けば「壹輿」と同一人物である。
オオゲツヒメはスサノオに斬り殺されたが、後に「大年神」の系譜の「ハヤマト」の妻として八神を生んだという記述がある。
後に登場する「オオゲツヒメ」が2代目だとすれば、それは「壹輿」である可能性もある。

そう考えると、稲荷神とは結局、スサノオの御子「宇迦之御魂」と「壹輿」という事になる。
また、「トヨウケビメ」は伊勢外宮の主祭神「豊受大神」と同一神である。
つまり、伊勢神宮は内宮に「天照大神=卑弥呼」が祀られ、外宮に「豊受大神=壹輿」が祀られていることになる。

では、何故「宇迦之御魂」が穀物神とされているのか……宇迦(ウカ)は穀物を意味する言葉だからである。
また、伏見稲荷大社では「宇迦之御魂」を女神としているが、それが事実であれば「宇迦之御魂=壹輿」の可能性も出てくるが、定かではない。
また、兄神の「大年神」も「大年=大稲」で、穀物神を意味するという説もある。

少し話を巻き戻すが、大矢田神社の祭神「スサノオ命」「天若日子命」「阿遲志貴高日子根命」が「フツ」「スサノオ」「トシ」かどうかは別として、「天若日子命」と「阿遲志貴高日子根命」は、身内ですら見間違えるほど瓜2つだったとされている。
これを神次元的に解釈すれば、2神の特性が類似している事を表現しており、本質的に同一神「スサノオ」だという事である。

前に記載したが、アジシキ(スキ)タカヒコネには、「阿遅鋤高日子根」という当て字も用いられている。
「鋤」は農具であり、農耕神と関連づける事が出来る。
また、それが鉄製であれば「出雲族」の象徴となる。

『日本霊異記』の中に、「世にも奇妙なスサノオの物語」がある。

――昔、百姓が畑で鋤を持って立っていると、突然雷雨に襲われ、落雷と共に、頭に蛇を巻き付けた奇妙な子供が出現した。
その子は元興寺の童子となり、道場法師と名乗った。
そして、元興寺の稲田が日照りに悩まされた時、鋤柄の杖を水門に置いて水を引き入れた――


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「雷雨」はスサノオを象徴し、「雷」「蛇」はルシファーの象徴である。
「スサノオ=ルシファー」だが、そうなると「牛」をトーテムとするスサノオが「蛇」となる。
また、この話は「穀物神=雷神=水神=蛇神」を暗示し、鋤に神が宿る(金属に雷が落ちる)ことを意味する。
それ故に、「アジシキタカヒコネ」は穀物神であり、穀物の育成には、雷(電気エネルギー)及び水が不可欠な要素であるを示している。
そして、アジシキタカヒコネは「雷神」と同様の神力を持つ「穀物神」とされるようになった。

『穀物神=アジシキタカヒコネ=雷神』

この等式をよく記憶しておいて頂きたい。
尚、アジシキタカヒコネは別名「迦毛大御神」と呼ばれているが、 『古事記』の中で「大御神」が付いている神は「天照大御神」と「迦毛大御神」だけであり、如何に重要な神であるかが分かる。
という事は、神次元に於ける穀物神としての性格上、伊勢外宮の「豊受大神」の正体は「迦毛大御神=稲荷神(宇迦之御魂+トヨウケビメ=ウケモチ=オオゲツヒメ)」という解釈が可能になる。

話を整理すると、「迦毛大御神=アジシキタカヒコネ=ツヌガアラシト=スサノオ」で、スサノオの御子である「宇迦之御魂」も「スサノオ」であり、「トヨウケビメ」「ウケモチ」「オオゲツヒメ」は、霊的に稲田の神「クシナダヒメ」に集約され、次のような等式で結ぶことが出来る。

伊勢外宮祭神「豊受大神」=稲荷神「宇迦之御魂」=「宇迦之御魂+クシナダヒメ」=「スサノオ+クシナダヒメ」

伊勢外宮の「豊受大神」の正体は「龍牛合体神」なのだ。
「豊受大神」は本来、内宮の「天照大神」より格式が上だと言われているが、その理由が解けたのではないだろうか。
だが、「天照大神」もまた、龍牛合体神なのである。
ややこしい説明で、「世にも奇妙な文章」になってしまったが……。
posted by 夢蛇鬼 at 12:14| Comment(12) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

世にも奇妙な「クシナダヒメ」の物語と3人の「スサノオ」の正体

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『日本書紀』ではクシナダヒメは「奇稲田姫」と表記されており、稲田の守護神だと解釈されている。
だとすれば、我が身を犠牲にして豊穣をもたらす「オオゲツヒメ」に代わる神であり、人間次元に於いては、両者は同一人物だった可能性すらある。

『オオゲツヒメ=奇稲田姫=天照大神=卑弥呼』

また、 「卑弥呼=ヤマタノオロチ」でもあった。
そうなると、 「ヤマタノオロチ」とその生贄として捧げられるはずだった「奇稲田姫」が、イコールで結ばれることになる。

『オオゲツヒメ=奇稲田姫=卑弥呼=ヤマタノオロチ』

まさに、奇ししき神話である。
スサノオは「奇稲田姫」を妻とした。
『稲の妻=稲妻』
聖書で「稲妻」は、天から地に堕とされた「ルシファー」の象徴として描かれている。
ご存知の通り、ルシファーは『ヨハネの黙示録』に登場する7つ頭の龍(年老いた蛇)だが、クシナダヒメには「串蛇姫」という当て字もある。
事実、神代の出雲地方には龍蛇信仰があり、稲田の女神は蛇で、稲田姫と大蛇の神婚伝説が残っており、次の等式が成り立つ。

『奇稲田姫=稲妻=ルシファー=ヤマタノオロチ=卑弥呼』

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FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルの透視では、卑弥呼の部族は「稲作」をもたらした海の民で、卑弥呼は長い「かんざし」で髪を止めていたという事から、「櫛名田比売」の当て字と一致する。
加治木説では、「山田」は「邪馬臺」「八俣」を語源とするものだったが、事実、卑弥呼の信仰は「山」と「田=稲」を御神体としていた。
それが後の「神道」に受け継がれていくのだが、この話は別の機会にしよう。

奇稲田姫の「奇」という字は「奇才」や「奇人」という使い方をする通り、卑弥呼にピッタリである。
また、「奇妙」で「奇怪」だと見られていた「鬼道」にも符合し、 音読みの「キ」も同じで、「鬼才」や「鬼神」という言葉も卑弥呼に相応しい。
奇しくも、卑弥呼は「角がある人=ツヌガアラシト=ツルカルナイン=神の言葉を通訳する女性」であった。

『出雲国風土記』では「久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)」という名で登場し、石川県七尾市にある「久志伊奈太伎比売(くしいなだきひめ)神社」の祭神と同一神である。
それは「稲田の神」として信仰されており、須佐神社(島根県出雲市)、八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社(京都府京都市)、櫛田神社(富山県射水市)、櫛田宮(佐賀県神埼市)、その他、各地の氷川神社で祀られている。

ヤマタノオロチは「八頭八尾の大蛇」だったが、ビシュヌ神(天之御中主神)を除けば「七頭七尾」のアナンタ(ルシファー)となる。
「久志伊奈太伎比売神社」のある石川県の「七尾」という市の名称は、それに由来しているのだろう。
注目すべきは、多くの櫛田神社で、夫の「スサノオ」や子の「大国主」と共に祀られている点である。
更に、福岡県の櫛田神社の祭神が、「大幡主大神」「天照大神」「素戔嗚大神」となっている事は非常に興味深い。

1つは、全国にある櫛田神社の祭神の殆んどが「クシナダヒメ」だが、福岡の「櫛田神社」では「天照大神」が祀られている点である。
これは「櫛稲田比売=天照大神」である事を暗に示している。
もう1つは、「天照大神(アマテラス)」「素戔嗚大神(スサノオ)」と来れば、もう1神は普通なら「月読命(ツキヨミ)」であるはずだが、「大幡主大神」が祀られている点である。

「大幡主大神=ツキヨミ」なのだろうか。
大幡主大神は別名「大若子命(おおわくごのみこと)」と呼ばれている。
「大若子命」も謎の多い人物だが、「天御中主尊」18世(一説では19世)の孫で、「彦久良伊命」の御子であり、度会氏の祖先だと言われている。
また『伊勢国風土記』では、「神武天皇」の部下だった「天日別命」の子孫とも言われている。
だが、これでは非常に分かりづらい。

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『神宮雑例集』によると垂仁26年、「垂仁天皇」の皇女「倭姫命」が 、伊勢国五十鈴川上流の宇治山田に「天照大神」を永遠に祀る鎮座地を求め、それが現在の皇大神宮(伊勢内宮)だという。
そして、その鎮座祭で「垂仁天皇」の御供をしたのが「大若子命」で、皇大神宮の初代大神主になったとされている。

まず、卑弥呼は人間としての「天照大神」である。
つまり、卑弥呼は神「天照大神」の預言者故に「天照大神」と呼ばれた。
更に言えば、卑弥呼は「天照大神」の受肉・現人神だったと解釈しても良い。
そして、「倭姫命」と「卑弥呼」は同一人物だと考えられている。

という事は、卑弥呼政権を倒した狗奴国王「卑弥弓呼=垂仁天皇」は、卑弥呼を殺してはおらず、婚姻していたことになる。
或いは、卑弥呼は「仲哀天皇」の死後、「垂仁天皇」と再婚したとも考えられるが、もう一度、北川説を思い出してほしい。

日向族のイザナギ・イザナミは、出雲族の進軍を恐れて、娘の「アマテラス」を「スサノオ」に差し出したのである。
これは、邪馬台国を征討した「卑弥弓呼」や「神武天皇の東征」とも酷似する。

また、伊勢外宮の『渡会氏本系帳』や富山県が編纂した『越中史料』には、「大若子命」が越国の凶賊である阿彦を征討した事が記されているが、北陸は龍神信仰のメッカで、阿彦は龍蛇族であり、本質的に「スサノオの龍退治」と同じである。

『魏志倭人伝』には、「卑弥呼」は狗奴国との戦いで死亡したというニュアンスで書かれている。
端的に表現すれば、「卑弥呼」は「卑弥弓呼」に殺された。
これは『記紀』で、「スサノオの乱暴によってアマテラスが岩戸隠れした」という事件、「スサノオがオオゲツヒメを斬り殺した」という事件、「スサノオがヤマタノオロチを退治した」という事件とも共通する。

だが、「スサノオ」は「クシナダヒメ」を妻としている。
マクモニーグルの透視でも、「卑弥呼」は他殺ではなく、肺炎で亡くなったという。
但し、マクモニーグルは『魏志倭人伝』と同じく、「卑弥呼は結婚しておらず子供もいなかった」と述べている。
マクモニーグルの透視に絶対性はないが、この大きな食い違いは何が原因なのか。

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『日本書紀』に「神功皇后の夫・仲哀天皇は熊襲との戦いで死に、皇后が永く政務を執る」と記されている。
それ故に、マクモニーグルが透視で「卑弥呼」の夫を確認できなかったのだろうか。
福岡の「櫛田神社」の社伝によると、天平宝字元年(757年)、伊勢国の「櫛田神社」の分霊を博多総鎮守産土神として奉祭したとされる。
伊勢国には伊勢神宮があり、皇大神宮建立の経緯は既に述べた通りである。
更に、伊勢の語源は「伊是名島」だった。
つまり、今までの話から考察すると、「櫛田神社」の3柱の祭神の正体は、次のようになる。

「天照大神=倭姫命=クシナダヒメ」
「素盞嗚大神=垂仁天皇=スサノオ」
「大幡主大神=大若子命=スサノオ」


『記紀』の記録によると、「仲哀天皇」は第14代天皇、「垂仁天皇」は第11代天皇となっていて代も名前も異なるが、同一人物の可能性もある。
つまり、『仲哀天皇=垂仁天皇=大若子命』で、三者とも「スサノオ」と呼べる人物である。
島根半島にある日御碕神社の祭神は、「須佐之男命」と「天照大御神」だが、島根県の八重垣神社の祭神は「須佐之男命」と「稲田姫命」となっており、「クシナダヒメ=アマテラス」と「スサノオ=垂仁天皇」が夫婦だったことを証明している。

「スサノオ」と「クシナダヒメ」の間には、8人の子供があったと言われているが、八重垣神社には、須佐之男、稲田姫、足名槌(アシナツチ)、手名槌(テナツチ)、天照大神、市寸島比売(イチキシマヒメ)の6神像が描かれている。
「クシナダヒメ」と別に「天照大神」が描かれているという事は、 「天照大神」の名称を受け継いだ人物が存在したことを示している。

では、「大若子命」は「アマテラス」と「スサノオ」の御子なのだろうか。
福岡の櫛田神社の社伝では、「大若子命は天照大神の側を離れず、その補佐をした神」とある。
卑弥呼(神功皇后)はモーゼと同じく、兄弟(姉弟)による政祭を執っていた。
何故、夫である天皇ではなく「弟」だったのだろうか。

「神功皇后の夫・仲哀天皇は熊襲との戦いで死に、皇后が永く政務を執る」

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では、卑弥呼(神功皇后)の弟とは、一体何者なのか。
卑弥呼が「アマテラス」であれば、その弟は「スサノオ」である。
神話では、「アマテラス」と「スサノオ」は仲の悪い姉弟だった。
「邪馬台国女王・卑弥呼=神功皇后=アマテラス」と「狗奴国男王・卑弥弓呼=垂仁天皇=スサノオ」も犬猿の仲であった。
つまり、「垂仁天皇」と「大若子命」は同一人物だった可能性がある。

まず、卑弥呼の夫と弟が同じ人物という事に異議を持つ方も多いと思うが、卑弥呼の父である「イザナギ」は、神話では1神で三貴士(アマテラス・ツキヨミ・スサノオ)を生んだ事になっている。
勿論、男は出産する事が出来ないので、この話は「三貴子」が異母姉弟であることを意味してるとも考えられる。
同一人物であるなら、何故「素戔嗚大神」と「大幡主大神」が別々に祀られているのか。

推測の域を出ないが、卑弥呼生存中の名前が「大若子命(大幡主大神)」で、卑弥呼死後に「垂仁天皇(素戔嗚大神)」と名乗り、後世の人が他人だと勘違いしたとしか言い様がない。
「垂仁天皇」は「神功皇后」の死後に登場したとされるが、それが「神功皇后」の弟「大若子命」だったのではないかという事である。

では、皇大神宮鎮座祭で、「大若子命が垂仁天皇の御供をした」というのは、一体どういう事なのか。
スサノオ(大若子命=垂仁天皇)が伊勢国に渡った記録はなく、また、伊勢神宮が建立されたのは後世の事である。
つまり、あの話は後世の創作か、又はその子孫が、自分たちを祖先と重ね合わせて記録したとしか思えないのだ。
では、神功皇后生存中に崩御した「仲哀天皇」も同一人物というのは、どういう事なのか。

まず、仲哀天皇(ソナカ=ツヌガアラシト)も「スサノオ」と呼ばれた人物である。
そして、彼が「神功皇后」に忌避されていた事は、『記紀』の様々な箇所から読み取れる。
それは、「アマテラス」と「スサノオ」の仲の悪さを物語っている。
それで、「仲哀天皇」は影役でしかなかったのだ。
つまり、卑弥呼が女王として全面に出て、弟が通訳だった事に比定できる。

だが、卑弥呼は表舞台には殆んど出なかったとされている。
この如何ともし難い矛盾の答えは、既に出ている。
「卑弥呼」という名称は肩書きであり、「神功皇后」は2人の巫女の記録の混合であり、「天照大神」は死後、再び登場する。
つまり、「仲哀天皇」の妃とされる「神功皇后」は卑弥呼だけではなく、「2代目・卑弥呼=岩戸から出てきた天照大神」の記録が混入しているのだ。
八重垣神社に「クシナダヒメ」と「アマテラス」が描かれている事からも、それは容易に想像できる。

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一説では、「ヤマトタケル」は「武内宿禰」の若き姿だとされている。
武内宿禰もまた謎多き人物だが、それが事実であれば、ミッシングリンクの発見である。
何故なら、武内宿禰の子「若子の宿祢」と「大若子命」が同一人物である可能性が高いからだ。
そして、仲哀天皇はヤマトタケルの子である。
即ち、『大若子命=仲哀天皇』。そして、「垂仁天皇」。

『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は100余人の殉死者と共に埋葬されたという。
だが、マクモニーグルが卑弥呼の墓を詳細に透視した結果、殉葬は確認されていない。
『日本書紀』には、垂仁天皇は殉死を禁止し、埴輪を代用し始めた事が記されている。
整理すると、神功皇后(卑弥呼=アマテラス)の夫(仲哀天皇)は、同時に義弟(大若子命)でもあり、皇后の死後、「垂仁天皇」として登場した「スサノオ」だった、というのが私の結論である。

だが、卑弥呼には複数の義弟がいたようである。
『アーリオーン・メッセージ』によると、スサノオとアマテラスの政略結婚に対して、「アマテラス義弟たち」が猛反対したという。
「アマテラスの弟=スサノオ」であれば、この義弟たちも全て「スサノオ」という事になってしまうが、アリオンはそのようには述べておらず、彼らは歴史に名を残していないという。
私的には、これ以上話が複雑にならずに済んで幸いだが……。
posted by 夢蛇鬼 at 14:13| Comment(4) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

死国の女王・オオゲツヒメ殺神事件の真相と禁断の関係

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『古事記』の中のイザナギとイザナミの国産みで、2番目に創造された伊豫之二名島(四国)の中の阿波国(徳島県)として、大宜都比売(オオゲツヒメ)が誕生した。
阿波国は元来「粟国」と書き、五穀の神である「オオゲツヒメ」が祀られていた事が由来とされている。

高天原を追放された「スサノオ」は「オオゲツヒメ」に食物を求め、 「オオゲツヒメ」は「スサノオ」に次々と食事をもてなした。
それを不審に思った「スサノオ」が様子を覗くと、「オオゲツヒメ」は鼻や口、尻から食材を吐き出して調理していた。
腹を立てた「スサノオ」が「オオゲツヒメ」を斬り殺すと、頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生まれ、 「カミムスビ」が取って、五穀と養蚕の始まりとしたと伝えられている。

『日本書紀』では同様の話が、「ツキヨミ」が「ウケモチ(保食神)」を斬り殺す話として登場し、頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれ、「アマテラス」がこれらを取って広めたとされている。
やはり、「スサノオ」と「ツキヨミ」は同一人物だったようだ。
では、「カミムスビ」と「アマテラス」も同一人物だったのだろうか。
いや、「アマテラス」は「スサノオ」の乱暴によって岩戸に隠れた(崩御した)。

「ヤマタノオロチ」を斬り殺したのも「スサノオ」で、「アマテラス」も「ヤマタノオロチ」も「卑弥呼」だったことを考えると、イザナギ・イザナミの間に生まれた「オオゲツヒメ=ウケモチ」の正体も「卑弥呼」だった確率は高い。
そして、「ヤマタノオロチ」から「草薙剣」が出てきた事と、「オオゲツヒメ」から五穀や蚕が出てきた事も似ている。
「オオゲツヒメ」と「アマテラス」が同一人物であれば、それを取ったアマテラス(カミムスビ)は「2代目・アマテラス」という事になる。

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「卑弥呼」と「徳島県」の関係は不明だが、映画でもあったように、四国は「死国」に通じ、「オオゲツヒメ」が切り殺された話や、卑弥呼の鬼道が崇拝する「死の神・シヴァ」に由来するのかも知れない。
『古事記』によるとスサノオは、父・イザナギより「海原を治めよ」との命を受けたが、それを拒否し、母・イザナミの居る「根の国」に行くと言い始め、イザナギは怒って近江の多賀に引き籠もってしまった。

「イザナギ」「イザナミ」は人名ではなく、肩書きだったことを思い出して頂きたい。
であれば、イザナギ・イザナミの娘のアマテラス(卑弥呼)も、「イザナミ」と呼ばれることがあったに違いない。
そして一説では、卑弥呼(イザナミ)の息子も「スサノオ」と呼ばれる人物である。
「卑弥呼=イザナミ=オオゲツヒメ」という等式で考えると、卑弥呼(イザナミ)の息子のスサノオが向かった 「根の国=死者の国=死国」というのは、オオゲツヒメ(卑弥呼)が死んだ「四国」を指しているのかも知れない。
但し、同じ名の複数の人物の伝説が重なり合っている可能性が高いので、卑弥呼が四国で死んだと断定するのは早計である。

話を戻すが、「オオゲツヒメ神話」と似た神話はインドネシア等の南方系にも広く伝わっている。
また、卑弥呼が魏の朝廷に絹を献上したことが『魏志倭人伝』に記されている。

『オオゲツヒメ=卑弥呼』

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この推理は的外れではないようだ。
オオゲツヒメは「大気津比売」という当て字もあるが、加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で次のように述べている。

――ヒミコがした仕事は『古事記』の「大気津比売神」をスサノオが殺したら、その頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰に麦、尻に大豆が生じた、という話で、その神の名が沖縄語では「オオ=ウ、キ=チ、津=の」で「ウチの姫神」すなわち天照大神=老ヒミコのことだと分かるので、彼女が農産物と織物工業の管理者でもあったことが分かる――

オオゲツヒメはスサノオに殺されたが、後に「大年神」の系譜の「ハヤマト」の妻として八神を生んだという記述がある。
ここに登場する「オオゲツヒメ」は、「2代目・アマテラス」と考えて良いだろう。
次にスサノオは、ヤマタノオロチの生贄として捧げられるはずだった「櫛名田比売(クシナダヒメ)」を助けている。
注目したいのは、この時「スサノオ」は、殺戮神から救済神に変化している事である。

また、注意したいのは、卑弥呼は神話の中で「アマテラス」「オオゲツヒメ」「ヤマタノオロチ」という名前で、同じスサノオに3回も殺されているという事である。
常識的に、「アマテラス」「オオゲツヒメ」「ヤマタノオロチ」は全く別物である。
だとすれば、逆に、同じ「スサノオ」であるはずの人物が、実は2人、或いは3人の「スサノオ」だったかも知れない。

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加治木説に従えば、ヤマタノオロチ(卑弥呼政権)を倒したスサノオのは「垂仁天皇」である。
であれば、アマテラスを岩戸に隠れさせた「スサノオ」も、オオゲツヒメを殺した「スサノオ」も「垂仁天皇」だった可能性が高い。
少なくとも、ヤマタノオロチを倒したのは「垂仁天皇」という事になる。
ならば、クシイナダヒメをヤマタノオロチから救って娶ったスサノオも、「垂仁天皇」であるはずだ。

しかし、アリオンの預言者である北川氏が採用している家系図では、日向族のアマテラス(卑弥呼)と婚姻したスサノオ(仲哀天皇)は、出雲族系のクシイナダヒメとも結婚しているのだ。
これが事実であれば、「仲哀天皇」と「垂仁天皇」は同一人物ということになる。
アジシキタカネヒコは卑弥呼の兄弟とされている人物だが、その家系図では、アジシキタカネヒコ(垂仁天皇)は、スサノオと卑弥呼の子である多紀理姫(三穂津姫・木花咲耶姫)と、大国主(オオクニヌシ)の間に出来た子となっている。

そうすると、『日本書紀』では「大国主」はスサノオとクシナダヒメの息子とされているので、 「大国主」と「多紀理姫」は異母兄妹(又は姉弟)同士の結婚だった事になるが、その真相は不明である。
1つ言える事は、 「仲哀天皇」は神功皇后(卑弥呼)より先に他界し、後に卑弥呼政権を倒して王となったのが「垂仁天皇=アジシキタカネヒコ」であるという記録が最も信憑性が高いと思われるのだが、果たして……
posted by 夢蛇鬼 at 11:27| Comment(4) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月17日

屋久島の大王「スサノオ=ツキヨミ」と高句麗の女王「卑弥呼」の謎

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アマテラス(卑弥呼)の弟のスサノオは「アジシキタカヒコネ=卑弥弓呼=稚武彦=垂仁天皇」だという事が分かったが、彼は本当に「天稚彦=仲哀天皇」と別人なのか。
くどいようだが、共に「アレクサンドロス=スサノオ」を名乗っていた為に紛らわしかったのだと、加治木氏は主張しているものの、同一視している箇所もある。

『日本書紀』では、「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は瓜2つだが別人で、「天稚彦」は「下照姫」を妻にして王になったとしている。
そして、「アジシキタカヒコネ」は卑弥呼の弟の「稚武彦=垂仁天皇」だが、『古事記』では「アジシキタカヒコネ」は「高比売=下照姫=卑弥呼」の兄となっている。

更に、卑弥呼(下照姫=アマテラス)は日向族のイザナギ・イザナミの娘だが、『古事記』では「高比売=下照姫」は出雲族の大国主(オオクニヌシ)と多紀理毘売命(タギリヒメ)の娘だとされている。
これは明らかに『古事記』の誤りだと思うのだが、どうだろう。
細かい点を無視して良心的に解釈すると、「アジシキタカヒコネ=垂仁天皇」の姉か妹の「卑弥呼」が、「天稚彦=仲哀天皇」と結婚したと考えるのが自然である。

だが、加治木氏は、何人もいるスサノオの中で、竜を退治したスサノオ「ジークフリート」の語源が「邪狗夫余人(ジャクフリヒト)」で、屋久島から高句麗までの王だった「垂仁天皇」だとしているが、高句麗の姫(又は女王)との結婚は不思議ではないとしている。
そして加治木氏は「黄金の女王・卑弥呼」の中で、「間違いなく卑弥呼は高句麗の女王だった」と断定している。

それは、兄妹(又は姉弟)の婚姻という事になる。
それが事実であれば、卑弥呼は夫「仲哀天皇」の死後、弟「垂仁天皇」と再婚したことになるが、状況的にそれは考えにくい。

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ここで気分転換に、加治木氏の著書『日本国誕生の秘密はすべて「おとぎ話」にあった』(徳間書店)の中から、少し面白い話をご紹介したい。

――彼は八俣大蛇=天照大神=卑弥呼を倒した。
政権の王なのですから「スサノオノミコト」に当たります。
『古事記』にはそのスサノオは、天照大神が父から天の仕事をあてがわれたのに、彼は「海原を治めろ」といわれて、気にいらないで命令に従わずに泣きわめき、「僕は[根の国]に行きたい」とすねたので、父は怒って追放してしまったと書いてあります。
これを位宮の史実と比較してみると、海原は海の中の国、すなわち沖縄で、位宮の名乗り「琉球王」に一致し、「根の国」は地下の「暗い国」すなわち「クライ=高麗、黒の国=北の高句麗」に一致します。
スサノオはまた別の部分で「韓=カラ=インド語で黒」へ行って戻ってきた神だとも書いてありますが、これも位宮にぴったり一致します。
ではなぜ「月」なのでしよう……?
『古事記』ではスサノオが海原を治めろと命令されたとき、もう一人「月読尊」という兄神がいて、彼は「夜食国」を治めよと命令されて月の王になったと書いてあります。
この不思議な名の国はどこにあるのでしょう?
これは当て字ですから別に夜食専門の深夜営業店なんかではありません。
万葉ガナと同じことで、「夜=ヤ・食=クウ」と読みさえすれば
「屋ヤ・久ク・王ウ」だとすぐわかります。
彼は屋久島の王になったのです。
『備後国風土記』の「疫隅国社」の話が元になって、彼は別名「疫の神」と呼ばれていますが、これはいいかえれば「疫病神」のことです。
「疫」と「屋久」で、これは「屋久の王」がもとになってできた悪名だとすぐわかります。
さらにこの屋久は古くは「邪久」と書かれています。
7世紀の唐代より前には「邪」は「ジャ・ジォ」と発音しましたから、「天の邪鬼」の「ジャク」もこの名から出ていますし、3世紀当時の「邪久」は「ジキュウ」への当て字で、今の鹿児島語でも「琉球」のことを「ジキュ」と発音します。
おわかりのように「月読尊」とスサノオは同一人で、「琉球王」位宮の説話が分裂して二人の神に見えたものだったのです。
「月の満ち欠けを読む」のは海の大潮・小潮を予知することで、それは「海原の神」の仕事です。
山幸彦はその力を得て海幸彦を倒しました。
その月読みの神の宮殿が「月の宮居」と呼ばれるのは少しも不自然ではありません。――


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「ツキヨミ」と「スサノオ」が同一人物だったというのは『竹内文書』の記述と同じである。
だが、「スサノオ」は2人いた。
問題は、「疫病神」として封印された鬼としての「スサノオ」が2人存在したかどうかである。

アリオンのいう「スサノオ」は明らかに「天稚彦=仲哀天皇」を指しており、鬼として封印されたとしている。
だが、加治木説では、「疫病神」「天の邪鬼」は屋久の王「アジシキタカヒコネ=垂仁天皇」の悪名だと指摘している。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は同じ血族ではないが、似たような運命を辿ったのだろうか。
「スサノオ」の人物像について結論を出す前に、神次元での「スサノオ」を見てみよう。
posted by 夢蛇鬼 at 13:36| Comment(6) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

2人の現人神「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の謎

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狗奴国王「卑弥弓呼=スサノオ」は、卑弥呼政権を倒して王となった。
だが、卑弥呼の死後、邪馬台国は男王による支配が始まり、すぐに治安が乱れてしまったと伝えられている。
この男王が狗奴国王「卑弥弓呼」である事はほぼ間違いないが、それが本当に「仲哀天皇」かと言えば疑問である。
「天稚彦=仲哀天皇」は、「下照姫=神功皇后」より早く崩御しているからである。
もし、「卑弥弓呼」と「仲哀天皇」が別人だとすれば、やはり「スサノオ」は2人いたことになる。
それは、「天稚彦」の物語の続きにヒントがある。

天稚彦のお通夜に、葦原中国から天稚彦の友人の「アジシキタカヒコネの神」が弔いにやってきた。
彼は天稚彦と瓜二つだった為、人々は天稚彦が生きていたのだと思い込み、喜んで騒いだ。
すると「アジシキタカヒコネ」は、「穢れた死人と一緒にするな!」と激怒した。
双子ではない限り、姿形が瓜二つなどという事は考えにくい。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は、あくまでも友人だという。

では、2人の共通点は何だったのか。
ここでも、言語学者の加治木氏の出番となる。
天稚彦は「ツヌガアラシト=ツルカルナイン」で、それはアレクサンドロスの仇名である。
そして、 「アジシキタカヒコネ」という名は「アレクサンドロス」の変化なのだ。

「アジシキ・高日子・根=アレキ・サン・ドロス」

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アジシキタカヒコネには、「阿遅高日子根」や「阿治志貴高日子根」など様々な当て字があるが、加治木氏の解説によれば、 「爾」は漢音で「ジ・ニ」と発音し、中国では「ラ行」にも使い、阿爾は「アジ」「アレ」と読める。
「シ」は助詞の「之」で省略。
「高」はアラビア語で「サン」と呼び、「日」と「子」も英語で「サン」で、「高日子」が1つの「サン」という発音を表している。
何故、「サン」が三重になっているのかというと、古代日本ではインド〜アーリア語の複数の言語を持つ人々が共存していた為、「枕ことば」の手法のように、複数の言葉を重ねて使用されていたことが理由らしい。

「根」はペルシア語で「ダル」といい、百人一首式の古代日本語の清音では「タル」と読み、漢字では「足」と書く。
『古事記』には「帯」を「多羅斯(タラシ・タラス)」と書かれているが、『日本書紀』では「足」の字が使われており、「帯」はマレー語で「タリ」という。
「ダル(根=ペルシア語)」「タル(足=日本語)」「タリ(帯=マレー語)」は発音が似ているだけでなく、 「根」は植物の「足」で、 「根」も「帯」も下に垂れるもので意味が共通する。

7世紀の中国の正史『隋書』の「倭国伝」に、「倭王、姓は阿毎(アメ)、字(あざな)は多利思比孤(タリシヒコ)」と記録されており、「帯・足(タリ)」が『古事記』の「多羅斯(タラシ・タラス)」と合わないのは、『古事記』の方が訛っていると指摘。
そして、足と根が同音であれば、天皇名に付いている「根子」は「ネコ」ではなく、「タリシ・タラシ」と読まなければならない。

また、沖縄では「ネ」は「ニ」、「シ」は「チ」と発音する為、「根子」の漢音は「ニチ」で、『魏志倭人伝』の伊都国の最高官「爾支(ニチ)」とも一致。
そこで、「高日子根」の根を「タリ」「タル」「タラシ」と読むと……
「アレキ・サン・タリ」「アレキ・サン・タラシ」となり、アラビア語の「ダル」で読むと「アレキサンダル」となる。

見事としか言い様がない。

『天稚彦=ツヌガアラシト=ツルカルナイン=アレクサンドロス=アジシキタカヒコネ』

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だが、全てイコールで括るのは正しくない。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は別人であり、共に「アレクサンドロス」本人ではなく、その名を語る人物だったと考えられる。
やはり「スサノオ」は2人存在したことになる。
だが、「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」、この2人は本当に別人なのだろうか。
そもそもアカデミズムでは、「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の実在性に懐疑的である。
見方によっては、同一人物として実在していた可能性も否定できない。
前に紹介した加治木説の、ドイツの竜退治神話の英雄「ジークフリート」の話を思い出して頂きたい。

「<ジークフリート>は、邪馬国の <邪>、狗奴国の <狗>、夫余国の <夫余> に人をつけた屋久島から高句麗までの王だった垂仁天皇の名乗りに合う「邪狗夫余人」を、<ジャクフリヒト> と発音したものによく合い、その妻・<クリムヒルト>も高麗国日霎人・<クリマヒルト> と書くと、高句麗の姫または女王という意味になって、その結婚は不思議ではない」

高麗国日霎人が「卑弥呼」だとすると、その夫・邪狗夫余人は「垂仁天皇=仲哀天皇」と考える事が出来る。
だが、加治木氏の結論は次の通りである。

「『記紀』の阿遅高日子根は天の稚彦(若日子)の死後、登場する。
<稚彦> は卑弥呼の夫・ソナカ王子・仲哀天皇で、卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇である。
彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒した <スサノオ>、その人なのだ」


だとすると、『天稚彦=ソナカ=仲哀天皇』『阿遅高日子根=卑弥弓呼=垂仁天皇』という事になり、2人の「スサノオ」は別人だった事になる。

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加治木氏の「言語復原史学会・大学院講義録」から、まとめを紹介したい。
――『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に、都怒我阿羅斯等<ツヌガアラシト>=角がある人=<ツルカルニン>。
蘇那曷叱智<ソナカシチ>=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇。
天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=天の稚彦が、海外からやってきたという話が編集されている。
在来はこれらは別人扱いされてきたが、すべて同一人の名乗りであることは、すでにこの講座でよく御存知である。
この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。
<姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、<彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。
天の稚彦がこれらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。
このうちの<ツルカルニン>は間違いなく<アレクサンドロス大王>の称号の一つとして、世界に知られた名乗りである。
都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。
だとすると稚彦の死後、弔問に現われた阿遅高日子根=阿爾高日子根(アレクサンドロス)の事件は、この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、史実としての真相だとわかる。
『記・紀』には欠けているが、その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、それがスサという地名から、「荒(すさ)む」という日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。
これらの名乗りが全て仲哀天皇のものだと判ると、卑弥呼の夫として、非常に貴重な発見になる。
その系譜や事跡が合うか?
相互関係を確かめてみなければならない。
簡単に要点を挙げて比較してみよう。

仲哀天皇 天日槍 卑弥呼 神宮皇后

1.日本武尊の第2子 新羅王子
2.妻 気長足姫
但馬太耳の娘・麻多烏(マタオ) 孝霊・太瓊天皇の娘 息長宿祢の娘
3.若狭の角鹿に行事
播磨・淡路・若狭に行く
巴利国が女王国首都
三韓へも行く
4.若狭から九州に移る
若狭から但馬に移る(播磨は後世の巴利国人の移動先)
(若は稚(チ)ヌ国=沖縄、狭(タンネ)・但馬(種子国(タジマ))・太瓊(タニ)は、みな種子島)

ここで一番重要なのは、但馬太耳の娘・麻多烏である。
卑弥呼は天照大神として宇治山田に祭られ、その遺跡は内山田の地名を残している。
だから<麻多>は<アサダ>ではなく<ヤ>が欠けているのだから、<ヤ>麻多=山田。八麻多=八俣。
残る<烏>=<オ>は、<オロチ>=大蛇の<オ>だったのである。
八俣大蛇とは、単なる比喩ではなく、この名から生まれた合理的な名詞だったことがこれでわかり、それを討った<スサノオ>が邪馬壹国天皇・垂仁だったことも動かなくなる――


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「仲哀天皇=スサノオ」は卑弥呼の夫だが、では「垂仁天皇=スサノオ」は一体何者なのだろうか。
少し長くなるが、続きを読んで頂きたい。

――その父・但馬太耳(タジ)と、孝霊天皇の「太瓊(タニ)」が同じものであることも「二・児」の発音に<ジ>とがあることを知っていれば簡単に理解できる。
それは<種子島>を<タジガシマ>と読む人と、沖縄発音で「タニガジマ」と呼んだ人の差である。
天皇の名乗りの最後は都の地名であることは倭の五王の名乗りで、讃は讃岐、珍は<チヌ>=淡路島の津名、興は河内、武は高市と揃っていて明らかだから、これで孝霊天皇は種子島に都していたのだと、確認できたのである。
後に天武天皇が種子島人を特別待遇し、世人も「橘(種子国人)は、己が枝々実(な)れれども、(自分の利益を追及して、どんなにひどく闘争していても、最後には結局)一つ緒に貫く。
(種子島人だけで固める)」
という戯れ歌(批判歌謡=河内音頭のような、当時の流行歌)が流行ったと『日本書紀』が書くほどに、大和政権の中枢は種子島出身者が独占していた。
それはこの孝霊天皇→卑弥呼以後も、垂仁天皇=卑弥呼の弟・稚武彦、壹與(赫夜姫・神功皇后2)、応神天皇→仁徳(讃)系天皇たち、継体天皇(応神天皇5世孫)から斉明天皇までの倭国天皇が、紆余曲折はあるが、<種子島系の豊玉姫の子孫>であることは、世人が明瞭に認めていた事実だとわかる。
そして天智天皇も天武天皇もまた、その資格には欠けていなかったことが確認できる。
天皇家が種子島出身であることは動かない事実なのである。
太耳・太瓊が同じ地名で、種子島。
播磨は卑弥呼以後に生まれた国だから巴利国のことだと決まると、若狭も福井県ではありえない。
神功皇后2=壹與が戦った相手、卑弥呼政権の籠坂王は鹿児島=薩摩王で、忍熊王は大之隈(オシクマ)王=大隅王だったのだから、若は稚(わか)で稚(チ)ヌ国=天国=ウチナ=沖縄、<狭>は<タンネ>で種子島、この間の領地を意味する。
但馬も後世に種子島人が移住したあと生まれた地名だから、日槍が行った但馬は種子島(タジマ)以外ではありえない。
天の<日槍>の<ヒホコ>は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火で、<彦>・<火子>は日向(ヒコ)、出見(イヅミ)は出水、または<ヒ>は<日向>、<ホ>は百済(ホセイ)の首=<ホ>で、豊玉(ホツマ)の豊。
大分が豊の国になる前だから、いずれにしても南九州以外ではありえない。
だから仲哀天皇・天の日槍・天の稚彦・都怒我阿羅斯等・蘇那易叱智の行動範囲は、沖縄から九州までに厳しく限定されている。
これらを本州の地名だと錯覚した解説は、全て役には立たない。
すると角鹿(チヌカ)も大隅発音、福井県の敦賀(つるが)ではなくなる。
若狭や敦賀は近畿に倭国が進出した後、新たに生まれた地名であって、とても卑弥呼以前には存在しえない地名だからである。
石器や土器の製作年代が考古学説の生命を左右するのと同じで、史学も地名や国名の年代が重大な意味をもっている。
在来のような粗雑な考えでは、正確な史実は絶対に掴めない。
では角鹿はどこが正しいのであろう?。
<角>・<ツノ>は沖縄発音<チヌ>。
若が稚(チ)で稚(チ)ヌ=天(チヌ)=ウチナ=沖縄の古名だったのと同じこと。
鹿(カ)は鹿屋(かのや)が鹿国(カのヤ)である。
「沖縄に属していた鹿国」という意味とみると、都怒我阿羅斯等は沖縄・鹿屋の現人神=天皇という意味になるから、この<ツルカールニン>を「ツヌカ、アルヒト」と読んだ読み損ないが、「<アルヒト>とは現人(アラヒト)のことで<現人神>のこと、これは<アラヒトガミ>と読むのが正しい」という解釈者がいて、「ー(ア)ルニン」が「アラヒト→阿羅斯等」という表記まで変化してしまったことも判る。
その犯人は、<ヒト>を<シト>と発音しているから、大隅人だったことも動かない。
これで仲哀天皇は本州へ行っていないことが明確になったが、その名乗りには問題がある。
『古事記』は帯中日子天皇と書くが、これは神功皇后の息長帯姫の「帯」が、当時の<韓国>を指す「帯方」だからである。
これは『日本書紀』が足仲彦天皇と書き、『日本書紀』が皇后を気長足姫と書く「足」を同じ発音の「帯」に変えただけに見えるが、天皇のほうの<足仲>は明らかに<ソナカ>への当て字で、<タラシ>と読むものではない。
皇后の<息長>も明瞭に<ソナカ>への当て字で帯姫の帯は余分なのである。
すると蘇那曷叱智は任那、都怒我阿羅斯等は意富加羅(おほから)、天日槍は新羅と、皆、朝鮮半島出身になっていることを、無視するわけにはいかない。
それは不思議でも何でもない。
朝鮮半島は、故に宝貝貨幣を供給した時代から、沖縄から九州を経て高句麗まで、1国と言っていい状態にあった。
最小限に限定しても高句麗は間違いなく<コウリー>(宝貝)の国で、漕ぐ人(コグリョ)の国。
シュメールから釆たカリエン=カルデアンの国で、<スメラギ>を首長と仰ぐ人たちの国の1部だったのである。
その高句麗が前漢の侵略を受けて漢の4郡にされ、漢が衰えた後漢末に<公孫康>が今の黄海道と京畿道とを帯方郡にして<京城>(ソウル)に役所を置いて支配した。
しかしそれ以外の各道は依然として倭国政権の支配下にあったことは変わらない。
それを倭人たちは全て<帯方>と呼んでいたから、神功皇后も「帯」を加えて息長帯姫と名乗ったのである。
ところが夫の仲哀天皇の足仲彦(ソナカ)は<ソナカ>皇子ということで、帯中日子は書紀の当て字を<足>から<帯>に変えただけのもの、ソナカ皇子と読むことさえ知らない。
書紀を真似たくないと、ただ闇雲に文字を変えただけだし、その変え方も、足仲彦を<タラシナカツヒコ>と読んで、正しい名すら知らなかったことを暴露している。
我が国の古代史上、最も重要な人物の天照大神で卑弥呼で神功皇后だった女性の夫の名さえ知らない、そんな『古事記』を、「絶対だ。本当の正史だ。神典だ」と主張した連中の、無知さ加減がよく判ると思う――


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「垂仁天皇」は卑弥呼の弟「稚武彦」である事が分かり、やはり「アマテラス」の弟も「スサノオ」だったのだ。
だが、次の説明は腑に落ちない。

「天の日槍は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火」

天の日槍(天日矛=天稚彦)は「仲哀天皇」だが、ここでは「垂仁天皇」と同一視されているのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 11:00| Comment(3) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

卑弥呼(ヤマタノオロチ)を倒した狗奴国男王「卑弥弓呼」の正体

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スサノオは朝鮮系で、大陸から渡来した人物というのが定説となっている。
もっとに言えば、モンゴル系騎馬民族である。
前にも述べたが、私の仮説では、モンゴル平原を席巻していたヒッタイト系ユダヤ人のスキタイが、パミール高原を越えてインド亜大陸に移動した部族である。
長らくアリオン説を検証してきた通り、出雲族はパミール高原からインドを経由し、海路を辿って古代日本列島に上陸した部族だった。

加治木氏も「黄金の女王・卑弥呼」の中で、次のように述べている。

――こうして古代日本、ことに鹿児島へ、インドからきた人たちがあったことが確実になってくると、それはいつごろで、誰がやってきたのか、知りたくなる。
それを知る、なにか役立つ証拠か記録があるだろうか?
ある!やってきたのは、最初に見ていただいた「ソナカ」という名をもった人物である。
彼はヒメゴソの夫だった。
多くの別名をもっていたが、それは神功皇后夫妻と同じ名乗りが、言語の違いや当て字の変化で生まれたもので、すなわち、『記・紀』に仲哀天皇として記録されているその人こそ、そのインドからきた可能性のいちばん高い人物だったのである。
しかし彼がインドからきたということを知るためには、まず卑弥呼の「鬼道」をもっと考えてみなければならない――


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卑弥呼の「鬼道」が、シンドゥ教(ヒンドゥー教)の破壊神「シヴァ信仰」だったことを思い出して頂きたい。
だが、シンドゥ教の最高神は創造神「ビシュヌ」である。
そして、『古事記』の冒頭に登場する原初の神が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」である。
加治木氏の言語解釈によれば、「御中主=ミチュウヌシ」で、沖縄語では「ミはビ」に変わり、「ミチュウヌシ」が「ビチュヌシ」と発音されるという。

最後の「シ」は助詞の「……の」で、「之」と当て字すると「シ」という漢字音になり、沖縄では「チ」と発音して「津」と書き、それを古事記の速記者が「シ」と翻訳し、本体の名前と混合して「主」という漢字を当てたという。

「天御中主神=ビシュヌ之神」

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ビシュヌは、「アナンタ」という「七マタの大蛇」を連れている。
7つの頭を持つ大蛇(竜)といえば、『ヨハネの黙示録』に登場するサタン「ルシファー」の姿である。
そして、アナンタ(ルシファー)の頭にビシュヌ自身の頭の加えると「八つ頭」となる。
そう、「ヤマタノオロチ」である。

スサノオは姉のアマテラスと戦い、アマテラスは岩戸に隠れた(古墳に葬られた)。
それとは別に、加治木氏によると、「八俣大蛇」は「八俣=ヤマタ=八幡(ヤバタ)=邪馬臺」「大=ウ」「蛇=チ」=「内・宇治」で、 「卑弥呼」のことだと断言している。
ヤマタノオロチを退治したのも「スサノオ」である。
では、スサノオが卑弥呼を退治したのだろうか。

『魏志倭人伝』には、卑弥呼は、狗奴国(クナコク)の男王「卑弥弓呼(ヒミココ)」と戦争して死去したと記されている。
だとすれば、卑弥弓呼が「スサノオ」という事になる。
狗奴国の位置にも諸説あるが、肥後国菊池郡・球磨郡と考える論者も多い。
加治木もまた、熊本県球磨郡と鹿児島県境にある九七峠(クナトウゲ)を「狗奴国」だとしている。
つまり、加治木説では、「鹿児島=邪馬台国」「熊本=狗奴国」という事になる。

では、本当に狗奴国王の卑弥弓呼は、卑弥呼を殺したのだろうか。
『日本書紀』では、卑弥弓呼に当たる「天稚彦」は下照姫(卑弥呼)を娶って国を治めている。
この大きな食い違いをどう解釈すれば良いのか……。

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アリオンの預言者・北川氏の話を思い出してもらいたい。

「出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避をはかり、二部族間の同盟を申し出た」

加治木氏は次のように述べている。

「スサノオが退治したのは天照大神であったのだから『神』本人である。
とすれば、ビシュヌウ+アナンタでないと、いけないはずである。
即ち、スサノオ=狗奴国男王は、卑弥呼の宗教(祭政一致だから政府まで)を滅ぼしたということなのである」


つまり、スサノオは日向族の邪馬台国を壊滅させ、族長の娘の卑弥呼(神功皇后)を后として、「仲哀天皇」になったのだ。

『ソナカ=天日矛=天稚彦=卑弥弓呼=仲哀天皇=スサノオ』

だが、ここで新たなミステリーが浮上する事になる。
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2010年04月13日

角が有る人「卑弥呼」と「天稚彦」の関係

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「ツヌガアラシト」はソナカ(仲哀天皇)の別名だったが、実はそれだけではない。
まず、韓国の大統領の姓などでは、「ラ行」が「ナ行」の発音になる。
そして「シト」は「ヒト」であり、「人」を「ニン」と読む。
加治木氏によれば、「ツヌガアラシト」はペルシア語の「ツルカールニン」(Zulkarnein)だという。
しかも、ツルカールニンの意味も「角が有る人」で、それはアラビア語の「ドゥル・カルナイン」であり、「二本角が有る人」という意味らしい。

しかし、そのアラビア語も、本当は他の言葉に対する当て字だった……それは、

――あの釈迦を出した集団「ギリシア人にスキュタイと呼ばれた人々のグループ」のコトバだったのである。
それは前にもご説明したフィン・ウゴル語だ。
そのコトバでは「tulk=通訳」「kalu=物ごと・要件」「nain=女性」である。
「ツルカルナイン」とは「重要なことを通訳する女性」 、簡単にいえば「女通訳」であるが、少し違う点はふつうの通訳は「ナンでもカでも」通訳するのが仕事だから、ただ「tulk」だけで充分なのである。
それなのになぜ、こんなにゴテゴテとコトバを並べたのだろう?
それは、当時のその地域の王たちが残した粘土板の文書を見れば分かる。
そんな「名乗り」は王や貴族たちが好んでつけた「称号」なのだ。
だからその「物ごと・要件」といったコトバは、人間が話すコトバではない。
それは「神のコトバ」なのである。
それを人間に分かるように、「通訳」する「女性」。
それが「ツルカルナイン」の本当の意味だったのだ――


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「ツルカルナイン」がスキタイの言葉だったという事は、やはり騎馬民族はインド経由で日本に渡来した可能性が強い。
また、「アレクサンドロスはスキタイの王だった」という仮説を発表したが、アレクサンドロスも「双角王」の異名を持っている。
話が変わるが、ソナカには「天日矛」という別名がある事を前項で紹介したが、『日本書紀』に「天日矛」と人物像が重なる人物が登場する。

その名は「天稚彦(アメノワカヒコ)」。
両者の名を比較すると、まず「天」は同じで、「矛」は「ヒコ」と読むことが出来るので「彦」と同じ。
そして、「稚=チ」は沖縄から本土に変わると「シ」と発音し、鹿児島では「日=シ」である為、 「天稚彦」は沖縄語での当て字で、「天日矛」は鹿児島語での当て字だと、加治木氏は説明している。

『ツヌガアラシト=仲哀天皇=ソナカ=天日矛=天稚彦』

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では、『日本書紀』の記述を簡潔に見てみよう。

――天照大神の孫のニニギを、葦原の中国の王にしたいと思った母方の祖父タカミムスビが、そこに将軍を次々と派遣するが、誰一人として帰ってこない。
そこで「天稚彦」が派遣されたが、「下照姫」の婿になって帰って来ない。
タカミムスビは偵察にキジを送り込み、キジが木の上から様子を見ているところをアメノサグメが発見し、「天稚彦」に知らせた。
「天稚彦」はキジの胸を矢で射抜き、その矢はタカミムスビの所まで飛んで行った。
その矢は、タカミムスビが「天稚彦」に与えたものだった為、「天稚彦は戦っている」と思い、投げ返してやった。
すると、その矢が「天稚彦」の胸に命中して死んでしまった。
妻の「下照姫」は、天にも届くほどの大声で泣き叫んだ――


ここで登場する「天照大神」はニニギの祖母であり、卑弥呼のことではない。
前にも述べたが、「下照姫」が卑弥呼である。
その証拠は、全国の主要な神社の神名が記された『延喜式』の中にある。

「下照比売(シモテルヒメ)は比売許曽(ヒメゴソ)の神」

「ヒメゴソ」が卑弥呼と同一人物であることは既に述べたので、ここでは繰り返さない。
この物語で確認できたことは、「下照姫(卑弥呼)の夫が天稚彦」で「天稚彦は天日矛(仲哀天皇)」だったという事である。
そしてこの話は、邪馬台国を滅ぼした「狗奴国王」の話と酷似しているが、果たして……。
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2010年04月12日

2人の「スサノオ」の謎

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『記紀』によれば、イザナギとイザナミの間に生まれたのが「アマテラス」「ツキヨミ」「スサノオ」で、弟のスサノオの乱暴が原因で、姉のアマテラスが岩戸に隠れてしまい、下界に追放されたスサノオがヤマタノオロチを退治した。
勿論、このストーリーの原型は神界での出来事(神話)だが、それが人間界に投影されて同様の出来事が起こり、古代日本の史実が重ね合わされている。

これを史実として検証する時、日向族のイザナギとイザナミの子「アマテラス」の弟に「スサノオ」という人物が存在したことになる。
ところが現実は、スサノオは出雲族であり、アマテラスの夫であった。
この根本的な相違はどうしたものか……。

アマテラス(卑弥呼)は、弟のスサノオと婚姻したのだろうか。
古事記の記録によれば、天皇家の婚姻45件中の22件が三親等以内の近親結婚で、その内11件は兄妹・姉弟の結婚だという……。

『日月神示』には次のように記されている。

「天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地の天照大神様、
天照皇大神様、月の神様、特に篤く祀り呉れよ、
素戔嗚の大神様も篤く祀りて呉れよ」

「天にも天照皇大神様、天照大神様あるように、
地にも、天照皇大神様、天照大神様あるのざぞ。
地にも月読の大神様隠れて御座るのぞ」

「地にも天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ」


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どうやら「天照大神」と「天照皇大神」は別物で、更にそれぞれが天と地(陰と陽)に2柱あり、スサノオにも「須佐鳴」と「素戔嗚」の2柱存在しているようだ。
既に述べてきた通り「アマテラス」や「スサノオ」が個人名ではなく肩書きだとすると、これらの神名は代々継承されてきた可能性が高い。
だとすれば、「スサノオ」と呼ばれる人物が無数に存在しても不思議ではない。

更に、血統関係なく、「スサノオ」の分霊を受肉した現人神や、「スサノオ」を守護神に持つ人も「スサノオ」と呼べるだろう。
近代に於いては「出口王仁三郎」がそうであるし、現代でも「スサノオ」と呼ぶべき人物が多数存在するかも知れない。

また、陰陽2種類存在すれば、同じ時代に同じ神名を名乗る人物が複数出現してもおかしくはない。
つまり、アマテラスの弟も夫も「スサノオ」と呼ばれる人物だった可能性が高い。
少なくとも、アマテラス(卑弥呼)の弟が夫になった訳ではないようだ。

アリオンによると、アマテラス(卑弥呼)には義弟がいたことになっているが、それが「アマテラスの弟のスサノオ」だとすると、話が複雑極まりない。

だが、アマテラスは「卑弥呼」だけではない。
二代目・卑弥呼である「壹与」も「アマテラス」であり、ニニギに天孫降臨を命じたニニギの祖母も「アマテラス」である。
彼女らの弟に「スサノオ」と呼ばれる人物が存在した可能性も否めない。

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鹿児島神宮の古文書『正八幡の縁起』を思い出してほしい。
陳大王の姫のオオヒルメ(大比留女)が7歳で処女懐妊し、八幡王子を出産した。
王たちはこの幼い母子を船に乗せ、祈りながら海に送り出し、鹿児島の大隅に漂着した。
このオオヒルメが「卑弥呼」である事は間違いないが、処女懐妊はともかく、子の名が「八幡」というのは神功皇后と一致している。

また「八幡」が、海に流された「ヒルコ」の物語と一致し、事実、鹿児島神宮の主祭神は「ヒルコノミコト」となっている。
既に見てきた通り、陳大王の「陳(チン)」は沖縄語の「天(チン)」であり、 「チン大王=チンカ=仲哀天皇=スサノオ」である可能性は極めて高い。

また、八幡の「八」は「出雲族」及び「スサノオ」を象徴する数字で、スサノオ(仲哀天皇)とアマテラス(卑弥呼)の間に生まれた八幡も「スサノオ」と呼ばれた可能性もある。
海に流されたヒルコ(八幡)は、高天原から追放された「スサノオ」と似ている。

また、アマテラスとツキヨミが天上に送られたのに対して、スサノオは「大海原」を統治するよう命じられ、どことなく「八幡」と共通する。
『記紀』 では、イザナギの子のオオヒルメ(アマテラス)が弟のスサノオと一緒に流され、その後、弟のスサノオと戦って、天の岩戸に隠れている。

この話を重ね合わせると、「陳大王=イザナギ」「八幡=スサノオ」という事になる。
そして、「八=ハチ=ハティ=ヒッタイト」「幡=ハタ=ハティ=ヒッタイト」で、「八幡=鍛冶の祖・ヒッタイト=鍛冶神スサノオ」という解釈も出来るのだが……。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で、次のように述べている。

――あらゆる角度から「八幡」の語源を検討して、一致点のないものを消去していくと、あとに残るのはインド・サンスクリット語の「ヤヴァーナ」だけになる。
これは「ギリシャ人」という意味である。
しかしまだこれでも、三世紀の日本にギリシャ人がいたとは信じられない人のために、『魏志東夷伝』に記録されている、高句麗よりさらに東北にあって大海(日本海)に面した国「悒婁=ユーロー」をご紹介しよう。
そこは今のロシア沿海州なので「劇寒」なのに、夏は裸、冬はイノシンの脂を体に塗って、毛皮を着る、と書いてある。
この国名でわかるとおり彼らは「ユーロピアン」であり、裸が日常だったのは、土器に描かれた風俗で証明されるギリシャ人独特のスタイルなのである。
そして当時「ユーローパ」と呼ばれた地域は、地中海東岸にあったフェニキアから見て西の海の彼方の国のことだったのである――


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超能力者・発明家として有名だった、故・政木和三工学博士は著書『驚異の超科学が実証された』(廣済堂)の中で、八幡大菩薩から受けた啓示を公表しているので紹介したい。

――「われは、八幡大菩薩である。
汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、
汝の寿命を延ばし、汝に大いなる力を授く。
汝の守護神となる。
汝につくまでは、神功皇后の子供の守護神であった」
その最初の10分間はインドの言語でしたが、
そのあとは日本語に変わっていきました。
そのときは陰徳の意味がわかりませんでしたが、
かずかずの発明をしておきながら、自分には一円の収入もなく、
多くの人々に喜びを与えたことを示すものであったことを、
のちに知らされたのです――


神功皇后の子供(八幡)の守護神の名が「八幡大菩薩」だったという。
その啓示の最初の10分間はインドの言語だったという事だが、加治木氏が「八幡」の語源がサンスクリット語の「ヤヴァーナ」だとしている点は興味深い。
「八幡」の守護神だった「八幡大菩薩」は、「八幡」の祖霊のインド人だったと考えて良いだろう。
一般的に「われ、○○の神なり」と主張する霊は低級霊だと言われているが、この場合はそうではないと思われる。

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『日月神示』には次のように示されている。

「高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、
インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、
たとえ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう」

「われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、
大言壮語する人民はマユツバもの」

「霊覚者や行者には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、
一般の人民はそれにだまさかされることがよくあるぞ、
何れも、下級霊のしわざであるぞ、正神に奇跡はない、
奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは滅びる。
高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか」


サニワ(審神者)とは、神霊の次元や性質を審査する人の事だが、政木氏はフーチパターンという、磁石の振り子で人間性(人間に付着している生命体)を測定する器具を発明している。

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また、政木氏が起こした数々の超常現象に対して、政木氏は次のような啓示を受けている。

――真珠が出ようと、仏像が出ようと、
一般の人々には、何の幸せも与えない。
汝があまりにも、人間性が低いが故に、
神仏の世界のたわごとを汝に示しただけである。
無から有、同じである、汝は発明によって
多くの人々に幸福を与えることになる――


次のようなエピソードも紹介されている。

――私の初孫は、私が七一歳のときにできました。遅い孫です。
その孫がようやくしゃべりだしたときの言葉は、なんと
「私はスサノオノ、ミコトである」でした。
それから数日後に、出雲大社から電話をいただきました。
「奥の扉を開いて久しぶりに大国主様の像を拝みました。
政木先生のお顔そっくりです。
大国主様のお父様は、スサノオノ、ミコトです」と。
孫のいった言葉と思い合わせて、びっくりしました。
昭和六二年(一九八七年)二月に空中から発生した大黒像の顔が、
私の顔とよく似ていたのですが、その大黒様が、
出雲大社にある大国主命の像と同じだということなのです。
私の孫は、前世では私の父であるのです。
三歳の頃から、空を指差して「UFOがいる」とよくいっていました。
また「何々の神が来た」ともいっておりました――


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但し、政木氏が実際に「大国主命」の生まれ変わりで、政木氏の孫が「スサノオ」の生まれ変わりかと言えばそうではなく、転生という現象は一般通念とは大きく異なる。
転生の謎については別の機会に発表する予定だが、 「スサノオ」と呼ばれる魂の分霊が政木氏の孫に神憑ったのだとしたら、政木氏の孫も「スサノオ」と呼ぶべき人物であることになる。

さて、重要なことは、アリオンのいう「スサノオ」の正体を解き明かす事である。
では、再び古代にタイムスリップしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 12:15| Comment(0) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月10日

卑弥呼の夫「スサノオ」の謎

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卑弥呼は生涯独身だったとされている。
だが、皇后が天皇の妻である以上、神功皇后(卑弥呼)にも夫である「仲哀天皇」がいた。
では、「仲哀天皇」とは何者なのだろうか。
仲哀天皇は第14代天皇で、ヤマトタケルの実子だとされているが、アカデミズムではその実在性が疑われている。
だが、「第14代」及び「ヤマトタケルの実子」かどうかはともかく、「仲哀天皇」の存在は否定できない。

まず、卑弥呼の別称の一つに「ヒメゴゾ」という名前があることは既に述べたが、『日本書紀』の「垂仁天皇紀」によれば、崇神天皇の時代、意富加羅(オホカラ)国の王子がヒメゴゾを追って、舟で海を渡って出雲を経由して日本にやってきた。
王子の名は「ツヌガアラシト」といい、額に角を持つ牛飼いだったという。

『古事記』の「応神天皇記」にも同様の物語があり、「天日矛(アメノヒホコ)」という人物がツヌガアラシトに当たる。
「ツヌ」は沖縄語の「角」 、「アラシト」は「有る人」の訛りであり、ツヌガアラシトは「角が有る人」という意味である。
ツヌガアラシトは「都怒我阿羅斯等」と当て字されているが、沖縄語では「ツ」を「チ」と発音することが多く、古語では「我」は清音で「カ」と発音されていた。

加治木氏によれば、「都怒我」は沖縄語で「チヌカ」であり、耳で聞くと「チンカ」と聞こえ、沖縄の人に「チンカ」を漢字で書いてもらうと「天下」になるという。
また、「日」は「カ」の発音も持っており、「都怒我」「天日」ともに「チヌカ」と読める。
「矛(ホコ)」は、加治木によると「シト(ヒト)」の変化だという。

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仲哀天皇の名は、『日本書紀』では「足仲彦天皇」と書き、「タラシ・ナカツ・ヒコ」と読むように教えられている。
一方、『古事記』で神功皇后の名は「息長帯比売命」で、「オキナガ・タラシ・ヒメ」と読まれている。
しかし、「足仲」を「ソクナカ」と読めば、「息長」もまた「ソクナカ」と読める。
また、「足」「息」は「ソ」に対する当て字である可能性もあり、沖縄語の場合は「ス」に対する当て字となる。
だとすれば、「足仲」「息長」は「ソナカ」又は「スナカ」という事になるが、ツヌガアラシトの別名が「蘇那曷叱智(ソナカシチ)」なのだ。

また、仲哀天皇は『古事記』では「帯中日子天皇」と記され、神功皇后は『日本書紀』では「気長足姫尊」と記されている。
「帯中」を「タイナカ」と読めば、鹿児島語で「ティナカ」と発音し、沖縄語では「チンカ」と発音する。
また、沖縄では「気」を「チ」と発音し、 「気長」は「チナカ」となり、「チヌカ=都怒我」「チンカ=天日」の当て字だったことが分かる。

つまり、「帯中日子」は「チンカヒコ」で、ヒコを「日木」と書けば沖縄語で「シチ」とも読める。
ソナカシチの「シチ」である。
また、ヒコを「火木」や「火子」と書けば「ホコ」と読める。
これで、「ツヌガアラシト」と「天日矛」が同一人物であることが立証され、それは「仲哀天皇」のことだったのだ。

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では、本当の読み方は……

――都怒我阿羅し等という文字は、「完全な沖縄語の名であるスナカシチ蘇那か叱智」という名をスをツとなまって、沖縄語と鹿児島語の発音を「ゴチャまぜ」にして写したものである。
この逆のことは起こらないから、これでスナカシチのほうが先だったことがはっきり分かる。
本名は「蘇那か叱智」だったのである――

(黄金の女王・卑弥呼)

出雲経由で渡来した角が有る人は、牛頭天皇「スサノオ」を指していることも間違いない。

「仲哀天皇=スナカシチ=スサノオ」
「神功皇后=卑弥呼=アマテラス」


アリオンの預言者・北川氏は、次のように述べている。
「出雲族の強大な勢いに恐れをなしたイザナギとイザナミは、娘のアマテラスをスサノオの妻として差し出すことによって衝突の回避をはかり、二部族間の同盟を申し出た」
(アーリオーン・メッセージ)

つまり、 「スサノオ」はアマテラス(卑弥呼)の夫だったのである。
だが、『記紀』では、「スサノオ」は「アマテラス」の弟という設定になっている。
これは一体どうい事なのか……。
posted by 夢蛇鬼 at 02:37| Comment(3) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする