2015年06月06日

【真説】天皇家のルーツと日向族の正体

かなり久しぶりの更新だが、
日向族のルーツについて閃いたことがあるので載せておきたい。

話の骨子は過去の記事と重複するが、
再確認しながら読み進めて頂きたい。

鹿児島神宮の古文書『正八幡の縁起』によると、
伊是名島の陳大王の姫のオオヒルメ
(大比留女)が7歳で処女懐妊して八幡王子を出産した。

王たちはこの幼い母子を船に乗せ、
祈りながら海に送り出し、鹿児島の大隅に漂着した。

まず、オオヒルメというのは天照大神のことである。

では、陳大王とは何者か……。

陳は中国人の名前なので、
陳大王は中国から渡ってきた部族なのだろう。

『記紀』では、イザナギとイザナミの子の
オオヒルメが流されたとされている。

つまり、陳大王はイザナギのことになる。

歴史言語学者の加治木氏によると、
陳は沖縄語の天(チン)、イザナは伊是名の転訛で、
イザナギは伊是名島の王だったそうだ。

そして、天照大神は卑弥呼だが、
卑弥呼は神功皇后とも同一視されている。

神功皇后の子供が八幡なので、
オオヒルメの子が八幡というのは合っている。

但し、「イザナギ」「イザナミ」「アマテラス」
といった神名は子孫に継承されていったようで、
アマテラスが成長すると「イザナミ」と呼ばれ、
今度はその娘が「アマテラス」と呼ばれるようになった。

で、伊是名島から鹿児島に上陸したアマテラスは、
北上して日向地方に拠点を構えた。

ここまでの話は、マクモニーグルが透視した
「卑弥呼の出身部族の渡来ルート」とほぼ一致する。

マクモニーグルによると、
卑弥呼の部族の出自は中国の昆明とのことだが、
『正八幡の縁起』と参照すると、
それが「陳大王家」だったことになる。

それが現在の天皇家に繋がっていくのだが、
中国の昆明はアリオンが明かす「日向族の出自」とは異なる。

日向族はパミール高原からインドに降臨し、
インドネシア、パキスタン、ネパール、中国の江南を経由して、
博多湾沿岸に上陸したとされている。

一方、マクモニーグルの話では、
卑弥呼の出自部族は中国の昆明から出発し、
ベトナム、マカオ、台北、沖縄を経由して福岡に辿り着いた。

両者の話の矛盾については説明のしようがなく、
無理やり話を合成した仮説を立ててきたが、
今ようやく真相が閃いた。

アリオンによると、
日向族は先住民を併合しながら勢力拡大したという。

つまり、アリオンがいう「日向族」と、
マクモニーグルがいう「卑弥呼の部族」はもともと別物だが、
併合したということになる。

イスラエル2支族のユダヤ人である日向族の王だったイザナギが、
陳大王の娘だったオオヒルメ(アマテラス)を娶ったのだ。

ここで注意するべき点は、
「日向族の王だったイザナギ」と
「オオヒルメ(アマテラス)の父である陳大王=イザナギ」は、
全く別人であるということ。

そして、日向王イザナギと婚姻したオオヒルメ(アマテラス)が、
「イザナミ」と呼ばれるようになったのだ。

これがアリオンのいう「日向族のイザナギ・イザナミ」で、
その娘の「アマテラス」が出雲族のスサノオと政略結婚をして、
それが実質的な「天皇家の起源」だと言えるだろう。

そのアマテラスの子供の1人にも「八幡」と名付けられたが、
出雲族と日向族がインドから出発する時に、
ギリシャ人も混ざっていたであろうことは、
加治木説によってお分かりだと思う。

超能力者で発明家だった工学博士の政木和三氏は、
『驚異の超科学が実証された』の中で、
八幡大菩薩から受けた啓示を載せている↓

「われは、八幡大菩薩である。
汝は永年にわたり、陰徳を積みたるがゆえに、
汝の寿命を延ばし、汝に大いなる力を授く。
汝の守護神となる。
汝につくまでは、神功皇后の子供の守護神であった」


歴史的には、神功皇后の子供の名前が八幡で、
八幡の神霊が「八幡大菩薩」として祀られている。

それはそうとして、八幡の守護神の名前が「八幡大菩薩」だったら、
八幡は「八幡」と名乗るようになったのだろう。

政木和三によると八幡大菩薩の啓示は、
最初の10分間はインドの言語だったが、
そのあとは日本語に変わっていったそうである。

加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で次のように述べている。

『あらゆる角度から「八幡」の語源を検討して、
一致点のないものを消去していくと、あとに残るのは
インド・サンスクリット語の「ヤヴァーナ」だけになる。
これは「ギリシャ人」という意味である』


とりあえずこれで整合性が取れて、
多角的に検証してみても、
今のところは否定できる根拠はないと思われる。
posted by 夢蛇鬼 at 18:10| Comment(0) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

『記紀』の矛盾と『古史古伝』の謎

続いて、日本神話の矛盾について理解しておく必要がある。
『古事記』と『日本書紀』はどちらも同じ日本神話でありながら、神名が違ったり、兄弟の関係が逆転したり、時には兄弟が親子関係になったり、ストーリーそのものが異なっていたりして、残念ながら『記紀』に史実を求めることは出来ない。

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その理由や原因について諸説あるが、加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で、最もストレートな答えを出している。

――卑弥呼が実在したのは三世紀。
『日本書紀』と『古事記』が編集されたのは八世紀。
五世紀もたっているから、そのあいだに、次第に今の日本語に近くなっていったことを考えなければならない。
古代の記録は、紙でなく木や竹を削った「木簡竹簡」に書かれていた。
それでも五百年ものあいだには虫やカビに痛められて、書き換えたり、書き写したりして保存されたのである。
だから年月がたつにつれて、なんと読むのか、なんと発音するのか、何のことか、まるで分からないものが次第に増えていった。
『日本書紀』の中の「欽明天皇紀」には「古代の記録には、読めない文字がたくさんあって、兄弟の順番さえ、どれが正しいか分からない。
この『日本書紀』には、とりあえずいい加減に書いておくから、後世の人はよく研究して訂正してほしい」という「割り注=但書・マニュアル」がわざわざ書き加えてあるほどなのだ――


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また、『古事記』についても、加治木氏はこう指摘する。

――……それは彼にも本当のことが分からなかったからである。
その筆者は『古事記』の序文を書いた「太安萬呂」だとされているが、その序文にはこう書いてある。
「稗田阿礼が暗唱する古いお話を細かく拾い集めて編集しましたが、昔の言葉は素朴で、それを文章にするのに苦労しました。
そのまま書いても何のことか分からないでしょうし、そうかといって詳しく説明していては、長ったらしくて読みづらいでしょう。
だから便宜上、重箱読みも使うし、「音」だけを万葉ガナで書くこともしたのです」
今、私たちが疑問に思ったことを全部説明している。
彼はヒエダのアレが暗記していた話を、同時通訳して、それを元に『古事記』を編集しただけだったのだ。
だから「アレ」の言葉がなにを意味するか、分からないまま「音」に当て字したものも多かったのである――


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『記紀』は、時の権力者(征服者)によって史実を改竄された書物だと主張する学者が多いが、全くデタラメな作り話という訳ではない。
間違っている部分や、意図的に真実が隠されている部分があったにしても、一応は正史だと言えるだろう。
また、『記紀』が編纂される以前の時代、日本の原住民(被征服者)によって書き残されたと考えられる『古史古伝』は、『記紀』と著しく内容が異なる為、偽書として黙殺されているが、この『古史古伝』にこそ真実の日本史が伝えられているとも言われている。

しかし、これにも多くの矛盾があり、『記紀』同様、絶対視する訳にはいかない。
そこで注目されているのが「神社伝承学」である。
これは全国の神社の由来を調べ、それを基に古代史を復元させると、『記紀』とは必ずしも一致しないストーリーが出来上がるというものである。
これは大いに参考にする価値はあるが、現在発表されている「神社伝承学」による古代史が、絶対的に正しい記録とは断言できない。
神仙組では、『日月神示』や「アリオン」が伝える古代史をベースに、『記紀』『古史古伝』、そして「神社伝承学」などを比較しながら検証し、封殺されてきた史実の解明に挑戦していきたい。
posted by 夢蛇鬼 at 00:23| Comment(2) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

「多次元同時存在の法則」と「一神則多神則汎神の原理」

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2人のスサノオについて推理する前に、「多次元同時存在の法則」について述べておかなければならない。
一説によると、「天照大神」の正式名は「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」という男神で、以下のの4つに分割できる。
「天照国照彦(アマテルクニテルヒコ)」
「天火明(アメノホアカリ)」
「櫛甕玉(クシミカタマ)」
「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」

これらの神名は日本神話に登場し、神社でも祀られているが、「多次元同時存在の法則」では、それらは同一神「天照大神」だという。

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「多次元同時存在の法則」は、次のように定義されている。
@神に適用されるものであり、原則として実在の人間には適用できない
A神の世界は時間と空間を超越する
B神は分身を創ることがある
C神の分身は別名で表現される
D同じ名前の神は同一神である

「櫛甕玉」は「大物主櫛甕玉命」であり、「大物主命(オオモノヌシノミコト)」には「大国主命(オオクニヌシノミコト)」という別名があり、更に「大国主命」の別名の1つに「八千矛神(ヤチホコノカミ)」がある。
神社伝承学では「大物主命」と「大国主命」は別の神だが、「多次元同時存在の法則」を適応すると同一神となる。
そして「八千矛神」の「八」は、「八岐大蛇」「八雲神社」「八坂神社」「八重垣神社」というように、「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を意味する暗号である。

『饒速日命=櫛甕玉=大物主命=大国主命=八千矛神=素戔嗚尊』

神話では「饒速日命」は「素戔嗚尊」の父だが、この法則下では「饒速日命=素戔嗚尊」となり、更に「饒速日命」は「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」の一部であり、男神「天照大神」となる。
ということは、「天照大神=饒速日命=素戔嗚尊」となり、神話では姉弟の「天照大神」と「素戔嗚尊」が同一神となる。
しかし、これも1つの通過点に過ぎず、八百万の神々は全て「天照大神」の分身となる。

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「これが実情なのだ。われわれは神話と史実を完全に分けて考えなければならない。
神話でどうなっていようとも、関係ない。
史実を見極めるためには、そこまで徹底して考える必要がある」

(「失われたイスラエル10支族・神武天皇の謎」飛鳥昭雄・三神たける/学研)

「祭神の御霊を次々と分裂させていくやり方を『御霊分け』という。
同じ祭神を無数に増やすことのできる御霊分けは、どこの神社でも同じ御霊が存在するという仕組みであり、化身と併用することで、日本は『八百万の神々』を次々と産み出していったのである……
この法則を一気に進めれば八百万の神々はすべて名を変えた天照大神の分身……
日本という国は、表の顔が多神教、裏の顔が一神教という形で陰陽を成し、裏は神として表されている」

(「竹内文書と月の先住宇宙人」飛鳥昭雄/徳間書店)

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この「多次元同時存在」は「一神則多神則汎神」ともいう。
つまり、神は1つだが、1つの神が無数の分身を作り、無数の分身から更に無数の分身を生んで、万物にその御魂が宿るという概念である。
それは究極的に、「一神教=多神教=汎神論(アニミズム)」ということになる。

神名とは、地球創世の神々の働き(各種の宇宙エネルギー)に付けられた名称だが、日本神話の厄介な部分は、それがいつしか人類史に繋がり、実在した人物に「天照大神」や「素戔嗚尊」などの神名が付けられ、更に同名の人物が複数存在することである。

忘れてはならないのは、「多次元同時存在の法則は人間には適応できない」という定義である。
飛鳥氏が言う通り、「神話と史実を完全に分けて考えなければならない」のだが、飛鳥氏は、「現人神は『神』として、多次元同時存在の法則が適応できる」としている。

だが、現人神はあくまでも「人間」であって、神霊ではない。
従って、現人神を「多次元同時存在の法則」で「=」とするのは、根本的な間違いである。
飛鳥説では、「スサノオ=ニギハヤヒ」で親子も同一人物となり、「スサノオ=アマテラス」のように夫婦も同一人物になってしまう。
例えば、スサノオが複数の別名を持つように、異名同人というケースはあっても、複数の別人が同一人物ということは人間界では有り得ない。

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例えば、定義BDを人間(現人神)に適応させると……
「人間は分身(子供)を創ることがある」
「同じ名前の人間は同一人物である」となるが、親子は同一人物ではない。
また、山田姓の家系は全員同一人物ではないし、太郎という名前の人物が全国に何人いても別人である。

「神功皇后」にしても、「卑弥呼」と「壱与」という2人の人物である事も見てきた通りだ。
「天照大神」に至っては、「卑弥呼」と「壱与」、そして天孫降臨を命じた「天照大神」の、3人の「天照大神」が存在する。
また、「イエス」も天照大神とされる人物なので、少なくとも4人の「天照大神」が存在することになる。
また、天孫降臨を命じられた「ニギハヤヒ」の子孫の「スサノオ」から、再び「ニギハヤヒ」と呼ばれる人物が誕生しているが、当然ながら同一人物ではない。
また、神霊界に於ける神と言えども、日月神示には「同じ名の神二つある」と記されている。

神の名を持つ古代人は、その名の神の受肉(現人神)である事を意味する。
神の受肉(現人神)という観点から見ると、例えばイエスが「ヤハウェ」を名乗ったように、「アマテラス」や「スサノオ」という人物がいてもおかしくはなく、それが何人も存在したという事なのだ。
或いは、肩書きを個人名だと誤解されてきた例も少なくないことを、加治木氏は指摘している。

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『イザナキ・イザナミの二人は名前の最後のキとミが違っていた。
イザナというのは伊是名と書く島の名だった。
だからこの場合は二人の人間と「島」が同じ名をもっている。
この「キとミ」は何だったのか、思い出してみてほしい。
それは「王様と皇后」のことだった。
だとすれば、この島の「王様と皇后」は、次の代になっても、その次の代になっても、いつもくりかえし「イザナキ・イザナミ」と呼ばれるのである。
それはなんのことはない。
いまなら「アメリカ大統領」などという「肩書き」と同じものだったのである。
これは「個人の名前ではない」のである。
だから、次々に代々「同じ肩書き」で呼ばれた。
それを「個人名」だと錯覚して、ひとまとめにしたら、次々にあとを継いだ大勢の王様さちの出来事が全部、一人の王様のときに起こった事件にみえることになる』

(黄金の女王・卑弥呼)

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話を戻すが、まず人間次元に於いて、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命=天照大神」とするのは的確ではない。
一説では、「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」は「饒速日命(ニギハヤヒ)」の正式名だと言われているが、これは4つの神名の合体名であり、少なくともアリオン説では、「アマテラス(卑弥呼)」と「ニギハヤヒ(スサノオの第五子)」は別人である。
当然、天孫降臨を命じた「アマテラス」と、命じられた「ニギハヤヒ」も別人である。

要は、「多次元同時存在の法則」で古代史の全貌は解明できないという事である。
但し、人間界に於ける「多次元同時存在の法則」を全否定している訳ではなく、異名同人で「=」として用いることが出来るケースがある事を踏まえた上で、封印された古代史の謎解きに挑戦したいと思う。
では次に、『記紀』の矛盾について見てみることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 01:01| Comment(4) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

邪馬台国と倭国連邦の謎

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卑弥呼が金髪で碧眼だった可能性があるという説を紹介したが、『学研ムー(2008年3月号)』 に、FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルによる「卑弥呼」の透視結果が載っていたので紹介しよう。
それによると、卑弥呼は南方系の特徴をもった顔立ちだが、皮膚の色はアイボリーで、目の色はスティールグレーだったという。
そして、ストレートの黒髪は腰まであったが、頭の上に高く巻き上げて黄金の「かんざし」で止められていた。
つまり、黒髪ではあったが、色白で、日本人には見られない瞳の色をしていた事は確かなようだ。

さて、「邪馬台国の女王」という卑弥呼の肩書きについて、加治木氏は 『黄金の女王・卑弥呼』 の中で、次のように指摘している。

――『魏志倭人伝』には、「その国はもと男王が治めていたが、それが七〜八十年間続いたあと、国が乱れて戦いが何年も続いたので、一人の女子を共立して王にした。
それに名付けて卑弥呼という」と書いてある。
これで先ず確認しておく必要があるのは「卑弥呼」という名詞である。
それは彼女自身の名だったのだろうか?
彼女の名が最初から卑弥呼だったのなら、「一女子を」と書かずに「卑弥呼を」と書くのが漢文の文法である。
だからこの名は共立されてから「名付けられた」、とはっきりことわっているのである。
それは個人名ではなく、職業上の呼び名だったのだ。
この部分の記事で、次に分かることは彼女が「共立された」ということである。
これは何をいっているのか。
彼女がもと男の王様が治めていた「一つの国」の王に選ばれたのなら、「共立」などと書かれない。
「代わって」一女子が次の王になった、という書き方をする。
「代がかわった」と表現するのだ。
そうでなくて「共立」とわざわざ書いてあるのは、彼女は「倭国連邦全体の女王」として、「それらの国々の王たちによって、共立された」ということなのである。
だから彼女は、そのときはじめて女王になった。
自分の国ではそれ以前から皇后の地位にいたかどうか不明だ――


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――『日本書紀』の神功皇后の話を読むと、このへんの事情がよく分かる。
皇后の夫・仲哀天皇は、クマソ(熊襲)と戦争して死ぬ。
そこで皇后が永く政務をとる。
これを『魏志倭人伝』の卑弥呼の記事と比べてみよう。
「其の国、本または男子を以て王となし」。
これは仲哀天皇でも同じことだ。男王の国だったのである。
ところが次の「住、七八十年」。
これを誤解すると、彼女の前の王が一人で七〜八十年も国を治めていたと思い込んでしまう。
この「其の国」は「倭国であって、邪馬臺国ではない」ということがこれまで、いい加減にされてきた。
そしてボンヤリしてか、うっかりしてだが、「平気で」『邪馬台国の女王・卑弥呼』などといってきたのである。
だが、ここが非常に重大な注意点なのである。
この部分の文章は「倭国連邦」の事件を書いたものであって、邪馬臺国や邪馬壱国のことを書いたものではない。
「倭国乱れ…一女子を共立」したとはっきり書いてあるのである。
また「七八十年…」というのも「その連邦全体の皇帝または大統領は代々、七〜八十年間は男ばかりだったが…」という意味なのだから、そう正解に訳す必要がある。
それでこそはじめて「一人の女性を、各共和国の大統領たちが連邦の女王として選出し、その『新しい称号として卑弥呼という名を』決定した」ということだと理解できるのである。
だから「卑弥呼」というのは「アメリカ合衆国・大統領」と全く同じ「連邦代表」を意味する『肩書き』である――


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――卑弥呼が君臨していたのが邪馬臺(ダイ)国一ヵ国だけなら、邪馬臺国と女王国は等しいが、伊都国の説明のところに「女王に属す」と書いてある。
これは「別の国だが女王国の仲間だ」か、「女王国に従っている」という意味である。
これと、二十一ヵ国の国々の名を挙げた後に「此女王境界所尽(ここが女王国の境界だ)」とあるのをみると、明らかに邪馬臺国以外の国が女王の支配下にあり、邪馬臺国は一ヵ国だが、女王国は複数の国を総称した「連邦」を呼ぶ代名詞であることが分かる――


その事について、マクモニーグルは次のように透視している。

――あるとき、北方の部族の代表である10の部族の使いが、卑弥呼のもとを訪れた。
彼女はその部族の代表たちに、「もし、北方における最有力の3部族が、意見の相違を平和に解決できなければ、地上には暗闇が覆い被さり、多くの者が死ぬ」と予言した。
「魏志倭人伝」に出てくる、倭国大乱の時代である。
この予言を聞いた北方の10部族は、卑弥呼を連れ帰り、彼らのリーダーとして部族連合を統治させることにしたのだ――


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マクモニーグルによれば、卑弥呼の出身部族は九州と本州南部、そして朝鮮半島南部まで領有する海の民で、朝鮮半島から進んだ稲作技術をもたらしたらしい。
そして、卑弥呼の先祖を8〜9世代遡ると沖縄で、更に遡ると、南中国か東南アジア辺りに行き着くという。

具体的には、次のように示されている。
・日本の長門=西暦125年
・日本の福岡=西暦65年
・日本の沖縄=紀元前65年
・台湾の台北=紀元前205年
・中国のマカオ=紀元前265年
・ベトナムのハイフォン=紀元前325年
・ベトナムのハノイ=紀元前385年
・中国の昆明=紀元前475年
・中国での部族成立=紀元前805年

卑弥呼の部族は、確かに沖縄を出身地としているようだ。
だが、マクモニーグルの透視が事実であれば、アリオンのいう「紀元前3〜2世紀にパミール高原から出発した日向族」とは異なることになる。
まず、「稲作」について、加治木氏は『日本人のルーツ』の中で、次のように述べている。

――水稲稲作がやってきたコースは、弥生人の正体が自然に教えてくれることになった。
これまでの水稲渡来コースは、中国江南から朝鮮南部そして北九州というのが、ほぼ一致した有力な説であった。
中間に朝鮮がはさまるのは、中国と陸続きであり、日本より中国に近いためで、水稲は次第に分布を広げてきて日本に至ったという先入観に支配された考え方である。
そしてその手がかりとして、江南人の血液型が日本人に近いこと、江南の米や文化が日本のものに近いことなどが挙げられてきた。
だがカレン人の歴史を見ると、逆に朝鮮から江南に行って、さらにビルマヘ入っている。
これは実は中国の正史にもちゃんと記録されている有名な史実なのである。
前漢を乗っ盗って「新」という国を立てた王莽(おうもう)は、高句麗を討ってその農民を江南へ強制移住させている。
農民は当然種子も技術ももっていく。
いま江南に朝鮮、日本と同じ米があり、同じ血液型があるのは当たり前である。
いまあるから動かぬ証拠だというのは、余りにも無思慮であると思う。
それよりも宝貝漁師たちは自給自足が必要だった事実の方が重要である。
彼らは米をもって来て、行く先々に植えたのである――


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また、台湾・沖縄を中心に栄えていたのは「カリエン人」だったが、加治木氏はこう述べている。

――「貝人」は、今の宝貝のインドや英語の名である「カウリー」「コウリー」と同じ系統の発音で、「カウリー・高離人・カリエン・カレン・高麗」などと呼ばれてきた。
韓国・北朝をコーリアという語源である。
……ビルマのカレン人がこの一族であり、その語り部がタイ国に現存していると教えられ、それと会うために政治家の江田五月氏や毎日、朝日両新聞の特派記者らとタイの奥地まで調査にいった。
……その結果分かったことは、このカリエン人たちは、前期バビロンの崩壊とともに四方へ散った国民のうち、東へ逃げた難民集団の子孫で、南インド経由で沖縄から日本列島と朝鮮半島へ広がったということである。
……彼らが縄文時代から日本列島にいた人々で、その後に入ってきた倭人とは区別する必要がある。
しかしそれを前期倭人とみるならば、その勢力範囲は、日本から江南、そしてミャンマーまでの、広大な地域にまたがることになる――


恐らく、マクモニーグルは、カリエン人が卑弥呼の出身部族だと勘違いしたのだろう。
沖縄の女性が髪を巻いてカンザシで止めるのは、カリエン人の風習でもある。

更に、加治木氏は次のように説明してくれている。
「『魏志倭人伝』にある「入れ墨」風俗はカリエン人のものである。
それは私がタイ国その他、至るところで見てきたその人たちの特徴だから、間違いなくヒミコは彼らの女王だ」


しかし加治木氏は、「卑弥呼はカリエン人と共存共栄を図っていたものの、卑弥呼自身はカリエン人ではない」と結論付けている。

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次に、マクモニーグルは、卑弥呼の部族が沖縄から福岡に上陸したと透視しており、「邪馬台国=北九州説」や「アリオンの北川説」と一致するが、加治木氏の「鹿児島県隼人町説」と異なる。
だが、これは単純に地理的な問題で、朝鮮半島から上陸した人々は福岡に上陸し、沖縄から上陸した人々が鹿児島に上陸したと考えられ、卑弥呼はその後者だった可能性が高い。
また、鹿児島神宮に伝わる『正八幡の縁起』では、鹿児島に流れ着いたオオヒルメ(卑弥呼)は、筑前(福岡県)の若椙山に移って、「香椎聖母大明神」と崇められたとされている。
やはり、オオヒルメの処女懐妊伝説は、「聖母マリア」がモデルになっているようだ。
尚、卑弥呼の部族が熊襲を併合したというよりは、カエリン人を併合して「熊襲」と呼ばれる部族になった、と考えるのが適切かも知れない。

さて、ここで大きな問題が控えている。
『魏志倭人伝』では卑弥呼は独身だったとされ、マクモニーグルの透視でも卑弥呼は独身だという。
しかし、アリオンによれば、日向族のアマテラス(卑弥呼)は出雲族のスサノオと婚姻したとされている。
事実、神功皇后(卑弥呼)には仲哀天皇という夫が存在した。
「仲哀天皇=スサノオ」なのだろうか。
しかし、天照大神には「スサノオ」という名の弟がいた。
その謎解きは、非常に重要なことのように思えて仕方がない。
posted by 夢蛇鬼 at 02:28| Comment(2) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

「日向国=邪馬台国」建国の謎

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アリオンによると、大陸から渡来した日向族は、日本列島の原住民を併合し、九州に強大な国家を建設した。
これについて多くの人は、「日向族=騎馬民族」「原住民国家=邪馬台国」と認識するだろうが、これは見当違いのようだ。
真相は、日向族が日本の原住民を併合して、南九州(鹿児島県)に建設した国家が「邪馬台国」だったのだ。
つまり、邪馬台国は原住民が建国した国家ではなく、日向族によって建国された国だったのである。

日本列島の原住民については今まで述べてきた通り、超古代から陸・海の両ルートで実に様々な民族が上陸してきているが、琉球王朝を築いた主な民族について、加治木氏はこのように述べている。

「3000年前に台湾・沖縄を中心に宝貝貨幣を世界に供給して栄えた琉球。
その中核だったのが、<バビロン>から来たカリエン=和人=高麗人でした。
彼等は<エラム>出身者は永良部島といったふうに、故郷の名を新居住地に残しています」


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そこに紀元前3〜2世紀、日向族が渡来。

――それに続いてやってきたのがギリシャ人たちで、彼等はインド系の住民から「ヨーナ」と呼ばれて与那国島の名を残し、<アテナ>出身者は嘉手納(かてな)、<チラナ>出身者は知覧の名を残すというふうに、「地名文化財」を南九州から南西諸島の至るところに残しました。
その中でも最大のものが台湾で、「タイワン」というその名もギリシャ人が「タイナロン」として記録しているものの遺物だったのです。
「台湾に現存するギリシャ系倭人(アミ族)」
後からきた侵入者に追われて山地に住んでいる人々の中にはギリシャ系倭人たちがいる。
その容貌、服装、家屋、言語、土器など実に多くのものが、その古いルーツがインド経由の地中海人だったことを示している。
「臺」はウティナで沖縄のこと。
「湾」はワニで「倭人」の唐代以後の読み方。
ここはその頃[小琉球]と呼ばれていた。
だから、[台湾]とは[琉球人の国」という意味なのだ。
沖縄には今もアイヌ系の人たちと体格、顔かたちが非常によく似た人が多い。
また昔、沖縄が流求と書かれていたころ、沖縄は「大リュウキュウ」と呼ばれ、その支配下にあって「小リュウキュウ」と呼ばれていた大きな島がある。
台湾である。
そこには昔のアイヌ系の婦人が、自分たち一族の誇るべき習慣として、口の回りに入れていた大きな「入れ墨」と完全に同じ入れ墨をしている<アミ>と呼ばれる人々が今もいる。
アイヌ系の人たちとアミ系の人たちは、そのほかにも口でくわえて演奏する口琴(ムックリ)など多くの同じ文化をもっていることが分かった――

(「日本人のルーツ」保育社)

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――忘れてならないのは「三母音」というのは、マレー語の特徴だということである。
沖縄民謡がインドネシアのメロディに非常によく似ていることは、昔からよく知られているが、曲だけでなく歌詞の発音もまたよく似ている。
古代にマレー語を話す人たちが沖縄に住んでいて、その言葉が今まで残っていることは、どこからみても間違いない。
またカリエンの人たちの都は今も花蓮(カリエン)港と呼ばれ、「鬼道」の子孫も現存している。
……ギリシヤ系インド人の子孫であるアミ族の人々やその系列に入る部族の人々が今も住んでいる。
台湾は『後漢書』や『太平御覧』が注記に引いている3世紀の呉人・沈瑩(チンエイ)の『臨海水土誌』が書かれた当時から17世紀の明未まで「流求=琉球」と呼ばれていた。
しかし後半は「小流求」になり、沖縄が同時に「大流求」と呼ばれたから、沖縄の支配下にあったことがわかる。
「男女とも髪を丁髷(ちょんまげ)に結い男は裸体で戦闘を好み、勝者も死者も共に讃える……」などと古代ギリシャ人+日本人に似た風俗を伝えている――

(「日本国誕生の秘密」徳間書店)

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つまり、台湾は本来、日本列島の一部だったと考えて良いだろう。
これは、日本列島を龍体に見立てた場合も、台湾は龍の尾端となる。
そして、邪馬台国の所在地が鹿児島だった事は間違いない。
熊毛郡をはじめ、「熊本県」「球磨(クマ)川」など、「クマ」は南九州に集中する地名で、そこを支配する豪族が「熊襲」だった。
本居宜長が唱えた「卑弥呼=熊襲の女酋長説」も、間違いではなかったと言えるだろう。

伊是名島に拠点を構えていた日向族の族長「イザナギ・イザナミ」は、娘のアマテラスに「天上の事」をさせるべく天に送った。
沖縄で「天上」は「チンヅウ」、本土語では「シンドウ」となり、「神道」と当て字することが出来る。

鹿児島県隼人町の鹿児島神宮に伝わる古文書『正八幡の縁起』によれば、
「オオヒルメが七歳の時、貴人と寝た夢を見て身ごもって王子を産んだ。
そして、王たちは幼い母子を舟に乗せ、『流れ着いた地を領地にしなさい』と祈りながら、海に送り出した。
その辿り着いた地が鹿児島県の大隅で、王子の名が八幡(ハチマン)だった為に、その地を八幡崎と名付けられた」


オオヒルメ(卑弥呼)が処女懐妊したという話は「聖母マリア」と一致し、八幡が舟で流されたのは「モーゼ」と同じである。
熊本県の弊立神社には、モーゼが渡来したという伝説があるが、これが事実ではないにしろ、イスラエル民族が日本列島に渡来し、聖書の伝説を重ね合わせたものだろう。
鹿児島神宮の近くに「姫木山」という丘があるが、木は「コ」とも読み、「ヒメコ(ヒミコ)山」と読める。
その一帯には、「姫城」という地名が広がっており、加治木氏によると古代沖縄語で「フィミ・グスッ」だという。

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『肥前国風土記』に「姫社(ヒメコソ)郷」という名が登場するが、これは 『日本書紀』 では「比売語曽(ヒメゴソ)の社」として登場し、その社の祭神「ヒメゴソ」は「阿加流比売(アカルヒメ)」とも呼ばれている。
この「ヒメコソ」の人物像は「神功皇后」と一致し、更に「比売語曽」を古代沖縄語で「フィミ・グス」と発音するという。

また、オオヒルメの処女懐妊は「ヒメコソ」とも共通し、子の名前が「八幡」というのは「神功皇后」と同じである。
「八幡」は『古事紀』 に登場する「イザナギ・イザナミ」の最初の子「水蛭子(ヒルコ)」と共通し、不具の為に葦の舟で流されてしまう。
蛭子は「エビス」とも読み、水蛭子は「恵比寿・戎」と同一視されることもある。
また、古代日本に舟で渡来した「エブス人」との関連性も窺える。
そして、この鹿児島神宮の主祭神が「蛭子命(ヒルコノミコト)」で、副祭神が「神功皇后」となっており、皇后にまつわる「潮の干満を操る玉」も現存しているが、これは「モーゼの紅海割れの奇跡」を彷彿させる。

姫木山の南には霧島山があり、霧島の語源は「ギリシア」だが、加治木氏はこれを、古代インド人が「スメラ山」に見立てたものだとしている。
そして、姫木山のある隼人町は「姶良(アイラ)郡」だが、古代インドで「アイラ」は「神聖」を意味する言葉であった。
尚、霧島山は鹿児島と宮崎の県境に位置する連峰で、その中の「高千穂峰」が「天孫降臨の地」とされている場所でもあるが、霧島連峰は「スメラ山」であるだけではなく、「シナイ山」にも見立てられていた事だろう。

また、加治木氏によると、「八幡」は「ギリシア人」を意味するサンスクリット語の「ヤヴァーナ」だという。
これは単純に「ギリシア人」というよりも、「八=ハッティ」を表し、更に「八幡」を「ヤハタ」と読んだ時に「幡=ハッティ」とも読める。
また、「ハタ」を「秦」と当て字すると、「秦始皇帝」とも関連する。
秦始皇帝の正体が、アレクサンドロス軍の「ディオドトス」だったことは以前述べたが、彼はアフガニスタン北部でバクトリアを建国した人物で、ギリシア人ともユダヤ人とも言われている。
つまり、ヒッタイト民族とイスラエル民族が融合した「スキタイ」だったのだ。

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『竹内文書』で見た通り、アマテラスの母イザナミの出自は、アフガニスタン西北部のヘラート(ヘラサカイト)で、「サカ」は「スキタイ」である。
ちなみに、加治木説によれば、沖縄の「波照間島」は、沖縄語や鹿児島語で「ハティマ」と発音し、語尾のマは国を意味するので「ハティ国」となる。
ハティとは、「ハッティ=ヒッタイト」であり、九州北部の「日田(ヒタ)」も「日田人」と書けば「ヒッタイト」の当て字となる。
更に、鹿児島には「馬渡(マワタリ)」という姓があるが、紀元前14世紀のヒッタイト王の名前が「ムーワタリ」だったという。

邪馬台国は、原住民「熊襲」を併合した日向族の女王・卑弥呼が治める国だったのだ。
そして、鹿児島には「ヒメコさあ(様)」という、観音信仰の民間宗教が残っている。

『観音=卑弥呼=オオヒルメ=神功皇后=天照大神=ヒメコソ=アカルヒメ』

但し、「天照大神」も「神功皇后」も「オオヒルメ」も、1人の人物を指した言葉ではなく、「ヒミコという言葉も人名ではない」と加治木は指摘している。
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2010年04月05日

イスラエル人「卑弥呼」と白人「イエス・キリスト」の謎

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紀元前8世紀、古代ギリシア文明が急速に開花し、ポリス(都市国家群)が形成されていった。
時期的・地理的に見て、西に移動したヒッタイト人の流入が考えられる。
紀元前800年末頃には、ポリス(ギリシアの都市国家群)は、現在のギリシャ西南部、エーゲ海の諸島、アナトリア半島の西海岸に広がり、人口の増加や交易、貴族同士の対立が要因となって、地中海に植民を進めていったとされている。

アテナイ(アテネの古名)とスパルタを中心とする古代ギリシア連合軍がペルシャ軍を撃退し、アテナイがギリシアの覇権を握った。
尚、アテナイの名はギリシア神話の女神「アテナ」に由来し、加治木説に従えば、卑弥呼はアテナイの部族の末裔だった可能性がある。

紀元前4世紀中頃になると、辺境のギリシア人国家「マケドニア王国」が優勢になり、紀元前338年頃、アテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握った。
紀元前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王は、アケメネス朝ペルシャを征服後、パミール高原以西までを征服し、更にインド・ヨーロッパ・アフリカ・アジアを征服し、ギリシア文化を流入したとされている。

アナトリア半島からイラン高原、パミール高原、ヒンズークシ山脈、カザフスタンのステップ地帯を通って、ヒッタイト人がアジアに広がった可能性を前に述べたが、このアレクサンドロスの東方遠征も同様のルートだったと思われる。
アレクサンドロス(アラクサンドゥス)がヒッタイトの後裔だったことも、既に述べてた通りである。
つまり、ギリシアやマゲドニアにも、ヒッタイト人が浸透していたのだ。

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ギリシアの数学者・哲学者であるピタゴラス(紀元前582年-紀元前496年)は、ゾロアスターの弟子だったと言われているが、それが事実であれば、ギリシアとペルシアには接点があったと考えなければならない。
紀元前518年頃、現在のアフガニスタンの位置にあったメディア王国が、アケメネス朝ペルシアに征服され、ペルシア帝国の一部となった。
が、紀元前328年頃、アレクサンドロスに征服され、アレクサンドロスに従ってやってきたギリシア人が在留した。

紀元前256年頃、ギリシア人「ディオドトス」が反乱を起こし、アフガニスタン北部にギリシア政権「バクトリア王国」を建国。
アフガニスタンは、卑弥呼の母「イザナミ」の出身国だった事を思い出して頂きたい。

『アレクサンドロスの征服と神話 興亡の世界史1(森谷公俊著)』には、次のような新説も発表されている。

「当時のギリシアはポリス同士が互いに争い、それを東方のペルシア王がたくみに操り、統制、支配していたのが実情です。
いわばペルシアの「西の辺境」ともいえる惨めな状態だったギリシアを屈服させ、統一したのがアレクサンドロス大王の母国・マケドニア王国だったのです」


さて、パミール高原のフンザ村に住むフンザ人は、パキスタン全域に浸透しているが、その起源は主にペルシア系で、アレクサンドロスの遠征軍の末裔だとも言われている。
このペルシア帝国を征服したアレクサンドロスの進軍が、ギリシア語で「スキタイ」と呼ばれる騎馬民族である。

スキタイは中国で「塞(サカ)」と呼ばれ、「スキタイ=サカ族」という事になり、その一部がネパールで「シャカ族」となった。
そして、釈迦が誕生する約200年前、ユーラシア大陸を席巻していたスキタイが、イスラエル10支族と合体していた可能性が非常に高い。

イスラエル10支族はアッシリア帝国の捕虜として拉致されたが、アッシリアを敵とするスキタイによって解放された。
既に述べてきた通り、イスラエル民族はヒッタイト人を尊敬し、また混血も少なくなかった。
それ故か、イスラエル民族は騎馬民族としての顔を持っている。
そして私の仮説では、スキタイは、滅亡したヒッタイトの末裔である。
よって、スキタイとイスラエル民族は、親戚のようなものだと言える。

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飛鳥昭雄氏+三神たける氏著『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎(学研)』でも、次のように仮説されている。

「スキタイの発祥は黒海周辺だといわれており、民族的にはアーリア系で、ギリシア系の文化をもっていたことが分かっている。
が、騎馬軍団で遠い国まで遠征すれば、当然ながら多民族との交わりが多くなり、文化や習俗はもちろん、血縁的関係も深くなった。
失われたイスラエル10支族と接触があれば、間違いなく、彼らと合流したはずだ」


同書によると、アフガニスタンのパターン人(パトゥシュン人)、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、ミナシェ族、中国のチャンミン族なども、失われたイスラエル10支族の血を引いていることが明らかになっているという。
また、スキタイ系騎馬民族で、北東アジアを席巻した「夫余族」の始祖の名前を「解夫婁(ヘブル)」といい、ヘブライ人(イスラエル人)だった可能性が大である。

ヒッタイトは牛神バアルを崇拝する「牡牛族」であり、ヒッタイトの流れを汲むスキタイのシャカ族も「牡牛族」である事を前に述べたが、イスラエル10支族もまた、黄金の子牛アモン(バアル)を信仰する「牡牛族」であった。

2支族が編纂した現在の聖書では、アモンは悪魔とされ、10支族は背教者だとされているが、これには私は異論を持っている。
アモンのルーツはエジプトの太陽神アメン(=ラー)であり、多神教の主神となっている神である。
それを継承したモーゼも、牛神アモンを主とする多神教(イスラエル教)だったはずで、モーゼの頭に象徴される角が、その証拠である。

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また、ユダ王国でも、アブラハム、ダビデ、イエスに至る王の1人で、アモンの名が採用されたアモン王(在位前642-640年)が君臨していた。
尚、アモンはヘブライ語で「信頼」の意。
そして、キリスト教で言う「アーメン」は文字通り「アメン(アモン)」の意であり、イエスが牛神アモンの受肉だった事を暗に示している。

つまり、背教者は10支族ではなく、いつからかアモン(バアル)を悪魔として貶め、「ヤハウェ1神教」となった2支族(ユダヤ人)の方だというのが、私の見解である。
太陽神アメン(牛神アモン)は、エジプトではピラミッド(山)の神でもあった。
モーゼがヤハウェ(アモン=バアル)から啓示を受けたのも、シナイ山であった。

加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』には、次のように書かれている。

――「ウマ」とよく似た「Uma(ウマー)」という名をもった女神が、仏教でいう「大自在天=シンドゥ教のシバ大神」の后の筆頭にいる。
……(中略)……
サンスクリット語では「Girisa(ギリーシヤ)」というのは「山の神」のことである。
このウマーも夫のルドラ(シバ神の別名)も山の神で、「ケーテ・ウパニシャツド」の詩中では「雪山(ヒマラヤ)の娘」と呼ばれて、帝釈天インドラや火の神アグニや風の神バーユよりも位の高い、慈悲深い偉い女神とされている。
卑弥呼の語源「ペマカ」と全く同じ性格の女神だ――


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ギリシア系の流れを組む卑弥呼も、山の神(牛神)を信仰していたと言えるだろう。
そして、卑弥呼が信仰していた太陽神の正体が、ヒンドゥー教(シンドゥ教)のシヴァだった事を思い出して頂きたい。
シヴァは鬼神であり、聖書のアモン(バアル)に相当する。

更に、イスラエル10支族の流れも受け継いでいた卑弥呼は、牛神であり山の神でもある「バアル」を信仰していたことになる。
モーゼがシナイ山で出会った神が「バアル」だという推理が正しければ、卑弥呼がモーゼと同じ形態の二重主権制を採用していたことも頷ける。

古代史研究家の水上涼氏は、この政祭形式を執り行った卑弥呼を、イスラエル10支族の「シメオン族」だとしている。
だが単純に、「日向族=シメオン族」だと結論づけるのは早計である。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」、そして祭祀を司る「レビ族」から成るが、「レビ族」と10支族の「シメオン族」は共同で活動する習慣があったようで、「レビ族とシメオン族は兄弟関係」だと表現される事もある。
但し、「レビ族」は祭祀を執り行なう立場上、10支族の北イスラエル王朝にも在住していたとされている。

いずれにせよ、卑弥呼が信仰していた神が、「牛神=鬼」だった事は確かな事実である。
また、ユダ族はヒッタイト人と深い血縁関係で結び付いていたが、ヒッタイト人が白人系だったならば、卑弥呼と同じく「天照大神」の受肉として誕生したイエスも、金髪碧眼の白人だった可能性も否めない……。
事実、ヒッタイト人は、典型的なギリシア風の顔立ちで描写されている。

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飛鳥説でいう「天皇=工人(大工)の白い王」がイエス・キリストを意味するならば、白は何を意味するのか。
飛鳥氏によると、白は光の色を表現しているというが、どうも釈然としない。
「イエス・キリスト=アルビノ」説も盛んに議論されているが、それが事実だとすると「皇」は「アルビノの王」という意味になる。
その可能性も否定はできないが、アルビノ説を持ち出す以前に、歴史的事実に目を向けなければならない。

古代イスラエル人はヒッタイト人に敬服してた。
既に述べてきた通り、夢蛇鬼説ではヒッタイト人は「皇(スメラ)族」だった。
ダビデ王はヒッタイト人の妻を娶り、ソロモンにはヒッタイト人の血が流れていた。
その事から、イエスにもヒッタイト人の血が流れていた事になり、卑弥呼と同じく白人系の特徴をもって生まれてきたと考えるのが自然である。

つまり、皇は「ヒッタイト人の王」を意味するのだ。
それを裏付ける根拠として、「スサノオ」の存在を挙げられる。
スサノオのルーツはヒッタイト神話にあり、十字架で処刑されたイエスも贖罪神「スサノオ」だった。
王仁三郎も「真の救世主はスサノオなり」と喝破した。
結論として、「皇=スサノオ」という等式が成立する。

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ちなみに、イエスは紀元前7〜4世紀に誕生し、紀元30年頃に処刑されたと考えられているが、紀元前4世紀誕生説を採用した場合、33歳くらいで死亡したことになる。
「双角王」の異名を持つアレクサンドロスもまた、33歳で生涯の幕を閉じており、不思議な運命が感じられる。

アレクサンドロスの軍勢に参与したユダヤ人が「秦」の支配者となった事も述べたが、それ故か、中国政府は「秦始皇帝陵」の移籍発掘現場の写真撮影を、断固拒否したというエピソードもある。
分かっている事は、「兵馬俑」と呼ばれる埴輪が発掘された事である。
これは、いわゆる「殉葬」の風習を受け継いだもので、そのルーツは古代シュメールにあり、ウル王朝(牛の意)の「ジュブ・アド女王墓」から、馬や人間の大規模な殉葬遺体群が発掘されている。

卑弥呼が他界した時も、100人を超える殉葬者がいたことが『魏志倭人伝』に記されているが、当時の中国にはそのような風習はなかった。
これは明らかに、「秦始皇帝」や「卑弥呼」が中国系ではなかった証拠だが、インドでは少し前まで、殉死を風習とする地域が存在していたらしい。

アレクサンドロスはペルシアと中国を征服した後、インドに向かったが、マレーシアやインドネシアには現在も、イスカンダル(アレクサンドロスのペルシア語)という名の人々が存在する。
アレクサンドロスは両親の系図に基づき、自分が絶対神ゼウスの子「ヘラクレス」の血統である事を自覚していたが、エジプトの神官による神託で「神の子」と告げられ、自分が「ゼウスの子」である事を確信したと言われている。

イスラム教の聖典「コーラン」でも、アレクサンドロスは「神(アッラー)から絶大な力を与えられて世界を征服した偉大な王」として記されている。

『ゼウス=アッラー=ヤハウェ=天照大神』

天照大神の勅命により、パミール高原を出発した「アマ族(天孫族)」の本隊は、このアレクサンドロス軍の子孫だったのではないだろうか。
アマ族が日本列島に渡来したのが紀元前3〜2世紀で、年代的にも符合する。
そして日向族は、パキスタン、インド、ネパール、ミャンマー、中国の江南地方を通って屋久島、鹿児島に拠点を築き、原住民(倭人=海人族)を併合して強大な国家「邪馬台国」を築いたようである。
posted by 夢蛇鬼 at 21:10| Comment(5) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

ギリシアの女神「卑弥呼」の謎

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日向族の中で、ヨーロッパ系の特徴を備えていたのは卑弥呼だけではない。
現在でも、鹿児島から沖縄地方にかけて、ヨーロピアン風の容貌を持った人たちが数多く存在している。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で次のように述べている。

『私たちは、いま、邪馬臺国が、もと沖縄から出た人たちの政権であったことをはっきり知っている。
とすれば、過去の九州北部説や大和説などが思いもしなかったことが、重要な大問題として浮かび上がってくるのである。
それは沖縄の与那国島と呉とは、海をへだててはいるが、九州本土までの距離より、はるかに近いということである。
そして台湾が古代には「小琉球」と呼ばれて、沖縄の統治下にあったことも事実である。
そこからなら、呉の海岸へ百五、六十キロメートルしかない。
そしてその呉の大帝・孫権の一族は背が高く、色が白く、目と鼻が大きく、ときどき碧眼の子供が生まれた。
青い目をしていたのである。
それを「中国人には、たまにそんな人が生まれる」などといってすましてはいけない。
それには理由があり、歴史という学問ではそれがなによりも大切なのだから……。
私たちは、いつからか分からないが「呉」の字を「ゴ」と発音している。
しかし中国では古来、南北とも「ウ」で、語頭の「g」は私たちの耳には聞こえない。
その中国の北には有名な「万里の長城」があるが、それを中国人に作らせた北の強国の一つに「ウソン(烏孫)」というのがある。
呉王も「呉・孫」は「ウ・ソン」なのだ。
これだけならタダ同じ発音だというだけだが、もっと重大なことがある。
それは烏孫人が、やはり青い目、金髪の混じった地中海人だったことだ。
彼等はギリシア人たちと同じ仲間だったのである。
それはその名をみても分かる。
「ウソン」と呼ばれた元の名は正確には分からないが、それはギリシアの古代の勇士イヤソンなどと同じ語尾をもっている。
これを見ると孫権は元はその烏孫人であって、それを中国風に一字ずつ切って、国名と姓にしたと考えることができる……』


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『また呉は「ウ」だけでなく「ウー」とも発音される。
それは南中国系の「呉さん」は皆そう呼ばれているし、「呉淞」と書いてウースンと読む地名が上海にある。
そして孫権の一族が「ウー」氏で、その一族もまた日本の南島へやってきていたと仮定すると「ウー」は「大」。
その国は「大国」=大島。
奄美大島がそれで、そこの王が「大国主」だということにもなる。
そしてヒミコ「下照姫」はその娘だと「記・紀」に書いてある。
これもまた結論はあとに譲るしかないが、卑弥呼が呉の孫権と同じく烏孫系のギリシア人だった可能性は、更に高くなったわけである』

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この説に、例の『竹内文書』のイザナミの話を重ね合わせると、卑弥呼の母・イザナミは烏孫で、アフガニスタンから来たギリシア系の人だったことになる。
ギリシア系アフガニスタン人とは……。
既にお気付きの方も多いと思うが、その前に少し長くなるが、加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』から、参考になる記事を紹介したい。

――漢訳や沖縄の対岸、呉で始まっていることも軽視できない。
なぜなら過去に日本史学者が「世界・字宙」などと解説して来た「六合」は、その呉の一部が「六合県」として、今もなお古代の史実を伝えているし、「六合=リクアウ=陸奥=リクウ=琉球」という日本語が生み出した地名があることも解析済みである。
また卑弥呼と同時代の呉の皇帝・孫権とその父がウースン系のギリシャ人の子孫であり、呉孫権(ウースンキン)、呉孫竪(ウースンキン)はどちらもウースン公(きん)という名乗りへの九州語読みの当て字であり、大隅も奥州も奥村も宇佐もまた、このウースンへの当て字であることはすでによくご存じで、当時の沖縄と呉との間に、国境や国籍を考えるのは間違っているからでもある。
卑弥呼は呉の文化の系列に属しながら、もう一つの最先進国インドの高度の文化=仏教で教え導くという当時の最高の教養人。
その名の語源はパーリ語の「愛・慈悲者=ペマカ」だが、彼女はそれに漢字を当てる際、さらに熟考したことまでわかる。
それはもう一つの称号、例の「アヴァ ロキ テスヴァラ」の、筆頭の「アヴァ」は「卑」という意味で、卑弥呼の頭文字に一致し、「ロキ テスヴァラ」は「その世人を高め栄えさせる」だから「弥栄えさせる人」という意味の「弥=彌と子=グァ=呼=説教者」を当てて、非凡な思考力を明瞭に見せているからである――


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――アテナは、ギリシア神話に登場する女神。
平和のための戦いの神であると同時に戦略、芸術、建築、陶芸、工芸、知恵、平和、造船や家具の製造と行った工業の分野でも祭祀を受ける神である。
しかし、血気盛んで好戦的な軍神アレスとは趣を異にし、知性を重んじ戦いの主な防衛を目的とした神である。
アテナは知性、技術、戦いを司る処女神でアテネ市の守護神だった。
アテネ市はB.C.E.5世紀の対ペルシャ戦争に大勝利後、デロス同盟を結んでギリシャ最強の大国、政治経済の中心になり、クレイステネスの改革で民主政治を確立した全世界の先進国だったが、ペロポンネソス戦争に敗れて衰退した工業港湾都市国家で、今も製鉄、繊維、化学、食品工業の中心都市である。
この像と観音像の共通性の多さと、卑弥呼らの史実と、「記・紀」の天照大神の記事を考えると、鉄器・繊維・化学の先進文化と民主主義といった先進文明が色濃く見られ、また沖縄本島の「嘉手納」も、韓・漢と同じく語頭のk音がなくなればアテナへの当て字であることも、すでに他のギリシャ神名などと共に検討済みで、卑弥呼らの血統には、このナテネ人の血と知性と技術と思想と信仰が重なりあっていることがわかる。
このアテナの像は異様な冠をかぶっているが、中央は女性の頭部、向かって左は馬、右は羊のように見える。
この発想は十一面観音や馬頭観音に結びつく。
これまではなぜ、仏が頭の上にコブのような小さな頭を乗せているのか?
またなぜ、馬の頭の観音がいるのか?
いろいろな説明を聞いても納得できなかったが、この像を見ればそれはこのアテナ像が発想の源だったとわかる。
それは当然のことで仏像がギリシャの神象をモデルにしてギリシャ人によって作られ始めたことは周知の事実だからだ。
卑弥呼はその金髪の見事さで両親を驚かせ、天照(ゼウス)大神に仕えるピュティア(稗田阿礼)として天に送られた。
そこで彼女は「アマゾン=女性国」の指揮者になったとしたら、知と技と学と戦さの女神・アテナの地位にあり、光華明彩、天孫(アマゾン)族の始祖、天照大女(み)神、機織り、スサノオとの対決の武装、剣、弓、曲玉、八爬(ヤアタ)の鏡が、このアテナ像に全て揃っているのを見る。
右手にしているのが剣、左手に持つのが弓である。
このアテナ像は「金色」に塗られていた。
卑弥呼の金髪がなぜ、両親に愛児を手放させるはどの威力をもっていたか、それはアテネ人の黄金崇拝に根差している。
それはソナカ宣布団にも受け継がれていた。
彼らは東方の金地(スパルナ・ブーミー)国を求めた。
だからこそミャンマー、タイから奈良まで、大仏は皆「金色」なのである――


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卑弥呼にギリシア系の血が流れていた証拠はまだある。
引用ばかりで恐縮だが、『黄金の女王・卑弥呼』には次のように解説されている。

『ではカンジンのギリシャはどうだろう……。
それはいちばん尊敬されていなければならない。
ふつうの地名ではないはずだ。そうなのである。
それはちゃんと日本建国の第一の聖地、あの「天孫降臨」の場所に与えられていたのだ。
キリシマがそれである。なぜか?
語尾の「マ」が国のことであるのはよくご存じである。
「ヤ」もまた「国・地方・土地・世界」を意味する。
ギリシャ、イオニヤ、フェニキヤ、インディヤ、マラヤ、シベリヤ、カノヤ、アサガヤといったふうに使われている。
これは最初、「ギリシャ山」と呼ばれていたものが、後世に当て字をするときには、実力者が、その国称を「マ」という人々に変わっていたため、そして清音人だったために「キリシマ」とい変わった上、当て字も漢字化して「霧島」になった』


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そして、次のように続いている。

『このキリは新羅の古名「鶏林」にも合う。
鶏は福建語で「ケイ」。
これは「キ」と聞こえるし沖縄では「キはチ」になる。
「キリン」は「キリ之国=キリシマ」のことだったのである。
また中国の正史「旧唐書」では倭国と日本国は別で、その日本の条件は鹿児島県に合うが、東と北は大山があって国境になっており、その向こうは「毛人の国」だと書いてある。
その大山はぴったり霧島に一致するが毛は沖縄音「キ」。
中国人のジン=人の発音は「リ」と聞こえる。
「シマ」は「之国」で「キリシマ」。
これでみると「記・紀」に出てくる「毛人」はギリシャ系の人々だったことになる』


この説は私にとって意外だったが、或る不可解な謎と後に辻褄が合うことになる。
何故、彼らが毛人だったのか、細かいことは同書をお読み頂きたいが、加治木氏は次のように結論づけている。

『これを見ると、鬼界ヶ島の「鬼」もこの「キ=毛」と同じものであって、「鬼界」とは「ギリシャ人の世界」をあらわす名だったのである。
それが「魏志倭人伝」の「鬼国」「鬼奴国」と密接な関係があることはいうまでもないし、なによりも私たちが今、検討している「鬼道」が、その人々の「道=宗教であり、政治でもある=法」だったのだということである』


つまり、アイヌ人(蝦夷・毛人)は、ギリシア系の民族だということになる。
彼らは「倭人」である。
倭人は時の中国で「オニ」と発音されていた。

『倭人=オニ=鬼=ギリシア人』

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倭人はインドネシア系の海人族である。
それを、日向族(ギリシア人)が併合したと考えて良いだろう。
一方、同じく「鬼」で象徴される出雲族のスサノオも、ギリシア系の人だったのだろうか。
答えは「YES」である。
但し、イコールで括れるほど、問題は単純ではない。
古代中東には、様々な民族が混合していたからである。
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金髪碧眼の女王・卑弥呼の謎

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今まで検証してきた通り、卑弥呼は倭人(海人族)の系統だが、アリオン説では卑弥呼(アマテラス)は日向族であり、パミール高原からパキスタン、インド、ネパール、中国を経由して、大陸ルートで渡来した部族だとされている。
この矛盾は、どのように解釈すれば良いのだろうか。

パミール高原の西南に位置するアフガニスタンは多民族国家で、北はタジスキタン、西はイラン、南と東にパキスタン、東端に中国が隣接している。
シルクロードは、ユーラシア大陸を東西に結ぶ複数の交通路で、中国、中央アジア、中東、ヨーロッパとの国際交流が行われてきた。

その主なルートとして、次の3つが挙げられる。
(1)中国西域からパミール高原を越え、中央アジア、西アジアを経由する「オアシス路」
(2)ユーラシア大陸北部の草原地帯を通る「ステップ路」
(3)海のシルクロードと呼ばれる「南海路」

その他、チベットやインドを結ぶ南北のルートなどがあり、それらを総称してシルクロードと呼ぶ。
その中で、天山南道の経路に存在する「アフガニスタン」は、アーリア系の「パシュトゥーン族の地」を意味し、その名の通り、アフガニスタンの主要民族である。

パシュトゥーン族は、パミール高原と連なるヒンズークシ山脈の麓や、パキスタンとの国境付近に住み、一部はトルキスタンにも住んでいる。
アーリア人は人種的にコーカソイド(白人種)だが、アーリアン学説では、インド・ヨーロッパ語族に属する民族全般を指し、現在のトルコに位置する古代ヒッタイト帝国の末裔なども含まれる。
また、アーリア人はイランやインドに定住し、先住民との混血によって両者の違いが生まれた。
尚、「イラン=ペルシャ」とは「アーリア人の国」という意味である。

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アフガニスタンで次に多い民族が、イラン系の「タジク族」で、タジキスタンに同族を持っているが、金髪碧眼の人々もいる。
その他、アフガニスタン、及びその周辺には、次のような民族が存在する。

・ファルシーワーン族(「ペルシャ語を話す人」の意)
・モンゴル族
・ブラフイ族(アーリア人が移住してくる以前の先住モンゴロイドとされている)
・ハザラ族(モンゴル系)
・ウズベク族(アフガニスタン北部のトルキスタン地方や、旧ソ連のウズベク共和国に住み、ウラル・アルタイ語族のトルコ語の1つ、ウズベク語を使用)
・トルコマン族(トルキスタンや旧ソ連のトルクメン共和国に住むモンゴル系で、トルコ語の一方言を使用)
・キジルバーシ族(イランのサフャビー朝を建てたトルコマン遊牧民とされる)
・キルギス族(アフガニスタン東北部のパミール高原や、旧ソ連のキルギス共和国に住み、モンゴル系でトルコ語を使用するが、本来は金髪碧眼のヨーロッパ系民族で、遊牧民の突厥(テュルク)に征服されてトルコ化したと考えられている)
・アラブ族(モンゴル系、地中海人種、またはその混血人種がある)
・バルーチ族(イラン東南部やパキスタン西部に定住)
・ヌーリスタン族(19世紀末に強制的にイスラム教に改宗させられる前は、アニミズムと多神教の合体した宗教を信仰していた)
・コーヒスタニー族(インド語派のダルド語を使用)
・グジャル族(ヒンドゥースタン語の一方言を使用)
・ヒンドゥー族(インド系民族でヒンドゥー教を信仰し、多くが商人や金融業者)
・シーク族(ヒンドゥー族と言語や職業は同じ)
・ユダヤ族(商人や金融業者が多く、ユダヤ教を信仰)
・パミール族(パミール地方に住み、パミール諸語を使用)

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パミール高原の一角で、中国に隣接するパキスタン北西部の長寿村フンザにも、金髪碧眼のワーヒー人が住んでいる。
ワーヒー人はフンザ人と区別されているが、いずれも古代のシルクロードを往来した雑多民族の末裔であり、人種的に区別する必要はない。
他の民族も同様で、茶髪や金髪碧眼の人々が存在するという事は、中央アジアにヨーロッパ系の民族が数多く移住していた事を物語っている。

イザナギ・イザナミは、アマテラス(卑弥呼)のことを次のように言っている。
「この子は、光華明彩、六合(国のこと)の内に、照り徹っている。
子供はたくさんいるが、こんな霊異な子は見たことがない」


加治木氏はこの記述から、アマテラス(卑弥呼)は金髪碧眼の白人だったと解釈している。
詳細は『【真説】日本誕生 黄金の女王・卑弥呼』をお読み頂きたいが、これは決して荒唐無稽な話ではない。

インドネシア〜東南アジア系の海人族に生まれた卑弥呼には、白人の血が入っていたのだ。
だが、イザナギ・イザナミが「こんな霊異な子は見たことがない」と言っている以上、海人族が白人種だった訳ではない。
海人族の中に白人系の子が生まれたのである。
但し、イザナギ・イザナミのどちらかが、白人系だったことは間違いない。

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『古事記』によると、イザナミは火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生んで、陰部を火傷して死んでしまった。
イザナギは、死んだイザナミに会いに黄泉の国(死者の国)に赴いたが、醜く変わり果てたイザナミの姿を見て逃げ出した。
逃げ出したイザナギを魔物が追ったが、イザナギは「平坂」という所で魔物を撃退し、命からがら黄泉の国から逃げ帰った。

『竹内文書』には、こう記されている。
「火之尊、母のミド焼かしむ。
母七夜くるしみ、母ミドのただれ治しに、イナダ国バミル高原より、アフスタン国、ヘラサカイトに、天皇に別れて去り行く……」


バミル高原とは、「パミール高原」のことだろう。
そして、「平坂=ヘラサカイト」で、アフスタン国ヘラサカイトは、「アフガニスタンのヘラート」を指している。
何故、イザナミはアフガニスタンまで行ったのか。

『竹内文書』には、イザナミの出自が「伊邪万国黄泉尊娘」と記されており、黄泉を「夜見」に置き換えると、日本が昼の時間帯に夜の国、つまり、西の国(アフガニスタン)出身だったということになる。
(参考:『[超図解]竹内文書U』高坂和導/徳間書店)

アリオンによると、日向族は日本列島の原住民を併合したという。

『東日流外三郡誌』には、日向族について「支那韓土に血族あるも、南蕃の血祖も加はる」と記されている。
つまり、大陸から渡来した日向族が、南方系先住民(琉球民族=倭人)を併合したということである。
そこに、白人の特徴を顕著に持った卑弥呼が誕生し、日向族の女王に選ばれたのではないだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 21:40| Comment(1) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鬼道の正体

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加治木説で、卑弥呼をアイヌ語で読むと「ピミク」と発音することは既に紹介したが、アイヌ人は琉球民族とルーツを同じくする倭人である。
当時の中国の卑弥呼の発音「ピェ・ミャル・ゴ」は、沖縄の三母音で「フィミク」と変わり、もし3世紀の琉球民族が「フィ」を「ピ」と発音していたとしたら「ピミク」となり、そのルーツであるインドネシア系のマレー語では、「ペーメール(政府)」「ペーメーロク(保護者)」となり、卑弥呼に相応しい名前になると主張している。

では、卑弥呼の「鬼道」もインドネシアにルーツがあるのだろうか。
中国の道教系にも「鬼道」と呼ばれるものがあるが、これは卑弥呼の「鬼道」とは大きく異なり、完全に否定されている。
インドネシアの宗教はインドから伝播したものである。

古代インドの曼陀羅思想(世界地図)では、世界の中心に「スメラ山」という山が聳え、周囲に東西南北の国があり、その周りを海が囲んでいると考えられていた。
これが仏教でいう「須弥山」で、ヒマラヤがそれだと信じられていた。
的確に言えば、中央アジアの真ん中に位置する世界の屋根「パミール高原」こそ、地上のスメラ山と呼ぶに相応しいであろう。
そのパミール高原、ヒマラヤ山脈の南にあるインドこそ、世界の中心だと信じられており、古代インドの人々は自分たちの国を「ジャムブディパ(幸福な世界の中心地)」と呼んでいた。
実際の発音は「ジャムディ」と聞こえ、日本に来た魏の使いがこれを耳にして、「邪馬臺」という漢字を当てたとも言われる。

「スメラ」とは「天皇」の意だが、「ヤマタイ」の語源と共にパミール高原(高天原)からインド、インドネシアを経て、熊毛郡の伊是名島(伊勢の島)に高天原が移され、そこで卑弥呼は誕生した。
話が横道に逸れたが、卑弥呼の「鬼道」とは一体如何なるものだったのか。

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まず、中国での「神」はシュメールの月神「シン」が音写されたもので、それは古代インドにも伝わって、ヒンドゥー教の「シヴァ」のルーツにもなっていることを以前述べた。
シヴァは破壊神であり、聖書でいうサタン、ルシファーである。
聖書の神(主)は、日本では一般的にエホバと呼ばれているが、原音は「ヤーベ」に近く、近年ではヤハウェと呼ばれることが多い。

加治木説によれば、「シヴァ」の名が変化したのが「ヤーベ」だという。
「破壊神シヴァ=主ヤハウェ」
この説に異論を持つ人は多いと思うが、答えが明らかになる日は近い。

さて、加治木曰く、インドネシアのスマトラの語源も「シヴァ」で、「シがス」に変わって「バがマ」に変わり、同じくインドネシアのスンバ島も「シヴァ」が語源になっているという。
それはマレー語では「ジバ」、ジャバでは「ジャバ」となり、日本では「ヤバ」となって「邪馬台国」の語源になったらしい。
更に、鹿児島語では「バはベ」となり、邪馬台国の「邪馬」は「ヤーベ」の意だとしている。

卑弥呼とモーゼの共通点、そしてフェニキア人がインドネシアからフィリピン、日本列島にも渡来していたことから考えて、卑弥呼の「鬼道」は「ヤーベ道」であり、本質的に古代ユダヤ教と同じ性質を持っていると言える。
モーゼに十戒を授けたヤハウェ(ヤーベ)は、本質的に牛神「バアル」であった可能性が高いことも既に述べた通りで、「バアル=シヴァ」である以上、「ヤハウェ=シヴァ」という等式も成立する。
但し、「ヤハウェ=バアル」は表裏一体を意味する。

そして、死を司る破壊神「シヴァ」=牛神「バアル」は、荒らぶる神・牛頭天皇「スサノオ」でもある。
従って、鬼道の「鬼」は、霊的な意味での「スサノオ」を意味しているのだ。
しかし、元はシュメールの月神だったはずである。
しかも、卑弥呼は太陽神を崇拝する巫女だったはずである。
それはこういう事である。

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『竹内文書』によると、スサノオとツキヨミは同一人物だったという。
そしてヒッタイト帝国では、荒らぶる牛神は、太陽神としての性格も持ち併せていたことが分かっている。
加治木氏によれば、「天照大神」を沖縄語で発音すると「チンヅウ・ウガン」で、本土語にすると「シンドウ・オガミ」となり、漢字を当て嵌めると「神道・拝み」になる事を指摘している。

やはり「鬼道」は、古神道のルーツだったと言えるだろう。
スサノオは根の国(死者の国)に行った神である。
スサノオは封印された「鬼」であり、中国では死者を「鬼」と呼ぶ。
そこまで分かれば、「鬼道=古神道」のルーツを辿るのは難しいことではない。
引き続き、加治木氏の受け売りになるが、鬼道のルーツにスポットを当てることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 20:52| Comment(0) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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