2010年04月03日

封印された鬼の正体はアルザル人だった!?

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ここで少し、話を整理してみよう。
紀元前3〜2世紀、陸路ルートで日向族(アマテラスの系統)が日本列島に渡来し、先住民を併合しながら日向地方で勢力を誇った。
その後、海路ルートで出雲族(スサノオの系統)が渡来し、日向族と協定を結んで日本を統治する予定だった。
しかし、日向族がそれを拒み、出雲族が持つ王位継承の証である十種神宝を要求してきた。
そこで両者に対立構造が生まれ、出雲族は日向族を征討した。

紀元3世紀、卑弥呼の時代、大陸から神武天皇率いる騎馬民族が渡来して邪馬台国を征服し、大和朝廷が樹立した。
これが、現在の天皇家の始まりだと言われている。
これをアリオン説と重ね合わせると、海人族であり、鬼道を行なう卑弥呼が治める邪馬台国(出雲族)を「鬼」として封印したのが、大陸から渡来した日向族だと考えるのが普通だろう。

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アリオンは、日向族が日本列島に先着したと言っているが、渡来系の力を借りて出雲族を封印したと言っている。
つまり、「日向族が騎馬民族の力を借りて邪馬台国(出雲族)を征服した」と、私は今まで考えていた。
だが騎馬民族は、ヤマタノオロチ(卑弥呼政権=日向族)を制圧したスサノオ(出雲族)に相当する。
つまり、「神武天皇=スサノオ」であり、「出雲族=騎馬民族」ということになる。
これには決定的な証拠があり、まず間違いないと考えて良い。

だが、ここでも大きな矛盾が生じる。
アリオン曰く、出雲族は海路ルートで上陸したことになっている。
また、日向族は大陸から渡来したというが、卑弥呼は明らかに海人族(倭人)系である。
これについて1つ言えることは、当時の倭国は日本列島だけではなく、朝鮮半島も含まれていたということである。
従って、今まで検証してきたことが正しければ、スサノオ勢力(出雲族)は中国大陸からパミール高原を経て、海路ルートで朝鮮半島に上陸し、紀元3世紀頃に邪馬台国を征服したということができる。

問題はその後である。
アリオン曰く、スサノオ率いる出雲族は、日向族に不当に貶められ、鬼として封印されたという。
とすると、大陸から渡来した騎馬民族(出雲族)が現在の天皇家ではないことになる。
牛頭天王であるスサノオは「鬼」である。
封印されたのは確かに「出雲族=スサノオの血統」である。

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だが、騎馬民族(出雲族)征服された倭人は日向族である。
当時、倭人は「オニ」と発音されていたらしい。
また、卑弥呼の宗教も「鬼道」である。

整理すると、卑弥呼(日向族)は倭人(海人族)で、征服された鬼と考えるのが自然である。
一方、スサノオ(出雲族)は大陸から渡来した騎馬民族で、卑弥呼の鬼道で統治されていた邪馬台国を征服した民族である。
日本列島の先住民である倭人(海人族)が征服されたという古史古伝の内容は、間違いではない。
では、封印されたのは出雲族ではなく、「日向族」ということになる。

アリオンの言うことが間違っているのか、北川氏の解釈が間違っているのか……。
否、伊勢神宮に祀られている皇祖神・天照大神(女神)の正体が「卑弥呼」だと判明した今、アリオンの伝える内容に誤りはないことが証明できる。
出雲族の強大な武力に恐れをなした日向族が、スサノオにアマテラスを差し出した……と、アリオンは言う。
これによって、日向族と出雲族が和合し、一件落着……と言いたいところだが、アマテラスの義弟が猛反対したという。

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しかし、2人の婚姻は決行され、怒り狂ったアマテラスの義弟たちは、渡来系の力を借り、出雲族の力が発揮できないように日本列島の霊的スポットを次々と封印していった。
日向族も出雲族も渡来人だが、ここでいう渡来系とは恐らく「秦氏」である。
そして、日向族が皇位を争奪し、封印された出雲族に代わって、再び日向族による日本の統治が始まったのではないだろうか。
海路から朝鮮半島に上陸した出雲族には、倭人も合流していたことだろう。

私の考えでは、倭人やヒッタイト人は、イスラエル12支族に浸透していた。
従って、出雲族の本隊は「イスラエル10支族」と呼ぶのが相応しいかも知れない。
一方、日向族の本体は「イスラエル2支族=ユダヤ人」ということになり、秦氏も2支族のユダヤ人故に日向族に力を貸した……と考えると、辻褄が合ってくる。

聖書外典の記録によると、イスラエル10支族は誰にも邪魔されない前人未到の地「アルザル」に移動し、終末に再び戻って来るという。
アリオン曰く、鬼(出雲族)が封印されたというのは一方的な見方で、実は自ら「隠れた」という。
そこは、「隔り世」「黄泉」「シャンバラ」と呼ばれる場所で、終末に再び現れることが預言されている。

「解かれた封印から赤い色を頼りに、隔り世から鬼が来る…」
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大筋に於いて流れとしては、大体このような解釈で間違いないと思われる。
だが、更に大きな落とし穴がある。
現在の皇室が祖神として崇める天照大神は卑弥呼だが、卑弥呼ではない。
ヤマタノオロチ退治の神話から分かる通り、卑弥呼も封印された「鬼」なのだ。
日月神示によると、岩戸から出てきた天照大神は偽物だという。
皇祖神として祀られている天照大神は、この「偽の天照大神」なのだ。

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これはイエスにも言えることである。
イエスはヤハウェの受肉である。
つまり、現在のクリスチャンが信仰している神は「偽のヤハウェ(イエス・キリスト)」なのだ。
既に見てきた通り、卑弥呼は「鬼」であると同時に「龍蛇族」である。
スサノオも「鬼」であると同時に、天界から追放されたルシファー(龍蛇)である。
つまり、「鬼」と同時に、「龍」も封印されていたのだ。

カナン神話では、龍を退治した牛神バアルが「スサノオ」に相当するが、そのバアルは聖書では悪魔とされ、ルシファーと同一視されている。
そして、高天原から追放されたスサノオはルシファーと符合し、「牛=龍」ということになる。
やはり、霊的には「牛神=龍神」で、双方に裏と表がある。

その証拠は……。
「牛神スサノオ」と「龍神クニトコタチ」は同一神であり、東北に封印された祟り神「艮の金神」である。
これは、聖書でいうところの「バアル=ルシファー」である。
現在の聖書が、10支族が失われた後の2支族(ユダヤ人)の視点によって書き換えられていることに注意して頂きたい。
「善悪逆転の原理」を発表する前に、少し話を巻き戻して、引き続き卑弥呼の謎にメスを入れていこう。
posted by 夢蛇鬼 at 20:19| Comment(3) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山田の大蛇族とドラゴンバスター

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龍退治伝説が、古代オリエントにルーツがあったことを述べてきた。
だが、神話(神界の出来事)は時を変え場所を変え、人間界に移写される。
従って、「スサノオのヤマタノオロチ退治」のような出来事は、この日本においても様々なバリエーションで繰り返し起きていることになる。
日本神話では、高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流に降臨した。
すると、老夫婦が泣いていたので訊ねると、毎年オロチがやって来て娘を食べてしまうという。

老夫婦には8人の娘がいたが、今年もオロチがやって来る時期が近づき、最後の末娘であるクシナダヒメ(櫛名田比売・奇稲田姫)が食べられる番だというのだ。
ヤマタノオロチは8つの頭と8本の尾を持ち、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの峰と8つの谷に跨がるほど巨大だった。
スサノオは、クシナダヒメを嫁に貰うことを条件にヤマタノオロチを退治した。
これは、出雲国・島根県と鳥取県境にある船通山系から流れ出る、日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川、及びその支流をヤマタノオロチに喩えて「オロチ河川群」と呼ばれている。

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一説によると、オロチの腹が血で爛れているのは、河川が砂鉄で濁った状態を表しており、製鉄のたたら吹きに必要な木炭を大量に生産する為に、樹木が伐採され尽くした為に起きた洪水を象徴しているともされる。
更に、斐伊川には蛇の鱗を彷彿させる「鱗状砂洲」と呼ばれる砂洲があり、これがヤマタノオロチのイメージを創り上げたという説もある。

そして、オロチが毎年娘を拐うのは河川の氾濫の象徴で、河岸工事(オロチ退治)によって稲田(クシナダヒメ)を守ったことを表現していると考えられている。
実際にこのような出来事があり、これがオリエントの龍退治神話と結び付けられたというのは、非常に納得できる話である。

また、老夫婦に8人の娘がいたが、「八」は出雲族の象徴である。
そして、老夫婦が産鉄地に住んでいたことから、8はハッティ(ヒッタイト)を意味していることは間違いないだろう。
更に、スサノオも「八」で象徴される出雲族の族長であり、ヤマタノオロチも「八」と「産鉄」を象徴している。

これは一体どういう事なのか。
スサノオが十拳剣でオロチの尾を斬ると剣の刃が欠け、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出てきた。
ここから推測すると、十拳剣は青銅製で、天叢雲剣は製鉄文化を象徴していると同時に、ヤマタノオロチが「出雲」を象徴している。
そして、スサノオがこの大刀をアマテラスに献上したところを見ると、出雲族と日向族の融合を考察することができる。
別の解釈では、当時の出雲国は越国(北陸地方)の「越の八口」と交戦状態にあり、これがヤマタノオロチ退治の神話になったのではないかという説もある。

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『竹内文書』によると、富山県の山田川上流の「山田の大蛇賊」を、スサノオが成敗したと伝えている。
「山田の大蛇賊」とは如何にも作ったような名前だが、これを見逃すことは出来ない。
加治木義博氏によれば、鹿児島県の「内山田」の語源が邪馬台国(邪馬臺国)だという。

『これの発音は「ウチヤマダ」だが、これは次のような当て字と同じ地名だ。「宇治山田」。
この「治」は「自治省」や「治世」でお分かりのとおり「チ」という発音もあるからである。
この「ウジヤマダ」に沖縄〜大隅語の特徴である三母音語で当て字にすると次のようになる。
「ウ=大」「ジヤ=邪」「マ=馬」「ダ=臺」。
以前は日本も国名に「大」の字をつけて「大日本帝国」といったし、お隣の韓国も正式名称は「大韓民国」であることはよくご存じのとおりだ。
それを邪馬臺国もやっていたのである』


つまり、ヤマタノオロチは「邪馬台国の大蛇」であり、「山田の大蛇族」というのも決して荒唐無稽な話ではない。
日本の歴史の中で、「卑弥呼」という人物は、どうやら非常に重要な位置付けにあるようである。
では、邪馬台国はどこにあったのか、卑弥呼とは何者だったのか、鬼道とは何なのか。
改めて、別の角度から検証を進めていきたい。
posted by 夢蛇鬼 at 19:25| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤマタノオロチ伝説の伝播ルート

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加治木義博氏は『言語復原史学会・大学院講義録』で、「世界の龍退治神話」について次のように述べている。

――世界には、<スサノオの尊> だけでなく、バビロンの <ギルガメシュ>。
ギリシャの <ペルセウス>。
インドの <クリシュナ>。
インドネシヤの <アジサカ>。
北欧の <シグルト>。
ドイツの <ジークフリート>。
キリスト教諸国の <セント・ジョージ> や <サン・ジョルジュ>
など、たくさんな竜退治伝説がある。
この「日本人のルーツ」でも指摘しておいたが、これらの伝説の主人公の名などが、互いに方言関係のように関連しあっていて、無関係でないことがすぐわかるので、スサノオの尊だけを切り離して考えることはできない。
ドイツの <ジークフリート> などは、むしろ逆に日本から向こうへ伝わった可能性が濃いことは前にもお話ししたが、ここで全体の共通牲につきお話しすることにしよう。
まず <ギルガメシュ> の <ギルガ> は で、 <ジョージ> と同じだとすぐわかる。
もそのままで <ジーグ> だから、ドイツ読みなら <ジークフリート> の前半分だとわかる。
その <ジークフリート> を縮めて北欧語化すると <シグルト> になる。
Georgeを二分して を <グ> 、 を <リ> にして清音化すると <クリ>、これに <ギルガメシュ> の語尾「シュ」を付けると <クリシュ> になる。
<アジサカ> と <スサノオ> だけが合わないが、それには次のような理由があるからである。
<スサノオ> は既に解明済みの通り、今はイラン領になっている <スーサ> の古名「スサ」の王という日本語名であるから、ギルガメシュ伝説が伝わっただけの、架空の人物ではない。
スサ出身の王またはその王統を継いだ王が、日本に来て体験した <神託> とおりの事件を賛嘆して、倒した敵を竜にたとえた比喩でなければ、総ては幼稚な怪物退治のお伽話になってしまう。
それでは無意味だから、実在した「スサの王」の史実の記録として、後世に伝えたのである。
上記で比較した伝説とは根本的に性質の違う現実に起こった史実を、「ギルガメシュの竜退治に、なぞらえた記録だ」と言うのが、最も正しい表現である。
アジサカはインドネシヤ語には類例のない名である。
ところが日本には、そのままの名の人物が 『記・紀』 に登場している。
それは阿遅鋤高日子根で、これが <アレクサンドロス> への当て字であることは、既によく御存知の名乗りである。
この鋤の字は我が国の古音では <サカ> とも読む。
だからインドネシヤのこの伝説は、日本から伝えたものであることは疑いない。
するとこの <スサノオ> は、幾人もいる <スサノオ> のうち、どの <スサノオ> か、その実体が、この名によって明らかになる可能性が見えてくる。
オリエントとの交流は一方通行ではなくて、文化をもった人々の往来が激しかったという証拠にもなる。
もう少し詳しく考察してみよう。
もう一度、簡単に繰り返すと、<ジークフリート> は、邪馬国の <邪>、狗奴国の <狗>、夫余国の <夫余> に人をつけた屋久島から高句麗までの王だった垂仁天皇の名乗りに合う「邪狗夫余人」を、<ジャクフリヒト> と発音したものによく合い、その妻・<クリムヒルト> も高麗国日霎人・<クリマヒルト> と書くと、高句麗の姫または女王という意味になって、その結婚は不思議ではない。
だからこの伝説は日本のものが、ドイツや北欧へ伝えられたもので、その時期はハンガリーやハンブルクが生まれた「フン人=八幡人=ハン」の欧州侵入によって移植された、我が国からモンゴル、そして欧州へと運ばれた伝説であって、オリエントから直接移ったものではない。
それは <ヒトラー> は <日虎>・<ミユラー> は <三浦>・<ザイツ> は <財津> といった複数の元日本姓が、ドイツに現実に存在することもまた、この移転、移住が事実であることを証言している。
遠隔地のドイツにそれが実在する以上、はるかに近いインドネシヤに阿遅鋤高日子根の名があっても少しも奇妙ではない。
そこには今も <アレクサンドロス> を名乗る族長も現存しているのである。
『記・紀』 の阿遅鋤高日子根は天の稚彦(若日子)の死後、登場する。
<稚彦> は卑弥呼の夫・ソナカ王子・仲哀天皇で、卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇である。
彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒した <スサノオ>、その人なのだ――


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世界の「龍退治伝説」の中でも、「ヒッタイト神話」と「八岐大蛇退治」の物語は特に酷似している。
また、その主人公が「スサの王」ということであれば、やはりヒッタイトのスメラ族はエラムに移住していたことになる。
そして、このオリエント神話が日本に直輸入され、それが各国に伝播したと加治木氏は言っているのだ。

そして、<アジサカ> と <スサノオ> だけが合わず、「アジサカはインドネシヤ語には類例のない名」という事は、日本とインドネシアの関係が想像できるだろう。
しかし、この加治木説を注意深く検証すると、インドネシア系海人族の卑弥呼には、日向系、しかも白人系の血が流れていた可能性がある。
それを証明する前に、引き続き「ヤマタノオロチ伝説」を調査してみたい。
posted by 夢蛇鬼 at 02:27| Comment(2) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

伊勢国の女王「卑弥呼=イエス・キリスト」の正体

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『記紀』に卑弥呼の記述がないのは、「卑弥呼」が名前ではないからである。
ヒミコは天照大神を崇める「日見子」「日巫女」、シャーマンとして「火見子」「火巫女」だったとする説がある。
いずれも間違いではないだろうが、歴史言語学者の加治木義博氏によると、「卑弥呼」は当時の中国の発音で「ピェ・ミャル・ゴ」、アイヌ語では「ピ・ミク」と読むという。

ピ=解く。ミク=告げる。

卑弥呼は、神託を説いて民衆に告げる巫女だったということになり、当然それが1人とは限らない。
その中で、『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国の女王・卑弥呼は何者だったのだろうか。
その正体については、実に様々な説があるが、『日本書紀』では神功皇后が「卑弥呼」であることを暗に示している。

だが、神功皇后は5世紀初頭の応神天皇の母であり、年代が異なる為、「卑弥呼=神功皇后」ではないと考えられている。
しかし、神功皇后が「卑弥呼の子孫」である可能性はあり、それが事実であれば、卑弥呼は皇祖的存在ということになる。
詳細は割愛するが、「神功皇后」の正体が「卑弥呼」と娘の「台与」の2人を指していることが、様々な学者から指摘されている。

そして、皇祖神といえば「天照大神」だが、「アマテラス=卑弥呼説」がある。
アマテラスは別名「大日貴」(オオヒルメノムチ)と言い、「ル」は古語で助詞の「ノ」で、「大日の女」ということになり、太陽に仕える巫女(日巫女)と一致する。
また、天文学上の計算で、卑弥呼が没した頃、紀元247年3月24日と紀元248年9月5日に、北九州辺りで皆既日食が起きたことが明らかになっている。

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当時の邪馬台国が琉球地方の海上に位置していたことを考えると、「卑弥呼の死」は「アマテラスの岩戸隠れ」とオーバーラップする。
古代史研究家の安本美典氏は『卑弥呼の謎』(講談社新書)で、天皇の平均在位年から、卑弥呼の時代とアマテラスの時代が重なることを導き出している。
『記紀』によると、アマテラスは岩戸から出てくるが、これは「イエスの復活」のように蘇生したのではなく、娘の「台与」が「2代目・卑弥呼」を継承したことを意味する。

また、『記紀』に登場する「下照姫」が卑弥呼だとする説もあるが、 これも間違いではないだろう。
つまり、「アマテラス=下照姫」なのだが、太陽そのものとしてのアマテラス(天照)を「上照」として、その受肉である人間アマテラスを「下照」と表現されているのだろう。
これは、「絶対神ヤハウェ=御父」と「イエス・キリスト=御子」の関係に相当する。
つまり、紀元前3世紀頃、天孫族をパミール高原から降臨させた天照大神は「上照姫」ということになる。
そして、「ニニギノミコト」と「ニギハヤヒノミコト」が天降ったとされるが、「アマテラス=卑弥呼」同様、この2人もまだ生まれていなかったので、彼らの何代か前の祖先ということになる。

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「下照姫」と異名同神の人物は、「アマテラス」「オオヒルメノムチ」以外に、「ミツハノメ」「アメシルカルミズ姫」「タマヨリビメ」「トビヤ姫」「イチキシマヒメ」「ヤマトトトヒモモソヒメノミコト」などが挙げられている。

中でも、『日本書紀』で「ヤマトトトヒモモソヒメノミコト」の墓として伝えられている箸墓古墳は、邪馬台国の有力候補地の纏向遺跡内にあり、更に『魏志倭人伝』の記述(後円部の直径約160メートル)と一致し、卑弥呼と同一人物だと考えられている。

ここではまず、「卑弥呼=アマテラス=オオヒルメムチ」に絞り、 卑弥呼を「アマテラス」と呼ぶことにする。
アマテラスは「イザナギ」と「イザナミ」の子である。
これは神話であると同時に、人間界での出来事でもある。

加治木義博氏は、『【真説】日本誕生 黄金の女王卑弥呼』(KKロングセラーズ)の中で、鹿児島県の南の海上から沖縄県に至る熊毛地方の島々を検討した結果、沖縄県島尻郡の海域に存在する「伊是名島」という面積15平方キロメートル、人口2000人の島が、かつてイザナギ・イザナミがいた島であることを突き止めた。

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1609年、島津軍に首里城を落とされて実質的に属国となった沖縄は、鹿児島の役人に治められていた。
鹿児島語は「a」を「e」と発音することから、本来の「イザナ島」が「イゼナ島」と発音されるようになったのだという。
更に、濁音のなかった時代には、「イゼナ」は「イセナ」と呼ばれており、「ナ」は古代の「国」を意味する名詞で、「伊是名=伊勢国」という説を提唱している。

つまり、本来の伊勢は「伊是名島」であり、アマテラスこそ「伊勢の大神」だったのだ。
従って、伊勢神宮の内宮に「天照大神」が祭られているのは道理である。
もしかすると、外宮の祭神「豊受大神」は、アマテラスの娘「台代」である可能性もある。

パミール高原から旅立ったイザナギ・イザナミの部族は、インドネシア、ジャワ島(耶婆提国)を経由して、熊毛地方(高天原)にある現在の伊是名島、広く言えば琉球古陸に上陸したことが分かる。
これが事実であれば、イザナギ・イザナミ、そしてアマテラスは「出雲族」だったことになる。
だが、彼らが「日向族」であることは動かし難い歴史的事実で、北川恵子によると陸路を辿って日本列島に上陸したことになっている。

この矛盾については、「卑弥呼」と「イエス」が同一神「天照大神」とされている事と併せて、順を追って解明していくが、少なくともこの時点では、イザナギ・イザナミは「海人族」だったことになり、マクロな視点で見ると、東南アジア諸国も「倭国」に含まれるといえる。
そして、彼らはその後も、インドネシアを含む東南アジア諸国を往来していたはずだ。
posted by 夢蛇鬼 at 02:20| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出雲王朝と邪馬台国の謎

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火星の謎については長くなるので別の機会に詳述するとして、話を元に戻そう。
紀元30年頃の日本列島の様子について、引き続き『邪馬台国の謎と逆転日本列島』から引用させて頂く。

――福建省あたりから分離した西日本列島は徐々に東へ移動するとともに、わずかながら反時計回転している。
台湾は南下し、西南諸島は西日本列島の周りにまとわりついている。
そして、西日本列島の南東には、東日本列島が急接近している。
青森県を南にしたまま、ちょうど北西にスライド、並行移動した印象を受ける。
西日本列島の間は、わずか100キロ前後。今にも衝突しそうである。
おそらく、このまま西日本が東へ移動し、同時に東西日本列島は長野県の方を中心にして反時計回転。
これに呼応するように、激突された西日本列島も、九州の方を中心に反時計回転し、現在のような日本列島の姿になっていくと考えられる。
興味深いのは、北海道だ。
東西日本列島と北海道の相対的な位置関係は、ほとんど変わっていない。
おそらく、同じプレートに乗って移動しているためであろう。
この時点で、北海道は新潟沖に位置する。
「出雲風土記」の「国引き神話」で、島根半島は朝鮮の新羅と北陸、そして北門から引っ張ってきた国土によってできたとされた。
北門が、いったいどこを指すのかはよくわかっていないが、ひょっとすると北海道なのではないか……
紀元30年ごろに、北海道がこの位置にあったとすると、島根県までの距離はかなり近い。
北陸と同じくらいである。
北海道とともにあった陸塊が山陰地方に激突した可能性は十分ある。
松本清張の小説「砂の器」で知られるように、かねてから島根県には、東北弁が局所的に話されている。
この事実は、島根半島に衝突した島に、北海道及び東日本列島の島々が住んでいたことを物語っているかも知れない――


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これが事実であれば、兼ねてから述べている通り、北海道と東北地方を中心に、北陸や関東に及ぶ地域に分布していた「出雲族」の一部が、この時期に島根県(出雲地方)に移動した可能性が高い。
更に、『秀真伝』と『日本書紀』の記述をMIXして考えると、海路ルートで青森県から上陸した出雲族は、現在の宮城県で『日高見高天原王朝』を築き、紀元30年頃に新羅に移動して、その後、出雲地方の「須佐の港」に移住した。
「須佐」の語源はエラム(後のペルシア)の首都「スサ」であり、スメラ族が最終的に遷都したのが、出雲地方だったのだろう。

この出雲族の民族構成が、エドム人やフェニキア人を含むアイヌ人、及びヒッタイトのスメラ族とイスラエル10支族の混合民族だと私は考えているが、民俗学的には一括りに「アイヌ人」とされているようである。
そして、「アイヌ人」と九州のアイヌ人「熊襲」が武力抗争を起こしていたことは、多くの学者が唱えている。
これがいわゆる、「出雲族と日向族の対立」なのだろうか。

時は流れ、紀元300年頃の日本列島のデータでは、東西の日本列島はフォッサマグナで激突し、九州を中心に反時計回転をしており、それは『魏志倭人伝』が語る「逆転日本列島」と一致する。
この時代は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代である。
このアメリカの極秘データと『魏志倭人伝』の記述を照合すると、邪馬台国の場所は畿内であり、現在の沖縄の海上に位置していたことになる。
詳細は『邪馬台国の謎と逆転日本列島』(学研)をお読み頂きたいが、私はこの仮説を絶対視している訳ではない。

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さて、卑弥呼とは一体何者だったのだろうか。
これについて、明確な答えを出している人を私は知らない。
『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は鬼道という妖しげな呪術を使い、衆を惑わしていたという。
但し、卑弥呼を見た者は少なく、弟を通じて民衆と話をしていたとされている。
この政祭スタイルはモーゼと同じで、モーゼもヘブライ人(イスラエル民族)とは直接的に話をせず、兄のアロンを介していた。
アロンはイスラエル2支族の「レビ族」で、祭司の祖とされている。

歴史学者の鳥越憲三郎氏は、著書『神々と天皇の間』(朝日新聞社刊)で、古代天皇の政治形態は兄が祭事権を司り、弟が政治権を担当するという二重主権制だったことを述べている。
これはどうも、シュメールの時代からの伝統だと思われる。
卑弥呼の「鬼道」については諸説あるが、「鬼」はモーゼを意味している可能性がある。

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モーゼはシナイ山で「ヤハウェ」の啓示を受けた。
当時のシナイ山は噴火山だったが、「バアルは火山に降臨する神」と言われており、モーゼが出会った神は、「バアル」としてのヤハウェであったと思われる。
「バアル」と「ヤハウェ」という別の人格神が存在するのではなく、1柱の神の裏と表である。
バアルは牛神であり、「角」をもって象徴され、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーゼ像にも角が生えている。

ところが、中世以降のキリスト教会で、角の生えたモーゼの姿が異教的(バール=サタン)とされた為、「光」に変えられた。
現代の聖書では、シナイ山から降りて来た時のモーゼの顔から「光」が出ていたと訳されており、「光」は「ヤハウェ」を象徴する。
それは、モーゼがヤハウェの啓示を受けたことを意味するのだが、本来は「光」ではなく、「角が生えていた」と記述されていたらしい。
いずれにしても、バアルは「ルシファー」と同一神であり、同じく「光」で象徴される。

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ギュスターヴ・ドレの聖画では、モーゼの角は「光の角」として表現されている。
またモーゼは、エジプト脱出の際、バアル神殿に宿営を張ることを「主」に命じられている。
つまり、モーゼは主(バアル)の預言者であり、バアルの受肉(現人神)だったと考えられるのだ。
換言すれば、モーゼも「スサノオ」であった。
つまり、イスラエル民族の宗教である「イスラエル教」は「バアル教」だったのだ。

後に、イスラエル民族は宗教対立によって「2支族」と「10支族」に分裂し、バアル信仰の10支族が消息を経った為、表舞台のイスラエル民族はヤハウェ信仰の2支族の「ユダヤ人」だけとなった。
そしてイスラエル教は、ヤハウェを「主」とする一神教「ユダヤ教」となり、聖書が改竄されたと考えられる。

ユダヤ人は「アロンの子孫」と称しているが、モーゼは葦舟で流された拾われ児だったので、アロンの実弟ではなかったことは明白である。
一方、モーゼは子孫を残さずに昇天(行方不明)したとされているが、日本に渡来していたという説がある。
これは『竹内文書』のことではなく、熊本県の阿蘇山の南にある弊立神宮(日の宮)に伝わる秘宝「五色神面」と呼ばれる5つのお面で、その1つがモーゼの顔を象ったものだという。

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もう1つ、「水の玉」と呼ばれる秘宝があり、ユダヤ人が地中海沿岸で発見したもので、モーゼと共に日本に渡来したユダヤ人たちが弊立神宮に奉納したという。
この奇妙な伝承の真偽は不明だが、ユダヤ人(2支族)がエドム人やフェニキア人と共に、海のシルクロードから日本列島に渡来していたことはほぼ確かな事実で、この2支族のユダヤ人もまた「海人族」であった。
もしかすると、彼らが「熊襲」と呼ばれるようになり、後世に大陸から渡来した2支族のユダヤ人(日向族)と合併し、アイヌ人・エドム人・10支族等で構成される部族と対立していたのかも知れない。
本居宣長や鶴峰戊申は、卑弥呼は熊襲の女酋長だったと考えたが、熊襲の一部が畿内で邪馬台国を開いたというのが真相に近いと思われる。
このような事から、卑弥呼の鬼道はモーゼの「バアル信仰」であったと考えられるのだ。

前述の通り、当時の邪馬台国は沖縄地方の海上に存在した。
即ち、琉球王朝の文化圏であり、邪馬台国の民衆は倭人(海人族)であった。
紀元前から琉球王朝と日向王朝を往来していた日向系の倭人は、琉球古陸の分断と沈没、及び日本列島の位置転換によって、紀元300年頃には沖縄と畿内を中心に定着していたと考えるのは自然な流れである。

アリオンによると、鬼(スサノオ=出雲族)は、日向族によって封印されたという。
定説では、鬼道を使う卑弥呼の邪馬台国は、騎馬民族によって征服されたとされている。
そして、イスラエル10支族が古代オリエントから受け継いだ「バアル信仰」はまさにに、日向族が虐げてきた「鬼」である。

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すると、「卑弥呼」などという侮辱した当て字を使い、「鬼道で衆を惑わす」と書き記した中国人は、日本列島に渡来前の騎馬民族だった可能性がある。
という事は、卑弥呼は「出雲族」だったことになる。
実際に、卑弥呼は「出雲族」の特徴を備え過ぎており、「卑弥呼」という名前も、日向族が編纂した『記紀』から抹消されているのか記録に残されていない。
これは、10支族が信仰していた「バアル」を悪魔にすり替えて聖書を改竄した2支族と、出雲族が信仰する「スサノオ」を悪神として日本史を改竄した日向族とオーバーラップする。

しかし、定説では卑弥呼は「日向族」である。
それは、「邪馬台国=日向説」や「卑弥呼=日向(ヒムカ)」が根拠となっているのだが、果たして真相はどうなのか。
結論から言えば、卑弥呼は「日向族」にカテゴライズされる人物である。
更に、卑弥呼は鬼(牡牛族)であるはずだが、「龍蛇族」に分類される。
そもそも、牛(鬼)であるモーゼも、「青銅の蛇」を掲げている。

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まず、卑弥呼を含む邪馬台国の倭人のルーツが、南方系海人族であることは間違いない。
彼らの中に、マヤ人やインカ人などのネイティブ・アメリカンが混合していたことも、間違いないだろう。
鬼道とは「シャーマニズム」であるとされ、ネイティブ・アメリカンのそれと酷似しており、「言挙げせぬ」卑弥呼はアマ(海人)族の特徴を持っている。
その「鬼道」と呼ばれるシャーマニズムこそ、日本神道が成立する以前の「古神道」であり、ホピ族の「生命の道」との共通点も指摘されている。

『魏志倭人伝』には「倭地温暖、冬夏食生菜」と記されており、邪馬台国は一年を通して温暖な気候で、生菜食をしていたことが分かる。
また、「男子無大小皆黥面文身」とあり、男子は大人も子供も、顔や身体に入れ墨を入れていたという。
これは倭人の特徴で、沖縄や台湾でも最近まで入れ墨の習慣があり、ニューギニアやポリネシア、東南アジアでは現在も入れ墨をする習慣が残っており、メソアメリカにも入れ墨の習慣があった。
これは、海洋民族故に素潜りで漁をする際に、サメやウミヘビを避ける為だと考えられている。
インドネシアのジャワ島やスマトラ島も、『魏志倭人伝』が語る倭国の気候や倭人の風習と全く同じだが、とりわけジャワ島が『邪馬台国』の直接的なルーツになっているようだ。

『邪馬台国』の語源についても様々な説があるが、5世紀、インドへ渡った中国の僧侶・法顕は、『仏国紀』の中で、ジャワ島のことを「耶婆提国」と記している。
これは、サンスクリット語で「大麦の島」を意味する「Yavadvipa」の漢字音訳で、「ヤバダイ・ヤマタイ」と発音される。
東洋史学者・内田吟風氏は、「邪馬台国=耶婆提国(ジャワ説)」を提唱したが、『魏志倭人伝』が語る邪馬台国がジャワ島だとするのは早計である。
ジャワ島は、あくまでも邪馬台国のルーツと考えるべきであろう。
では、卑弥呼の「鬼道」もジャワ島に由来するのだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 01:50| Comment(4) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

ゴーグル型土偶とD&Mピラピッドの謎

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「イスラエル民族」と「ヒッタイト民族」は相対民族で、前者が男性原理、後者が女性原理で陰陽を構成しているという説があるが、「イスラエル民族」と相対的な民族を挙げるなら「エドム人」が相応しい。
ヤコブ(イスラエル)とエドムは双子だったので、それを同一と見なすなら、イスラエル民族に相対するのは「イシュマエル民族=アラブ人」である。
だが、「イスラエル民族」と一括りにする以前に、「10支族」と「2支族」を相対民族と捉えるべきであろう。
また、「ヒッタイト民族」も王位継承の内紛で分裂したことから、「スメラ族」と「反スメラ派(原住民ハッティ?)」が相対民族だと捉えることができる。
そして、ダビデの時代から「ヒッタイト民族」と「イスラエル民族」は深く結び付いており、彼らを別個に考える必要もない。

夢蛇鬼説では、「スメラ族」と「アブラハム族」はシュメールからの枝分かれである。
百歩譲って、「アブラハム族」の中に「エドム人」「イスラエル民族」「イシュマエル民族」を含んで、「アブラハム族」と「ヒッタイト民族」が相対的だったとしても、それ以外にもシュメールから中国大陸やインド亜大陸に移動した部族もいた。

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相対民族を挙げるのであれば、単純に「東洋人」と「西洋人」とするべきである。
または、世界の雛型である日本国を協力して建国する予定だった「出雲族」と「日向族」が、相対的民族の基幹だと言える。
その実体を検証したところ、主体となる構成部族は次のようなものだったという結論が出た。

「ヒッタイトのスメル族+10支族=出雲族」
「反スメル派のヒッタイト+2支族=日向族」


そして、先述の浜本説が「出雲族は世界の王の魂」と主張しているように、『「スメラの魂」は地球生命系の霊的進化の援助のために、地球の創生にも携わった恒星系レベルの普遍意識から直接、もしくは幾つかの恒星系や太陽系内の惑星を経て地球の肉体に化身し、古代のシュメール人の指導にも関わっていた魂のグループである』という説もある。
そこで、シュメール人の指導に関わっていたという「スメラの魂」の正体に迫ってみたい。

まず、「先住出雲族」と「天孫出雲族」が合併した地が青森県でだった可能性がある。
彼らは共に製鉄民であり、スメラ系の部族であった。
そして、青森県津軽平野の亀ヶ丘は、大量の「遮光器土偶」が発掘されたことで有名である。
遮光器土偶は、その形から見て宇宙人だという説があるが、実際はどうなのか。

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土偶の独特な模様は縄文式土器の特徴だが、海人族だった倭人は、恐らく土偶の模様のような刺青をしていたのだろう。
そして、土偶は女性の特徴が強調され、何故か故意に破壊されており、完全体で出土したケースは殆んどないが、まさか身障者の女性を象った人形という訳ではあるまい。

『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』によると、古代の東北地方に「アラハバキ族」という部族がいて、最後まで大和朝に抵抗したことが記されている。
実は、このアラハバキ族なる部族が信仰していた「荒吐神・荒覇吐神(アラハバキノカミ)」こそ、遮光器土偶のモデルなのだ。
遮光器土偶が破壊を目的に造られた理由は、豊穣の儀式の為だったと考えられている。

それは『古事記』に登場する女神「大ゲツヒメ」、『日本書紀』でいう「保食(ウケモチ)の神」が、体中からご馳走を出している所を客神に見られて殺されてしまうが、死後、その体から五穀や桑蚕牛馬を生み出し、人間に与えるというストーリーである。
つまり、「荒吐神」の偶像である「遮光器土偶」は、豊穣の女神「大地母神」の象徴なのだ。
大地の神、即ち地球神は、『日月神示』でいうところの「国常立尊」である。
そして「保食の神」の名は「豊受大神」だが、これは「国常立尊」と同一神だとされている。
「国常立尊」と「豊受大神」については『秀真伝』にも登場するが、この部分に関しては改めて詳述したい。

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「荒吐神」は「豊穣の神」であると同時に、農耕に必要な「金属神」だとされている。
興味深いことに、アラビア語の定冠詞「アル」とヒッタイト語の鉄「パパルキ」を合成したのが「アラハバキ」だという説がある。
また、国常立尊は「龍神」として象徴されるが、荒吐神も「蛇神」とされ、共に神社神道から封殺された神である。

民俗学者の吉野裕子氏によれば、アラハバキは「アラ(顕れる)・ハバ(蛇)・キ(樹)」で、ハバキを抜き取って「アラガミ=荒神(コウジン)」と呼ばれるようになったという。
字義を解釈すると、「生命の樹」に巻き付いた「蛇」が「顕れる」と読める。
これは「荒らぶる神」=「現生る神」である「スサノオ」を彷彿させる。
だが、蛇神ということであれば、「牛族」である「ヒッタイト」や「スサノオ」と敵対関係にあるはずだが、先住出雲族(南方海人族)は「龍蛇族」である。

そのルーツは、インダス文明を築いたシュメール系の「ドラヴィダ人」や、黄河文明を築いたシュメール系中国先住民で、彼らは「龍蛇族」だったとされている。
また後に、フェニキア人が日本に上陸して合流したが、蝦夷がエビス(=エブス人)だとしたら、アラハバキには古代エジプトの「コブラ信仰」の影響も受けていることになる。
つまり、遮光器土偶の蛇のような目は、文字通り「蛇の目」を表現していると言えるだろう。
また、コブラの頭部には一つ目があるが、「一つ目の神」を金属神・鍛冶神とする神話は世界中に見られ、産鉄神である「一本タタラ」も一つ目である。

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メーソンがシンボルにする「ピラミッド・アイ」のルーツ、「ホルスの目」もこれを起源としており、「蛇神信仰」と「太陽信仰」の関連性も窺える。
事実、太陽神である「天照大神=イエス・キリスト」は、伊勢神宮において「蛇神」として祀られている。
また、翼を持つ蛇神「ククルカン」や「ケツァルコアトル」を崇拝するマヤ・アステカ人も、太陽を信仰する「龍蛇族」であった。

シュメールの蛇神信仰は、中国・インド・エジプトに伝播し、それがインドネシアから東南アジア・中南米・日本列島に伝来したのである。
この蛇神信仰と共に「ハイヌヴェレ型神話」が伝承され、東南アジアからアメリカ大陸にまで伝播し、前述の通り「日本神話」にも取り込まれている。
動物や人身の生贄を神に捧げることで豊穣を祈願する儀式は、フェニキアやメソアメリカでも行われていたが、日本に於いては土偶が生贄の代用とされ、それを破壊して栽培地に埋めることを、五穀豊穣の儀式とするようになった。

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面白いことに、マヤのピラミッド内で、ゴーグルを填めた王のミイラが発見されている。
まさか、これが「遮光器土偶」のモデルなのだろうか。
否、ゴーグルをはめた王は、「トラロック」の受肉であることを表現していたに違いない。
トラロックとは、「ケツァルコアトル」や「ククルカン」と共に、メソアメリカで信仰されていた「雨の神」である。
日光と雨の恵みによって植物が育まれることから、トラロックはアラハバキと同じ「豊穣の神」と考えて良いだろう。

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それは単なる雨の神ではなく、同時に「稲妻の神」であるとされる。
つまり、暴風雨の神「スサノオ」であり、カナン神話の「バアル」に相当する。
しかし、その目は「蛇の目」を象徴しているのだ。
話が脱線するので、「龍蛇」と「牡牛」の関係についてはここでは触れない。

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トラロックの直接的なルーツは、インダス文明にあると思われる。
そしてインダス文明の都市であるモヘンジョ・ダロやハラッパ等の古代遺跡からも、大地母神の土偶が数多く出土している。
当然、そのルーツはシュメールにあり、シュメールでも遮光器土偶のプロトタイプ(原型)的な人形が発掘されている。

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それだけではない。
火星でも「ゴーグル型土偶」が撮影されているのだ。
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火星に人面岩「メサイア」とピラミッド群が存在することは有名だが、飛鳥昭雄氏曰く、これはノアの大洪水前の時代、アセンションした預言者エノクによって建設されたという。
だとすれば、火星のゴーグル型土偶は「ムー文明」と無関係ではない。
別の言い方をすれば、遮光器土偶はシュメール文明を更に遡り、ムー文明を継承していることになる。

ムー人は、火星人をモデルに「ゴーグル型土偶」を造ったのだろうか。
或いは、ムー人自体が遮光器土偶のような容姿をしていたのだろうか。
だが、火星で発見された人間の頭蓋骨や、メサイア(人面岩)の存在からしてそれは考えにくい。
もしかすると、エノクをアセンションさせた「天使」の姿だったのかも知れない。
だとすれば、やはり「荒吐神」は、太古の昔から地球生命系の霊的進化を援助してきた生命体(スメラの魂)である可能性がある。

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面白い事に、不思議研究所の森田健氏は体外離脱時に、フォーカス35(5次元)で遮光器土偶に似た存在達を見たという。
また、中国の超能力者・孫儲琳のマスター(指導霊)の中に、目が上下の真ん中で閉じて姿形も遮光器土偶とソックリな異星人(霊的生命体)がいるそうだ。

火星のシドニア地区には、四角錐ピラミッドをはじめ、円錐ピラミッドや五角錐の「D&Mピラミッド」など、底辺の異なる多種多様な超巨大ピラミッドが数多く発見されている。
2007年9月号のムー別冊マンガ付録『中国奥地に眠るペンタゴンピラミッド』(あすかあきお著)によると、D&Mピラミッドと同じ五角錐のペンタゴンピラミッド、通称「ホワイト・ピラミッド」が、中国のチベット自治区と北で隣接する新彊ウイグル自治区で、その存在が確認されているという。

その高さは900メートル、基底の一辺が1350メートルあるとされ、古代エジプト文明や古代中国文明の様式とも異なる。
地元の僧侶によると、それは太古の叡智が秘蔵された建造物で、シャンバラと繋がりがあるらしい。
シャンバラとは地球内天体「アルザル」の事だが、ホワイト・ピラミッドが建造されたのは恐らく「ノアの大洪水」以前のエノクの時代である。
だとしたら、イスラエル10支族とは関係はなく、ムー文明の遺産である可能性もある。

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だが、ムー文明の遺産であるエジプトの3大ピラミッドとは様式が異なる。
エノクを昇天させた天使の正体が「荒吐神」だったと仮定して、荒吐神の正体について5つの可能性を挙げておく。

@火星文明を築いたのは火星人で、それが「荒吐神」だった可能性がある。
A荒吐神が「蛇神」とされる通り、蛇を象徴する「金星」の生命体である可能性もある。
B荒吐神が太陽信仰と結び付いていることから、「太陽」の生命体である可能性もある。
C荒吐神が「ホワイト・ピラミッド」及び「シャンバラ」と関係があるとしたら、アダムの時代以前(約1万3000年前)の次元転換の際に、アセンションしてアルザル(及び宇宙)に移動した元地球人。
D「荒吐神=スメラの魂」と仮定し、且つ「恒星系レベルの普遍意識から直接、もしくは幾つかの恒星系や太陽系内の惑星を経て地球の肉体に化身した」という説が事実だった場合、シリウスから太陽に移住したプラズマ生命体が、地上のスメラ族に受肉した。

或いはもっと遡り、アダムから始まるスメラ族の血統(旧約聖書の歴代の預言者)の指導霊となり、ムー文明を与えた可能性がある。
そして、大洪水後にはシュメール文明を与え、農耕を指導し、その荒吐神の姿を霊視した シュメール人が「大地母神」とした。
尚、火星のボスポロス平原のクレーター内にある人工的な地形と、1936年に撮影されたイランの古代遺跡が酷似していることも指摘されている。

それ以上の事は皆様の想像にお任せする。
posted by 夢蛇鬼 at 19:39| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月31日

出雲族と日向族の対立

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前述の通り、一般的には「国津神は天津神に封印された」とされている。
この見解として、「日本列島の先住民が天孫族に封印された」とする説があるが、これは適切な表現ではないことを説明した。
また、これを「出雲族が日向族に封印された」とする説があり、これも正しいものの「国津神=出雲族」「天津神=日向族」という定義は間違っている。

『国津神』は日本列島の先住海人族(倭人)及び彼らが信仰していた神であり、『天津神』はパミール高原から天降った「出雲族」と「日向族」及び彼らが信仰していた神である。
そして、天孫族である「出雲族」と「日向族」は共に、『国津神』を併合したが、「出雲族」と「日向族」の間で衝突が起きたというのが真相である。
詳細は順を追って述べるが、「出雲族」の中にも「日向族」の血統があり、「日向族」の中にも「出雲族」の血統があることにも注意したい。

さて、出雲族と日向族は、最初に沖縄地方で合流した可能性があると私は見ている。
当時は、東日本列島と西日本列島が分断していたことを思い出して頂きたい。
少し具体的に言えば、東日本列島と西日本列島の接点は、熊毛を含む琉球古陸及びフィリピンだったと思われる。
その倭人(海人族)の文明圏を中心として、「日向族」は九州地方、 「出雲族」は出雲ではなく北海道及び東北地方を拠点にしたと考えられる。
もっとも、先述の通り、日本列島全域に倭人は分布していたのだが……。

「毛人は日向族に抵抗を止めて順応した」とする説があるが、この日向族に服従した「毛人」こそが「熊襲」だったのかも知れない。
加治木義博氏の言うように、「熊毛」が日向族の最初の「高天原王朝」だとすると、その可能性は十分ある。
また、「毛」の付く地域は毛人(エドム人)が定着した地域だったと考えられる。
改めて述べておくが、エドム人はイスラエル民族の兄弟であり、ヒッタイトと融合した民族で、「先住出雲族」として紀元前1000年頃に日本列島に上陸した部族である。

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紀元30年頃の日本列島のデータでは、北海道と東日本列島が西日本列島に急接近しているが、西日本は九州を北とし、東日本列島は青森県を南にしたままだった。
毛人の中でも、日向族と最後まで協定を結ばなかったのが、青森県を拠点にしていた「蝦夷=アイヌ」と呼ばれる部族であろう。
そして彼らは東北地方に広がり、宮城県に王朝を開いた。

『秀真伝』は出雲族系の「大物主櫛甕玉命(オオモノヌシカタマノミコト)」、その子の「大直真根子命(オオタタノコノミコト)」が編纂したと伝えられているが、これを『記紀』に対比させると、『秀真伝』は紀元1世紀頃に編纂されたことになる。
『秀真伝』の特徴は、日本神話の舞台である「高天原」を東北地方(宮城県)の「日高見国」としている点である。
『日本書紀』によれば、「日高見国」は蝦夷の国だとされ、アイヌ語で「ヒタカミ」は「小森林のある所の盆地」という意味を持つ。
やはり蝦夷はアイヌ人であり、南方系の海人族だったことが分かるが、恐らく「出雲族」が彼らを併合し、「出雲族」による日本で最初の「高天原王朝」を築いたものと思われる。

アリオンによると「出雲族」と「日向族」は、「日本で落ち合った後、一致協力して日本を治め、人類の進化と文化の降盛を促す手はずを整えていた」という。

「出雲族」と「日向族」が一致協力して日本を治めることがどれだけ重要なことかは、宗教研究家の浜本末造が答えている。
浜本説によれば、ニギハヤヒ(出雲族)は「世界の王の魂」を持った御尊体で、ニニギ(日向族)はその魂を受肉して世界を治める「現人神」だという。

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ところが、日向族は出雲族との協力を拒み、出雲族が保持する皇位継承の証「十種神宝」の引渡しを要求してきた。
そこで出雲族と日向族が衝突し、日本の歴史の根源的な歪みが生じて、後世にも様々な悪影響を及ぼすようになったらしい。
出雲族と日向族の皇位争奪戦は、ヒッタイト帝国の王位争奪戦を彷彿させる。

また、「いくつかのグループの内、2つのグループが日本に入ってきた」ということは、イスラエル10支族の内の2支族が日本に入ってきたという見方もできる。
超能力ベラのリーディングでも、「失われた10支族の内、2〜3部族が日本に来ている」という。

だが、古代史研究家の水上涼氏が家紋を研究したところ、イスラエル12支族の全てが日本に渡来していることが判明し、著書『ユダヤ人と日本人の秘密』(日本文芸社)の中で詳細に解説している。
とすれば、「出雲族」と「日向族」の対立は、イスラエルの「10支族」と「2支族」の対立とも無関係とは思えない。
イスラエル共和国の再建まで、ユダヤ人は国を持たない放浪の民と言われてきたが、実は古代日本列島に民族移動し、世界で最も古い歴史を持つ「日本」という国の建国者だったのだろうか……。

次は少し路線が外れるが、少しユニークな仮説を発表したいと思う。
posted by 夢蛇鬼 at 05:34| Comment(2) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国津神の先住民王朝と天津神の征服王朝の謎

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天津神とは渡来系民族で「天孫族」を指し、国津神とは先住民である「倭人」を指すというのが通説である。
既に説明した通り、天孫族はパミール高原から天降った「出雲族」と「日向族」であり、それ以前に日本列島に先住していた南方系海人族が「国津神」である。

日本の先住民には、おおよそ次の9種類が存在したとされる。
「隼人(ハヤト)」「熊襲(クマソ)」「肥人(クマビト)」「土蜘蛛(ツチグモ)」「国栖(クズ)」「古志(コシ)」「粛慎(ミチハセ)」「毛人(エミシ)」「蝦夷(エミシ)」

まず、九州の「隼人」と「熊襲」が、同一系統と考える学者は多い。
次に、九州・近畿・東北に居住していた「土蜘蛛」は、土神で「国津神」と同義語だとする見解がある。
「国栖」は、『常陸国風土記』によれば「土蜘蛛」の別称だとされている。
「古志」は「高志」と記されるケースもあるが、『古事記』には、肥の川の上流に「高志の八岐大蛇」がいたとされており、「コシ=肥人」と考えることができる。
「粛慎」は、佐渡島に船に乗って溜まり、魚を食料にしていたとされている。
「蝦夷」と「毛人」もほぼ同じ民族で、アイヌ人だとされている。
以上の事柄を別の角度から、もう一度見てみよう。

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中国の史書『新唐書』に「ソレ東の海峡中二又邪古(ヤコ)、波邪(ハヤ)、多泥(タネ)の三小王有リ」という一説があり、歴史学者の喜田貞吉は、「邪古」は「夜句」(屋久島)、「多泥」は「種子島」、「波邪」は「波邪島」を意味するとし、「隼人」は「波邪島に住む人」だとした。
尚、「波邪」は鹿児島県全域(熊毛地方)を指し、インドネシア系部族だとされている。

古代史評論家の佐治芳彦氏は、「隼人も熊襲も肥人も、広義のインドネシア人、マラヨ・ポリネシア系だった可能性が高い」と述べている。
法史学者の中田薫氏は、「土蜘蛛」はアイヌ語の「トンチ=カムイ(神)」 だとしている。
また、土蜘蛛の異名である「国栖」は、『日本書紀』では「国主」と記されており、先住民王朝の支配階級だった可能性もある。

「コシ」は 東北及び北陸地方を指すが、喜田貞吉博士によれば、千島アイヌの部族名「クシ」と同語だという。
「蝦夷」と「毛人」は共に「エビス」と呼ぶが、佐治芳彦氏はこれもマラヨ・ポリネシア系だとしている。

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また、畿内には「兄宇迦斯(エウカシ)」「弟宇迦斯(オトウカシ)」と呼ばれる人の記録があるが、「ウカシ」はアイヌ語の「長老」のことだという。
そして、地名学の見地から見て、九州の先住民もアイヌ人だと言われている。
大雑把ではあるが、これらをトータル的に検証すると、日本列島の先住民の殆んど全てが「南方系海人族=倭人=アイヌ人」だったことになる。

梅光女子大学教授の国分直一氏も「日本海人族文化説」を提唱しているが、彼らのルーツは主にシュメール系インド人の「ドラヴィダ族」で、蝦夷は「エブス人」、毛人は「エドム人」である可能性が高い。
そして、エブス人やエドム人と共に、カナン系やイスラエル系、エジプト系のフェニキア人(俗に言う海の「ユダヤ商人」)、更にはイシュマエル人(アラブ人)、アフリカ人等が、倭人の航海ルートで日本列島に上陸し、倭人と融合していったようだ。

彼らの中でも派閥や対立はあったであろうが、全体的には調和した生活をしていたと思われる。
そして紀元前3〜2世紀、天孫族がパミール高原から日本列島に降臨した。
一般的に、「天津神が国津神を封印した」と言われているが、これはアバウトに見れば正しいと言えるが、正確とは言えない。
既に明らかになっている通り、出雲族は倭人とほぼ同一民族だが、日向族も先住民を併合しているからだ。
日向族が併合した先住民が「徐福」であれば話の筋は通るが、どうも「倭人」をも巻き込んでいたようなのだ。

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だが日向族は、出雲族と日本で落ち合って協定を結ぶ予定だったので、先住民を統合したのも自然な成り行きだったとも言える。
北川氏の見解によると、「日向族は九州に上陸して先住民を併合していった」という。
九州の先住民とは、「隼人」と「熊襲」である。

ここで、佐治芳彦氏が興味深い指摘をしている。

「……熊襲の祖神は案外、山幸ことホオリノミコト、つまりヒコホホデミノミコトだったかもしれない。
ちなみにヒコホホデミの陵墓と伝えられる日向の高屋山上陵は、鹿児島県姶良郡の溝辺村にあるが、ここは隼人というよりは、熊襲のテリトリーに入る。
とすれば、ヒコホホデミ――ウガヤフキアエズ――カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)と続く日向王朝は熊襲王朝ということになりかねない。
つまり崇神系の景行天皇のとき日本武尊に討たれた熊襲のカワカミタケルこそ神武王朝の嫡統だったのかもしれないのである」

(「日本国成立の謎」日本文芸社)

恐らく日向族は、九州の豪族である「熊襲」を吸収したのである。
その他、日向族に服従した倭人の部族は、全国的にも少なくなかったようである。
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2010年03月30日

失われた琉球王朝と高海原のアマ族の正体

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今までの流れを見ると、出雲族は元々、タジキスタンのクダラを経由して満州や百斉に広がり、その一部は陸路を辿って日本に来たと思われるが、本隊はパミール高原を越えてインドシナ半島から太平洋諸島を渡海し、朝鮮島を経由して日本に渡来した部族ということになる。
そして族長は、スメラミコト(スサの王の血統)である。

出雲族は、インドや東南アジアの島々を経由する際に、渡海手段として南方海人族(倭人)と接触していたことは自然な流れである。
むしろ、出雲族と南方海人族は元々交流を持っていただけではなく、エドム族を祖先とする血を分けた兄弟民族である。
また、海路グループ(出雲族)も陸路グループ(日向族)も「アマ族」だが、アマは「海」だけではなく「天』、つまり「天孫族」を指している。
従って、海路ルートのアマ族は「海人族」と表記するのが適切で、天磐船は「海磐船」となる。

また、海人族が日本列島に渡来したルート(海のシルクロード)も、「高海原(タカアマハラ)」と呼ぶことができる。
そして「タカアマ」とは、南洋マリアナ諸島の「タカ族」と 東南アジア系海人族の「アマ族」の合成語だとする説もある。
尚、ノア一家もまた、大洪水の「高海原」を方舟で漂流し、アララト山系に降臨した天孫民族だったと言えるだろう。
では出雲族は、日本列島のどこに上陸したのだろうか。

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北川氏によると、出雲族は韓国に上陸後、出雲地方に渡ってきたとし、『日本書紀』の記述とも一致する。
だが、それも微妙なところで、日向族と同じく、沖縄地方に上陸した可能性が高い。
まず重要なことは、紀元前3〜2世紀の日本列島が、現在と同じ形・位置だったとは限らないという事である。

これについても様々なシミュレーションによる仮説があるが、私が最も信頼できると思う情報が、飛鳥昭雄氏と三神たける氏の共著『邪馬台国の謎と逆転日本列島』(学研)である。

アメリカ軍は世界中の海底の地質を完全に把握し、プレートテクトニクス理論とプリュームテクトニクス理論を導入し、且つ放射性年代測定を放棄し、高速プレートテクトニクス理論を展開する中で、日本列島の歴史を徹底的に調査しているという。

そして、アメリカの極秘プロジェクトを担う研究所が、飛鳥氏に提供した紀元前3世紀頃の日本列島のデータによると、朝鮮半島は中国大陸と陸続きではなく、朝鮮島の南方に西日本列島があった。

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少し長くなるが、続きは原文を引用したい。

「西日本列島は台湾などの南西諸島とともに、福建省あたりから分離したことが見て取れる。
西日本列島で花開いた弥生文化は、中国の江南地方の文化と共通点が多いといわれるが、なんということはない。
両者は陸続きだったのだ。
これまで、弥生文化は海を隔てて江南から渡ってきたとか、朝鮮半島を経由してきたとかいわれていたが、西日本列島自体が、そもそも江南地方の一部だったのである。
さて、次は東日本列島である。
西日本列島の南にあるのは、地形からいって今のフィリピンである。
驚くことに、フィリピンのすぐ東の沖合いに東日本列島が浮かんでいる。
形状からして、青森県が南になっている。
……(中略)……
はるかオホーツクの北方で中国大陸から分離した東日本列島は、なんと千数百年の間に、一気に南下。
フィリピンあたりにまで移動していたのである。
縄文時代、日本列島は温暖な気候だったというが、なるほど、そういうことだったのだ。
世界的に温暖化が進んだわけではなく、東日本列島自体が南下して、熱帯地方にあったのである。
1996年、バヌアツ共和国のエファテ島で縄文土器の破片が発見され、それが青森県の三内丸山遺跡で作られたものであることが判明したが、その理由も、これなら納得できる。
実は、両者の距離は、かくも近かったのである。
はるばる危険な長い航海をしなくても、すぐに隣の島へ行けたのだ。
おそらく今後、フィリピンやジャワ島から続々と縄文土器が発見されることが予想される。
そして、最後は北海道だ。
東日本列島の東北沖に、北海道とおぼしき陸塊が浮かんでいる。
現在の北海道よりは、二周りは小さい。
地理的に見て、東日本列島と北海道は、ともに南方の島である。
ここに住んでいた縄文人、とくにアイヌ民族は南方系の性質を持っているといわれているが、これはまさしく理にかなっている」


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西日本列島が江南地方の一部だったとすれば、日向族が江南地方から陸路で渡来したのも辻褄が合う。
中国の古文書には、「高天」や「皇天の原」という聖地の名称が登場するが、これが中国大陸における「高天原」だったと考えられる。
ともすれば、それはパミール高原を指していた可能性もある。
中央アジアの真ん中に位置する世界の屋根……パミール高原こそ、高天原と呼ぶに相応しい場所である。

一方、アイヌ人が南方系の性質を持っているのも、東日本列島と北海道が南の島だったことで謎は氷解する。
彼らは、紀元前1000年頃から日本列島に渡来していたドラヴィダ人(シュメール系インド人)や南方系海人族で、中にはエドム人やフェニキア人、ネイティブ・アメリカンと血を分ける部族もいた。

当時、南方にあった東北地方に、縄文文化の痕跡や産鉄神信仰の名残りがあるのはその為である。
日向族は西日本列島の日向地方、出雲族は東日本列島の東北地方に定着したことは、ほぼ間違いないだろう。

問題は「熊毛」である。
「熊毛=クマギヌ=コーオマゲン」であれば、沖縄を含む熊毛地方が日本で最初の高天原という見方ができる。
アメリカの極秘データでは、朝鮮島の南方に中国江南地方と繋がる西日本列島があった。
西日本列島は台湾などの南西諸島とともに、福建省あたりから分離したことが見て取れる。
もしかすると、種子島や屋久島、沖縄諸島も、西日本列島と陸続き、または近隣だった可能性もある。

一方、東日本列島は青森県を南として南下しており、フィリピンの東に位置していた。
東日本列島が南の島だったことから考えて、東日本列島も沖縄と密接に繋がっていたはずである。
当時の沖縄が、青森県とフィリピンの中間に位置していた根拠は、沖縄人とフィリピン人の遺伝子の近さにある。
パプア語と日本語の類似性も指摘されているが、これも海人族によってもたらされたものだと思えば説明がつく。

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また、地質学的には、沖縄諸島は奄美大島、八重山諸島、台湾、中国大陸と弧を描くように繋がっていたと考えられ、これを「琉球古陸」と呼ぶ。
そこにはかつて、琉球王朝が栄えていたが、地殻変動によって、奄美大島、沖縄本島、宮古島と八重山諸島を含む3つの島に分断し、度重なる地殻変動で現在の諸島になったという。
沖縄本島、与那国島、慶良間島周辺の海底で、巨石建造物が多数発見されているのは、琉球王朝の遺跡なのだ。

この地殻変動があったのは約1万2000年前とされ、ムー文明の遺跡だと考える学者が多いが、年代測定法に根本的な問題があるとしたら、正確な年代は不明である。
オコツトによれば、約6500年前の次元転換によって、ムー文明とアトランティス文明が滅亡したという。
それを軸に考えると、6500年前の次元転換とは「ノアの大洪水」を指し、それ以前の地球にはパンゲア大陸と呼ばれる1つの陸塊だけが存在していた。

とすると、「ムー」や「アトランティス」というのは大陸の名前ではなく、パンゲア大陸時代に存在した2つの文明圏を意味すると考えられる。
それはちょうど、現在の「東洋文明」と「西洋文明」のようなもので、ムー文明が東洋文明、アトランティス文明が西洋文明に対応する。
では、琉球王朝の海底遺跡は、6500年前に海底に沈んだムー文明の遺産なのだろうか。
いや、琉球王朝が栄えていたのはもっと後世で、恐らく南方系海人族の産物である。

縄文文化とされる与那国町のトゥグル浜遺跡でも、南方系の石器が発見されている。
インドネシア、ポリネシア、ミクロネシアなどから、黒潮に乗って琉球古陸に上陸した海人族が、与那国島沖に琉球王朝の神殿を建設したのである。
それは早ければ紀元前3000年頃から始まり、もしかすると、紀元前200年近くまで存在していた可能性もある。
そして、熊毛地方や青森県、北海道にも定住した。

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少なくとも、沖縄地方は今でもその名残りを受け継ぎ、東北地方も大きな影響を受けている。
結論、出雲族は沖縄地方から隣接する東北地方に進出した。
それ故、沖縄人とアイヌ人は、出雲族系の末裔といえるだろう。

『秀真伝』でニギハヤヒ(出雲族)が、仙台地方に「日高見高天原王朝」を築いたというのは、あながち荒唐無稽ではない。
そして、鹿島経由(海路)で難波に移動したとされているが、これは紀元前1000年頃に、エブス人が堺市の南港辺りに上陸したコースとほぼ同じである。

さて、アリオンによれば、日向族は日本列島に到着し、原住民を併合していった。
その原住民とは、まさしく「海人族=倭人」である。
ここで、新たなミステリーが生まれることになる。
倭人とは、紀元前1000年頃から日本列島に渡来していたエドム族を含む、いわば「先住出雲族」である。

信じられないかも知れないが、先着の日向族は、先住民である「倭人=海人族=先住出雲族」を併合していたことになる。
が、それはそれで良しとしよう。
その後、日向族は、日向地方へ移動して強大な国家を築き上げたという。
日向の強大な国家……アマテラス……これは邪馬台国の卑弥呼ではないのか。
ここで少し、卑弥呼の謎に迫ってみよう。
posted by 夢蛇鬼 at 18:38| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の高天原と天孫降臨の謎

『記紀』による「天孫降臨神話」では、天照大神の神勅により、邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原から日向国の高千穂の峰に降臨し、これが天皇家の祖先だとされている。
だが、これとは別に、天照大神の神勅により、ニギハヤヒノミコトが天磐船に乗って、河内国(大阪府東部)に天降っている。
アマ族が「パミール高原」から日本列島を目指して出発したのが、日本神話が伝える天孫降臨だと言えよう。
勿論、ここではパミール高原が「高天原」となる。

パミール高原と連なる山脈に天山があるが、パミール高原の「高原」の間に天山の「天」を入れると「高天原」となるのは無理矢理だろうか。
尚、パミール高原と天山山脈に囲まれたキルギス共和国は、日本人のビザ不要の中央アジア屈指の親日国らしい。

そしてキルギスの国旗も、何と太陽である。
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アリオンはこう教えている。
「アマ族は人類の進化を促し、真の繁栄に導くことを目的に、紀元前3〜2世紀にパミール高原を旅立った」

そして、いくつかのアマ族のグループの内、2つのグループが陸路と海路に別れて、最終目的地を日本列島にした。
便宜上、陸路グループを「日向族」、海路グループを「出雲族」と呼ぶが、恐らく、日向族の祖先が「徐福」で、出雲族の祖先が「エドム族」と言えるだろう。

何故、日本列島を最終目的地にしたのか。
国常立尊が、トルコから日本列島に移動したからである。
即ち、ヒッタイト帝国時代、ポールシフトによって地球の霊的磁場の中心が、日本列島に移動したということだ。
「国常立尊」とは何か、「霊的磁場」とは何か……機を改めて解説するが、「マグマ」のことだと解釈してもらえば良い。

アリオンのチャネラー・北川氏も、次のように述べている。
「活火山の多い日本列島こそ、人類の進化と活性化に適した特殊な磁場を持つ地域であるという観測が、当時のアマ族によってなされていたらしい」

ブルガリア政府公認の超能力者ベラ・コチェフスカも、このように言っている。
「日本は地球のヘソのようなもので、宇宙エネルギーを最もストレートに受ける特別な聖地」

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これが神界での出来事であり、それがタイムラグを経て人間界に移写されたのが、天孫族の日本列島渡来だと言えるだろう。
天孫族は現人神であり、神名で呼称されている。
ここで再び『宮下文書』に目を向けると、中央アジアの恐らくパミール高原から、「クニトコタチ」と「クニサヅチ」が率いる集団が、陸・海ルートで富士山を目指して日本列島に上陸した。

最初に到着したのはクニサヅチで、父タカミムスビと共に富士山麓に高天原王朝を築いた。
クニトコタチのグループは、京都府丹波で西日本を治めることになったが、後に富士高天原で合流した。
また、『秀真伝(ホツマツタエ)』によると、ニギハヤヒが仙台地方の『日高見高天原』から鹿島経由(海路)で難波に移り、更に大和のイカルガ峰に天降ったとされている。
そして、ニニキネノミコト(ニニギノミコト)は筑波山麓に降臨した後、富士山麓に移り、その後、筑紫の高千穂の峰に降臨したという。

その他、日本各地に様々な高天原説が存在するが、いずれも天孫族の原郷ではなく、日本列島渡来後の定着地や移動先を指しているようだ。
但し、順番がまちまちでどれが本当なのか分からない。
恐らく、『古史古伝』に記されているルートは、紀元前10世紀頃から断続的に日本列島に上陸して王朝を築いていた、先住民の記録ではないかと思われる。

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北川氏の調査によると、紀元前3〜2世紀にパミール高原を出発したアマ族のうち、先に日本列島に上陸したのが日向族で、パキスタン→ネパール→中国の江南地方を経由して、博多湾沿岸に上陸したようだ。
一方、出雲族は、パキスタン→インド→インドネシア→東南アジアの島々を経由して朝鮮半島に上陸し、壱岐島から出雲地方に上陸したらしい。
この事は『日本書紀』にも記されており、スサノオは高天原を追放される際、新羅国(朝鮮)のソシモリに天降ったが、この地を不服に思い、土の船で海を渡り、出雲国に辿り着いたとされている。

但し、アリオンによれば、出雲族の族長は「スサノオの曾祖父」と「スサノオの父フツ」で、この時スサノオはまだ生まれていなかったようだ。
従って、『日本書紀』でいう「スサノオ」は、出雲族のことだと解釈して良いだろう。
また、ニギハヤヒはスサノオの第5子であり、「ニギハヤヒが高天原から河内国に降臨した」という『秀真伝』の記述は、パミール高原からの天孫降臨の話ではない。

そして、日向族の族長は「イザナギ」と「イザナミ」で、娘に「アマテラス」がいたという。
従って、『記紀』 が伝える「天照大神」は、日向族の「アマテラス」のことではないことになる。
では、日向族と出雲族を天孫降臨させた「天照大神」の正体は一体何者なのか。

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この時代、イエスはまだ誕生していない。
という事は、旧約神「ヤハウェ」のことだとも考えられる。
尚、「スサノオ」は、バアル(スサノオ)の受肉の現人神を意味し、スサノオと呼ばれる人物は過去に何人も存在しているようだ。
歴代のスサの王もそうだが、イエスや王仁三郎も「スサノオ」であった。
バアルはヤハウェと同一神であり、スサノオもまた「天照大神の受肉」だと言えないこともない。
ここで注意すべきは、アマテラスとスサノオは別人であり、イエスでもないということである。

北川氏は、日向族が上陸したのは博多湾沿岸だとしているが、博多湾から上陸して高千穂の峰に高天原王朝を築いたのだろうか。
成立当初の日向国は、鹿児島県も含まれていた。
この真相を探る為には、日向族が編纂した『記紀』を頼りにするのが最も信頼が置けるだろう。

日月神示では「高天原」を「タカアマハラ」と読ませているが、歴史言語学者の加治木義博氏によると、『古事記』では敢えて「コー・オマ・ゲン」と読むように注意書きされているという。
この部分は南九州より南の地域での歴史なので、oとeを除いた三母音の沖縄語で読むと「コー」は「ク」、「オマ」は「マ」で、「ゲン」を「ギヌ」と読むと「クマギヌ」となり、沖縄人であればすぐに「熊毛の」だと分かるそうである。

熊毛(クマゲ)とは、鹿児島県の南の海上にある、種子島と屋久島の離島地域を指す。
従って、日向族は高千穂の峰に降臨する前に、熊毛の島に上陸していたことになる。
現在は、種子島と屋久島のみを熊毛群と呼ぶが、「クマギヌ」が沖縄語だとすれば、奄美諸島や沖縄諸島も含まれていたと考えて良いだろう。
かつて、その辺り一帯に琉球王朝が栄えていたが、果たして、日向族との関係は如何に……。
posted by 夢蛇鬼 at 17:23| Comment(2) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする