2010年05月18日

高句麗建国神話と「アレクサンドロス=山幸彦」の正体

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通説では、古代日本に渡来した騎馬民族は、スキタイ族と合流したイスラエル10支族だったと考えられている。
真相は少しずつ明らかになっていくはずだが、まず、スサノオが朝鮮から追放されたというのは、史実としてどういう意味なのか……。
ここに興味深い話がある。

アレクサンドロスが潜水艦で海中の世界に赴く話と、山幸彦が失くした釣り針を求めて海神の国へ行く話が似ており、更に、山幸彦の別名が神武天皇と同じ「ホホデミ命」である事から、「山幸彦=神武天皇」であることは既に紹介した。
これと同じ構図の逸話が、古代朝鮮の『三国史記』にある。
要約すると、高句麗の始祖「朱蒙」には、長男の「沸流(フル)」と次男の「温祚(オンソ)」の2人の息子がいた。
兄の沸流は海側に国を建てたが、繁栄しないことを恥じて自ら命を絶ったという。
弟の温祚は山側に国を創って繁栄し、それが百済となった。
これは、記紀神話に於ける「海幸彦」と「山幸彦」に対応し、その関係は「沸流=海幸彦」「温祚=山幸彦」となる。

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だが、飛鳥氏は『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』の中で、兄弟の逆転を指摘している。

――騎馬民族説の江上氏も、ここに注目。
「沸流・温祚物語」は「海幸彦・山幸彦物語」の神話的なルーツではないかと指摘している。
確かに、騎馬民族の夫余族が朝鮮半島から日本列島にやってきたとき、この「沸流・温祚物語」を持ち込み、それが南方系の神話の影響を受け、最終的に「海幸彦・山幸彦物語」」となったと考えれば、非常に納得がいく。
しかし、このふたつの物語は、単純に似ている以上に、重要な問題をはらんでいる。
というのは、海に行った人物が、ふたつの物語のなかで逆転しているのである――


何故なら、「海幸彦・山幸彦物語」で海に行ったのは、山幸彦だからである。
つまり、「沸流=山幸彦」なのだ。

『アレクサンドロス=神武天皇=山幸彦=ホホデミ=沸流=スサノオ』

もっとも、アレクサンドロスの名を継承した人物の伝説なので、人物として等式で結ぶのであれば、次のようになる。

『神武天皇=山幸彦=ホホデミ命=沸流=スサノオ』

尚、神武東征神話の原型がアレクサンドロスの東征にあった事を述べたが、歴史学者の三品彰英氏は「高句麗の建国神話」との類似性も指摘している。
だが、「沸流=スサノオ」だとすると、スサノオは朝鮮で死んでいた事になる。

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それについて飛鳥氏は、次のように解説している。

――もし沸流が死んではいなかったとすれば、話は別だ。
密かに生き延びて、日本列島に渡ってきたと、十分考えられる。
いや、実は騎馬民族の習慣から考えると、その可能性が高い。
というのは、騎馬民族の相続は、みな「末子相続」を基本とする。
末子に相続させれば、一代の統治期間が長くなるというメリットがあるからだ……
ひるがえって、沸流と温祚について考えてみよう。
彼らは、夫余系騎馬民族国家「高句麗」の始祖「高朱蒙」の息子である。
王家の人間であるといえる。
だが、そのまま高句麗を継承していないところを見ると、彼らの下には、もうひとり弟がいた可能性がある。
ふたりは高句麗を継承せず、自らの国を作る必要に迫り、朝鮮半島を南下してきたのではないか。
もちろん、これは基本的に神話であって、モデルとなった人間が過去にいたと解釈するのが適当かも知れない――


そう考えると、確かに沸流は死んでいなかった可能性が高い。
勿論、「海幸彦・山幸彦物語」でも、山幸彦は死んではいない。

飛鳥氏の解説は更に核心に迫る。

――歴史的な文献からわかることは、東北アジアから朝鮮半島に入ってきた流浪の民、秦人は、西側の土地を継承。
「辰韓(秦韓)」と「弁韓」を建国した。
が、のちに、もともと朝鮮半島を支配していた西側の「馬韓」をも支配下におき、その中心地「月支国」に王家の都を置いた。
この月支国が辰王の宗家の拠点であった。
沸流・温祚は馬韓を完全に征服し、「百済」を建国した。
一方の兄・沸流は、新天地を求めて月支国から移動。
伝説では仁川あたりとなっているが、ここはまだ月支国の範囲内だ。
よって、彼は、さらに南下。
ついには、朝鮮半島の南端にまで達したのではないだろうか――


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これは『日本書紀』に於ける「スサノオの追放」に符合し、月支国が「高天原」に比定できる。
そして、高天原を追放されたスサノオは新羅の曽尸茂梨に降臨したが、「この地吾欲さず」と言って、土船を造って出雲国に渡った。
出雲国は島根県であり、「根の国」という訳だ。

それが、次の飛鳥氏の話の続きと符合する。

――ここには同じく秦人の国である弁韓がある。
沸流は、これを支配下におき、伽耶を建国した。
これが日本の記紀でいう「任那」である。
辰王「沸流」は、任那に城を構えた。
すなわち、「任那の王」ゆえ、のちに彼は「ミマキイリヒコイニエ」、すなわち「崇神天皇」と呼ばれることになる。
しかし、時代は戦乱の世。
中国大陸はもとより、朝鮮半島情勢も不穏な雲行きになっていた。
そこで、辰王はさらに兵を南に向ける。
海の向こう、日本列島へと辰王は軍団を進める……――


但し、辰韓が「新羅」となり、弁韓が「伽耶」となったので、「新羅」と「伽耶」という違いがある。

これについて、飛鳥氏はこう説明している。

――ここに新羅とあるが、時代的にいって、これは新羅の前身である「辰韓」のことをいとているのだろう。
スサノオ命は、もともと辰韓にいたのである。
そこから移動して、この日本にやってきたのだ。
ここに神武天皇=スサノオ命の朝鮮半島における記憶を見ることができる。
少なくとも、辰韓に神武天皇もしくは、その一族がいたことは間違いない。
新羅=辰韓に神武天皇、もしくはその一族がいたことはわかった。
だが、ずっと辰韓にいたわけではない。
スサノオ命は、その後、出雲へと渡った。
『日本書紀』では、土で作った船で一気に渡来したように記しているが、実際は、そうではないだろう……――


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という事で、月支国を追放されたスサノオは辰韓(新羅)に降臨したが、その地を不服に思い、弁韓に移って伽耶を建国。
しかし、社会情勢の都合で日本列島に渡海したという事らしい。
何故、スサノオが新羅を嫌がったのかは、別の機会に発表したいと思う。
念の為に述べておくが、アリオンのいう「スサノオ」は、朝鮮生まれではなく、後の日本で産声を上げた。
従って、朝鮮から渡来した「スサノオ」の正体は、スサノオの父「フツ」だったことになる。

しかし、『日本書紀』では、スサノオは息子の五十猛尊(イタケル)を連れて出雲に上陸したことになっている。
という事は、朝鮮から来たスサノオは、スサノオの祖父だったのだろうか。
だが、アリオン・メッセージでは、日本に渡来したスサノオ一家の中に、スサノオの祖父が入っていない。
アリオンの話が事実であれば、この『日本書紀』の朝鮮から来た「スサノオ」と「イタケル」は、前者がスサノオの曾祖父、後者がスサノオの父という事になる。

では、沸流(フル)とは一体何者なのか……。
通説では、スサノオの子「ニギハヤヒ」の名前が「フル」だったとされているが、これはニギハヤヒが生まれる以前の朝鮮半島にいた人物である。
また、アリオンによると、ニギハヤヒの名前は「トシ」だという。
仮に、トシの別名が「フル」だったとしても、それは明らかに祖先の名前を受け継いだものである。
そう考えると、アリオンはスサノオの曾祖父の名前までは明かしていないので、スサノオの曾祖父が「フル」だった可能性がある。

或いは、スサノオの祖父が「フル」だった可能性も高い。
日本に渡来したスサノオ一家の中に、スサノオの祖父が入っていないからである。
だとすると、「沸流・温祚物語」の沸流は本当に自殺していた可能性があり、それがスサノオの祖父だったという事も有り得る。
であれば、スサノオの曾祖父が高句麗の始祖「朱蒙」だった事になるが、確証は得られない。
では、スサノオの名前は何だったのだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 12:29| Comment(2) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
非常に難解ですが、必死についていってます。
わたしも神憑りでなければスサノオの正体を学ぼうとも思わないのですが、『フツ』『フル』や
物部、石上神宮などの言霊が脳の深奥で冷たく燃え続けているから使命なのでしょうね。

熊野本宮大社の主祭神は『家津御子大神(スサノオ尊)』となってますね。
Posted by オクト at 2010年05月18日 20:39
熊野本宮大社の主祭神が『家津御子大神=スサノオ尊』というのは貴重な情報ですね!
感謝します^^
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月21日 13:13
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