2010年05月13日

2人の初代天皇とウガヤフキアエズ命の謎

初代天皇「神武天皇」の後に、第2代「綏靖天皇」、第3代「安寧天皇」、第4代「懿徳天皇」、第5代「孝昭天皇」、第6代「孝安天皇」、第7代「孝霊天皇」、第8代「孝元天皇」、第9代「開化天皇」、第10代「崇神天皇」と続くが、崇神天皇の又の名を、「御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)天皇」という。
また、『古事記』では「所知初国之御真木(ハツクニシラスノミマキ)天皇」、『日本書紀』では「御肇国(ハツクニシラス)天皇」と記している。
ハツクニシラスは簡単に言えば、最初に国を開いた「初代天皇」という意味である。

初代天皇といえば「神武天皇」だが、『日本書紀』では神武天皇の事も「始馭天下(ハツクニシラス)天皇」と記されている。
漢字は当て字に過ぎず、初代「神武天皇」と第10代「崇神天皇」は、共に「ハツクニシラス天皇」なのだ。
第2代〜第9代までの天皇に関する記述は極端に少なく、「欠史8代」と呼ばれている。
古代史の定説では、初代〜第9代までの天皇はみな、架空だとされている程だ。

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飛鳥昭雄・三神たける両氏の共著『失われたイスラエル10支族「神武天皇」の謎』には、このように書かれている。

「歴史的な業績のほとんど記されていない第2代〜第9代の天皇は別にして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の業績は、みな崇神天皇の業績である。
とくに、崇神天皇の前半生をもとにして、神武天皇の記述がなされた。
そのため、神武天皇は天皇に即位するまで、一方、崇神天皇は天皇に即位してからの業績が詳細に記されている。
両者を合わせれば、ちょうどひとりの天皇の一生として、きれいにできあがるというわけである。
『神武天皇=ハツクニシラススメラミコト=崇神天皇』
「神武天皇と崇神天皇は同一人物だったのである。
さらに、第2代〜第3代は、神武天皇=崇神天皇の業績の投影。
いってみれば、みな神武天皇=崇神天皇の分身だったのである」


つまり、初代「神武天皇」から第10代「崇神天皇」までの10人は同一人物だった可能性がある。
では、ハツクニシラスノミマキの「ミマキ」とは、何を意味するのだろうか。

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飛鳥氏の同著には次のように解説されている。

――「ミマキ」の「キ」は、『日本書紀』にあるように「城」という意味。
いってみれば、拠点という意味である。問題は「ミマ」である。
江上氏は、これは「任那」の「ミマ」であると考えた。
任那の「那」は、安那や伽那の「那」。国という意味である。
事実上、国の名である「ミマ」を諡号に頂く天皇こそ、任那の大王だったというのだ――


神武天皇の父親の名は「ウガヤフキアエズ命」である。
この「ウガヤ」について、飛鳥氏はこう説明する。

――韓国の学者は、これを「上伽那(ウガヤ)」と解釈する。
上伽那とは、伽那諸国のひとつで、「大伽那」とも称し、もっとも大きな力を誇った国である。
その国の名を冠するウガヤフキアエズ命は、いってみれば上伽那の大王だったことを物語る。
つまり、神武天皇が上伽那にいた、もしくは、その一族の血を引くものであることを示唆しているのである。
とくに、この上伽那こそ、任那であるという説もある。
任那の大王こそ、ミマキイリヒコイニエ、すなわち崇神天皇である。
もし、それが正しければ、まさしくウガヤフキアエズ命=神武天皇=崇神天皇という等式がきれいに適用できる――


但し、ウガヤフキアエズが「上伽那の大王」という肩書きである以上、神武天皇=崇神天皇の父親も、かつては「ウガヤフキアエズ」だった事は間違いない。
事実、『上記』『九鬼文書』『竹内文書』では、ウガヤ朝は七十三代続き、七十三代目が神武天皇だったとしている。
尚、崇神天皇の皇后は「御間城姫(ミマキヒメ)」という名前だが、やはり「任城の姫」という肩書きだと分かる。
posted by 夢蛇鬼 at 05:27| Comment(6) | 伝説の世界天皇と王位争奪戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
欠史八代という響きに妙に何かを感じてしまいます。
今朝この記事を拝読してから古事記をめくってみました。
神武天皇―綏靖天皇
     安寧天皇
     懿徳天皇
     孝昭天皇
     孝安天皇
     孝霊天皇
     孝元天皇
     開化天皇―崇神天皇
神武天皇=崇神天皇という観点から古事記を読むと、ウガヤフキアエズ=開化天皇とも言えるのでしょうか。
孝霊→孝元→開化天皇と段が進むほど中味が濃くなっています。
開化天皇の段では、丹波氏族や息長氏の名称も登場します。
Posted by オクト at 2010年05月13日 16:42
欠史八代は爆弾ですね!
何故なら、神武と崇神を同一人物だと思わせる為の政略だからです。
崇神こそが神武になりかわった人物で、神武(ニギハヤヒ)抹殺のキーパーソンだからです。
そして、騎馬民族征服王朝説は根本的にとんでもない大きな間違いを犯しています。
このブログ記事はサスペンス的なストーリー性になっているので、流れだけを楽しんで下さい^^
最後に「記紀仕掛け」の陰謀が白日のもとに曝されます。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月14日 03:09
なるほど。
わかりました。
犯人は最後の最後に暴かれるわけですね。
では、わたしを助手にしてください^^;
Posted by オクト at 2010年05月14日 08:03
相手は怖いので、小出しにして様子を見ながら展開していきます^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月15日 18:27
欠史八代は欠史ではなく実在する。物部、蘇我、葛城鴨などの血脈の天皇の事である。これを嫌った藤原が抹消した。神武、崇神、応神は、同じではない。それぞれが存在する。多次元同時存在の法則は人間には使えない。それを知っている飛鳥は、わざと使っている。神武が支配したのは九州の邪馬台国。即ち物部王国。やがて畿内の邪馬台国と対立した。畿内の邪馬台国も物部王国。これも天皇家が支配し、物部は国の支配権を失う。この時点で天照は、卑弥呼とニギハヤヒが入れ替わる。
Posted by 金鷹 at 2011年09月15日 22:14
金鷹さん、以下の部分に異論があります。

>神武が支配したのは九州の邪馬台国。
即ち物部王国。
やがて畿内の邪馬台国と対立した。
畿内の邪馬台国も物部王国。

神武(イワレヒコ)は北九州の邪馬台国の王だったことは間違いないと思います。
しかし、それは物部王国ではないと思います。
何故なら、北九州の物部氏は、出雲から勢力を拡大してきた連中だからです。
出雲族のスサノオ自身も邪馬台国(日向国)で定住していた時期もあったようです。

>やがて畿内の邪馬台国と対立した。
畿内の邪馬台国も物部王国。

これは、畿内にはもともと日向族の親戚のナガスネヒコが王国を築いていました。
これを三輪王朝と呼ぶか、その他の名称で呼ぶかは人それぞれですが、やがてスサノオの継承者のニギハヤヒが畿内に遷都してナガスネヒコの妹と結婚して王朝を開きました。
これを「大和王国」と呼ぶかどうかは人それぞれですが・・・。

しかし、ニギハヤヒの末子は女子(イスケヨリヒメ)でした。
末子継承が掟の為、日向国のイワレヒコを養子に迎えたそうです。
ところが、ナガスネヒコが猛反対してイワレヒコの畿内入りを阻止したらしいです。

欠史8代の天皇は全て日向系、皇后は出雲系でしたが、崇神以降は日向族で固められていったようです。
Posted by 夢蛇鬼 at 2011年09月17日 22:40
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