2010年05月03日

ギリシア人とイスラエル人の融合と「日本トルコ同祖論」の謎

「アマテラス」と「スサノオ」の祖先がギリシア人だったとすると、日本の天皇家はイスラエル民族ではなかったことになる。
残念ながら、「日ユ同祖論」は或る種の熱狂的暴論だったのだ。
しかし、全く無関係かと言えばそうではない。
「イスラエル人『卑弥呼』と白人『イエス・キリスト』の謎」で書いたので重複するが、紀元前722年、イスラエル10支族はアッシリア帝国の捕虜として拉致され、アッシリアを敵とするスキタイによって解放された。
ギリシアにはヒッタイトの末裔が浸透しており、ギリシア起源のスキタイ騎馬民族はヒッタイト民族の末裔である。
元々、イスラエル民族はヘテ(ヒッタイト)人を敬い、ダビデの時代から混血も少なくなかった。
それ故、イスラエル民族は騎馬民族でもある。

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飛鳥昭雄+三神たける著『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎』 でも、次のようにある。
「スキタイの発祥は黒海周辺だといわれており、民族的にはアーリア系で、ギリシア系の文化をもっていたことが分かっている。
が、騎馬軍団で遠い国まで遠征すれば、当然ながら多民族との交わりが多くなり、文化や習俗はもちろん、血縁的関係も深くなった。
失われたイスラエル10支族と接触があれば、間違いなく、彼らと合流したはずだ」


そして、アフガニスタンのパターン人(パトゥシュン人)、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、ミナシェ族、中国のチャンミン族なども、失われたイスラエル10支族の血を引いていることが明らかになっている。
イザナミの出身地とされるアフガニスタンやインドにも、イスラエル10支族の子孫が実在している事は注目に価する。
また、インドと中国を結ぶルートにパミール高原と天山があるが、天山を隔てた西のカザフスタン人のDNAは、日本人のそれと90%同じである。

紀元前2000〜1500年、今日のカザフスタン付近に、鉄器文化を持ったインド・ヨーロッパ語族が進出してきた。
彼らは「アーリア人=高貴な人」を名乗り、年代的に見ても「ヒッタイト人」である事は間違いない。
アフガニスタン北部のバクトリアは元々、アッシリアが分裂して出来た4王国の1つであるメディア王国の一部で、ゾロアスター生誕の地でもある。

その後、紀元前518年、アケメネス朝ペルシアに制服され、ペルシア帝国の一部となった。
メディアの部族のいくつかはスキタイの部族名とも一致し、北イスラエル王朝滅亡後、失われた10支族とスキタイが合流した経緯も納得できる。
尚、ペルシア神話(ゾロアスター教)はインド神話に大きな影響を与え、ゾロアスター教の善神アフラ・マヅダの正体は「アリオン」だという。

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紀元前597年、南ユダ王国のユダヤ人がバビロニアに滅ぼされ、スペインに亡命したが、一部はバビロンに捕虜として連れ去られ、後にペルシア(スキタイ)によって解放された。
紀元前334年、マケドニアのアレクサンドロスがペルシア軍を壊滅させ、この時にアレクサンドロスの軍に大勢のユダヤ人が参加し、秦の支配者となったらしい。
夢蛇鬼説では、マケドニアもペルシアもヒッタイトの末裔である。
マケドニアは、同じギリシア系民族であるアテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握った事から考えて、同族のペルシアに侵攻した事は不思議ではない。

そして紀元前37年、エルサレムがヘロデ王に征服され、この頃に高句麗が成立しており、ユダヤ人が高句麗の建国に関与したのではないかと睨んでいた。
高句麗人はカリエン人・バビロン人だが、「ユダヤ人」も含まれていたからだ。
何故なら、前述の通り、紀元前597年に南ユダ王国のユダヤ人がバビロンの捕虜となり、そのままバビロン人と同化したユダヤ人もいたはずだからである。
では、高句麗のカリエン人の子孫であるミャンマーのカレン人が、「イスラエル10支族」の血を引いているのはどういう事なのか。

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「三国史記と失われたイスラエル10支族の謎」で詳述したが、元々、半島北部から満州地方にあった高句麗の始祖・朱蒙(温祚の父)は「扶余族」だが、 「夫余族」の始祖の名は「解夫婁(ヘブル)」といい、ヘブルとは「ヘブライ」のことである。
「扶余族」は北東アジアを席巻していた騎馬民族で、 「タタール人=ヒッタイト人」だとすれば、扶余族は「ヒッタイト+イスラエル10支族」のハイブリッド民族である可能性が濃厚となる。

また、インド・アフガニスタン・イラクに隣接する「トルキスタン」も、元々はアーリア系の国家で、北方のカザフスタン同様にヒッタイト民族の流入があったと考えられる。
トルキスタンは「テュルク人(トルコ人)の国」という意味で、7世紀頃からトルコ系ウイグル族の進入があった。

一方、トルコ共和国はかつてヒッタイト帝国が栄えた地に存在するが、トルコ人は隣国のギリシア人やフランス人、スペイン人等との混血を除いて、自分たちのルーツが中央アジアの騎馬民族であり、それが西方へ移動してトルコ人になったと信じている。
つまり、それは古代トルキスタン人(ヒッタイト人)であり、トルコ人はヒッタイト人の郷帰り民族だと考えられる。
更に彼らは、中央アジアの騎馬民族が東方へ行ったのが日本人だと信じており、かなりの親日国であるらしい。
実際に、純正のトルコ人の顔は、戦前の日本人と良く似ていると言われている。
ここに「日本トルコ同祖論」の仮説が成立する。

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そして、中央アジアの騎馬民族が「ヒッタイト+イスラエル10支族」であるなら、トルコ人にもイスラエル10支族の血が流れている事になる。
「日ユ同祖論」というよりも、日本人とトルコ人が同じ祖先を持っているとした方が的確である。
トルコ人がギリシア人やスペイン人との混血があったとしても、ギリシア人にもヒッタイトの血が流れており、多くのスペイン人にもユダヤ人の血が流れている。

また、日本人同様、トルコ人にもインド人の血が流れていると思われる。
古代トルキスタンはシルクロードの要所として発達し、古代ギリシア・ローマ文化や仏教、イスラム教などが交錯した。
そして、「トルコ共和国」「東トルキスタン共和国」の国旗はインドの国旗と同じく、三日月と星が描かれている。
アリオンの預言者の北川氏によれば、三日月は「日向族」、星は「出雲族」のシンボルらしい。

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卑弥呼の祭政形態である鬼道が、太陽神アポローンに仕える「ピューティア」と呼ばれるギリシアの巫女の特徴を備えている事を紹介したが、以前述べた通り、これはモーゼの祭政形態にも共通する。
そして、卑弥呼は牛(ツルカルナイン=角がある人)であると同時に、蛇(ヤマタノオロチ)でもあった。

モーゼは牛神「バアル」を崇拝し、黄金の子牛を祀っていた。
サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーゼ像に角が生えており、ギュスターヴ・ドレの聖画でもモーゼの頭に角が描かれている。
モーゼが「牡牛族」だったことは疑う余地がないが、蛇に変身する魔法の杖や、旗竿に絡む青銅の蛇を持っていた。

これは、2匹の蛇が絡み付くヘルメスの杖と符合するだけではなく、ギリシア神話の太陽神アポローンの息子アスクレピオスが持っている杖にも蛇が巻き付いている。
その他、ローマ神話のアイスクラピウス、フェニキアやカルタゴで信仰されたエシュムーンも、蛇が巻き付いた杖を持っている。
それらの原型は、シュメール及びバビロニア神話の冥府の神ニンギッジドゥが持つ杖で、やはり蛇が巻き付いている。
そしてニンギッジドゥは、「角のある蛇」を従えている。

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『竹内文書』には、モーゼが来日した事が記されているが、熊本県の弊立神社の秘宝「モーゼのお面」、モーゼと共に渡来したユダヤ人一行が奉納したとされる「水の玉」の存在を考えると、卑弥呼の鬼道とモーゼの関連性は否定できない。
モーゼが来日したかどうかは兎も角、地中海からフェニキア人やエドム人、そしてイスラエル人などが渡来していた事は間違いないだろう。
『出雲風土記』の「因幡の白兎」の神話が、マレー半島の「鹿とワニの民話」に酷似しているが、その中に「ソロモン王」が登場することも鹿兎(シカト)できない。

明治の歴史学者・吉田東五は、
「卑弥呼の城跡は、隼人城の北の姫城村にある」と主張した。
同じく、明治の那珂通世も次のように述べている。
「卑弥呼は熊襲の女酋で、北九州の国々まで威令を奉じた。
女王之所都は曽於郡水郷に姫木城があったと伝えられており、姫木は姫の城で、女王に関係のある地名だろう」


加治木氏はこのように述べている。
「幕末の歴史学者に鶴峯
彼も卑弥呼の邪馬臺国は姫木だといった。
その地域は、いまは隼人町と国分市に分割され、現地に行ってみると想像以上に広大で、その中央に姫木山が急峻な絶壁に囲まれて聳えている。
その姿はモーゼが十戒を授かったというシナイ山によく似ていて、いかにも別世界の仙境を思わせる山城跡である」

(黄金の女王・卑弥呼)

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京都の祇園祭は7月17日に行われるが、同日、イスラエルではシオン祭が行われる。
だが、加治木は次のように主張している。

――大掛かりな設備で知られる祇園祭の「山鉾」や「山笠」や「山車」などは皆、ジンドゥの行事なのである。
それは北はネパールから南はマレーシア、バリ島に至るまで、ジンドゥ教徒のすむ地域で、すべて見られる祭り行事であり、日本のそれとまったく同じだといっていい。
ここで注意していただきたいのは、日本のその行事には、すべて「山」という名が文字の形でついていることである。
この山は「ヤマ」すなわちシバを表しているのである。
シバを日本では「ヤマ」として信仰していたことがわかる――


祇園祭はイスラエルがルーツなのか、インドがルーツなのか……。
恐らく真相はこうだ。
天孫族(日向族+出雲族)はギリシア系インド人だが、「ギリシア系」とはアレクサンドロス率いる騎馬民族「スキタイ」であり、その中には多くのイスラエル民族が混ざっていた。
それ故、天孫族によって「インド」「ギリシア」「イスラエル(ユダヤ)」等の古代オリエントの宗教要素や文化・言語が、日本に流入したのだろう。

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尚、「山」について加治木氏の説明を紹介しておきたい。
@シュメールでは「山」を崇拝する伝統からジグラット=巨塔を神体とした。
この宗教をバビロンの滅亡後、日本列島へもちこんだのが「カリエン」人たちで、彼等が神と、その継承者を「シュメール=スメラ」「王=キ」=「スメラギ」と呼び、バビロンのアキツゥの祭り(正月)が「秋津島」の語源になって、神話の古代国名を生んだのである。

Aシュメールがスメラになったのは、それが日本へくる前にインドに入って「ヒマラヤ」を「スメラ山」と呼んだからであるが、そこでスメラはさらに多くの方言によって、「スベラ」から「スバラ=素晴らしいの語源」「スバ・スワ・シバ・ジマ・ジャマ・ヤマ」などと訛り、その主神を「シバ・ヤマ」神とするシンドゥ教の一派「シバ派」になった。

Bそれより前、バビロンに倒されたシュメール人たちは、中国に入って「周」と呼ばれ、殷人の帝国・商を倒して天下を取ったが、以後、「山」を崇拝する伝統が中国各地の名山崇拝となり、それを台湾を「ホーライ=ギリシャ神話の季節の女神」と呼ぶギリシャ系中国人・徐福らの「方士」が受け継いで「道教」の体系を整えた。

Cこれが秦の始皇帝のとき、徐福が日本に「ヤマ教」としてもちこんだもので、それは本来「オリンパス山」を神の住いとするギリシャ宗教につながる山岳宗教だから「ヤマ」で、種子ガ島・南種子町の「広田海岸遺跡」から発見された「貝製装身具」に漢字の「山」と、ギリシャ文字の「アイ・クマ」とが書かれているのは、このためなのである。

Dこの地域には、さらに古くからインド語や、マレー語を話す人々が定住していたし、往来していた。
それは土器などの共通性と貝製腕輪などの出土品、それに今も大量に日本語の中に残っているマレー語やパーリ語やヒンドスタニーの単語が証拠であるし、『記・紀』の神名や人名もまた動かない証拠群を形づくっている。


これらを融合したものを導入し、最大勢力に発展したのが「アショカ仏教」だという。
そして、「スメラミコト」はヘブライ語で「サマリアの王」だと言われいる。
「サマリア」とは、10支族が住んでいた北イスラエル王朝の首都である。
更に興味深い事に、4世紀頃のトルコで「スメラ修道院」というギリシア正教会(現在は廃墟)が建立されている。
posted by 夢蛇鬼 at 03:25| Comment(2) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
閣下、ブラボー!!
ポイントはアショカ仏教を押さえることですね?
非常に難解ですが、すっきりしてきた気がします。
ずっと拝読していて、騎馬民族と海洋民族から『坂の上の雲』を連想しました。
兄の秋山好古が陸軍で騎馬隊を率い、弟の真之は日本海軍を補佐した。
象徴的な兄弟ですね。
Posted by オクト at 2010年05月03日 22:17
天皇家はアショカ仏教vs大陸仏教の歴史のようですね。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月04日 00:44
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