2010年05月02日

「アレクサンドロスとアショカ王」の謎と「秦始皇帝と卑弥呼」の秘密

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紀元前327年、アレクサンドロスがマカダ国のナンダ朝を滅ぼした。
その時、チャンドラグプタがアレクサンドロスに気に入られ、紀元前322年に、マウルヤ(孔雀)朝の初代王に即位したという逸話があり、チャンドラグプタは、ギリシア人の史料に「サンドロコットス」の名で記録されている。

マウルヤ朝は、アレクサンドロスの死後、後継者争いの後に誕生したギリシア系の国々、ペルシア、バビロニア、エジプト等との国交が盛んだった事が、アショカ王塔や新ペルシア帝国の記録に残されている。
そして、新ペルシア帝国のセレウコス皇帝は、王女をチャンドラグプタと結婚させ、義理の親子となった。
つまり、マカダ国の3代目の王であるアショカの祖母は、ペルシア人(ギリシア人)だったのだ。

「彼が、世界に広めようとしていたアショカ仏教は、単にシャカ族の王族であった釈迦の教義というよりは、もっとギリシア色の濃いもので、エジプトやバビロンの宗教哲学も取り入れた一大総合宗教だったのである」
(黄金の女王・卑弥呼)

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尚、デリーの鉄柱「アショカ・ピラー」は、チャンドラグプタ2世、即ち、アショカ王の父・ビンドゥサーラが建立したという説もある。
詳細は「イスラエル人『卑弥呼』と白人『イエス・キリスト』の謎」を読み直して頂きたいが、ギリシアにはヒッタイト人の末裔が浸透していた。

紀元前4世紀後半には、ギリシア人国家「マケドニア」のアレクサンドロス大王が、アケメネス朝ペルシャを征服後、パミール高原以西までを征服し、インド・ヨーロッパ・アフリカ・アジアを征服し、ギリシア人及びギリシア文化を流入した。
パミール高原やパキスタンに浸透しているフンザ人もペルシア系で、アレクサンドロス遠征軍「スキタイ」の末裔だと言われている。
もっと言えば、釈迦が誕生する以前から、ユーラシア大陸からインド亜大陸までをスキタイが席巻し、釈迦はそのスキタイ(中国語でサカ族)の王子として誕生した。

紀元前518年頃、現在のアフガニスタンの位置にあったメディア王国が、アケメネス朝ペルシアに征服されてペルシア帝国の一部となったが、紀元前328年頃、アレクサンドロスに征服され、アレクサンドロス率いるギリシア人が在留した。
『竹内文書』の「イザナミ・アフガニスタン出身説」も、卑弥呼がギリシア系の血統だったことを証明している。
的確に言えば、それはバクトリアだった可能性が高い。
紀元前256年頃、アレクサンドロスの後継者「ディオドトス」が反乱を起こし、アフガニスタン北部にギリシア政権「バクトリア王国」を建国。
バクトリアのギリシア人は、インドにおいても宗主権を行使した。

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「アレクサンドロスと秦始皇帝の謎」で詳述したが、バクトリア王国は仏典で「大秦」と記され、秦(ハタ)は「幡」に通じ、神功皇后の子「八幡」に繋がる。
中国の「秦」は大秦(バクトリア王国)の植民地で、金髪碧眼だったという伝説を持つ秦始皇帝の正体が「ディオドトス」だった可能性が高い事は既に述べた通りである。
そして、始皇帝陵から出土した「兵馬俑」は「ペルシア軍=スキタイ」で、殉死の生贄を埴輪で代用している。

これは、殉死を禁止した垂仁天皇を思い出させ、また、マグモニーグルの透視で判明した卑弥呼の墓と共通する。
つまり、卑弥呼の部族はこの風習を受け継いでいたのである。
更に言えば、卑弥呼は秦始皇帝(ディオドトス)の子孫だった可能性もある。
何故なら、ディオドトスはアテネ人だったからである。

また、ゾロアスター教の開祖ゾロアスター(ザラスシュトラ)はバクトリアの王だったという伝説があるが、ピタゴラスはゾロアスターの弟子だったと言われている。
そして、ピタゴラス学派の考え方は、プラトン哲学及びギリシア思想の主流となった。
紀元前343年には、プラトンの弟子アリストテレスがアレクサンドロスの家庭教師となったが、この流れを見ていくと、アショカ仏教には「ゾロアスター教」や「ギリシア神話」の思想も流れていた事は想像に難しくない。

そこで木村鷹太郎氏が、「アラシト」を「アリストテレス」に比定していた事は興味深い。
そして、ゾロアスター教は「拝火教」と和訳されているが、 「火は日」「水は月」であり、ヒミコを「火見子・火巫女・火神子」等と当て字する事も出来る。

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鬼道のギリシア色側面について、加治木氏はこのように述べている。

――ヒミコはなぜ宮殿の奥深くにいて人に会わなかったのか?
なぜ、ただ一人の男子だけが、その言葉を伝えたのか?
その理由がはっきり分かる。
それはギリシャで太陽神アポローンに使えた「ピューティアと呼ばれる巫女」の特徴を全部備えているからである……
古代ギリシャのデルプォイ神殿の背後にある洞窟や、イオニアのディディマの神殿の奥深くに、そのピューティアはいて、岩の裂け目などで湯を沸かし、その音から神の言葉を聞き取って、男性の神官(日本ではサニワという)にそれを伝える。
神官はそれをまた解釈して信者に解説して伝える。
ヒミコの場合と全く同じだし、後世の天皇も、直接だれとも会わず、自分は御簾の中にいて、会いに来たもののコトバは、大中小の「納言」という役人がそれを取り次ぎ、天皇のコトバもまた彼らが取り次ぐという特殊な制度になっていた。
これもまた、ヒミコの場合と全く同じで、それがギリシャ起源のものであることを証明している――


「アマテラス」と「スサノオ」の祖先は、ギリシア人だったのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 01:11| Comment(7) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
3年前、マーチン・バナールの『ブラック・アテナ』という¥6,500の本を買ったのですが、その帯には、

「古代ギリシアは非西欧中心の混成文明によって発展した」
西欧近代が捏造した偽「正統世界史」を修正
人種主義・科学万能主義に基づく西欧学芸精神と正面から対峙し、世界の論壇に大衝撃を与えた「ブラック・アテナ論争」の出発点

とあります。副題は
「古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ」

わたしも神仙組の引力圏にあったのか、古代史の何かに引っかかっていましたね。
この4年で、たくさんの本を購入したのですが、どの本も読破できないまま閣下の執筆に委ねています。
何かを知ろうとする衝動はあるのですが、それが何かが分からない・・・
しかしそれは閣下が取り組んでおられることなのだとの直観はあります。
Posted by オクト at 2010年05月02日 21:38
僕は本当は歴史に興味はないのですが、善悪逆転論を色んな角度から証明する手段の1つとして、古代史に手を染めてしまいました。
好きではないはずなのに夢にまで出てくるほどドップリ浸かってしまって・・・
使命なんだと思います。
その過程で○氏の欺瞞を暴いてしまいました。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月03日 03:31
アレクサンドロスはナンダ朝マガダを征服などしていません。マガダの支配領域に入るまでもなく、インダス川まで行ったところで兵士のストライキにあって撤退しています。

チャンドラグプタがアレクサンドロスと出会った確証はありませんし、マウリヤ朝の建設とアレクサンドロスには直接の関わりはありません。
当時の状況からして二人がどこかで遭遇した可能性は否定できませんが、この出会いをはっきり記しているのは信頼性の低いプルタルコスの伝記集のみ。
インド側の史料には、そもそもアレクサンドロスの侵入自体が一切言及されていません。
チャンドラグプタはアレクサンドロスの死後に自分で反乱を起こしてマガダを征服しただけです。

岩波文庫や東海大学から邦訳が出ている原典史料を読めとは言いませんが、せめてWikipediaぐらい見てください。

そしてセレウコスとチャンドラグプタが同盟を結び、ビンドゥサーラの後宮にセレウコスの娘が入ったのは事実ですが、それがアショーカの母という証拠もありません。むしろインドの記録ではアショーカの生母はマトゥラーの大商人の娘とされています。
またセレウコスは当時に珍しく愛人の影が見えにくい君主ですが、彼の妃のアパメはソグドの支配者スピタメネスの娘なので、セレウコスの娘はすでに半分中央アジア人です。

ついでながら、セレウコスを皇帝と呼ぶことは通常ありえません。
Posted by マジにツッコムのも無粋ですが at 2011年01月30日 02:03
きりがないので書きませんが、歴史畑の人間としては、ちょっと確認すればわかる程度の初歩的な事実誤認が大半を占めるということを指摘したいです。

仮説をとなえるなら、根拠の真偽はちゃんと確認してください。

スキタイは北方遊牧民でアレクサンドロスの部下なんぞじゃありません。
ビンドゥサーラはビンドゥサーラであり、チャンドラグプタ2世なんていいません。
(グプタ朝と混同していそうです)

ほかにもいろいろです。
Posted by マジにツッコムのも無粋ですが at 2011年01月30日 02:08
マジにツッコムのも無粋ですがさんの仰っていることは基礎知識として存じていますが、私は歴史クラッシャーである事を御理解下さい。
記録されている歴史が絶対的な事実だとは思っていません。
様々な分野で歴史を研究している学派も、それぞれが異なる仮説を提唱しています。
私はそれらを否定も肯定もせずに総合的に検証して、自分なりの仮説を構築しているだけです。
従って、歴史畑の方にはこのブログの内容がトンデモ説だと思われるのは当然だと思っています。
スキタイ自体がアレクサンドロスの部下ではない事も百も承知です。
しかし、ガド族系のスキタイ一派がアレクサンドロス軍に加勢した可能性の根拠なども述べてきたつもりです。
Posted by 夢蛇鬼 at 2011年02月03日 20:57
仰天!!

「龍」とは
藤の木=不死の木=富士の木

だった!!

みんなで見よう!!

知り合いに分けてあげようこの感動!!

http://blog.livedoor.jp/shig1/
Posted by shig at 2012年01月01日 16:02
shigさん、はじめまして。

古代出雲王国−スサノオの光と影−56 阿倍野の真実 
http://blog.livedoor.jp/shig1/archives/737028.html
以前、大変、興味深く拝読させてもらいました。^^

藤の木=まさしく龍ですね!!
Posted by 越楠公 at 2012年01月16日 19:23
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