2010年05月01日

アショカ王の「カースト仏教」と鉄柱オーパーツの謎

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紀元前317年頃、インドで栄えたマガダ国にマウリヤ朝が興り、3代目のアショカ王(在位:紀元前268年-232年)時代に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一したとされる。
「アショカ王暴君説」もあるが、それが事実なら、スサノオよろしく「荒らぶる王」だったことになる。
だが、それを証明する歴史的資料はなく、暴君説は後世の創作とする意見もある。
いずれにしても、アショカ王の石柱には、パーリ語やギリシャ語で様々な文章が刻まれており、「上座部仏教」を支持していたらしい事が分かっている。

上座部仏教は「小乗仏教」とも呼ばれているが、これは大乗仏教に対する蔑称であり、世界仏教徒会議で「小乗仏教」という呼称を使用しないことが決議されている。
また、上座部仏教はアショカ王の時代に、スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)などの東南アジアに伝播した為、「南伝仏教」とも呼ばれる。

釈迦は重要ではない戒律の変更を認めていたが、釈迦の死後、戒律の変更を支持する大衆派と、保守派の上座部の「根本分裂」が起こり、更に枝葉分裂が起きて「部派仏教」の時代に入った。
その中で最も大きな勢力を誇ったのが「説一切有部」で、大乗仏教が主な論敵としたのはこの「説一切有部」だった。
その後、大乗仏教は他の部派仏教を吸収する形で北インドから東アジアに広がったが、説一切有部の分派であるスリランカの一派がこれに対抗し、再び「上座部」の名称を用いたことで部派仏教が終焉を迎え、仏教は「大乗」と「上座部」に二分された。

現在の「上座部」は、この部派仏教の一宗派の教えを起源としており、根本分裂の頃の「上座部」とは異なるという指摘がある。
上座部仏教では、釈迦の教えを純粋に守り伝えてきたとされるが、大乗仏教の経典に残る部派仏教の教えや、パキスタンで発見された別の部派仏教の教典と、上座部のパーリ教典の相違からも確認されている。
要は、現在の「上座部」はアショカ王の時代のそれとは同一とは呼べないが、仏教は大別して「大乗仏教」と「上座部仏教」があるという事だ。
本来の上座部仏教は、釈迦が定めた教義と戒律、智慧と慈悲の実践、即ち「根本分裂」以前の「初期仏教」を根幹に据えていた。

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【上座部の教義】では、輪廻を繰り返す生は苦しみであり、その原因は心の執着(貪瞋癡)である。
心の執着を断ち、輪廻を解脱する方法が「教典の学習」「戒律の厳守」「瞑想修行」だとしている。
確かにこれは、初期仏教の経典「阿含教」の真髄と一致する。
大乗仏教はこれを、「自己の修行により自分だけが救われる小乗仏教」と呼んだのである。
私の個人的意見だが、自己を救えない者が他者を救うことは出来ず、その自己を救済する方法が「上座部」であるなら、それを広めることで各々が自分で自分を救済し、人類救済に繋がると思うのだが……。

この「上座部仏教」の賛否は兎も角、アショカ王が支持していたのが「上座部仏教」だった。
だが、釈迦の教義のみを純粋に守り伝えるというスタンスではなく、アショカ王は仏教以外の様々な宗教をも保護した事が分かっている。
アショカ王の政治は、ダルマ(仏教の法)を前面に押し出さず、バラモン教、ジャイナ教、アージーヴィカ教などを、仏教と対等の立場として位置付けていた。

アショカ王のダルマの内容は、「不殺生」「正しい人間関係」「父母に従順」「礼儀正しく」「バラモンやシャモンを敬い、布施を怠らないこと」「年長者を敬うこと」「奴隷や貧民を正しく扱い、他者の立場を配慮すること」などで、バラモン教・ヒンドゥー教のカースト制度も採用している事が分かるが、あくまでも共生の理念が根本にある。
これは、邪馬台国の社会システムにも共通する。
『魏志倭人伝』には、邪馬台国の厳しい階級制度について記されているが、仏教の「慈悲」の思想によって共存共栄が図られていた。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で、このように述べている。

――ソナカの初代がインドを出発したのは、紀元前三世紀の半ばだから、ヒミコの時代まで五百年たっている。
それでも日本列島に到着したその支配者は、やはりソナカの名を持ち続けていた。
この数世紀にわたる永続する支配力は何によるのだろう?
その答えは、その統治システムにある。
それはインド独特の「カースト制度」である。
これは「四姓」という階級を永久に持続させるシステムで、時代とは無関係に、機械的に「同じ仕事」をこなしていく。
古代の変化の少ない経済基盤は、権力闘争ですべてが破壊される以外には、ほとんど変わらなかったから、その「権力闘争」が起こらないシステムの社会構造が、うまくいけば国は栄えた。
それはちょうど「アリ=蟻」の社会である。
だから今からみればずいぶん不合理な、非人道的なカースト制だが、当時はそれがうまく機能したし、また仏教の教義として「慈悲・絶対の平和主義」があった。
だからカリエンその他の人々とも共存し、国民にも広く支持されたのである。
このこともヒミコの「鬼道」の中身として、忘れてはならないものなのである――


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尚、『雑阿含経』には、アショカ王の前世の因縁についての説話がある。
釈迦が弟子のアーナンダーを連れて行乞していると、徳勝童子と無勝童子が砂遊びをしていた。
徳勝は釈迦を見ると、砂の餅を作って供養し、無勝は合掌した。

釈迦はアーナンダーにこう言った。
「この童子は、私が滅度して100年後に華氏城で転輪聖王になるであろう。
姓は孔雀、名を阿育(アショカ)といい、仏法を以て国を治め、8万4千の仏塔を建立し、衆生を安楽にするであろう」


この予言通り、頻頭沙羅王の王子として、徳勝は無憂(アショカ)、無勝は離憂という名前で生まれたとされている。
さて、アショカ王には数多くの王子がいたが、彼らは総督や将軍として各地に派遣されていた。
これが、「アショカ仏教宣布団」の各リーダーだったのだろうか。

『プラーナ文献』によると、アショカ王の次の王は「クラーナ」だとされているが、他の伝説や仏典の記録とは名前も年代も一致しておらず、アショカ王の死後、王位争奪戦によって王朝は分裂し、紀元前2世紀初頭にはシュンガ朝の勃興により滅亡している。
アリオン説では、ソナカ(出雲族)が王位継承の証である「十種神宝」を所有していたとされ、ソナカがアショカ王の真の王位継承者だった可能性が高い。
だとすれば、アショカ王がイスラエル10支族の末裔だったのだろうか……。
それは、もう少し時代を遡る必要があるが、興味深い話がある。

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インドのデリー郊外に、1500年間錆びない鉄柱があり、オーパーツとして知られているが、一説ではアショカ王の建造物とされ、「アショカ・ピラー」と呼ばれている。
高度な製鉄技術を持つ民族と言えば、真っ先にヒッタイト人が思い浮かぶ。
そして、ソナカ率いる「出雲族」も製鉄民だった。
アショカ王とは、一体何者なのだろうか……。
そう言えば、釈迦も「サカ族=スキタイ」で、夢蛇鬼説では「ヒッタイト+イスラエル10支族」の末裔である。
果たして、真相は如何に……。
posted by 夢蛇鬼 at 04:34| Comment(4) | 出雲族のルーツと神道の起源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鉄には深い深い意味があるようですね。
和鋼博物館で日本刀が玉鋼から造られる過程を紹介されていて、本物だと感じました。
鉄は血液の中にもありますし、神泉組の記事とも密接に関連しているのかもしれませんね。
思い出せないけど、鉄は五角形と六角形だとか、内と外だとか・・・脳のどこかに埋まっているとか、いろいろな情報があったように思います。
温度によって結晶構造が変化するらしいですね。
浄化の炎の燃焼は短く激しいほど完全らしいのですが、人間の精神も浄化の炎の温度によって結晶構造が違うのかもしれませんね。
鉄・・・気になりますね。
続きを楽しみにしています。
Posted by オクト at 2010年05月01日 20:48
ふむふむ…それはユニークな表現ですね。
残念がら、続きは鉄ではありませんが^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年05月02日 01:26
 確かにそうかもしれませんが少しユダヤ的な発想が入り込んでいそうなのが気になります。鋼の最高権威者はいつもそれを気にしているらしいです。安来もそろそろ秋です。
Posted by 島根ロイター at 2011年09月15日 21:04
 安来の日立金属は素晴らしい鉄鋼材料を開発していますね。世界初、自己潤滑性工具鋼、S-MAGIC。うちではバンバン使わせていただいています。
Posted by 情熱感謝人 at 2012年06月27日 20:11
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