2010年04月21日

世にも奇妙な「クシナダヒメ」の物語と3人の「スサノオ」の正体

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『日本書紀』ではクシナダヒメは「奇稲田姫」と表記されており、稲田の守護神だと解釈されている。
だとすれば、我が身を犠牲にして豊穣をもたらす「オオゲツヒメ」に代わる神であり、人間次元に於いては、両者は同一人物だった可能性すらある。

『オオゲツヒメ=奇稲田姫=天照大神=卑弥呼』

また、 「卑弥呼=ヤマタノオロチ」でもあった。
そうなると、 「ヤマタノオロチ」とその生贄として捧げられるはずだった「奇稲田姫」が、イコールで結ばれることになる。

『オオゲツヒメ=奇稲田姫=卑弥呼=ヤマタノオロチ』

まさに、奇ししき神話である。
スサノオは「奇稲田姫」を妻とした。
『稲の妻=稲妻』
聖書で「稲妻」は、天から地に堕とされた「ルシファー」の象徴として描かれている。
ご存知の通り、ルシファーは『ヨハネの黙示録』に登場する7つ頭の龍(年老いた蛇)だが、クシナダヒメには「串蛇姫」という当て字もある。
事実、神代の出雲地方には龍蛇信仰があり、稲田の女神は蛇で、稲田姫と大蛇の神婚伝説が残っており、次の等式が成り立つ。

『奇稲田姫=稲妻=ルシファー=ヤマタノオロチ=卑弥呼』

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FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルの透視では、卑弥呼の部族は「稲作」をもたらした海の民で、卑弥呼は長い「かんざし」で髪を止めていたという事から、「櫛名田比売」の当て字と一致する。
加治木説では、「山田」は「邪馬臺」「八俣」を語源とするものだったが、事実、卑弥呼の信仰は「山」と「田=稲」を御神体としていた。
それが後の「神道」に受け継がれていくのだが、この話は別の機会にしよう。

奇稲田姫の「奇」という字は「奇才」や「奇人」という使い方をする通り、卑弥呼にピッタリである。
また、「奇妙」で「奇怪」だと見られていた「鬼道」にも符合し、 音読みの「キ」も同じで、「鬼才」や「鬼神」という言葉も卑弥呼に相応しい。
奇しくも、卑弥呼は「角がある人=ツヌガアラシト=ツルカルナイン=神の言葉を通訳する女性」であった。

『出雲国風土記』では「久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)」という名で登場し、石川県七尾市にある「久志伊奈太伎比売(くしいなだきひめ)神社」の祭神と同一神である。
それは「稲田の神」として信仰されており、須佐神社(島根県出雲市)、八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社(京都府京都市)、櫛田神社(富山県射水市)、櫛田宮(佐賀県神埼市)、その他、各地の氷川神社で祀られている。

ヤマタノオロチは「八頭八尾の大蛇」だったが、ビシュヌ神(天之御中主神)を除けば「七頭七尾」のアナンタ(ルシファー)となる。
「久志伊奈太伎比売神社」のある石川県の「七尾」という市の名称は、それに由来しているのだろう。
注目すべきは、多くの櫛田神社で、夫の「スサノオ」や子の「大国主」と共に祀られている点である。
更に、福岡県の櫛田神社の祭神が、「大幡主大神」「天照大神」「素戔嗚大神」となっている事は非常に興味深い。

1つは、全国にある櫛田神社の祭神の殆んどが「クシナダヒメ」だが、福岡の「櫛田神社」では「天照大神」が祀られている点である。
これは「櫛稲田比売=天照大神」である事を暗に示している。
もう1つは、「天照大神(アマテラス)」「素戔嗚大神(スサノオ)」と来れば、もう1神は普通なら「月読命(ツキヨミ)」であるはずだが、「大幡主大神」が祀られている点である。

「大幡主大神=ツキヨミ」なのだろうか。
大幡主大神は別名「大若子命(おおわくごのみこと)」と呼ばれている。
「大若子命」も謎の多い人物だが、「天御中主尊」18世(一説では19世)の孫で、「彦久良伊命」の御子であり、度会氏の祖先だと言われている。
また『伊勢国風土記』では、「神武天皇」の部下だった「天日別命」の子孫とも言われている。
だが、これでは非常に分かりづらい。

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『神宮雑例集』によると垂仁26年、「垂仁天皇」の皇女「倭姫命」が 、伊勢国五十鈴川上流の宇治山田に「天照大神」を永遠に祀る鎮座地を求め、それが現在の皇大神宮(伊勢内宮)だという。
そして、その鎮座祭で「垂仁天皇」の御供をしたのが「大若子命」で、皇大神宮の初代大神主になったとされている。

まず、卑弥呼は人間としての「天照大神」である。
つまり、卑弥呼は神「天照大神」の預言者故に「天照大神」と呼ばれた。
更に言えば、卑弥呼は「天照大神」の受肉・現人神だったと解釈しても良い。
そして、「倭姫命」と「卑弥呼」は同一人物だと考えられている。

という事は、卑弥呼政権を倒した狗奴国王「卑弥弓呼=垂仁天皇」は、卑弥呼を殺してはおらず、婚姻していたことになる。
或いは、卑弥呼は「仲哀天皇」の死後、「垂仁天皇」と再婚したとも考えられるが、もう一度、北川説を思い出してほしい。

日向族のイザナギ・イザナミは、出雲族の進軍を恐れて、娘の「アマテラス」を「スサノオ」に差し出したのである。
これは、邪馬台国を征討した「卑弥弓呼」や「神武天皇の東征」とも酷似する。

また、伊勢外宮の『渡会氏本系帳』や富山県が編纂した『越中史料』には、「大若子命」が越国の凶賊である阿彦を征討した事が記されているが、北陸は龍神信仰のメッカで、阿彦は龍蛇族であり、本質的に「スサノオの龍退治」と同じである。

『魏志倭人伝』には、「卑弥呼」は狗奴国との戦いで死亡したというニュアンスで書かれている。
端的に表現すれば、「卑弥呼」は「卑弥弓呼」に殺された。
これは『記紀』で、「スサノオの乱暴によってアマテラスが岩戸隠れした」という事件、「スサノオがオオゲツヒメを斬り殺した」という事件、「スサノオがヤマタノオロチを退治した」という事件とも共通する。

だが、「スサノオ」は「クシナダヒメ」を妻としている。
マクモニーグルの透視でも、「卑弥呼」は他殺ではなく、肺炎で亡くなったという。
但し、マクモニーグルは『魏志倭人伝』と同じく、「卑弥呼は結婚しておらず子供もいなかった」と述べている。
マクモニーグルの透視に絶対性はないが、この大きな食い違いは何が原因なのか。

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『日本書紀』に「神功皇后の夫・仲哀天皇は熊襲との戦いで死に、皇后が永く政務を執る」と記されている。
それ故に、マクモニーグルが透視で「卑弥呼」の夫を確認できなかったのだろうか。
福岡の「櫛田神社」の社伝によると、天平宝字元年(757年)、伊勢国の「櫛田神社」の分霊を博多総鎮守産土神として奉祭したとされる。
伊勢国には伊勢神宮があり、皇大神宮建立の経緯は既に述べた通りである。
更に、伊勢の語源は「伊是名島」だった。
つまり、今までの話から考察すると、「櫛田神社」の3柱の祭神の正体は、次のようになる。

「天照大神=倭姫命=クシナダヒメ」
「素盞嗚大神=垂仁天皇=スサノオ」
「大幡主大神=大若子命=スサノオ」


『記紀』の記録によると、「仲哀天皇」は第14代天皇、「垂仁天皇」は第11代天皇となっていて代も名前も異なるが、同一人物の可能性もある。
つまり、『仲哀天皇=垂仁天皇=大若子命』で、三者とも「スサノオ」と呼べる人物である。
島根半島にある日御碕神社の祭神は、「須佐之男命」と「天照大御神」だが、島根県の八重垣神社の祭神は「須佐之男命」と「稲田姫命」となっており、「クシナダヒメ=アマテラス」と「スサノオ=垂仁天皇」が夫婦だったことを証明している。

「スサノオ」と「クシナダヒメ」の間には、8人の子供があったと言われているが、八重垣神社には、須佐之男、稲田姫、足名槌(アシナツチ)、手名槌(テナツチ)、天照大神、市寸島比売(イチキシマヒメ)の6神像が描かれている。
「クシナダヒメ」と別に「天照大神」が描かれているという事は、 「天照大神」の名称を受け継いだ人物が存在したことを示している。

では、「大若子命」は「アマテラス」と「スサノオ」の御子なのだろうか。
福岡の櫛田神社の社伝では、「大若子命は天照大神の側を離れず、その補佐をした神」とある。
卑弥呼(神功皇后)はモーゼと同じく、兄弟(姉弟)による政祭を執っていた。
何故、夫である天皇ではなく「弟」だったのだろうか。

「神功皇后の夫・仲哀天皇は熊襲との戦いで死に、皇后が永く政務を執る」

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では、卑弥呼(神功皇后)の弟とは、一体何者なのか。
卑弥呼が「アマテラス」であれば、その弟は「スサノオ」である。
神話では、「アマテラス」と「スサノオ」は仲の悪い姉弟だった。
「邪馬台国女王・卑弥呼=神功皇后=アマテラス」と「狗奴国男王・卑弥弓呼=垂仁天皇=スサノオ」も犬猿の仲であった。
つまり、「垂仁天皇」と「大若子命」は同一人物だった可能性がある。

まず、卑弥呼の夫と弟が同じ人物という事に異議を持つ方も多いと思うが、卑弥呼の父である「イザナギ」は、神話では1神で三貴士(アマテラス・ツキヨミ・スサノオ)を生んだ事になっている。
勿論、男は出産する事が出来ないので、この話は「三貴子」が異母姉弟であることを意味してるとも考えられる。
同一人物であるなら、何故「素戔嗚大神」と「大幡主大神」が別々に祀られているのか。

推測の域を出ないが、卑弥呼生存中の名前が「大若子命(大幡主大神)」で、卑弥呼死後に「垂仁天皇(素戔嗚大神)」と名乗り、後世の人が他人だと勘違いしたとしか言い様がない。
「垂仁天皇」は「神功皇后」の死後に登場したとされるが、それが「神功皇后」の弟「大若子命」だったのではないかという事である。

では、皇大神宮鎮座祭で、「大若子命が垂仁天皇の御供をした」というのは、一体どういう事なのか。
スサノオ(大若子命=垂仁天皇)が伊勢国に渡った記録はなく、また、伊勢神宮が建立されたのは後世の事である。
つまり、あの話は後世の創作か、又はその子孫が、自分たちを祖先と重ね合わせて記録したとしか思えないのだ。
では、神功皇后生存中に崩御した「仲哀天皇」も同一人物というのは、どういう事なのか。

まず、仲哀天皇(ソナカ=ツヌガアラシト)も「スサノオ」と呼ばれた人物である。
そして、彼が「神功皇后」に忌避されていた事は、『記紀』の様々な箇所から読み取れる。
それは、「アマテラス」と「スサノオ」の仲の悪さを物語っている。
それで、「仲哀天皇」は影役でしかなかったのだ。
つまり、卑弥呼が女王として全面に出て、弟が通訳だった事に比定できる。

だが、卑弥呼は表舞台には殆んど出なかったとされている。
この如何ともし難い矛盾の答えは、既に出ている。
「卑弥呼」という名称は肩書きであり、「神功皇后」は2人の巫女の記録の混合であり、「天照大神」は死後、再び登場する。
つまり、「仲哀天皇」の妃とされる「神功皇后」は卑弥呼だけではなく、「2代目・卑弥呼=岩戸から出てきた天照大神」の記録が混入しているのだ。
八重垣神社に「クシナダヒメ」と「アマテラス」が描かれている事からも、それは容易に想像できる。

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一説では、「ヤマトタケル」は「武内宿禰」の若き姿だとされている。
武内宿禰もまた謎多き人物だが、それが事実であれば、ミッシングリンクの発見である。
何故なら、武内宿禰の子「若子の宿祢」と「大若子命」が同一人物である可能性が高いからだ。
そして、仲哀天皇はヤマトタケルの子である。
即ち、『大若子命=仲哀天皇』。そして、「垂仁天皇」。

『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は100余人の殉死者と共に埋葬されたという。
だが、マクモニーグルが卑弥呼の墓を詳細に透視した結果、殉葬は確認されていない。
『日本書紀』には、垂仁天皇は殉死を禁止し、埴輪を代用し始めた事が記されている。
整理すると、神功皇后(卑弥呼=アマテラス)の夫(仲哀天皇)は、同時に義弟(大若子命)でもあり、皇后の死後、「垂仁天皇」として登場した「スサノオ」だった、というのが私の結論である。

だが、卑弥呼には複数の義弟がいたようである。
『アーリオーン・メッセージ』によると、スサノオとアマテラスの政略結婚に対して、「アマテラス義弟たち」が猛反対したという。
「アマテラスの弟=スサノオ」であれば、この義弟たちも全て「スサノオ」という事になってしまうが、アリオンはそのようには述べておらず、彼らは歴史に名を残していないという。
私的には、これ以上話が複雑にならずに済んで幸いだが……。
posted by 夢蛇鬼 at 14:13| Comment(4) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
閣下の使徒を名乗る私ですが、記事の内容は高度で、イエスの使徒というよりは釈迦の末弟のような気持ちです。
高弟のコメント登場を期待したいところですね。
私の信仰はキリスト教的に出来上がってきたので、こうして日本古代史を読みながらも、聖書を座標軸に据えています。
閣下はよくモーセを引用されますが、エホバへの信仰は持っていないようですね。
ユダヤ人はモーセの民であり、それを造り出したのがモーセなのかもしれません。
日本古代史をどのパラダイムで捉えていいのかすら・・・未だ誰も成し遂げていない気がします。
閣下はそれに挑戦されているのでしょうね。
時系列をとは無関係に、重要な霊的キーパーソンは竹内宿禰、神武天皇、卑弥呼、神功皇后、仲哀天皇・・・のようですね。
聖書がエホバ―イエスに終始するのに比べて、神道は天皇という神を創り出すことが至上命令のようですね。
それほどまでにして確立しなければならないほどの『天皇』とは、何なのでしょうね。
この頃は、閣下の使徒というよりは、あなたをモーセのように感じてしまいます。
『エホバの道を真っ直ぐにせよ』と叫ぶ『エホバ』とは、閣下にとってはなんなのですか?
Posted by オクト at 2010年04月22日 11:32
「エホバの道を真っ直ぐにせよ」とは「バアル(アメン)信仰に戻れ」という意味だと思います。
僕にとってのエホバは、イエスがいう「天の父」と同じで「真我」のことです。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月22日 21:15
月読とは‘高木神’である。
高木神は‘秦氏の祖’である。秦は幡である。そして波多でもある。
Posted by 金鷹 at 2012年01月07日 19:16
月読命(言霊オ)

右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。
右の御目に相当する次元は言霊オの経験知です。禊祓の実行によって人間の経験知、それから発生する人類の諸種の精神文化(麻邇を除く)を摂取・統合して人類の知的財産とする働きの究極の規範が明らかに把握されました。月読の命の誕生です。その精神構造を言霊麻邇によって表わしますと、上筒の男の神に於て示された如く、オ・トコモホロノヨソ・ヲとなります。
Posted by 暗出霊 at 2012年01月16日 19:37
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