2010年04月16日

2人の現人神「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の謎

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狗奴国王「卑弥弓呼=スサノオ」は、卑弥呼政権を倒して王となった。
だが、卑弥呼の死後、邪馬台国は男王による支配が始まり、すぐに治安が乱れてしまったと伝えられている。
この男王が狗奴国王「卑弥弓呼」である事はほぼ間違いないが、それが本当に「仲哀天皇」かと言えば疑問である。
「天稚彦=仲哀天皇」は、「下照姫=神功皇后」より早く崩御しているからである。
もし、「卑弥弓呼」と「仲哀天皇」が別人だとすれば、やはり「スサノオ」は2人いたことになる。
それは、「天稚彦」の物語の続きにヒントがある。

天稚彦のお通夜に、葦原中国から天稚彦の友人の「アジシキタカヒコネの神」が弔いにやってきた。
彼は天稚彦と瓜二つだった為、人々は天稚彦が生きていたのだと思い込み、喜んで騒いだ。
すると「アジシキタカヒコネ」は、「穢れた死人と一緒にするな!」と激怒した。
双子ではない限り、姿形が瓜二つなどという事は考えにくい。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は、あくまでも友人だという。

では、2人の共通点は何だったのか。
ここでも、言語学者の加治木氏の出番となる。
天稚彦は「ツヌガアラシト=ツルカルナイン」で、それはアレクサンドロスの仇名である。
そして、 「アジシキタカヒコネ」という名は「アレクサンドロス」の変化なのだ。

「アジシキ・高日子・根=アレキ・サン・ドロス」

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アジシキタカヒコネには、「阿遅高日子根」や「阿治志貴高日子根」など様々な当て字があるが、加治木氏の解説によれば、 「爾」は漢音で「ジ・ニ」と発音し、中国では「ラ行」にも使い、阿爾は「アジ」「アレ」と読める。
「シ」は助詞の「之」で省略。
「高」はアラビア語で「サン」と呼び、「日」と「子」も英語で「サン」で、「高日子」が1つの「サン」という発音を表している。
何故、「サン」が三重になっているのかというと、古代日本ではインド〜アーリア語の複数の言語を持つ人々が共存していた為、「枕ことば」の手法のように、複数の言葉を重ねて使用されていたことが理由らしい。

「根」はペルシア語で「ダル」といい、百人一首式の古代日本語の清音では「タル」と読み、漢字では「足」と書く。
『古事記』には「帯」を「多羅斯(タラシ・タラス)」と書かれているが、『日本書紀』では「足」の字が使われており、「帯」はマレー語で「タリ」という。
「ダル(根=ペルシア語)」「タル(足=日本語)」「タリ(帯=マレー語)」は発音が似ているだけでなく、 「根」は植物の「足」で、 「根」も「帯」も下に垂れるもので意味が共通する。

7世紀の中国の正史『隋書』の「倭国伝」に、「倭王、姓は阿毎(アメ)、字(あざな)は多利思比孤(タリシヒコ)」と記録されており、「帯・足(タリ)」が『古事記』の「多羅斯(タラシ・タラス)」と合わないのは、『古事記』の方が訛っていると指摘。
そして、足と根が同音であれば、天皇名に付いている「根子」は「ネコ」ではなく、「タリシ・タラシ」と読まなければならない。

また、沖縄では「ネ」は「ニ」、「シ」は「チ」と発音する為、「根子」の漢音は「ニチ」で、『魏志倭人伝』の伊都国の最高官「爾支(ニチ)」とも一致。
そこで、「高日子根」の根を「タリ」「タル」「タラシ」と読むと……
「アレキ・サン・タリ」「アレキ・サン・タラシ」となり、アラビア語の「ダル」で読むと「アレキサンダル」となる。

見事としか言い様がない。

『天稚彦=ツヌガアラシト=ツルカルナイン=アレクサンドロス=アジシキタカヒコネ』

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だが、全てイコールで括るのは正しくない。
「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」は別人であり、共に「アレクサンドロス」本人ではなく、その名を語る人物だったと考えられる。
やはり「スサノオ」は2人存在したことになる。
だが、「天稚彦」と「アジシキタカヒコネ」、この2人は本当に別人なのだろうか。
そもそもアカデミズムでは、「仲哀天皇」と「垂仁天皇」の実在性に懐疑的である。
見方によっては、同一人物として実在していた可能性も否定できない。
前に紹介した加治木説の、ドイツの竜退治神話の英雄「ジークフリート」の話を思い出して頂きたい。

「<ジークフリート>は、邪馬国の <邪>、狗奴国の <狗>、夫余国の <夫余> に人をつけた屋久島から高句麗までの王だった垂仁天皇の名乗りに合う「邪狗夫余人」を、<ジャクフリヒト> と発音したものによく合い、その妻・<クリムヒルト>も高麗国日霎人・<クリマヒルト> と書くと、高句麗の姫または女王という意味になって、その結婚は不思議ではない」

高麗国日霎人が「卑弥呼」だとすると、その夫・邪狗夫余人は「垂仁天皇=仲哀天皇」と考える事が出来る。
だが、加治木氏の結論は次の通りである。

「『記紀』の阿遅高日子根は天の稚彦(若日子)の死後、登場する。
<稚彦> は卑弥呼の夫・ソナカ王子・仲哀天皇で、卑弥呼政権が倒れたあとに出現した天皇は垂仁天皇である。
彼は八俣大蛇の特徴をもつ卑弥呼政権を倒した <スサノオ>、その人なのだ」


だとすると、『天稚彦=ソナカ=仲哀天皇』『阿遅高日子根=卑弥弓呼=垂仁天皇』という事になり、2人の「スサノオ」は別人だった事になる。

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加治木氏の「言語復原史学会・大学院講義録」から、まとめを紹介したい。
――『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に、都怒我阿羅斯等<ツヌガアラシト>=角がある人=<ツルカルニン>。
蘇那曷叱智<ソナカシチ>=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇。
天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=天の稚彦が、海外からやってきたという話が編集されている。
在来はこれらは別人扱いされてきたが、すべて同一人の名乗りであることは、すでにこの講座でよく御存知である。
この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。
<姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、<彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。
天の稚彦がこれらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。
このうちの<ツルカルニン>は間違いなく<アレクサンドロス大王>の称号の一つとして、世界に知られた名乗りである。
都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。
だとすると稚彦の死後、弔問に現われた阿遅高日子根=阿爾高日子根(アレクサンドロス)の事件は、この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、史実としての真相だとわかる。
『記・紀』には欠けているが、その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、それがスサという地名から、「荒(すさ)む」という日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。
これらの名乗りが全て仲哀天皇のものだと判ると、卑弥呼の夫として、非常に貴重な発見になる。
その系譜や事跡が合うか?
相互関係を確かめてみなければならない。
簡単に要点を挙げて比較してみよう。

仲哀天皇 天日槍 卑弥呼 神宮皇后

1.日本武尊の第2子 新羅王子
2.妻 気長足姫
但馬太耳の娘・麻多烏(マタオ) 孝霊・太瓊天皇の娘 息長宿祢の娘
3.若狭の角鹿に行事
播磨・淡路・若狭に行く
巴利国が女王国首都
三韓へも行く
4.若狭から九州に移る
若狭から但馬に移る(播磨は後世の巴利国人の移動先)
(若は稚(チ)ヌ国=沖縄、狭(タンネ)・但馬(種子国(タジマ))・太瓊(タニ)は、みな種子島)

ここで一番重要なのは、但馬太耳の娘・麻多烏である。
卑弥呼は天照大神として宇治山田に祭られ、その遺跡は内山田の地名を残している。
だから<麻多>は<アサダ>ではなく<ヤ>が欠けているのだから、<ヤ>麻多=山田。八麻多=八俣。
残る<烏>=<オ>は、<オロチ>=大蛇の<オ>だったのである。
八俣大蛇とは、単なる比喩ではなく、この名から生まれた合理的な名詞だったことがこれでわかり、それを討った<スサノオ>が邪馬壹国天皇・垂仁だったことも動かなくなる――


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「仲哀天皇=スサノオ」は卑弥呼の夫だが、では「垂仁天皇=スサノオ」は一体何者なのだろうか。
少し長くなるが、続きを読んで頂きたい。

――その父・但馬太耳(タジ)と、孝霊天皇の「太瓊(タニ)」が同じものであることも「二・児」の発音に<ジ>とがあることを知っていれば簡単に理解できる。
それは<種子島>を<タジガシマ>と読む人と、沖縄発音で「タニガジマ」と呼んだ人の差である。
天皇の名乗りの最後は都の地名であることは倭の五王の名乗りで、讃は讃岐、珍は<チヌ>=淡路島の津名、興は河内、武は高市と揃っていて明らかだから、これで孝霊天皇は種子島に都していたのだと、確認できたのである。
後に天武天皇が種子島人を特別待遇し、世人も「橘(種子国人)は、己が枝々実(な)れれども、(自分の利益を追及して、どんなにひどく闘争していても、最後には結局)一つ緒に貫く。
(種子島人だけで固める)」
という戯れ歌(批判歌謡=河内音頭のような、当時の流行歌)が流行ったと『日本書紀』が書くほどに、大和政権の中枢は種子島出身者が独占していた。
それはこの孝霊天皇→卑弥呼以後も、垂仁天皇=卑弥呼の弟・稚武彦、壹與(赫夜姫・神功皇后2)、応神天皇→仁徳(讃)系天皇たち、継体天皇(応神天皇5世孫)から斉明天皇までの倭国天皇が、紆余曲折はあるが、<種子島系の豊玉姫の子孫>であることは、世人が明瞭に認めていた事実だとわかる。
そして天智天皇も天武天皇もまた、その資格には欠けていなかったことが確認できる。
天皇家が種子島出身であることは動かない事実なのである。
太耳・太瓊が同じ地名で、種子島。
播磨は卑弥呼以後に生まれた国だから巴利国のことだと決まると、若狭も福井県ではありえない。
神功皇后2=壹與が戦った相手、卑弥呼政権の籠坂王は鹿児島=薩摩王で、忍熊王は大之隈(オシクマ)王=大隅王だったのだから、若は稚(わか)で稚(チ)ヌ国=天国=ウチナ=沖縄、<狭>は<タンネ>で種子島、この間の領地を意味する。
但馬も後世に種子島人が移住したあと生まれた地名だから、日槍が行った但馬は種子島(タジマ)以外ではありえない。
天の<日槍>の<ヒホコ>は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火で、<彦>・<火子>は日向(ヒコ)、出見(イヅミ)は出水、または<ヒ>は<日向>、<ホ>は百済(ホセイ)の首=<ホ>で、豊玉(ホツマ)の豊。
大分が豊の国になる前だから、いずれにしても南九州以外ではありえない。
だから仲哀天皇・天の日槍・天の稚彦・都怒我阿羅斯等・蘇那易叱智の行動範囲は、沖縄から九州までに厳しく限定されている。
これらを本州の地名だと錯覚した解説は、全て役には立たない。
すると角鹿(チヌカ)も大隅発音、福井県の敦賀(つるが)ではなくなる。
若狭や敦賀は近畿に倭国が進出した後、新たに生まれた地名であって、とても卑弥呼以前には存在しえない地名だからである。
石器や土器の製作年代が考古学説の生命を左右するのと同じで、史学も地名や国名の年代が重大な意味をもっている。
在来のような粗雑な考えでは、正確な史実は絶対に掴めない。
では角鹿はどこが正しいのであろう?。
<角>・<ツノ>は沖縄発音<チヌ>。
若が稚(チ)で稚(チ)ヌ=天(チヌ)=ウチナ=沖縄の古名だったのと同じこと。
鹿(カ)は鹿屋(かのや)が鹿国(カのヤ)である。
「沖縄に属していた鹿国」という意味とみると、都怒我阿羅斯等は沖縄・鹿屋の現人神=天皇という意味になるから、この<ツルカールニン>を「ツヌカ、アルヒト」と読んだ読み損ないが、「<アルヒト>とは現人(アラヒト)のことで<現人神>のこと、これは<アラヒトガミ>と読むのが正しい」という解釈者がいて、「ー(ア)ルニン」が「アラヒト→阿羅斯等」という表記まで変化してしまったことも判る。
その犯人は、<ヒト>を<シト>と発音しているから、大隅人だったことも動かない。
これで仲哀天皇は本州へ行っていないことが明確になったが、その名乗りには問題がある。
『古事記』は帯中日子天皇と書くが、これは神功皇后の息長帯姫の「帯」が、当時の<韓国>を指す「帯方」だからである。
これは『日本書紀』が足仲彦天皇と書き、『日本書紀』が皇后を気長足姫と書く「足」を同じ発音の「帯」に変えただけに見えるが、天皇のほうの<足仲>は明らかに<ソナカ>への当て字で、<タラシ>と読むものではない。
皇后の<息長>も明瞭に<ソナカ>への当て字で帯姫の帯は余分なのである。
すると蘇那曷叱智は任那、都怒我阿羅斯等は意富加羅(おほから)、天日槍は新羅と、皆、朝鮮半島出身になっていることを、無視するわけにはいかない。
それは不思議でも何でもない。
朝鮮半島は、故に宝貝貨幣を供給した時代から、沖縄から九州を経て高句麗まで、1国と言っていい状態にあった。
最小限に限定しても高句麗は間違いなく<コウリー>(宝貝)の国で、漕ぐ人(コグリョ)の国。
シュメールから釆たカリエン=カルデアンの国で、<スメラギ>を首長と仰ぐ人たちの国の1部だったのである。
その高句麗が前漢の侵略を受けて漢の4郡にされ、漢が衰えた後漢末に<公孫康>が今の黄海道と京畿道とを帯方郡にして<京城>(ソウル)に役所を置いて支配した。
しかしそれ以外の各道は依然として倭国政権の支配下にあったことは変わらない。
それを倭人たちは全て<帯方>と呼んでいたから、神功皇后も「帯」を加えて息長帯姫と名乗ったのである。
ところが夫の仲哀天皇の足仲彦(ソナカ)は<ソナカ>皇子ということで、帯中日子は書紀の当て字を<足>から<帯>に変えただけのもの、ソナカ皇子と読むことさえ知らない。
書紀を真似たくないと、ただ闇雲に文字を変えただけだし、その変え方も、足仲彦を<タラシナカツヒコ>と読んで、正しい名すら知らなかったことを暴露している。
我が国の古代史上、最も重要な人物の天照大神で卑弥呼で神功皇后だった女性の夫の名さえ知らない、そんな『古事記』を、「絶対だ。本当の正史だ。神典だ」と主張した連中の、無知さ加減がよく判ると思う――


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「垂仁天皇」は卑弥呼の弟「稚武彦」である事が分かり、やはり「アマテラス」の弟も「スサノオ」だったのだ。
だが、次の説明は腑に落ちない。

「天の日槍は、火火子と書けるから、神武天皇=垂仁天皇の彦火火出見尊の火火」

天の日槍(天日矛=天稚彦)は「仲哀天皇」だが、ここでは「垂仁天皇」と同一視されているのだ。
posted by 夢蛇鬼 at 11:00| Comment(3) | スサノオの正体と天皇家の関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
難しいですね。
天皇家のルーツが種子島にあるとは初耳です。
私、出雲大社詣でから帰ったばかりなのですが、境内のあちこちに皇后陛下の御製が書かれていましたから、ご紹介いたします。

国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず

この前日にお参りした熊野大社の祭神名は、神祖熊野大神櫛御気野命(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)=スサノオでした。
神祖とは神々の親なる神という意味だそうです。
出雲は親であり、天皇家は子なのかしら・・・と考えると、『国譲り』という言葉に悠久の愛を感じるのでした。
Posted by オクト at 2010年04月19日 10:22
この御製は、現在の天皇家が日向系である事を如実に物語っていますね・・・
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月19日 11:10
はい、そう感じます。
偲びて止まず、とおそらく美智子皇后妃の神祖熊野大神に対する深い敬愛を感じます。
Posted by オクト at 2010年04月19日 13:05
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