2010年04月07日

邪馬台国と倭国連邦の謎

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卑弥呼が金髪で碧眼だった可能性があるという説を紹介したが、『学研ムー(2008年3月号)』 に、FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルによる「卑弥呼」の透視結果が載っていたので紹介しよう。
それによると、卑弥呼は南方系の特徴をもった顔立ちだが、皮膚の色はアイボリーで、目の色はスティールグレーだったという。
そして、ストレートの黒髪は腰まであったが、頭の上に高く巻き上げて黄金の「かんざし」で止められていた。
つまり、黒髪ではあったが、色白で、日本人には見られない瞳の色をしていた事は確かなようだ。

さて、「邪馬台国の女王」という卑弥呼の肩書きについて、加治木氏は 『黄金の女王・卑弥呼』 の中で、次のように指摘している。

――『魏志倭人伝』には、「その国はもと男王が治めていたが、それが七〜八十年間続いたあと、国が乱れて戦いが何年も続いたので、一人の女子を共立して王にした。
それに名付けて卑弥呼という」と書いてある。
これで先ず確認しておく必要があるのは「卑弥呼」という名詞である。
それは彼女自身の名だったのだろうか?
彼女の名が最初から卑弥呼だったのなら、「一女子を」と書かずに「卑弥呼を」と書くのが漢文の文法である。
だからこの名は共立されてから「名付けられた」、とはっきりことわっているのである。
それは個人名ではなく、職業上の呼び名だったのだ。
この部分の記事で、次に分かることは彼女が「共立された」ということである。
これは何をいっているのか。
彼女がもと男の王様が治めていた「一つの国」の王に選ばれたのなら、「共立」などと書かれない。
「代わって」一女子が次の王になった、という書き方をする。
「代がかわった」と表現するのだ。
そうでなくて「共立」とわざわざ書いてあるのは、彼女は「倭国連邦全体の女王」として、「それらの国々の王たちによって、共立された」ということなのである。
だから彼女は、そのときはじめて女王になった。
自分の国ではそれ以前から皇后の地位にいたかどうか不明だ――


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――『日本書紀』の神功皇后の話を読むと、このへんの事情がよく分かる。
皇后の夫・仲哀天皇は、クマソ(熊襲)と戦争して死ぬ。
そこで皇后が永く政務をとる。
これを『魏志倭人伝』の卑弥呼の記事と比べてみよう。
「其の国、本または男子を以て王となし」。
これは仲哀天皇でも同じことだ。男王の国だったのである。
ところが次の「住、七八十年」。
これを誤解すると、彼女の前の王が一人で七〜八十年も国を治めていたと思い込んでしまう。
この「其の国」は「倭国であって、邪馬臺国ではない」ということがこれまで、いい加減にされてきた。
そしてボンヤリしてか、うっかりしてだが、「平気で」『邪馬台国の女王・卑弥呼』などといってきたのである。
だが、ここが非常に重大な注意点なのである。
この部分の文章は「倭国連邦」の事件を書いたものであって、邪馬臺国や邪馬壱国のことを書いたものではない。
「倭国乱れ…一女子を共立」したとはっきり書いてあるのである。
また「七八十年…」というのも「その連邦全体の皇帝または大統領は代々、七〜八十年間は男ばかりだったが…」という意味なのだから、そう正解に訳す必要がある。
それでこそはじめて「一人の女性を、各共和国の大統領たちが連邦の女王として選出し、その『新しい称号として卑弥呼という名を』決定した」ということだと理解できるのである。
だから「卑弥呼」というのは「アメリカ合衆国・大統領」と全く同じ「連邦代表」を意味する『肩書き』である――


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――卑弥呼が君臨していたのが邪馬臺(ダイ)国一ヵ国だけなら、邪馬臺国と女王国は等しいが、伊都国の説明のところに「女王に属す」と書いてある。
これは「別の国だが女王国の仲間だ」か、「女王国に従っている」という意味である。
これと、二十一ヵ国の国々の名を挙げた後に「此女王境界所尽(ここが女王国の境界だ)」とあるのをみると、明らかに邪馬臺国以外の国が女王の支配下にあり、邪馬臺国は一ヵ国だが、女王国は複数の国を総称した「連邦」を呼ぶ代名詞であることが分かる――


その事について、マクモニーグルは次のように透視している。

――あるとき、北方の部族の代表である10の部族の使いが、卑弥呼のもとを訪れた。
彼女はその部族の代表たちに、「もし、北方における最有力の3部族が、意見の相違を平和に解決できなければ、地上には暗闇が覆い被さり、多くの者が死ぬ」と予言した。
「魏志倭人伝」に出てくる、倭国大乱の時代である。
この予言を聞いた北方の10部族は、卑弥呼を連れ帰り、彼らのリーダーとして部族連合を統治させることにしたのだ――


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マクモニーグルによれば、卑弥呼の出身部族は九州と本州南部、そして朝鮮半島南部まで領有する海の民で、朝鮮半島から進んだ稲作技術をもたらしたらしい。
そして、卑弥呼の先祖を8〜9世代遡ると沖縄で、更に遡ると、南中国か東南アジア辺りに行き着くという。

具体的には、次のように示されている。
・日本の長門=西暦125年
・日本の福岡=西暦65年
・日本の沖縄=紀元前65年
・台湾の台北=紀元前205年
・中国のマカオ=紀元前265年
・ベトナムのハイフォン=紀元前325年
・ベトナムのハノイ=紀元前385年
・中国の昆明=紀元前475年
・中国での部族成立=紀元前805年

卑弥呼の部族は、確かに沖縄を出身地としているようだ。
だが、マクモニーグルの透視が事実であれば、アリオンのいう「紀元前3〜2世紀にパミール高原から出発した日向族」とは異なることになる。
まず、「稲作」について、加治木氏は『日本人のルーツ』の中で、次のように述べている。

――水稲稲作がやってきたコースは、弥生人の正体が自然に教えてくれることになった。
これまでの水稲渡来コースは、中国江南から朝鮮南部そして北九州というのが、ほぼ一致した有力な説であった。
中間に朝鮮がはさまるのは、中国と陸続きであり、日本より中国に近いためで、水稲は次第に分布を広げてきて日本に至ったという先入観に支配された考え方である。
そしてその手がかりとして、江南人の血液型が日本人に近いこと、江南の米や文化が日本のものに近いことなどが挙げられてきた。
だがカレン人の歴史を見ると、逆に朝鮮から江南に行って、さらにビルマヘ入っている。
これは実は中国の正史にもちゃんと記録されている有名な史実なのである。
前漢を乗っ盗って「新」という国を立てた王莽(おうもう)は、高句麗を討ってその農民を江南へ強制移住させている。
農民は当然種子も技術ももっていく。
いま江南に朝鮮、日本と同じ米があり、同じ血液型があるのは当たり前である。
いまあるから動かぬ証拠だというのは、余りにも無思慮であると思う。
それよりも宝貝漁師たちは自給自足が必要だった事実の方が重要である。
彼らは米をもって来て、行く先々に植えたのである――


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また、台湾・沖縄を中心に栄えていたのは「カリエン人」だったが、加治木氏はこう述べている。

――「貝人」は、今の宝貝のインドや英語の名である「カウリー」「コウリー」と同じ系統の発音で、「カウリー・高離人・カリエン・カレン・高麗」などと呼ばれてきた。
韓国・北朝をコーリアという語源である。
……ビルマのカレン人がこの一族であり、その語り部がタイ国に現存していると教えられ、それと会うために政治家の江田五月氏や毎日、朝日両新聞の特派記者らとタイの奥地まで調査にいった。
……その結果分かったことは、このカリエン人たちは、前期バビロンの崩壊とともに四方へ散った国民のうち、東へ逃げた難民集団の子孫で、南インド経由で沖縄から日本列島と朝鮮半島へ広がったということである。
……彼らが縄文時代から日本列島にいた人々で、その後に入ってきた倭人とは区別する必要がある。
しかしそれを前期倭人とみるならば、その勢力範囲は、日本から江南、そしてミャンマーまでの、広大な地域にまたがることになる――


恐らく、マクモニーグルは、カリエン人が卑弥呼の出身部族だと勘違いしたのだろう。
沖縄の女性が髪を巻いてカンザシで止めるのは、カリエン人の風習でもある。

更に、加治木氏は次のように説明してくれている。
「『魏志倭人伝』にある「入れ墨」風俗はカリエン人のものである。
それは私がタイ国その他、至るところで見てきたその人たちの特徴だから、間違いなくヒミコは彼らの女王だ」


しかし加治木氏は、「卑弥呼はカリエン人と共存共栄を図っていたものの、卑弥呼自身はカリエン人ではない」と結論付けている。

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次に、マクモニーグルは、卑弥呼の部族が沖縄から福岡に上陸したと透視しており、「邪馬台国=北九州説」や「アリオンの北川説」と一致するが、加治木氏の「鹿児島県隼人町説」と異なる。
だが、これは単純に地理的な問題で、朝鮮半島から上陸した人々は福岡に上陸し、沖縄から上陸した人々が鹿児島に上陸したと考えられ、卑弥呼はその後者だった可能性が高い。
また、鹿児島神宮に伝わる『正八幡の縁起』では、鹿児島に流れ着いたオオヒルメ(卑弥呼)は、筑前(福岡県)の若椙山に移って、「香椎聖母大明神」と崇められたとされている。
やはり、オオヒルメの処女懐妊伝説は、「聖母マリア」がモデルになっているようだ。
尚、卑弥呼の部族が熊襲を併合したというよりは、カエリン人を併合して「熊襲」と呼ばれる部族になった、と考えるのが適切かも知れない。

さて、ここで大きな問題が控えている。
『魏志倭人伝』では卑弥呼は独身だったとされ、マクモニーグルの透視でも卑弥呼は独身だという。
しかし、アリオンによれば、日向族のアマテラス(卑弥呼)は出雲族のスサノオと婚姻したとされている。
事実、神功皇后(卑弥呼)には仲哀天皇という夫が存在した。
「仲哀天皇=スサノオ」なのだろうか。
しかし、天照大神には「スサノオ」という名の弟がいた。
その謎解きは、非常に重要なことのように思えて仕方がない。
posted by 夢蛇鬼 at 02:28| Comment(2) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『邪馬台国の卑弥呼』って必ずテストに出た気がします。
そもそもそれが洗脳だったのかもしれませんね。
日本の美というものを、原始日本に立脚して再構築したいですね。
Posted by オクト at 2010年04月07日 19:34
「美」という漢字もなかなか意味深ですねぇ。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月08日 01:14
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