2010年04月05日

イスラエル人「卑弥呼」と白人「イエス・キリスト」の謎

20080407_129330.jpg

紀元前8世紀、古代ギリシア文明が急速に開花し、ポリス(都市国家群)が形成されていった。
時期的・地理的に見て、西に移動したヒッタイト人の流入が考えられる。
紀元前800年末頃には、ポリス(ギリシアの都市国家群)は、現在のギリシャ西南部、エーゲ海の諸島、アナトリア半島の西海岸に広がり、人口の増加や交易、貴族同士の対立が要因となって、地中海に植民を進めていったとされている。

アテナイ(アテネの古名)とスパルタを中心とする古代ギリシア連合軍がペルシャ軍を撃退し、アテナイがギリシアの覇権を握った。
尚、アテナイの名はギリシア神話の女神「アテナ」に由来し、加治木説に従えば、卑弥呼はアテナイの部族の末裔だった可能性がある。

紀元前4世紀中頃になると、辺境のギリシア人国家「マケドニア王国」が優勢になり、紀元前338年頃、アテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握った。
紀元前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王は、アケメネス朝ペルシャを征服後、パミール高原以西までを征服し、更にインド・ヨーロッパ・アフリカ・アジアを征服し、ギリシア文化を流入したとされている。

アナトリア半島からイラン高原、パミール高原、ヒンズークシ山脈、カザフスタンのステップ地帯を通って、ヒッタイト人がアジアに広がった可能性を前に述べたが、このアレクサンドロスの東方遠征も同様のルートだったと思われる。
アレクサンドロス(アラクサンドゥス)がヒッタイトの後裔だったことも、既に述べてた通りである。
つまり、ギリシアやマゲドニアにも、ヒッタイト人が浸透していたのだ。

pythago.jpg

ギリシアの数学者・哲学者であるピタゴラス(紀元前582年-紀元前496年)は、ゾロアスターの弟子だったと言われているが、それが事実であれば、ギリシアとペルシアには接点があったと考えなければならない。
紀元前518年頃、現在のアフガニスタンの位置にあったメディア王国が、アケメネス朝ペルシアに征服され、ペルシア帝国の一部となった。
が、紀元前328年頃、アレクサンドロスに征服され、アレクサンドロスに従ってやってきたギリシア人が在留した。

紀元前256年頃、ギリシア人「ディオドトス」が反乱を起こし、アフガニスタン北部にギリシア政権「バクトリア王国」を建国。
アフガニスタンは、卑弥呼の母「イザナミ」の出身国だった事を思い出して頂きたい。

『アレクサンドロスの征服と神話 興亡の世界史1(森谷公俊著)』には、次のような新説も発表されている。

「当時のギリシアはポリス同士が互いに争い、それを東方のペルシア王がたくみに操り、統制、支配していたのが実情です。
いわばペルシアの「西の辺境」ともいえる惨めな状態だったギリシアを屈服させ、統一したのがアレクサンドロス大王の母国・マケドニア王国だったのです」


さて、パミール高原のフンザ村に住むフンザ人は、パキスタン全域に浸透しているが、その起源は主にペルシア系で、アレクサンドロスの遠征軍の末裔だとも言われている。
このペルシア帝国を征服したアレクサンドロスの進軍が、ギリシア語で「スキタイ」と呼ばれる騎馬民族である。

スキタイは中国で「塞(サカ)」と呼ばれ、「スキタイ=サカ族」という事になり、その一部がネパールで「シャカ族」となった。
そして、釈迦が誕生する約200年前、ユーラシア大陸を席巻していたスキタイが、イスラエル10支族と合体していた可能性が非常に高い。

イスラエル10支族はアッシリア帝国の捕虜として拉致されたが、アッシリアを敵とするスキタイによって解放された。
既に述べてきた通り、イスラエル民族はヒッタイト人を尊敬し、また混血も少なくなかった。
それ故か、イスラエル民族は騎馬民族としての顔を持っている。
そして私の仮説では、スキタイは、滅亡したヒッタイトの末裔である。
よって、スキタイとイスラエル民族は、親戚のようなものだと言える。

31798906.jpg

飛鳥昭雄氏+三神たける氏著『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎(学研)』でも、次のように仮説されている。

「スキタイの発祥は黒海周辺だといわれており、民族的にはアーリア系で、ギリシア系の文化をもっていたことが分かっている。
が、騎馬軍団で遠い国まで遠征すれば、当然ながら多民族との交わりが多くなり、文化や習俗はもちろん、血縁的関係も深くなった。
失われたイスラエル10支族と接触があれば、間違いなく、彼らと合流したはずだ」


同書によると、アフガニスタンのパターン人(パトゥシュン人)、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、ミナシェ族、中国のチャンミン族なども、失われたイスラエル10支族の血を引いていることが明らかになっているという。
また、スキタイ系騎馬民族で、北東アジアを席巻した「夫余族」の始祖の名前を「解夫婁(ヘブル)」といい、ヘブライ人(イスラエル人)だった可能性が大である。

ヒッタイトは牛神バアルを崇拝する「牡牛族」であり、ヒッタイトの流れを汲むスキタイのシャカ族も「牡牛族」である事を前に述べたが、イスラエル10支族もまた、黄金の子牛アモン(バアル)を信仰する「牡牛族」であった。

2支族が編纂した現在の聖書では、アモンは悪魔とされ、10支族は背教者だとされているが、これには私は異論を持っている。
アモンのルーツはエジプトの太陽神アメン(=ラー)であり、多神教の主神となっている神である。
それを継承したモーゼも、牛神アモンを主とする多神教(イスラエル教)だったはずで、モーゼの頭に象徴される角が、その証拠である。

6148ac0c9df64fcb8b5b-LL.jpg

また、ユダ王国でも、アブラハム、ダビデ、イエスに至る王の1人で、アモンの名が採用されたアモン王(在位前642-640年)が君臨していた。
尚、アモンはヘブライ語で「信頼」の意。
そして、キリスト教で言う「アーメン」は文字通り「アメン(アモン)」の意であり、イエスが牛神アモンの受肉だった事を暗に示している。

つまり、背教者は10支族ではなく、いつからかアモン(バアル)を悪魔として貶め、「ヤハウェ1神教」となった2支族(ユダヤ人)の方だというのが、私の見解である。
太陽神アメン(牛神アモン)は、エジプトではピラミッド(山)の神でもあった。
モーゼがヤハウェ(アモン=バアル)から啓示を受けたのも、シナイ山であった。

加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』には、次のように書かれている。

――「ウマ」とよく似た「Uma(ウマー)」という名をもった女神が、仏教でいう「大自在天=シンドゥ教のシバ大神」の后の筆頭にいる。
……(中略)……
サンスクリット語では「Girisa(ギリーシヤ)」というのは「山の神」のことである。
このウマーも夫のルドラ(シバ神の別名)も山の神で、「ケーテ・ウパニシャツド」の詩中では「雪山(ヒマラヤ)の娘」と呼ばれて、帝釈天インドラや火の神アグニや風の神バーユよりも位の高い、慈悲深い偉い女神とされている。
卑弥呼の語源「ペマカ」と全く同じ性格の女神だ――


hgfhj.jpg

ギリシア系の流れを組む卑弥呼も、山の神(牛神)を信仰していたと言えるだろう。
そして、卑弥呼が信仰していた太陽神の正体が、ヒンドゥー教(シンドゥ教)のシヴァだった事を思い出して頂きたい。
シヴァは鬼神であり、聖書のアモン(バアル)に相当する。

更に、イスラエル10支族の流れも受け継いでいた卑弥呼は、牛神であり山の神でもある「バアル」を信仰していたことになる。
モーゼがシナイ山で出会った神が「バアル」だという推理が正しければ、卑弥呼がモーゼと同じ形態の二重主権制を採用していたことも頷ける。

古代史研究家の水上涼氏は、この政祭形式を執り行った卑弥呼を、イスラエル10支族の「シメオン族」だとしている。
だが単純に、「日向族=シメオン族」だと結論づけるのは早計である。
2支族は「ユダ族」と「ベニヤミン族」、そして祭祀を司る「レビ族」から成るが、「レビ族」と10支族の「シメオン族」は共同で活動する習慣があったようで、「レビ族とシメオン族は兄弟関係」だと表現される事もある。
但し、「レビ族」は祭祀を執り行なう立場上、10支族の北イスラエル王朝にも在住していたとされている。

いずれにせよ、卑弥呼が信仰していた神が、「牛神=鬼」だった事は確かな事実である。
また、ユダ族はヒッタイト人と深い血縁関係で結び付いていたが、ヒッタイト人が白人系だったならば、卑弥呼と同じく「天照大神」の受肉として誕生したイエスも、金髪碧眼の白人だった可能性も否めない……。
事実、ヒッタイト人は、典型的なギリシア風の顔立ちで描写されている。

misa-1.jpg

飛鳥説でいう「天皇=工人(大工)の白い王」がイエス・キリストを意味するならば、白は何を意味するのか。
飛鳥氏によると、白は光の色を表現しているというが、どうも釈然としない。
「イエス・キリスト=アルビノ」説も盛んに議論されているが、それが事実だとすると「皇」は「アルビノの王」という意味になる。
その可能性も否定はできないが、アルビノ説を持ち出す以前に、歴史的事実に目を向けなければならない。

古代イスラエル人はヒッタイト人に敬服してた。
既に述べてきた通り、夢蛇鬼説ではヒッタイト人は「皇(スメラ)族」だった。
ダビデ王はヒッタイト人の妻を娶り、ソロモンにはヒッタイト人の血が流れていた。
その事から、イエスにもヒッタイト人の血が流れていた事になり、卑弥呼と同じく白人系の特徴をもって生まれてきたと考えるのが自然である。

つまり、皇は「ヒッタイト人の王」を意味するのだ。
それを裏付ける根拠として、「スサノオ」の存在を挙げられる。
スサノオのルーツはヒッタイト神話にあり、十字架で処刑されたイエスも贖罪神「スサノオ」だった。
王仁三郎も「真の救世主はスサノオなり」と喝破した。
結論として、「皇=スサノオ」という等式が成立する。

namida0323.jpg

ちなみに、イエスは紀元前7〜4世紀に誕生し、紀元30年頃に処刑されたと考えられているが、紀元前4世紀誕生説を採用した場合、33歳くらいで死亡したことになる。
「双角王」の異名を持つアレクサンドロスもまた、33歳で生涯の幕を閉じており、不思議な運命が感じられる。

アレクサンドロスの軍勢に参与したユダヤ人が「秦」の支配者となった事も述べたが、それ故か、中国政府は「秦始皇帝陵」の移籍発掘現場の写真撮影を、断固拒否したというエピソードもある。
分かっている事は、「兵馬俑」と呼ばれる埴輪が発掘された事である。
これは、いわゆる「殉葬」の風習を受け継いだもので、そのルーツは古代シュメールにあり、ウル王朝(牛の意)の「ジュブ・アド女王墓」から、馬や人間の大規模な殉葬遺体群が発掘されている。

卑弥呼が他界した時も、100人を超える殉葬者がいたことが『魏志倭人伝』に記されているが、当時の中国にはそのような風習はなかった。
これは明らかに、「秦始皇帝」や「卑弥呼」が中国系ではなかった証拠だが、インドでは少し前まで、殉死を風習とする地域が存在していたらしい。

アレクサンドロスはペルシアと中国を征服した後、インドに向かったが、マレーシアやインドネシアには現在も、イスカンダル(アレクサンドロスのペルシア語)という名の人々が存在する。
アレクサンドロスは両親の系図に基づき、自分が絶対神ゼウスの子「ヘラクレス」の血統である事を自覚していたが、エジプトの神官による神託で「神の子」と告げられ、自分が「ゼウスの子」である事を確信したと言われている。

イスラム教の聖典「コーラン」でも、アレクサンドロスは「神(アッラー)から絶大な力を与えられて世界を征服した偉大な王」として記されている。

『ゼウス=アッラー=ヤハウェ=天照大神』

天照大神の勅命により、パミール高原を出発した「アマ族(天孫族)」の本隊は、このアレクサンドロス軍の子孫だったのではないだろうか。
アマ族が日本列島に渡来したのが紀元前3〜2世紀で、年代的にも符合する。
そして日向族は、パキスタン、インド、ネパール、ミャンマー、中国の江南地方を通って屋久島、鹿児島に拠点を築き、原住民(倭人=海人族)を併合して強大な国家「邪馬台国」を築いたようである。
posted by 夢蛇鬼 at 21:10| Comment(5) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
歴史的にも宗教的にも重要なところに来てますね。
紀元の始まりはイエス・キリストが誕生したと謂われている頃であり、皇紀の始まりは神武天皇が即位したと謂われている時です。
それ以前は混沌としている観がありますが、今はそこに目を向ける時代なのでしょうね。
その日以降と以前・・・・自己と他者の意識の合流に似ている気がします。
閣下が取り組んでくれていると思うだけで満足で、なかなか難しくて内容を把握はできないのですが・・・
閣下の記事が複素平面のように感じています。。。
Posted by オクト at 2010年04月05日 23:30
皇紀も聖徳太子の陰謀ですね(笑)
次の記事は神功皇后(天照大神)と八幡です。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月06日 05:28
途中からトンデモ説になってワロタw
Posted by at 2011年06月12日 12:16
世に中には多くのトンデモ説がありますが、それは一般常識から逸脱しているだけであって、1つの仮説として私は頭ごなしに否定しないスタンスをとっています。
Posted by 夢蛇鬼 at 2011年06月17日 15:47
この記事の下から3番目のシヴァ神の画像は拙ブログからの無断転載とお見受けしました。
画像の削除または他の著作権的に問題ないものへの差し替えを希望します。
何卒ご検討ください。
Posted by 九郎 at 2011年09月14日 01:49
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。