2010年04月04日

ギリシアの女神「卑弥呼」の謎

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日向族の中で、ヨーロッパ系の特徴を備えていたのは卑弥呼だけではない。
現在でも、鹿児島から沖縄地方にかけて、ヨーロピアン風の容貌を持った人たちが数多く存在している。

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加治木氏は『黄金の女王・卑弥呼』の中で次のように述べている。

『私たちは、いま、邪馬臺国が、もと沖縄から出た人たちの政権であったことをはっきり知っている。
とすれば、過去の九州北部説や大和説などが思いもしなかったことが、重要な大問題として浮かび上がってくるのである。
それは沖縄の与那国島と呉とは、海をへだててはいるが、九州本土までの距離より、はるかに近いということである。
そして台湾が古代には「小琉球」と呼ばれて、沖縄の統治下にあったことも事実である。
そこからなら、呉の海岸へ百五、六十キロメートルしかない。
そしてその呉の大帝・孫権の一族は背が高く、色が白く、目と鼻が大きく、ときどき碧眼の子供が生まれた。
青い目をしていたのである。
それを「中国人には、たまにそんな人が生まれる」などといってすましてはいけない。
それには理由があり、歴史という学問ではそれがなによりも大切なのだから……。
私たちは、いつからか分からないが「呉」の字を「ゴ」と発音している。
しかし中国では古来、南北とも「ウ」で、語頭の「g」は私たちの耳には聞こえない。
その中国の北には有名な「万里の長城」があるが、それを中国人に作らせた北の強国の一つに「ウソン(烏孫)」というのがある。
呉王も「呉・孫」は「ウ・ソン」なのだ。
これだけならタダ同じ発音だというだけだが、もっと重大なことがある。
それは烏孫人が、やはり青い目、金髪の混じった地中海人だったことだ。
彼等はギリシア人たちと同じ仲間だったのである。
それはその名をみても分かる。
「ウソン」と呼ばれた元の名は正確には分からないが、それはギリシアの古代の勇士イヤソンなどと同じ語尾をもっている。
これを見ると孫権は元はその烏孫人であって、それを中国風に一字ずつ切って、国名と姓にしたと考えることができる……』


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『また呉は「ウ」だけでなく「ウー」とも発音される。
それは南中国系の「呉さん」は皆そう呼ばれているし、「呉淞」と書いてウースンと読む地名が上海にある。
そして孫権の一族が「ウー」氏で、その一族もまた日本の南島へやってきていたと仮定すると「ウー」は「大」。
その国は「大国」=大島。
奄美大島がそれで、そこの王が「大国主」だということにもなる。
そしてヒミコ「下照姫」はその娘だと「記・紀」に書いてある。
これもまた結論はあとに譲るしかないが、卑弥呼が呉の孫権と同じく烏孫系のギリシア人だった可能性は、更に高くなったわけである』

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この説に、例の『竹内文書』のイザナミの話を重ね合わせると、卑弥呼の母・イザナミは烏孫で、アフガニスタンから来たギリシア系の人だったことになる。
ギリシア系アフガニスタン人とは……。
既にお気付きの方も多いと思うが、その前に少し長くなるが、加治木氏の『言語復原史学会 大学講義録』から、参考になる記事を紹介したい。

――漢訳や沖縄の対岸、呉で始まっていることも軽視できない。
なぜなら過去に日本史学者が「世界・字宙」などと解説して来た「六合」は、その呉の一部が「六合県」として、今もなお古代の史実を伝えているし、「六合=リクアウ=陸奥=リクウ=琉球」という日本語が生み出した地名があることも解析済みである。
また卑弥呼と同時代の呉の皇帝・孫権とその父がウースン系のギリシャ人の子孫であり、呉孫権(ウースンキン)、呉孫竪(ウースンキン)はどちらもウースン公(きん)という名乗りへの九州語読みの当て字であり、大隅も奥州も奥村も宇佐もまた、このウースンへの当て字であることはすでによくご存じで、当時の沖縄と呉との間に、国境や国籍を考えるのは間違っているからでもある。
卑弥呼は呉の文化の系列に属しながら、もう一つの最先進国インドの高度の文化=仏教で教え導くという当時の最高の教養人。
その名の語源はパーリ語の「愛・慈悲者=ペマカ」だが、彼女はそれに漢字を当てる際、さらに熟考したことまでわかる。
それはもう一つの称号、例の「アヴァ ロキ テスヴァラ」の、筆頭の「アヴァ」は「卑」という意味で、卑弥呼の頭文字に一致し、「ロキ テスヴァラ」は「その世人を高め栄えさせる」だから「弥栄えさせる人」という意味の「弥=彌と子=グァ=呼=説教者」を当てて、非凡な思考力を明瞭に見せているからである――


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――アテナは、ギリシア神話に登場する女神。
平和のための戦いの神であると同時に戦略、芸術、建築、陶芸、工芸、知恵、平和、造船や家具の製造と行った工業の分野でも祭祀を受ける神である。
しかし、血気盛んで好戦的な軍神アレスとは趣を異にし、知性を重んじ戦いの主な防衛を目的とした神である。
アテナは知性、技術、戦いを司る処女神でアテネ市の守護神だった。
アテネ市はB.C.E.5世紀の対ペルシャ戦争に大勝利後、デロス同盟を結んでギリシャ最強の大国、政治経済の中心になり、クレイステネスの改革で民主政治を確立した全世界の先進国だったが、ペロポンネソス戦争に敗れて衰退した工業港湾都市国家で、今も製鉄、繊維、化学、食品工業の中心都市である。
この像と観音像の共通性の多さと、卑弥呼らの史実と、「記・紀」の天照大神の記事を考えると、鉄器・繊維・化学の先進文化と民主主義といった先進文明が色濃く見られ、また沖縄本島の「嘉手納」も、韓・漢と同じく語頭のk音がなくなればアテナへの当て字であることも、すでに他のギリシャ神名などと共に検討済みで、卑弥呼らの血統には、このナテネ人の血と知性と技術と思想と信仰が重なりあっていることがわかる。
このアテナの像は異様な冠をかぶっているが、中央は女性の頭部、向かって左は馬、右は羊のように見える。
この発想は十一面観音や馬頭観音に結びつく。
これまではなぜ、仏が頭の上にコブのような小さな頭を乗せているのか?
またなぜ、馬の頭の観音がいるのか?
いろいろな説明を聞いても納得できなかったが、この像を見ればそれはこのアテナ像が発想の源だったとわかる。
それは当然のことで仏像がギリシャの神象をモデルにしてギリシャ人によって作られ始めたことは周知の事実だからだ。
卑弥呼はその金髪の見事さで両親を驚かせ、天照(ゼウス)大神に仕えるピュティア(稗田阿礼)として天に送られた。
そこで彼女は「アマゾン=女性国」の指揮者になったとしたら、知と技と学と戦さの女神・アテナの地位にあり、光華明彩、天孫(アマゾン)族の始祖、天照大女(み)神、機織り、スサノオとの対決の武装、剣、弓、曲玉、八爬(ヤアタ)の鏡が、このアテナ像に全て揃っているのを見る。
右手にしているのが剣、左手に持つのが弓である。
このアテナ像は「金色」に塗られていた。
卑弥呼の金髪がなぜ、両親に愛児を手放させるはどの威力をもっていたか、それはアテネ人の黄金崇拝に根差している。
それはソナカ宣布団にも受け継がれていた。
彼らは東方の金地(スパルナ・ブーミー)国を求めた。
だからこそミャンマー、タイから奈良まで、大仏は皆「金色」なのである――


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卑弥呼にギリシア系の血が流れていた証拠はまだある。
引用ばかりで恐縮だが、『黄金の女王・卑弥呼』には次のように解説されている。

『ではカンジンのギリシャはどうだろう……。
それはいちばん尊敬されていなければならない。
ふつうの地名ではないはずだ。そうなのである。
それはちゃんと日本建国の第一の聖地、あの「天孫降臨」の場所に与えられていたのだ。
キリシマがそれである。なぜか?
語尾の「マ」が国のことであるのはよくご存じである。
「ヤ」もまた「国・地方・土地・世界」を意味する。
ギリシャ、イオニヤ、フェニキヤ、インディヤ、マラヤ、シベリヤ、カノヤ、アサガヤといったふうに使われている。
これは最初、「ギリシャ山」と呼ばれていたものが、後世に当て字をするときには、実力者が、その国称を「マ」という人々に変わっていたため、そして清音人だったために「キリシマ」とい変わった上、当て字も漢字化して「霧島」になった』


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そして、次のように続いている。

『このキリは新羅の古名「鶏林」にも合う。
鶏は福建語で「ケイ」。
これは「キ」と聞こえるし沖縄では「キはチ」になる。
「キリン」は「キリ之国=キリシマ」のことだったのである。
また中国の正史「旧唐書」では倭国と日本国は別で、その日本の条件は鹿児島県に合うが、東と北は大山があって国境になっており、その向こうは「毛人の国」だと書いてある。
その大山はぴったり霧島に一致するが毛は沖縄音「キ」。
中国人のジン=人の発音は「リ」と聞こえる。
「シマ」は「之国」で「キリシマ」。
これでみると「記・紀」に出てくる「毛人」はギリシャ系の人々だったことになる』


この説は私にとって意外だったが、或る不可解な謎と後に辻褄が合うことになる。
何故、彼らが毛人だったのか、細かいことは同書をお読み頂きたいが、加治木氏は次のように結論づけている。

『これを見ると、鬼界ヶ島の「鬼」もこの「キ=毛」と同じものであって、「鬼界」とは「ギリシャ人の世界」をあらわす名だったのである。
それが「魏志倭人伝」の「鬼国」「鬼奴国」と密接な関係があることはいうまでもないし、なによりも私たちが今、検討している「鬼道」が、その人々の「道=宗教であり、政治でもある=法」だったのだということである』


つまり、アイヌ人(蝦夷・毛人)は、ギリシア系の民族だということになる。
彼らは「倭人」である。
倭人は時の中国で「オニ」と発音されていた。

『倭人=オニ=鬼=ギリシア人』

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倭人はインドネシア系の海人族である。
それを、日向族(ギリシア人)が併合したと考えて良いだろう。
一方、同じく「鬼」で象徴される出雲族のスサノオも、ギリシア系の人だったのだろうか。
答えは「YES」である。
但し、イコールで括れるほど、問題は単純ではない。
古代中東には、様々な民族が混合していたからである。
posted by 夢蛇鬼 at 22:52| Comment(3) | 邪馬台国と卑弥呼の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
2000年かけてイエス・キリストに一極集中していったものを、反キリストの閣下によって、それ以前に解き放たれていくのですね。
これは精神的農奴解放ですね。

西洋の一次元的な見方を「数直線」に譬えれば、東洋のそれは「複素平面」、大小を超越した「虚数」の世界にある―『虚数の情緒』
Posted by オクト at 2010年04月04日 23:15
複素平面は僕には難し過ぎる世界ですが、東洋を面と捉えるオクトさんの感性は素晴らしいものがありますねぇ!
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月05日 20:18
写真追加しました。
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月16日 12:30
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