2010年04月02日

出雲王朝と邪馬台国の謎

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火星の謎については長くなるので別の機会に詳述するとして、話を元に戻そう。
紀元30年頃の日本列島の様子について、引き続き『邪馬台国の謎と逆転日本列島』から引用させて頂く。

――福建省あたりから分離した西日本列島は徐々に東へ移動するとともに、わずかながら反時計回転している。
台湾は南下し、西南諸島は西日本列島の周りにまとわりついている。
そして、西日本列島の南東には、東日本列島が急接近している。
青森県を南にしたまま、ちょうど北西にスライド、並行移動した印象を受ける。
西日本列島の間は、わずか100キロ前後。今にも衝突しそうである。
おそらく、このまま西日本が東へ移動し、同時に東西日本列島は長野県の方を中心にして反時計回転。
これに呼応するように、激突された西日本列島も、九州の方を中心に反時計回転し、現在のような日本列島の姿になっていくと考えられる。
興味深いのは、北海道だ。
東西日本列島と北海道の相対的な位置関係は、ほとんど変わっていない。
おそらく、同じプレートに乗って移動しているためであろう。
この時点で、北海道は新潟沖に位置する。
「出雲風土記」の「国引き神話」で、島根半島は朝鮮の新羅と北陸、そして北門から引っ張ってきた国土によってできたとされた。
北門が、いったいどこを指すのかはよくわかっていないが、ひょっとすると北海道なのではないか……
紀元30年ごろに、北海道がこの位置にあったとすると、島根県までの距離はかなり近い。
北陸と同じくらいである。
北海道とともにあった陸塊が山陰地方に激突した可能性は十分ある。
松本清張の小説「砂の器」で知られるように、かねてから島根県には、東北弁が局所的に話されている。
この事実は、島根半島に衝突した島に、北海道及び東日本列島の島々が住んでいたことを物語っているかも知れない――


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これが事実であれば、兼ねてから述べている通り、北海道と東北地方を中心に、北陸や関東に及ぶ地域に分布していた「出雲族」の一部が、この時期に島根県(出雲地方)に移動した可能性が高い。
更に、『秀真伝』と『日本書紀』の記述をMIXして考えると、海路ルートで青森県から上陸した出雲族は、現在の宮城県で『日高見高天原王朝』を築き、紀元30年頃に新羅に移動して、その後、出雲地方の「須佐の港」に移住した。
「須佐」の語源はエラム(後のペルシア)の首都「スサ」であり、スメラ族が最終的に遷都したのが、出雲地方だったのだろう。

この出雲族の民族構成が、エドム人やフェニキア人を含むアイヌ人、及びヒッタイトのスメラ族とイスラエル10支族の混合民族だと私は考えているが、民俗学的には一括りに「アイヌ人」とされているようである。
そして、「アイヌ人」と九州のアイヌ人「熊襲」が武力抗争を起こしていたことは、多くの学者が唱えている。
これがいわゆる、「出雲族と日向族の対立」なのだろうか。

時は流れ、紀元300年頃の日本列島のデータでは、東西の日本列島はフォッサマグナで激突し、九州を中心に反時計回転をしており、それは『魏志倭人伝』が語る「逆転日本列島」と一致する。
この時代は、邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代である。
このアメリカの極秘データと『魏志倭人伝』の記述を照合すると、邪馬台国の場所は畿内であり、現在の沖縄の海上に位置していたことになる。
詳細は『邪馬台国の謎と逆転日本列島』(学研)をお読み頂きたいが、私はこの仮説を絶対視している訳ではない。

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さて、卑弥呼とは一体何者だったのだろうか。
これについて、明確な答えを出している人を私は知らない。
『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は鬼道という妖しげな呪術を使い、衆を惑わしていたという。
但し、卑弥呼を見た者は少なく、弟を通じて民衆と話をしていたとされている。
この政祭スタイルはモーゼと同じで、モーゼもヘブライ人(イスラエル民族)とは直接的に話をせず、兄のアロンを介していた。
アロンはイスラエル2支族の「レビ族」で、祭司の祖とされている。

歴史学者の鳥越憲三郎氏は、著書『神々と天皇の間』(朝日新聞社刊)で、古代天皇の政治形態は兄が祭事権を司り、弟が政治権を担当するという二重主権制だったことを述べている。
これはどうも、シュメールの時代からの伝統だと思われる。
卑弥呼の「鬼道」については諸説あるが、「鬼」はモーゼを意味している可能性がある。

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モーゼはシナイ山で「ヤハウェ」の啓示を受けた。
当時のシナイ山は噴火山だったが、「バアルは火山に降臨する神」と言われており、モーゼが出会った神は、「バアル」としてのヤハウェであったと思われる。
「バアル」と「ヤハウェ」という別の人格神が存在するのではなく、1柱の神の裏と表である。
バアルは牛神であり、「角」をもって象徴され、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂のモーゼ像にも角が生えている。

ところが、中世以降のキリスト教会で、角の生えたモーゼの姿が異教的(バール=サタン)とされた為、「光」に変えられた。
現代の聖書では、シナイ山から降りて来た時のモーゼの顔から「光」が出ていたと訳されており、「光」は「ヤハウェ」を象徴する。
それは、モーゼがヤハウェの啓示を受けたことを意味するのだが、本来は「光」ではなく、「角が生えていた」と記述されていたらしい。
いずれにしても、バアルは「ルシファー」と同一神であり、同じく「光」で象徴される。

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ギュスターヴ・ドレの聖画では、モーゼの角は「光の角」として表現されている。
またモーゼは、エジプト脱出の際、バアル神殿に宿営を張ることを「主」に命じられている。
つまり、モーゼは主(バアル)の預言者であり、バアルの受肉(現人神)だったと考えられるのだ。
換言すれば、モーゼも「スサノオ」であった。
つまり、イスラエル民族の宗教である「イスラエル教」は「バアル教」だったのだ。

後に、イスラエル民族は宗教対立によって「2支族」と「10支族」に分裂し、バアル信仰の10支族が消息を経った為、表舞台のイスラエル民族はヤハウェ信仰の2支族の「ユダヤ人」だけとなった。
そしてイスラエル教は、ヤハウェを「主」とする一神教「ユダヤ教」となり、聖書が改竄されたと考えられる。

ユダヤ人は「アロンの子孫」と称しているが、モーゼは葦舟で流された拾われ児だったので、アロンの実弟ではなかったことは明白である。
一方、モーゼは子孫を残さずに昇天(行方不明)したとされているが、日本に渡来していたという説がある。
これは『竹内文書』のことではなく、熊本県の阿蘇山の南にある弊立神宮(日の宮)に伝わる秘宝「五色神面」と呼ばれる5つのお面で、その1つがモーゼの顔を象ったものだという。

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もう1つ、「水の玉」と呼ばれる秘宝があり、ユダヤ人が地中海沿岸で発見したもので、モーゼと共に日本に渡来したユダヤ人たちが弊立神宮に奉納したという。
この奇妙な伝承の真偽は不明だが、ユダヤ人(2支族)がエドム人やフェニキア人と共に、海のシルクロードから日本列島に渡来していたことはほぼ確かな事実で、この2支族のユダヤ人もまた「海人族」であった。
もしかすると、彼らが「熊襲」と呼ばれるようになり、後世に大陸から渡来した2支族のユダヤ人(日向族)と合併し、アイヌ人・エドム人・10支族等で構成される部族と対立していたのかも知れない。
本居宣長や鶴峰戊申は、卑弥呼は熊襲の女酋長だったと考えたが、熊襲の一部が畿内で邪馬台国を開いたというのが真相に近いと思われる。
このような事から、卑弥呼の鬼道はモーゼの「バアル信仰」であったと考えられるのだ。

前述の通り、当時の邪馬台国は沖縄地方の海上に存在した。
即ち、琉球王朝の文化圏であり、邪馬台国の民衆は倭人(海人族)であった。
紀元前から琉球王朝と日向王朝を往来していた日向系の倭人は、琉球古陸の分断と沈没、及び日本列島の位置転換によって、紀元300年頃には沖縄と畿内を中心に定着していたと考えるのは自然な流れである。

アリオンによると、鬼(スサノオ=出雲族)は、日向族によって封印されたという。
定説では、鬼道を使う卑弥呼の邪馬台国は、騎馬民族によって征服されたとされている。
そして、イスラエル10支族が古代オリエントから受け継いだ「バアル信仰」はまさにに、日向族が虐げてきた「鬼」である。

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すると、「卑弥呼」などという侮辱した当て字を使い、「鬼道で衆を惑わす」と書き記した中国人は、日本列島に渡来前の騎馬民族だった可能性がある。
という事は、卑弥呼は「出雲族」だったことになる。
実際に、卑弥呼は「出雲族」の特徴を備え過ぎており、「卑弥呼」という名前も、日向族が編纂した『記紀』から抹消されているのか記録に残されていない。
これは、10支族が信仰していた「バアル」を悪魔にすり替えて聖書を改竄した2支族と、出雲族が信仰する「スサノオ」を悪神として日本史を改竄した日向族とオーバーラップする。

しかし、定説では卑弥呼は「日向族」である。
それは、「邪馬台国=日向説」や「卑弥呼=日向(ヒムカ)」が根拠となっているのだが、果たして真相はどうなのか。
結論から言えば、卑弥呼は「日向族」にカテゴライズされる人物である。
更に、卑弥呼は鬼(牡牛族)であるはずだが、「龍蛇族」に分類される。
そもそも、牛(鬼)であるモーゼも、「青銅の蛇」を掲げている。

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まず、卑弥呼を含む邪馬台国の倭人のルーツが、南方系海人族であることは間違いない。
彼らの中に、マヤ人やインカ人などのネイティブ・アメリカンが混合していたことも、間違いないだろう。
鬼道とは「シャーマニズム」であるとされ、ネイティブ・アメリカンのそれと酷似しており、「言挙げせぬ」卑弥呼はアマ(海人)族の特徴を持っている。
その「鬼道」と呼ばれるシャーマニズムこそ、日本神道が成立する以前の「古神道」であり、ホピ族の「生命の道」との共通点も指摘されている。

『魏志倭人伝』には「倭地温暖、冬夏食生菜」と記されており、邪馬台国は一年を通して温暖な気候で、生菜食をしていたことが分かる。
また、「男子無大小皆黥面文身」とあり、男子は大人も子供も、顔や身体に入れ墨を入れていたという。
これは倭人の特徴で、沖縄や台湾でも最近まで入れ墨の習慣があり、ニューギニアやポリネシア、東南アジアでは現在も入れ墨をする習慣が残っており、メソアメリカにも入れ墨の習慣があった。
これは、海洋民族故に素潜りで漁をする際に、サメやウミヘビを避ける為だと考えられている。
インドネシアのジャワ島やスマトラ島も、『魏志倭人伝』が語る倭国の気候や倭人の風習と全く同じだが、とりわけジャワ島が『邪馬台国』の直接的なルーツになっているようだ。

『邪馬台国』の語源についても様々な説があるが、5世紀、インドへ渡った中国の僧侶・法顕は、『仏国紀』の中で、ジャワ島のことを「耶婆提国」と記している。
これは、サンスクリット語で「大麦の島」を意味する「Yavadvipa」の漢字音訳で、「ヤバダイ・ヤマタイ」と発音される。
東洋史学者・内田吟風氏は、「邪馬台国=耶婆提国(ジャワ説)」を提唱したが、『魏志倭人伝』が語る邪馬台国がジャワ島だとするのは早計である。
ジャワ島は、あくまでも邪馬台国のルーツと考えるべきであろう。
では、卑弥呼の「鬼道」もジャワ島に由来するのだろうか。
posted by 夢蛇鬼 at 01:50| Comment(4) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このあたり古代史は霊的磁場が測定不可能なので、入ってはいけないものを感じていました。
閣下は聖徳太子を諸悪の根源というけれど、イエスを通してエホバに対峙できるように、聖徳太子を通して日本霊界に対峙できます。
聖徳太子以前の日本は精神分裂なので、その鬼気に当たらないために閣下が必要なのです。
私には閣下と同じくらい聖徳太子も必要です。
Posted by オクト at 2010年04月02日 20:32
天皇家と秦氏の欺瞞は聖徳太子に端を発します。
それが必要悪、御用の悪であった事はオクトさんも十分理解しているはずです。
僕も聖徳太子は尊敬していますよ〜
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月03日 02:31
はい、よく理解しています。
太子は、歴史を無為自然な流れにまかせず操作するためにダム工事を成し遂げたようなものかもしれませんね。
閣下から3行目の言葉を引き出したいための罠です^^
「愛してる」と言わない男に何とかして言わせたい・・・・って衝動みたいな(笑)
Posted by 木花咲夜 at 2010年04月03日 06:37
やはり、そういう裏がありましたか・・・
一本取られました^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月03日 20:21
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