2010年03月31日

国津神の先住民王朝と天津神の征服王朝の謎

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天津神とは渡来系民族で「天孫族」を指し、国津神とは先住民である「倭人」を指すというのが通説である。
既に説明した通り、天孫族はパミール高原から天降った「出雲族」と「日向族」であり、それ以前に日本列島に先住していた南方系海人族が「国津神」である。

日本の先住民には、おおよそ次の9種類が存在したとされる。
「隼人(ハヤト)」「熊襲(クマソ)」「肥人(クマビト)」「土蜘蛛(ツチグモ)」「国栖(クズ)」「古志(コシ)」「粛慎(ミチハセ)」「毛人(エミシ)」「蝦夷(エミシ)」

まず、九州の「隼人」と「熊襲」が、同一系統と考える学者は多い。
次に、九州・近畿・東北に居住していた「土蜘蛛」は、土神で「国津神」と同義語だとする見解がある。
「国栖」は、『常陸国風土記』によれば「土蜘蛛」の別称だとされている。
「古志」は「高志」と記されるケースもあるが、『古事記』には、肥の川の上流に「高志の八岐大蛇」がいたとされており、「コシ=肥人」と考えることができる。
「粛慎」は、佐渡島に船に乗って溜まり、魚を食料にしていたとされている。
「蝦夷」と「毛人」もほぼ同じ民族で、アイヌ人だとされている。
以上の事柄を別の角度から、もう一度見てみよう。

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中国の史書『新唐書』に「ソレ東の海峡中二又邪古(ヤコ)、波邪(ハヤ)、多泥(タネ)の三小王有リ」という一説があり、歴史学者の喜田貞吉は、「邪古」は「夜句」(屋久島)、「多泥」は「種子島」、「波邪」は「波邪島」を意味するとし、「隼人」は「波邪島に住む人」だとした。
尚、「波邪」は鹿児島県全域(熊毛地方)を指し、インドネシア系部族だとされている。

古代史評論家の佐治芳彦氏は、「隼人も熊襲も肥人も、広義のインドネシア人、マラヨ・ポリネシア系だった可能性が高い」と述べている。
法史学者の中田薫氏は、「土蜘蛛」はアイヌ語の「トンチ=カムイ(神)」 だとしている。
また、土蜘蛛の異名である「国栖」は、『日本書紀』では「国主」と記されており、先住民王朝の支配階級だった可能性もある。

「コシ」は 東北及び北陸地方を指すが、喜田貞吉博士によれば、千島アイヌの部族名「クシ」と同語だという。
「蝦夷」と「毛人」は共に「エビス」と呼ぶが、佐治芳彦氏はこれもマラヨ・ポリネシア系だとしている。

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また、畿内には「兄宇迦斯(エウカシ)」「弟宇迦斯(オトウカシ)」と呼ばれる人の記録があるが、「ウカシ」はアイヌ語の「長老」のことだという。
そして、地名学の見地から見て、九州の先住民もアイヌ人だと言われている。
大雑把ではあるが、これらをトータル的に検証すると、日本列島の先住民の殆んど全てが「南方系海人族=倭人=アイヌ人」だったことになる。

梅光女子大学教授の国分直一氏も「日本海人族文化説」を提唱しているが、彼らのルーツは主にシュメール系インド人の「ドラヴィダ族」で、蝦夷は「エブス人」、毛人は「エドム人」である可能性が高い。
そして、エブス人やエドム人と共に、カナン系やイスラエル系、エジプト系のフェニキア人(俗に言う海の「ユダヤ商人」)、更にはイシュマエル人(アラブ人)、アフリカ人等が、倭人の航海ルートで日本列島に上陸し、倭人と融合していったようだ。

彼らの中でも派閥や対立はあったであろうが、全体的には調和した生活をしていたと思われる。
そして紀元前3〜2世紀、天孫族がパミール高原から日本列島に降臨した。
一般的に、「天津神が国津神を封印した」と言われているが、これはアバウトに見れば正しいと言えるが、正確とは言えない。
既に明らかになっている通り、出雲族は倭人とほぼ同一民族だが、日向族も先住民を併合しているからだ。
日向族が併合した先住民が「徐福」であれば話の筋は通るが、どうも「倭人」をも巻き込んでいたようなのだ。

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だが日向族は、出雲族と日本で落ち合って協定を結ぶ予定だったので、先住民を統合したのも自然な成り行きだったとも言える。
北川氏の見解によると、「日向族は九州に上陸して先住民を併合していった」という。
九州の先住民とは、「隼人」と「熊襲」である。

ここで、佐治芳彦氏が興味深い指摘をしている。

「……熊襲の祖神は案外、山幸ことホオリノミコト、つまりヒコホホデミノミコトだったかもしれない。
ちなみにヒコホホデミの陵墓と伝えられる日向の高屋山上陵は、鹿児島県姶良郡の溝辺村にあるが、ここは隼人というよりは、熊襲のテリトリーに入る。
とすれば、ヒコホホデミ――ウガヤフキアエズ――カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)と続く日向王朝は熊襲王朝ということになりかねない。
つまり崇神系の景行天皇のとき日本武尊に討たれた熊襲のカワカミタケルこそ神武王朝の嫡統だったのかもしれないのである」

(「日本国成立の謎」日本文芸社)

恐らく日向族は、九州の豪族である「熊襲」を吸収したのである。
その他、日向族に服従した倭人の部族は、全国的にも少なくなかったようである。
posted by 夢蛇鬼 at 02:49| Comment(0) | 天孫降臨と建国神話の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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