2010年03月30日

世界の高天原と葦原中国の謎

人間界を現世(うつしよ)というが、神界で起きた出来事がタイムラグを経て人間界に移写されていることは、『日月神示』や「スウェデンボルグ」も述べている。
つまり、神話は神界での出来事と人間界での出来事の二重構造になっているのだ。
従って、本当の「高天原」は神界を指し、『日月神示』によれば宇宙全体のことだという。
中でも、我々地球人にとって、直接的な「高天原」は太陽であろう。
では、地上における「高天原」はどこに存在するのだろうか。

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ノアの大洪水後、最初の高天原は、ノア一家がアララト山系から降りたタガーマハラ(タガーマ州ハラン)であろう。
もっとも、アララト山系そのものが「高天原」だったと考えて良い。
そして、アーリア人(恐らくヒッタイト系)がイラン高原に移動したことで、イラン高原も「高天原」になったとも言える。
また、徐福が富士山麓に王朝を築いたのであれば、富士山も「高天原」である。

『宮下文書』によれば、それより遥か以前の約6300年前、ペルシャ東北地方から日本列島に渡来した神々が、富士麓に王朝を築いたという。
年代はともかく、ペルシャの地はエラムであり、首都はスサだった。
エラムが滅亡し、スサの王が東の果ての日本列島に移動して富士高天原王朝を樹立した後、再び世界各地に散らばり、その末裔が日本列島に戻ってきたとすれば、王仁三郎の「里帰り民族説」は、最後の部分だけを霊視していたと考えることもできる。

日本人の原郷を「高天原」だと定義すれば、世界各地に高天原があったということになる。
従って、高天原の所在地について様々な説があるが、いずれも間違いだとは言えない。
要は、アララト山系から降りたノア一家の子孫たちが、日本列島に渡来するまでに定住していた山々や高原などの全てを「高天原」と呼ぶことができる。

それを裏付けるのが「葦原中国(あしはらのなかつくに)」である。
天孫民族は、葦原中国の統治の為に高天原から降臨したとされる。
この「葦原中国」は日本のことだとされているが、高天原が世界各地に点在したとすれば、葦原中国も世界各地に点在したことになる。
まず注目するべきは、ニニギノミコトが高天原から降臨した、日向の高千穂の峰(葦原中国)もまた、「高天原」だということである。
つまり、ノア一家がアララト山系(高天原)から降りて住み着いたタガーマ州ハラン(葦原中国)も「高天原」なのだ。

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その後、セム族はタガーマハラ(高天原)からシュメール地方に降臨した。
シュメール人は、自分たちの国を「ギー・エン・ギ」と呼んでいたが、その意味は「葦の繁る地」で、後に「メソポタミア」と呼ばれるようになったが、それは「河の間」という意味で、チグリス河とユーフラテス河の間にあるメソポタミア(ギー・エン・ギ)地方は、まさに「葦原中国」なのである。
更に、その葦原中国であるメソポタミア地方が高天原となり、そこから移動した土地(古代文明発祥地)が新たな「葦原中国」となる。

事実、シュメール人一派が移住した黄河地方は文字通り「中国」だが、そこは黄河と楊子江の大河に挟まれた地域である。
それだけではない。
古代史評論家の佐治芳彦氏は、『日本国成立の謎(日本文芸社)』の中で、このように指摘している。

「ナイルの三角州に成立した葦原の中ッ国(エジプト)と、インダス河の三角州に成立したモヘンジョ・ダロの葦原の中ッ国、ガンジス河口の三角州の葦原の中ッ国、それにインドシナ半島のメコン河の中流のバンチェンの中ッ国、これはのちに『海のシルクロード』とよばれた古代航海民の開拓した航路上にある。
そして、この中ッ国もすべて西から東へ移動している。
そして、もっとも重要な点は、この葦原の中ッ国の二本の移動線が、豊葦原の中ッ国――日本列島に、みごとに収束されていることだろう」


それでは次に、日本神話における「高天原」と「葦原中国」、そして「天孫民族」の謎に迫ってみよう。
posted by 夢蛇鬼 at 16:59| Comment(0) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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