2010年03月29日

富士高天原王朝と七福神の謎

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「八」は出雲族の象徴だが、もしかすると「ハッティ(ヒッタイト)」を意味しているのかも知れない。
そして、「八」と「秦」で「八秦」→ 「八幡(やはた)」となり、京都府八幡市は製鉄所で有名である。
恐らく、シン(秦)は元々シュメール人が築いた国で、そこにヒッタイト人+イスラエル10支族が融合して「秦」が成立したと考えられる。
その後、ギリシア系バクトリア王ディオドトス率いるペルシャ系騎馬民族+2支族(ユダヤ人)が侵略し、秦の支配者となったようだ。

だが後に、紀元前334年頃、アレクサンドロス大王率いる騎馬民族がペルシア帝国を壊滅させた。
そして、現地のユダヤ人を従わせて、秦を支配していたペルシア系騎馬民族を焼き殺し、長安を作ったという説もある。
この事から、秦を滅ぼして漢を建国した反秦軍は、アレクサンドロス軍だった可能性もある。
先述の通り、漢を建国したのは、秦に反乱を起こして破れた河南人の意志を継承した反秦軍である。

紀元前538年、フェニキアがペルシアの4属領に分割され、捕囚のユダヤ人が解放されたが、この頃にフェニキア人も中国に移動した可能性がある。
フェニキア人は多民族で構成されているが、民族的には主にハム族のカナン人やエブス人系だが、限りなくイスラエル民族に近いと考えられる。
以前述べた通り、カナン人は、イスラエル民族とかなりの割合で混血していた可能性がある。
そして、カナン人とイスラエル10支族はバアル(スサノオ)信仰である。

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また、アレクサンドロスは「イスカンダル双角王」と呼ばれ、牡牛族だったことが分かる。
河南人がカナン人だとすると、秦・ユダヤ人に対抗するアレクサンドロス勢力だったということで、一応話の筋は通る。
注目すべきは、ヒッタイト人は「イスラエル12支族」と同化しており、「ディオドトス軍」にも「アレクサンドロス軍」にも2支族がいた。
そして、紀元8年に前漢が滅び、紀元25年に光武帝(劉秀)が後漢を興したが、この時に、漢の支配者が秦の勢力に移り変わったのではないかと思われる。

少しややこしい話になったが、この流れを1つの仮説として記憶に留めておいて頂きたい。
尚、哲学者プラトンの弟子アリストテレスがアレクサンドロス王子の家庭教師をしていたが、プラトンはゾロアスターの弟子だったという説もある。

さて、秦代に大勢の使者が、日本列島に渡来した記録がある。
王仁三郎によると、太古の富士山にあった「高天原王朝」から天孫民族が降臨し、世界を統治すべく各地に散らばり、最初にできた王朝が出雲で、スサノオは大国主命に日本を任せて朝鮮に渡ったという。
だが、私はこの説には懐疑的である。
王仁三郎の「富士高天原説」は、霊言による口述ではなく、恐らく『竹内文書』の影響を受けた王仁三郎独自の歴史観で、絶対性はなく、あくまでも仮説に過ぎない。

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日本には、アカデミズムが黙殺する『古史古伝』と呼ばれる古文書がいくつか存在し、その1つに『富士古文献』がある。
富士山麓の宮下家によって保存されてきたことから『宮下文書』とも呼ばれているが、それによると、日本人のルーツは中央アジアに住んでいた民族で、富士山を目指して日本列島に移住し、約6400年前に高天原王朝を築いたことが記されている。

6400年前といえばノアの大洪水の少し後で、以前述べた通り、ノアの大洪水後に日本列島に渡来した民族がいた可能性もあることはあるが、残念ながらそれと「富士高天原王朝」は基本的に関係なさそうだ。

まず、『宮下文書』は『徐福文献』とも言われ、徐福伝説と深く関わっている。
司馬遷の『史記』によると、紀元前213年頃、徐福は秦始皇帝の命を受けて不老不死の仙薬を探すべく、85艘の船団で、3000人を率いて日本に渡来したとされており、全国各地に徐福伝説が残っている。
これが「秦氏」だという説もあるが、徐福の渡来が紀元前の秦代であるなら、秦氏(原始キリスト教徒)の可能性はない。
既に察しの通り、徐福一行の正体はイスラエル2支族(ユダヤ人)である。

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だが、中国北宋の欧陽脩(政治家・詩人)の『日本刀歌』の中には、次のような詩がある。

「その先祖徐福は、秦を偽って薬を取りに行くと言い、若い男女と共にその土地で老いた」

もし徐福の渡来が紀元後の話であるなら、「秦始皇帝の子孫」を偽称した秦氏(ユダヤ人)である可能性もある。
しかし、『宮下文書』の記録だけではなく、中国の『史記』にも記録されている以上、やはり2支族のユダヤ人だったと考えて間違いないだろう。

徐福は中国には帰らず日本で他界し、3羽の鶴となって舞い上がったと伝えられており、中国では徐福は「神武天皇」だったとする説もある。
「三」は日向族を象徴する数字で、「神武天皇」は日向族であり、改めて解説するが、日向族の本隊は2支族のユダヤ人なのである。
更に死後、白鳥となった「ヤマトタケル」との関連性もあるだろう。

詳細は、神仙組Tの「初代天皇の座を奪った桃太郎(ピーチボーイ・メーソン)の謎」を参照して頂きたい。
http://mujaki666.seesaa.net/article/125129805.html

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このように古代中国では、大別して2大勢力の対立があったことが窺える。
ところで私は、エブス人、エドム人、そして徐福の話で気付いたことがある。
七福神の信仰は関西から始まったとされているが、まず、宝船に乗った「恵比寿」はエブス人のことであろう。
そして「大黒天」「毘沙門天」「弁才天」の大黒天は製鉄神であり、ヒンドゥー教のシヴァでもあり、「スサノオ」の一表現である。
毘沙門天・弁才天もヒンドゥー教の神が原型となっているが、要はインド経由で古代日本列島に稲作や鉄器文明をもたらした「出雲族」を象徴している。

一方、「布袋」は中国仏教、「福禄寿」「寿老人」は道教の老師で、中国をルーツとしている。
これらは、宝を積んで船で日本列島に渡来した「徐福」を象徴しているのではないかと思われる。
彼らの間で、対立や派閥はあったにせよ、その中枢となる部族が、南アジアと東アジアの中継地点として「パミール高天原王朝」を築いていたらしい。
posted by 夢蛇鬼 at 22:51| Comment(1) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
八は最大の足跡だと思ってましたが
出雲族の象徴でもあったんですね
ヒッタイト+10氏族=秦
ハッティ=八 秦
で考えてる人がいるなんて夢にも思わなかったです
シュメールなどの古代文明と秦氏を結びつけるようになったのは飯島紀の本を読んでからです
古代について詳しくはないですが面白い考え方だと思います
Posted by はた at 2010年10月31日 01:47
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