2010年03月29日

三国史記と失われたイスラエル10支族の謎

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ヒッタイト帝国滅亡後、ヒッタイト人はヒマラヤ周辺に民族移動したという説もある。
だとすれば、イラン高原を経由してインド亜大陸に入ったということは間違いないだろう。
だが、ヒッタイト人が移動したのは、インド亜大陸だけとは限らない。
ヒマラヤ周辺ということは、パミール高原も該当する。
そして、インドと中国を結ぶルートは、パミール越えと天山越えがあるが、天山を隔てて西にカザフスタンが隣接している。

現在のカザフスタンはロシア語が使われているが、日本人とカザフスタン人のDNAは90%同じで、ゾロアスターが誕生した地でもある。
イラン・インドのアーリア人のルーツとなった中央アジアの遊牧アーリア人は、夢蛇鬼説ではヒッタイト人である。
彼らは司祭を中心とし、部族単位で麦を栽培し、自然現象を神として信仰していた。

紀元前646年、エラムはアッシリアに滅ぼされ、スサは完全に破壊された。
その後、ペルシア帝国が興り、紀元前550年頃にメディアが滅ぼされ、ペルシア人との同化が進んだとされているが、スサの王(スメラ族)の騎馬部隊は北東アジアに進出した。
この頃には、もう一方のヒッタイト人(新ヒッタイトを築いた騎馬民族)との違いは分からないが、いずれもユーラシア大陸を闊歩する遊牧民タタール人になったことは間違いないだろう。

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アリオンによると、スサノオの父の名前は「フツ」だという。
確かに、出雲の宇美神社には、スサノオの父である「布都御魂(フツノミタマ)」が祀られている。
更に、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神社には、「布都御魂」「布都斯御魂(フツシノミタマ)=スサノオ」「布留御魂(フルノミタマ)=ニギハヤヒ」「宇摩志麻治尊(ウマシマジノミコト)=ニギハヤヒの長男」が祀られており、フツ、フツシ、フルという名前は、モンゴル系民族の名前だという。

これは、シュメール出身のスメラ族がヒッタイト人となり、スサに移住した後に、モンゴル高原に進出してきたことを物語っているのではないだろうか。
ちなみに、石上は石神に通じ、青森の鉄・巨石文化を象徴する磐石信仰に通じる。
「いそのかみ」という読み方は「五十の神」に通じ、シュメールの「五十柱の神」にも通じる。
また、『日本書紀』には、スサノオが「五十猛神(イタケルノカミ)」を率いて天降ったことが記されている。
だが、モンゴルに定住したスメラ族が、朝鮮半島から日本列島に渡来したのかというと、それがどうも違うのである。

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アリオン曰く、彼らはパミール高原から海路ルートでやってきたという。
やはり、中央アジアの真ん中に位置する世界の屋根「パミール高原」がキーである。
パミール高原を越えた先は、イラン高原から南アジアに移動したヒッタイト人がいる。
彼らは、パミール高原をルートに交流していたことは恐らく間違いない。

それを裏付けるのが、インドの「タータラ」である。
タタラの語源は、タタール族のダッタン語で熱を意味する「タタトル」だと言われているが、インドのサンスクリット語でも熱を「タータラ」という。
ヒンディー語では鋼を「サケラー」といい、出雲で鋼を「ケラ」と呼ぶのに似ている。
また、ミャンマー語でも刀は「カタナ」である。
そして、古代朝鮮語でもタタラは「もっと加熱する」という意味で、明らかに製鉄と関連した言葉で、インド・中国・朝鮮の繋がりを無視することはできない。

古事記によると、朝鮮半島南西部にあった百済や新羅との交渉の場に、「たたら場」という言葉が登場する。
また、パミール高原の麓のタジキスタンを中心に、アフガニスタン北部や中国領ウイグル自治区に居住するタジク族は、中央アジアの多くの民族の系譜を引いているが、インド・ヨーロッパ系の言語を使い、カザフ族やモンゴル族に似て、勇壮なこと好むという。
以上の事から、タジク族もヒッタイト系民族の末裔であることは間違いないだろう。

更に、タジキスタンには「クダラ」という地名が残っているが、クダラの民族が朝鮮半島に移動して、百済を建国した可能性もある。
百済は、346年〜660年に朝鮮半島南西部にあった国だが、『三国史記』では、紀元前18から存在したとされおり、史実とは考えられていないが、紀元前から存在した可能性はある。

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『三国史記』の「百済本紀」によれば、扶余王・解扶婁(カイフル)の庶孫の、優台(ユウタイ)と召西奴(ショウセイヌ)との間に、沸流(フツリュウ)と温祚(オンソ)が生まれたという。
「扶余」とは、満州(中国の東北部とモンゴル高原)に住んでいた民族である。
「カイフル」や「フツリュウ」には「フツ」が付いているが、スサノオの家系なのではないだろうか。
少なくとも、スサノオは扶余族だったはずで、当然ながら扶余族は、モンゴル高原を遊牧する騎馬系遊牧民(タタール人=ヒッタイト人)だったと考えて良い。

彼らがインド地方に移住したヒッタイト人と交流があったことを示す事例も存在する。
釈迦に最後の食事を給したのが鍛冶工のチュンダ(漢訳では純陀)だとされているが、これは百済の武寧王の子「純陀太子」だったのではないだろうか。

ヒッタイトは牡牛族だが、釈迦も牛を神使とし、インドラは「牛の主=バアル」であり、ハラッパーでは角を生やした神像が出土している。
そして、釈迦の時代を考えると、やはり百済は少なくとも紀元前500年以上前から存在したと言える。
ちなみに、桓武天皇の実母・高野新笠は、家系図によると百済の武寧王の子純陀太子から出ている。
釈迦も満州から来たヒッタイト一派の系譜だった可能性が高い。

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以前、釈迦はイスラエル10支族のガド族の末裔である可能性が高いということを述べたが、恐らく扶余族は、10支族とスキタイ(ヒッタイト人)が同化した民族だったのだ。
釈迦を生んだシャーキャ族(サカ族)は、天山・パミール地区からカスピ海にかけて栄えたペルシャ系の遊族民族だとされているが、要はサカ族とは「スキタイ」のことである。
スキタイ一派は農耕も行なっていたが、扶余の宰相が解夫婁に次のように述べ、解夫婁は東扶余に遷都した。

「天の神の子孫がいずれ国を作ります。
東海に迦葉原という地があり、そこは五穀が良く実ります。
ここを離れ、その地に都を遷してください」


このように、扶余族(スキタイ)は農耕民でもあり、日本に稲作文化をもたらしたのもスサノオだと言われているが、釈迦の父は「浄飯王」、つまり米を主食とする民族で、インドの歴史学者チャクラヴァルティも、「シャカ族は、ネパール地域のモンゴル人だった」と述べている。

ヒマラヤからアッサム、雲南にかけての山岳地帯に住む蒙古系人種をキターラというが、インドの古文献にも「シャカ族はキラータ」と書かれており、ネパールのシャカ族の末裔を名乗る一族の赤ん坊には、実際に蒙古斑が出るという。
やはり扶余族は、ヒッタイト民族とイスラエル10支族のハイブリッド民族だったのだ。
その証拠に、扶余王の解夫婁(カイフル)は「ヘブル」と読むが、ヘブルとは「ヘブライ人=イスラエル民族」のことである。

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また、半島北部から満州地方にあった高句麗の始祖・朱蒙(温祚の父)も扶余族だが、『三国史記』の建国神話によると、紀元前18年高句麗の王族が10人の家臣と大勢の民衆と共に南方に逃れ、現在のソウルに建国したという。
「10人の家臣と大勢の民衆」とは、ズバリ「イスラエル10支族」ではないのか。
そして、イスラエル10支族も牛神「アモン=バアル」を信仰する牡牛族で、朝鮮に「牛頭州」という地名があり、ソウルの「ウル」もシュメールの首都ウル(牛の意)とも無関係ではないだろう。
ちなみに、牛を聖獣とする一族を、朝鮮語で「ウル・サラム(牛人)」という。

紀元前922年頃、イスラエル王国が分裂し、2支族がエルサレムを首都とする南ユダ王国を建国し、10支族がサマリアを首都とする北イスラエル王朝を樹立した。
その2世紀後の紀元前722年、北イスラエル王朝はアッシリア帝国に侵攻され、10支族は捕虜として連れ去られた後、歴史の表舞台から消息を絶った。
まず、彼らはユーフラテス河を遡り、メソポタミア地方に来たことは間違いないだろう。
そこにはエラム王国があり、首都スサにヒッタイト王(スサの王=スメラミコト)が移り住んでいた。

「スメラミコト」はヘブライ語で「サマリアの王」だという説があるが、トルコには、4世紀頃に建設されたとされる「スメラ修道院」というギリシア正教会の廃墟が遺されており、スメラミコトの名残りである可能性もある。
いずれにしても私は、彼らが合流した可能性は高いと見ている。

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そして紀元前644年、エラム王国もアッシリア人に滅ぼされた。
既に述べた通り、ヒッタイト人は騎馬戦に長けていた。
ゾロアスターを生んだメディアの部族のいくつかは、スキタイの部族名とも一致している。
この仮説が正しければ、後に北イスラエル王朝滅亡後、イスラエル10支族とスキタイが合流した経緯も納得できる。
つまるところ、これはスメラ族とイスラエル10支族の正式な合体である。

尚、中国の河南省は黄河の南にあることから名付けられた地名で、黄河文明を築いた古代シュメール人一派が定住していたと思われるが、もしかすると後にカナン人の一部が移住したことを暗示しているようにも思える。
そして、カナン人もイスラエル民族に巧みに融け込み、カナン神話の主神「バアル」を信仰する民族である。
posted by 夢蛇鬼 at 06:26| Comment(0) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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