2010年03月29日

有色アーリア人とゾロアスター教成立の謎

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一説によると、紀元前1160年頃にヒッタイト帝国は滅亡したという。
東南アナトリアに移動して都市国家群を築いた、新ヒッタイトと決裂したグループは、早い時期にアジア全域に進出したことだろう。
恐らく、彼らが「スメラ族」で、タタール人と呼ばれる騎馬系遊牧民の先陣となったと考えられる。
私の仮説では、シュメール王国のスメラミコトはエラム支配時代、またはシュメール王国滅亡後に「スサの王」となった。
そして、ヒッタイト帝国のあったトルコの隣が現在のイランだが、その南西部は「スサ」のあるエラムだった。

エラムは紀元前12世紀頃にバビロニアに侵攻され、バビロニアの影響を強く受けて楔型文字が多様されたが、紀元前8世紀頃までの記録が殆んどない。
この頃に、スメラ族がエラムに移った可能性もある。
また、スメラ族の族長(スメラミコト)が、この時に初めて「スサの王」になった可能性もある。
エラムはメディアと交流があったが、バビロニアの支配を受けたエラム人やスメラ族は、メディアにも進出していたと考えることもできる。
私が言いたいことは、スメラ族がアナトリア(現トルコ)、エラム(現イラン)、パミール高原、メディア(現カザフスタン)のステップ地帯に進出したのではないかということである。

そのメディアで誕生したのが「ゾロアスター」である。
ゾロアスター教は紀元前1000年以上前に誕生したと考えられているが、ヒッタイト帝国が滅亡した時期とほぼ一致し、「マタイによる福音書」で、占星術でメシア(イエス)誕生を予言した「東方の三賢者」の祖がゾロアスターだという伝承があり、シュメールの高度な天文学を彷彿させる。
ゾロアスターはバクトリアの王だったと言われているが、バクトリアが成立したのは紀元前255年頃なので、バクトリア以前のメディア王国のことである。
従って、ゾロアスターがスメラミコト(スサの王)だった可能性も有り得える。

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ゾロアスター教は、日本では「拝火教」として知られているが、火を拝むとはまさに製鉄民ヒッタイトを連想させる。
イランは「アーリア人の国」という意味だが、アーリア人は本来、人種的にコーカソイドである。
ヒッタイト人は「セム系スメラ族」と「アーリア系ハッティ」の混合民族だが、「ヒッタイト」を名乗っていた事から考えて、アーリア人化していたはずである。
それが、エラムやメディアにアーリア言語をもたらしたのだと考えると、アーリア・イラン人が白人ではない理由も氷解する。
そもそも、エラムは言語系統は不明だが、ドラヴィダ語族だったという学説があり、アーリア人の国ではなかったのだ。

アカデミズムでは、紀元前1000年頃にはイラン高原全域にアーリア人が定着し、この時期にイラン高原は鉄器時代に入ったとされているが、これが正しければ、やはり、イラン高原に移住したのはヒッタイトのスメラ族であろう。
そして、イラン高原周辺に移住したヒッタイト人は、インド亜大陸にも進出してインド・アーリア人となったのだろう。
恐らくこの時に、鉄器文明やゾロアスター教の『アヴェスター』をもたらし、『ヴェーダ聖典』を教典とするバラモン教を成立させたのだ。

また、メディア王国のマゴイ族は、血統によって地位を継承する祭司階級だったことから、先住のドラヴィダ人を支配する形でカースト制を作ったのは、彼らだったのかも知れない。
ゾロアスター教とバラモン教・ヒンドゥー教については別の機会に述べるとして、スメラ族の行方を追ってみることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 05:35| Comment(2) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拝火とは、やはりご神体である火を絶やさなかったのでしょうかね。
オリンピックの聖火や、出雲の火継ぎとかを連想しますね。
今週、出雲大社にお参りに行くのですが、和鋼博物館に寄ってみようと思っています。
製鉄は重要なキーワードのようですね。
単に製鉄ではなく、『和』に意味があるようなのです。
和鉄から日本刀が造られるらしいのですが、この製造過程にこそ霊的意味があるのかもしれません。
『和』は閣下の象徴ですものね。
Posted by オクト at 2010年04月12日 11:11
そう考えると、やはり「名前の呪」をつくづく感じます^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月12日 12:21
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