2010年03月28日

黄河文明と「日本語クレオールタミル語説」の謎

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「日本シュメール起源説」を最初に提唱したのは歴史学者ケンペルで、古代バビロニアの「日像鏡」「月像の首飾り」「剣」が日本の三種の神器に一致し、オリエントに多く見られる菊花紋が皇室の家紋となっていることから、「高天原はバビロニアにあった」と主張した。

だが、バビロニアはシュメール滅亡後に出来た王国なので、真相は恐らく、アッカド、またはアムル人やエラム人、アッシリア人の侵攻を受けたシュメール人の一部がアジア全域に広がり、一部が日本列島まで到達したのだろう。

だが、中国大陸に定住したシュメール人も数多くいたはずだ。
或いは、タガーマハラから出発したセム族は、メソポタミア地方を超えて、東アジアや北アジアに移動したケースも少なくなかったことだろう。
その遺産が世界四大文明の1つ、黄河や長江などの中国文明である。

メソポタミア文明やエジプト文明、インダス文明と同様、黄河文明を築いた連中もカッバーラを継承したフリーメーソンである。
言うなれば、古代チャイニーズ・メーソンである。

中国神話には、アダムとイブに相当する人類の始祖「伏羲(ふっき)」と「女禍(じょか)」が登場するが、メーソン(石工)のシンボルであるコンパスと直角定規を持っている。
下半身が蛇の姿で描かれているその姿は、DNAの二重螺旋構造を意味していると思われるが、蛇と蛇ということから考察して、彼らは「龍蛇族」だったのではないかと思われる。

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龍は神話の中で常に悪者とされてきたが、中国では龍は神獣として尊ばれている。
古代チャイニーズ・メーソンは、シュメールで牡牛族から逃げてきた龍蛇族だったのだろうか。
尚、中国西安郊外にあるピラミッド群は、彼らチャイニーズ・メーソンの作品ではない。
そして彼らは、朝鮮半島(当時は日本列島と陸続き)にも広がっていったことは想像に難しくない。

だが、それだけが日本人のルーツではない。
縄文人のルーツの一部は、アメリカ大陸の原住民「ネイティブ・アメリカン」だという事が判明している。
アメリカのミシガン大学のロリング・ブレイス教授は、アメリカ先住民民の遺骨や現代人の頭部を測定し、アメリカ中西部と北東部の先住民と、古代日本に住んでいた縄文人の関連性を発表した。
また、アラスカとカナダ北西部からメキシコにかけての地域の先住民は、現代の中国人に酷似し、縄文人とは別系統だとしている。

これは遺伝子学的にも証明されつつあるが、マヤ人が日本列島に上陸していたことは、沖縄のオーパーツ「ロゼッタ・ストーン」を見ても明らかである。
ネイティブ・アメリカンの祖とされているホピ族が、イスラエル民族の末裔だという説もあるが、これは学術的に信憑性が低い。

では、ヒッタイト人が日本列島に向かう途中で、ネイティブ・アメリカンになったのだろうか。
否、ヒッタイト人が「牡牛」をトーテムとする民族だったのに対し、ネイティブ・アメリカンは「ククルカン」や「ケツァルコアトル」等の、翼のある「蛇」を信仰していた民族である。
また、ヒッタイトには、ネイティブ・アメリカンが築いたようなジッグラトはなく、ネイティブ・アメリカンには製鉄技術はなかった。

マヤ、アステカ、インカの巨石文明、特に「ジッグラト」と呼ばれる階段ピラミッドは、シュメール文明の遺産そのものである。
そして、ホピ族が使う羽玉や、マヤの遺跡にも、スメラミコトの家紋 「十六弁菊花家紋」が残されている。
ネイティブ・アメリカンは、シュメールから直接やってきたのだろうか。
彼らの高度な巨石文明と天文学的知識は、明らかにシュメール文明そのものだとしか思えない。

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だが、ネイティブ・アメリカンのルーツは、蒙古系モンゴロイドだという説が有力視されている。
当然ながら、蒙古系モンゴロイドはセム族であり、シュメール人の枝分かれだと考えて良い。
シュメール人はアジア全域に広がったが、ウィスコンシン氷河期によって、アジア人(蒙古系モンゴロイド)が新天地を求めて、現在のワシントン州にやってきたと考える学者もいる。
尚、ウィスコンシン氷河期と呼ばれるものは、ノアの大洪水以降に何度か起きたポールシフトで、北方が寒冷地帯になったことだ。

また、古代日本列島には、ネイティブ・アメリカンだけではなく、ポリネシアやミクロネシア等の南方系海洋民族が上陸していたことも分かっている。
日本シュメール起源説を唱える岩田明氏は、『消えたシュメール人の謎』(徳間書店)の中で、「ヤマト」の語源が海の龍「ティアマト」だと主張し、それが「アマト(海人)」となり、南インド、エジプトにまで航海して各地に拠点を築いたシュメール人が、マレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、インドシナ半島などに痕跡を残しながら、日本列島に到着したのではないかと推測している。

確かにシュメール人は、インドやエジプトの神話や文明にも大きな影響を与えており、エジプトには、南方から船で文明を伝えに来た人を描写した絵が残っている。
エジプトにも十六弁菊花家紋が見られるが、これはヒッタイトがエジプトを支配下に治めた証しとして刻まれたものであろう。
また、インダス文明の都市遺跡のモヘンジョダロやハラッパー、カンボジア遺跡、ポンペイ島の巨石建造物、イースター島のモアイ、トンガの階段ピラミッド、パラオの巨石建造物等と、ネイティブ・アメリカンのルーツも同じだと思われる。

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実際に、ポリネシア人のルーツについて、「シュメール起源説」と「ネイティブ・アメリカン起源説」などがある。
前者は、ニュージーランドのマオリ族の言葉で「西」を「ウル」と言い、シュメールの首都ウルと符合する。
後者はモルモン教の主張で、ネイティブ・アメリカンの一部がポリネシアに移住したというもので、「ネイティブ・アメリカン=イスラエル民族」かどうかは別として、ポリネシア人が南米からやってきた可能性は十分考えられるし、逆のパターンも考えられる。

また、ポリネシア人のルーツをエジプトに求める説もある。
イースター島の未解読文字が、エジプトのヒエログリフを彷彿させることや、ポリネシア語で太陽を「ラー」と呼ぶこと、ポリネシアにも死者をミイラにする風習があること等が根拠となっている。
だが、南方から船で来た人を描写した絵がエジプトに残っている以上、エジプトがポリネシアのルーツではない。

現在、考古学・言語学などの研究から有力視されているポリネシア人のルーツは、中国の南東部である。
ポリネシア人の痕跡はインドネシアまでしか辿れず、また、東南アジアとの文化の共通点が多く、約4000年前に中国南東部のモンゴロイドが、インドシナ半島、インドネシア、ニューギニア、メラネシア諸島などを経てトンガに定住し、その後、サモア諸島、更にポリネシア諸島に広がったと考えられている。

そして、そのままアメリカ大陸に突入したのが、ネイティブ・アメリカンだろう。
ロリング・ブレイス教授のいうように、アラスカとカナダ北西部からメキシコにかけての先住民が、現代の中国人に酷似しているのは、恐らく他民族との混血なしで今日まで続いてきたのだろう。
そして、彼らの一部がイヌイットになったのではないだろうか。

縄文人系といわれているネイティブ・アメリカンは、恐らく途中の島々に滞在したアマ族との交流があった為、他民族の血が輸入されたことは想像に難しくない。
要は、メソポタミア地方から中国大陸に来たセム族は、太平洋の島々、そしてアメリカ大陸にまで広がった可能性が高いという事である。

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そのルートだが、まず中国南東部からインドシナ半島、インドネシア、ニューギニア、メラネシア諸島などを経由するとなると、パミール高原を越える必要がある。
パミール高原は中央アジアの真ん中に位置する標高5000mの大高原で、タジキスタン、アフガニスタン、中国に股がり、ヒマラヤ、カラコルム、天山、ヒンズークシの4つの大山脈に股がるシルクロード最大の難所で、世界の屋根と呼ばれている。

このような世界の中心とも言えるパミール高原を目指して、定住した集団もいたとしてもおかしくはない。
恐らく、彼らの一部がヒマラヤの「聖者」と呼ばれる人々ではないかと思われる。
また、チベット南西部のカイラス山周辺で、ピラミッド群や巨大な石像が100以上発見されたが、中でも最大級の階段ピラミッドは、クフ王のピラミッド(146メートル)を超える180メートルの高さだという。

一方、太平洋諸島に進出した人々は、海洋民族故に「海人(アマ)族」と呼ばれるが、元々、シュメール人は航海術にも長けた民族だった。
インドシナ半島や太平洋諸島、アメリカ大陸などに巨石文明を築いた彼らは、各諸島やアメリカ大陸にネットワークを張り、頻繁に仲間と交流していたことは間違いなく、日本列島も例外ではない。

パラオ諸島には巨石テラス状の丘が多数有るが、日本各地の人工ピラミッド山や与那国島の海底遺跡などの石工構造と酷似しており、同系統の民族によって築かれたことが分かるし、また、沖縄人とフィリピン人の遺伝子も極めて近いことが判明している。

パミール高原の南西側は、インダス文明の都市遺跡があるパキスタンだが、アマ族の阿波一族はパキスタンのアワミ一族だと考えられ、また、古代インドやネパール、ペルー(マヤ人の末裔)からも、有明海や伊勢志摩にやって来た可能性があるとされている。

学習院大学の大野晋教授によると、シュメール語を祖語とした南インドやスリランカのタミル人言語(ドラヴィダ語の一部)も日本語に似ていると主張し、モヘンジョダロの文字はタミル語で解読できるという。
タミル人は、人種的にはオーストラロイド、またはヴェダロイドで、世界中に散らばっているが、元はシュメールから南インドに移住したドラヴィダ系の民族である。

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「十種神宝」などの宮中祭祀に関わる伯家神道の伝承によれば、古事記に登場する「土蜘蛛」はインドネシヤ系のアマ族とされている。
尚、パラオ人の祖先が、インドネシアのマレイ族、ニユーギニアのメラネシア人とポリネシア人だったことが判明している。

このように、アマ族の直接的なルーツはパキスタンやインドであり、シュメールから南アジアに南下してインダス文明を築いたシュメール人と、シュメールから東アジアの中国に移動した後にパミールを越えたシュメール人が、インド亜大陸で合流したものと思われる。
また、「日本語オーストロネシア語起源説」というのがあり、日本語がアルタイ語とオーストロネシア(南島)語の混合語だと主張する学者も多いが、タミル人の経緯を見れば、それも正しいと言えるだろう。

五島勉氏が『幻の超古代文明アスカ』の中で、インド人と日本人の類似性を挙げているが、結局はインダス文明を築いたシュメール人がアマ族となって、古代日本列島に上陸していたのだ。
また、インド洋の水深37メートルの海底に、9キロ四方に及ぶ大都市遺跡が発見されているが、これも建造物であることは間違いない。
尚、これはレムリア大陸などではなく、インド亜大陸の大陸棚の一部である。

北方起源説では、ツングース系モンゴロイドが樺太でアイヌと接触し、アイヌ人が北海道や東北地方だけではなく、本州の殆んどに居住していたとされている。
つまり、大陸と陸続きだった日本列島に最初に入ってきたのが毛人で、その後、ツングース系モンゴロイドが日本列島に移住したのがアイヌ人で、インドシナ半島、ポリネシア、ミクロネシア、アメリカ大陸に移住して、南方から日本列島に入ってきたのがアマ族なのだ。

だが、DNAの調査結果でも、縄文人はシベリア北部の先住民に近く、近畿を中心として北海道と沖縄で最も縄文人の血が濃くなる為、アマ族もアイヌと同系統の民族で、アマ族が北海道や東北地方に移動してアイヌと呼ばれるようになったケースも少なくないだろう。
いずれもシュメール出身の民族だが、古代日本列島にはこのように断続的にアマ族が上陸し、先住民と調和しながら石器時代を経て、縄文文化や弥生文化が形成されていったのだろう。

しかし、日本列島に製鉄技術をもたらしたのは彼らではなく、ヒッタイト人である。
ヒッタイト人は帝国滅亡後、どこへ消えたのだろうか。
そして、アマ族との関係は……。
posted by 夢蛇鬼 at 04:06| Comment(0) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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