2010年03月26日

シュメール人の行方と世界を制した古代天皇の謎

世界の神話を検証する前に、シュメール人の行方を追ってみよう。
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ノアの大洪水後、アフリカ大陸と陸続きだったインド亜大陸にハム族が存在していたが、その後、大陸移動によって、インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、シュメール人の一派とされるウバイド人がやってきて、インダス文明を築いたと考えられている。

紀元前2004年、シュメール王国(ウル第3王朝)が滅亡し、メソポタミア地方から逃れたシュメール人が大陸を渡って日本に辿り着いたという説がある。
それがまさに「日本シュメール起源説」であり、日本列島の原住民となった彼らによって縄文式土器の文化が開花したと思われる。
だが、「スメラミコト」が渡来したのはこの時期ではない。
何故なら、シュメール人は製鉄技術を持っていなかったからだ。

既に述べた通り、シュメール王国滅亡後、アブラハム・ファミリーに続く、多くの国民がタガーマ州ハランに帰郷し、その後、アブラハム一行がカナンの地に移動した。
そして、アブラハムがスメラミコト(天皇)の系譜だと考えるのが普通だが、アブラハムとは別のグループで、「スメラミコト」を筆頭とするグループがあったはずだと私は考えている。

根拠は「十六弁菊家紋」である。
この皇室の家紋はシュメールをルーツとしているが、古代オリエントの様々な場所で見ることができる。
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古代オリエントで絶大な力を持った集団が、スメラミコトの系譜なのだ。
スメラミコトを筆頭とするこの集団を、仮に「スメラ族」と名付けることにする。
夢蛇鬼説では、このスメラ族こそ「ヒッタイト人」なのだ。

ヒッタイトの言葉は、インド・ヨーロッパ語族に属するアーリア言語で、ヒッタイト人はセム族ではないとされているが、そうとは限らない。
シュメールから来たスメラ族は、トルコのアナトリア地方の先住民「ハッティ」の名前を引き継いだ。
通説では、謎のアーリア民族がハッティを征服してヒッタイト帝国を築いたとされ、勝利者が被征服者側の民族名を名乗るのは珍しいと言われている。

だとすれば、私的には話が繋がった。
聖書の記録によると、ノアの大洪水後、ノア・ファミリーはトルコのアララト山付近(コーカサス地方)に住んでいたが、ハム族が追放されてアフリカ大陸に移住した。
やがて、セム族はアジア全域に広がり、メソポタミア文明を築いたが、ヤフェト族はコーカサス地方に定住していた。
ヤフェトの妻は白人だった為、ヤフェト族(コーサソイド)は白人で、その中で最も勢力を持ったのが「アーリア人」だった。

ヒッタイト帝国の先住民である「ハッティ」は、まさにアーリア人である。
そこへシュメールからスメラ族がやってきて、征服とは言うものの侵攻ではなく、親交して融け込んだのではないだろうか。
ハッティを尊重して移民したスメラ族は「ハッティ=ヒッタイト」を名乗り、多くの民が混血をした事も想像に難しくない。

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ゼカリア・シッチンは『人類を創成した宇宙人』(竹内慧訳)の中で、更に貴重な情報を与えてくれているので、少し長くなるが紹介しよう。
(ニビル星人の話は別として、考古学・言語学者のシッチン説は、現在最も信頼できる情報だと私は思う)

――ヒッタイトの英雄と神々の物語が、シュメールに起源をもつことは、間違いないだろう。
……シュメール語の響きをもつ神々、アヌ、アントゥ、エンリル、ニンリル、エア、イシュクルである。
その他のヒッタイトの神々の名前と同様に、テシュブの名前でさえ、しばしばシュメール文字で書かれた。
また、戦闘の中であげられた場所のいくつかは、古代シュメールの遺跡であった。
ヒッタイト人が、実際はシュメール起源の神々を崇拝し、古い神々の物語の舞台がシュメールであったことが学者たちにわかりはじめた。
ヒッタイト語を判読するうちに、大量のシュメールの象形文字、音節、言葉が使われているのを発見して、学者たちは本当に驚いてしまった!
ヒッタイトが紀元前1600年頃、バビロンに着いたとき、シュメール人は近東の舞台からすでに長い間消えていた。
なのに、彼らの言語、文学と宗教が、別の時代の、そして、アジアの別の部分のもう一つの偉大な王国に影響を与えたのは、どうしてであったか?
シュメールとヒッタイトという二つの文明を繋ぐ橋は、フルリといわれた人々であったことが、最近になってわかった。
旧約聖書の中ではホライト(自由な人々)とされ、彼らはメソポタミアのシュメールとカッカドからアナトリアとヒッタイト王国までの間の広いエリアを支配していた。
エジプトとメソポタミアの国王の文書が、フルリ王国をミタンニと呼んでいる。
ヒッタイト人は、彼らを「フルリ(Hurri)」と呼んだ。
しかし、ある学者は、この言葉が「ハル(Har)」と読めると指摘し、「ハルリ(Harri)」は「アーリ(Ary)」と読め、アーリア人を指すという驚くべき可能性をあげた。
フルリが、アーリア人かインド・ヨーロッパ語族起源であったことは間違いない。
彼らは、ヴェーダと同じ名前によっていくつかの神々を呼んだ。
彼らの王たちはインド・ヨーロッパ語族の名前をもっていた。
そして、彼らの軍隊と騎兵用語は、インド・ヨーロッパ語族から生じた。
フルリ人は、文化的、宗教的にヒッタイト人に影響を与えた。
ヒッタイトの神話が、フルリに由来することもわかった。
そして、有史以前の、半神的な英雄の叙事詩物語も、フルリが起源であった。
ヒッタイト人が彼らの宇宙論と神話と12人の神々をフルリから受け継いだことに、もはや疑いの余地はない。
フルリ人の言語、文化、伝説には、疑いもなく、アッカドの要素があった。
彼らの首都の名前ワシュゲニは、セム語系のレシュエニ(水が始まるところ)の変形であった。
チグリス川は、アランザクといわれたが、これは「純粋な西洋杉の川」というアッカド語から起こっている。
しかし、アッカドの文化と宗教がオリジナルのシュメールの伝説と信仰の発展にすぎないことから、フルリは実際にはシュメールの宗教を吸収して、伝達しただけであることがわかる。
このことは、オリジナルのシュメールの神の名前とあだ名と書体の頻繁な使用からもはっきりしている。
叙事詩物語がシュメールの神話であったことも明らかになった。
古い神々の住居は、シュメールの都市であったし、古い言葉はシュメール語であった。
フルリの芸術も、シュメールの芸術のコピーであった。
いつ、どのようにして、フルリ人は、シュメールの遺伝子によって変化させられたのか?
紀元前の2000年の間にシュメールとアッカドの北の隣人であったフルリが、そのさらに前の1000年間でシュメールと混ざり合ったという証拠が存在する。
フルリが紀元前の3000年間、シュメールに混じって存在し、活動していたことは確かな事実である。
彼らは、シュメールの栄光の時代、ウル第3王朝の頃、大きな勢力を保っていた。
フルリがシュメール(特にウル)で大昔知られていた服飾産業を管理して、人材を供給していたことを示す証拠がある。
ウルの有名な商人は、ほとんどの場合、フルリ人であっただろう。
紀元前1300年、大規模な移住と侵略の圧力の中で(イスラエル人のエジプトからカナンへの脱出を含む)、フルリは自らの王国の北東の部分へ退いた。
バン湖の近くで彼らの新しい首都を創出して、彼らの王国をウルアルトゥ(アララト)と呼んだ。
そこで彼らはテシェバ(テシュブ)によって率いられた英雄を崇拝し、角のある帽子をかぶって雄牛の上に立つ精力旺盛な神として、テシェバを描写している――


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さて、ヒッタイト人は製鉄技術を発明し、騎馬戦に秀れ、古代オリエントで絶大な勢力を誇った。
マルタ島とカッパドキアを繋ぐ、例の地底都市もヒッタイト人の遺産である可能性もある。
『竹内文書』では、日本の古代天皇が世界を統治していたとされているが、これはまさに「古代オリエントを征服したヒッタイト人」を意味しているのではないだろうか。

そして、紀元前1600年頃にバビロンを壊滅させ、紀元前1275年頃にはエジプト19王朝を制服し、時のファラオ・ラムセス2世を降伏させた。
ヒッタイトは古代オリエントの宗教にも大きな影響を与えたが、『旧約聖書』に於いてはイスラエル民族の味方として尊重されている。
アブラハムの息子エサウは、ヒッタイト人ベエリの娘エフディテと、ヘテ人エロンの娘バセテマを妻とし、ダビデはヒッタイト人ウリヤを妻に迎え、息子のソロモンはヒッタイト王の娘をめとった。
だが、ヒッタイト帝国は、紀元前1190年頃に滅んでしまった。

従来の説では、地中海域の「海の民」によって滅ぼされたと考えられていたが、近年の研究では、3代に及ぶ王位争奪の内紛が原因で、国家を維持する力が失われていたことが明らかとなった。
それが、ハッティとスメラ族の分裂かどうかは分からないが、王位争奪戦でヒッタイト帝国が崩壊したことを憶えておいて頂きたい。
その後、ヒッタイト民族はどこへ行ったのだろうか。
彼らの行方を探る前に、シュメール神話を受け継いだ「ヒッタイト神話」を検証してみることにしよう。
posted by 夢蛇鬼 at 04:54| Comment(2) | 日本人のルーツの検証 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お邪魔しま〜す。
いつの間に!?

閣下のブログも滅茶苦茶増えましたね^^
まだ、完工しているのですか?
僕が来るのは少し早過ぎましたかね?
でも、コメント一番乗りを捕れました(笑)

このブログは善悪融合の前段階ですかね。
よく見ると旧神仙組の復活バージョンじゃないですか(笑)
でも、僕はこれを観て感銘を受けたので、
とても嬉しいです!^^

良い遅れましたが、
神泉組3開設、御芽出度う御座います^^
Posted by 魔殺愚 at 2010年03月26日 17:12
まさかこのブログに気づくとは・・・
ビックリです^^;
善悪融合編は、Uの「善悪逆転」が完成してからになりますが、
Uは随分と放置状態です^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年03月27日 03:13
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